Midori Hirota:Japan
2016-06-01T19:00:58+09:00
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Culture & Art Report from INDONESIA
Excite Blog
5月27日◆おとこの娘BAR「ADDICT」体験記
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2011-05-27T23:27:00+09:00
2016-06-01T19:00:58+09:00
2011-06-25T20:43:43+09:00
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そしてもう一人は北京の日系企業でOLさんをした経験があって、今回日本に留学してきたRさんで、中国と日本のサービスの相違について分析をし、いずれは中国で日本の(彼女いわく)素晴らしいサービスを生かしていきたいそうだ。
彼女の論文テーマを聞いたとき、私は彼女に疑問を投げかけてみた。
「日本のサービスといってもいろんな業種があるでしょう?ホテル、コンビニ、レストラン・・・。なにか業種は決めているの?」
この春から日本に来たばかりの彼女は、まだ詳細までは考えていなかったようだ。
村上龍を調べるTさんの携帯電話の待ちうけ画面はGackt。日本のイケメンが好きらしい。中国人留学生の彼女たちに私がある日、ふとした提案は、
「Rさんの論文のために、日本のサービスの一つ、夜のサービスを見に行こうよ。Tさんの好きなイケメンもいるし」
20年近く日本の夜の世界から遠ざかっていた私は、最近の名古屋の栄も今池もまったく知らない。だからこそ、彼女たちと一緒に自分も新しい店の様子を探ってみたかった。ちょうどこの少し前に大学時代の友達と呑みにいったとき、道端でもらったビラが『おとこの娘バー』というもので、かわいい青年たちがゴスロリの衣装で「女装」して客を出迎えてくれるというものだった。これを話したら四人の中国ガールズが食いついてきたのだった(以下、彼女らのことはいつも私が呼んでいるように「C-GIRLS」と呼ぶ)。
で、ついに行ってきた行ってきた。「おとこの娘BAR」。実際にはおとこの娘ったって結構お歳をめした青年だったけど。でもC-GIRLSは日本で初めてのナイトライフでかなりお喜びの様子。
入るまでには私だって勇気がいった。この手の店に入ったことなんてないから、はるばる日本に来た彼女たちにイヤな思いをさせることがないように用心して、店に入る前に扉の前でスタッフのオカマ君と交渉。
「彼女たち、日本に来て間もない学生さんだから、学割値段にしてくれない?ポッキリの値段出してちょうだい!」
そして90分呑み放題3500円ポッキリで交渉成立。
C-GIRLSはみんなきゃぴぴゃぴカワイイ。たいしたイケメンも実際にはいなかったこの店でも彼女たちが大喜びできたのは、ロリータ系の衣装が着られたこと。みんな大喜びで着替えまくって記念撮影。確かにカワイイ・・・
「今日帰ったら中国にいる両親に写真送ります~!」
ってはしゃいで撮影しまくり。残念ながらお店のスタッフたちを撮影することはできなかった。
そしてるうちに、C-GIRLSたちの興味がふと私に。
「ミドリサン、なぜ着ないですか? ミドリサンもキテください~」
ま、まさか。私がそんなことするわけないでしょ・・・
ずっと拒否していたのだが、彼女らのあまりのはしゃぎぶりに、なんか私も今だったら彼女たちに溶け込めるのか?と、突然魔がさしたんだな・・・
で、やっちまいました・・・
でも、C-GIRLSよ、せっかくみんなと一緒に楽しもうと思って出てきた私に、
「ミドリサン、オモシロ~~~い! 悪魔みたいデス~」
って・・・。
正直でいいけど。。。
言い訳するわけじゃけしてないけど、私は彼女たちのように、かわいい格好してかわいくなりたかったのではなく、キャッキャと楽しんでいるあなたたちの仲間に入りたかったのよ。テーマパークで貸衣装着て記念撮影するようなもんだね。おちゃらけるなら100%笑いをとればよかったんだけど、そこまでも解放されきれずだったから、結果は「悪魔」どまりだった。でも私は楽しかったわ、それなりに。CーGIRLSたちが楽しんでアルコールなしでおおはしゃぎしてる姿を見て、引率として嬉しかったのだよ。
帰りは健全に喫茶店で午前3時近くまでお喋りして、真剣な顔で
「ミドリサン、きょうホントに楽しかった。こんどこういうことしたら、かならず誘ってください!」
って言われると、ちょっと嬉しかったり。
でも、今度は違う店にしようや。あんまり酒のない店で、ロリータコスプレだけでいるのはやっぱり私にはつらい。また別のC-GIRLSのツボにはまる店を探して、みんなを連れて行きたいなーと計画中。]]>
8月27日◇徳島めし神山めし
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2010-08-27T07:50:00+09:00
2010-09-02T08:23:06+09:00
2010-09-02T08:09:32+09:00
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で、今日は神山滞在で見つけた気になる食べ物関係をまとめてみた。まだまだあるけど自分が試せずにいるものなので、後はおいおい。
私たちが住んでいる公民館前の教員住宅は名西郡の下分ってエリアにある。ここから東へ438号を下ると、車で5分ほどのところにあるのが神山温泉。キレイなホテルも併設されている。神山について1週間、初めて温泉につかりにいった帰り、ロビーの土産物屋を探索。気になったのは鳴門金時モノ。
ところで今回わたしがこの神山で制作するのは、ここ数年続けている『メモリー・オブ・アジア~お爺ちゃんの時代~』。太平洋戦争時に生まれていた人を対象に、戦争の体験談を聞き、私がつくった小さな陶作品と、お爺ちゃん・お婆ちゃんの私物1点と交換してもらうプロジェクト。
神山には私のプロジェクト対象者75歳以上の方が500名ちかくいらっしゃる。今は毎日そんなお爺ちゃん・お婆ちゃんを訪ねてはお話を聞く日々。こっちの話もまたおいおい。
で、お爺ちゃん・お婆ちゃんを訪ねると、毎回毎回もてなしていただく。皆さん本当にあったかい。一人で教員住宅に住んで自炊していると聞くなり、野菜、芋、お茶が出てきて
「もっていきなさい~これうちでできた野菜じゃけん・・・」
となる。
インタビュー途中にいただいたこのドリンクは神山オリジナル。ここは日本1のすだち生産地なんだそうで。いまは収穫期だから、ちょっと山に入るとたっくさんのすだちが実っている。あと梅も名産。神山の皆さんはすっぱい系がお好きなのか。
こちらも交換プロジェクトで訪ねたお宅でいただいた野菜。もちろんそのお宅の畑で採れた新鮮なもの。手前は白いゴーヤ。かぼちゃも実がしまってて(?)ほっこほこで美味い!!!
週末、神山アーティストインレジデンスのすべての業務をコントロールしているK子さんが、我々参加アーティストを町まで連れてってくれた。
神山のこの環境はと~~~っても充実してるのだけれど、制作のためにちょっと何かが必要ってときには品物が手に入らなくて不便っちゃー不便。みんな来てから1週間経って、必要だけど神山周辺では手に入らないものがわかってきたので、みんなで町に出て、100均SHOPや電化製品屋、DIY屋を回ろうってことになったのだ。
参加アーティストのプーワンの提案で、徳島ラーメンを食べることに。そしてK子さんが連れてってくれたのがここ、「いのたに」。小さな店だけど、かなり広い駐車場もってるあたり、美味いとみた。
肉入りの中600円にメンマ100円をプラスしたのがこれ。ブラジル作家のユキちゃんも、ラトビア作家のザランさんも完食~~~。
徳島ラーメン、名古屋人には合う。味は正直かなり濃い。ごっつぅとんこつラーメンにさらに味噌を混ぜたような感じ。シャーチューは厚くてしっかり入ってる。麺は太め。美味しいスープだけど、全部飲んじゃっちゃー絶対に塩分取りすぎる。血圧あがる。と思って我慢して、ザランさんの器をみたら、すでにまったくスープなしになっていた。あとで喉渇くに、オッちゃん(あっという間にザランさんの呼び名は「オッちゃん」になっている)。
まだまだ滞在は長い。後の神山めし、徳島めしはおいおい試していこうと思っている。ダイエット合宿兼ねてやってきた神山のアーティストインレジデンスだけど、痩せて帰ることはありえないなぁ~、と確信し始めている。]]>
8月23日◇四国88ヶ所第1号
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2010-08-23T21:33:00+09:00
2010-08-30T21:49:24+09:00
2010-08-30T21:49:24+09:00
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まずは今回3ヶ月滞在する教員住宅から川をはさんで向こうに見えていた八幡様に挨拶に。かなり古い場所と見える。これから3ヶ月の無事を祈り、このご縁に感謝する。
ここからちょっと行くと明王寺。しだれ桜で有名らしい。今の時期もちろん桜はなく、寺の向いは神山の名産、すだちがたわわに実っていた。しかしこのしだれ桜、葉っぱだけでもなかなかの貫禄。静かなたたずまいの寺だ。
今回、四国は徳島で滞在制作できることになったとき、最初に浮かんだのが「四国88ヶ所巡り」だった。小学校の頃から寺社が好きだった私は、四国の88ヶ所巡りにずっと憧れていた。若くして他界した父が、ずっと四国方面に出張をしていたこともあり、四国は私にとっては特別な場所だった。
神山から車でいける距離に、88ヶ所の第12番霊場、焼山寺があるのを地図で見つけ、できるだけ早くに行こうと思っていた。
ちかくは「おへんろころがし」の名がつく道があり、車でもかなりの曲がり道。行ったことのない場所だから、なおさら遠く感じる。それでも軽トラのギアを1にして必死に急なのぼり坂を登っていくと、焼山寺の参道についた。
ずっと憧れていた88ヶ所巡りは第12番が私の最初の霊場となった。四国の地を毎月仕事で踏んでいた父を思い祈る。
そしてようやく、朱印帳をGET! 山主がさらさらと書き込むその様子を見ていたら、感動で泣けそうになった。88ヶ所巡りのおへんどさんとはほど遠い形相の私が一人で朱印帳を購入し、涙ぐむ様を見て、山主が聞く。
「今日はお一人で?」
小さな頃から憧れていたこと、今は神山にレジデンスで来ていることを話す。
88ヶ所巡りのMAPも購入。100円也。
神山から一番近いのはこの焼山寺だけ。でも徳島市内に向って走れば、第11番の大日寺などいくつかの寺が回れる。もう少し制作を進めて、途中の息抜きにもう少し回ってみたいものだ。なんだか今日は昔からの想いを果たすことができて、かな~り幸せな1日になった。
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6月20日◇ダライラマ@善光寺
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2010-06-20T11:09:00+09:00
2010-06-22T11:43:22+09:00
2010-06-22T11:43:22+09:00
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講演前に、初めての善光寺参り。今日はお父さんが善光寺の公式ガイドまで勤めている先輩と一緒だから短時間での見所の抑え方が通だった。今回のダライラマ来日に合わせ、2週間を費やして制作された砂曼荼羅を見ることが出来た。砂曼荼羅の本来の運命とは少々違うのだが、善光寺で制作されたこの曼荼羅は、本堂にしばらく置かれた後、敷地内になる日本忠霊殿へ移され、ずっと展示するらしい。
こんなこと今更と思われるかもしれないが、「牛に引かれて善光寺参り」ってのはのどかに牛と一緒に善光寺へ行くって話なんだと思っていたのはやっぱり私だけだろうか。今回こんな歳になってから知った「牛に引かれて・・・」の真相はこんなお話。
「昔信濃に一人の無信心な老婆がおりました。ある日、白い布を干しておくと、1頭の大牛がそれを角にかけて走り出しました。老婆は慌てて牛を追いかけ善光寺にいたり、翌日やむなく帰る途中、観音堂の観音様の首にかかった白布を見つけました。そして観音様が善光寺へと導いてくれたことを知り、信仰深いよいお婆さんになりました」
とまれ、こちら会場のビッグハット。善光寺にいたときからアナウンスがあり、今日はダライラマ講演もあり、セキュリティチェックに時間がかかるので、できるだけ早めに会場に行くようにと何度も放送されていた。ダライ・ラマ法王14世様を他の外人タレントと一緒にしてはバチが当たるが、今まで私が観たもっともセキュリティーの厳しいコンサートはローリングストーンズだった。しかしそんなの比にならない厳しさ。まるで空港で今から飛行機に乗るのかくらいのチェックだ。さすが、法王。
こちら会場内。法王さまの公式ホームページからいただいたもの。当然会場では撮影禁止。
法王さまが舞台に上がられる前に、全員起立して、善光寺の僧侶と一緒に般若心経の合唱(といっていいのか?)。
そして現れたダライラマ法王14世!やっぱり生ダライラマには感動する。皆が詠んだ般若心経にいたく感動したようで、講演始めにはこの経文の内容についてお話をされる。
途中やたらとスポーティな赤いキャップをかぶったのがお茶目だったが、後からダライラマにインタビュー経験もあるという知人に聞いたら、照明がまぶしすぎるために、こういう場での講演ではキャップをかぶるそうだ。
これは会場で各自もらったパンフレット。この中にあったダライラマの言葉をここに記すだけで今日の報告は充分だろう。
「私たちは知らず知らずのうちに、
愛やおもいやり、協力、いたわりといった
人間になくてはならない
最も基本的なものを育むことを忘れるほどに、
物質的進歩に夢中になってしまったのです。
現代人の意識は、
あまりにも外の世界にばかり向いていて、
そちらとばかり関わっています。
内なる世界を大切にしたり知ったりすることが、
おざなりになっていると思います。
慈悲心を育んでゆくなら、
正しい責任感がきっと生まれてくるのです。
他者と心を通い合わせるという自然の感情は、
人のために行動しようという気持ちを
必ず起させてくれます。
思いやりの心は、本来静かで優しいものですが、
とても力強いものでもあります。
それは、内なる力の真の表れです。
楽天的な態度は、成功への秘訣です。
全く初めから悲観的な態度をとれば、
小さなことでさえ成し遂げられないかもしれません。
ですから、常に楽観的でいることはとても大切です。
他者の幸せを大切にすればするほど、
私たち自身の幸せへの意識も深まってゆきます。
他者へのあたたかい親近感が深まれば、
自然に自分の心も安らいでくるものです。
この気持ちが、
どんな恐れや不安を抱いていてもそれを除く手助けとなり、
直面する障害に打ち勝つ力を与えてくれます。
これが人生における究極な成功の源となるのです。
私たちは、出世の直後から親の世話を受けてきました。
晩年に至り、病気や老齢の苦痛に見舞われたとき、
私たちはまたも他人の親切に頼ることになります。
人生の始まりと終わりに他者の親切に頼っていながら、
どうしてその中間において、
私たちは他者に対して親切に振る舞わないでいられましょうか。
家庭や地域社会でも譲歩や和解の精神を広め、
対話による問題解決を試みるべきです。
争いを解決するのに対話は最良の方法で、
それは相手と対決するよりも
遥かに効果的な結果をもたらします。
正しい理由がある人は、
一つ一つ例を挙げて話し合いますが、
まともな支持のない人はすぐ怒りに身を任せてしまいます。
つまり、怒りは力ではなく、弱さのしるしなのです。
あらゆる宗教は、
利己主義などトラブルの根源を宿している心の野放し状態を
コントロールする必要性を説いている点で一致しています」
ノーベル平和賞受賞者 ダライ・ラマ法王14世
来日特別記念講演『善き光に導かれて』パンフレットより]]>
5月22日◇DRIVEが名古屋にやってきた!!!
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2010-05-22T23:54:00+09:00
2010-05-27T15:37:13+09:00
2010-05-27T10:19:58+09:00
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確かに、今までの一時帰国で私でもわかる重鎮バンドが名古屋への直行便で一緒だったことが何度かある。昨年は私がギターに絵を描いたために仲良くなったGIGIも名古屋に来ている。
今回名古屋にやってきたのはDRIVE。まだまだ新しいバンドだ。正直今までに名前は聞いたことがなかった。音楽やっている友達に聴けばやっぱり知っていて、
「せっかくナゴヤで見られるんだったら絶対見ておいたほうがいいよ!」
と言われたので見に行く事にした。
今まではインドネシアの方が長かったから、名古屋にいるインドネシア人のことなど気にならなかったけれど、実は結構いる。インドネシアのバンドの友達を通じて知り合った名古屋のインドネシア人アンギさんは奥様が日本人。最近は名古屋でインドネシア関係のイベントがあれば彼女からも情報が入るようになった。
今日のライブもアンギさんが裏方で関わっていたので、前売り券をとっといてもらって、会場の席取りまで奥様がしてくれた。
名古屋では結構古いライブハウス、今池のBOTTOM LINE。昔はよくライブ聴きに来たもんだが20年近く中に入ったことがなかった。さらに昔の記憶もほぼ消えていて、初めて来た場所に思える。箱いっぱいのインドネシア人を名古屋で見るってなんだか不思議な光景。
そして出てきたDRIVE。しらないバンドではあったけれど、どうやら一曲がTV主題歌となって流行ったらしく、確かにそれを聞いたら私も知ってる曲だった。
思い切り若いじゃりバンドだと思っていたけれど、よく見たらボーカルはそれなりに大人っぽい。パフォーマンスもなかなかだ。故郷を離れ、遠く異国は名古屋で働く若いインドネシア青年たちがみな舞台前に出てきて踊っている。まるで慰問ツアーだなぁ。
ライブラストには、私もステージ下まで行って撮影。そしたらいきなり知ってる曲が!やっぱり盛り上がるのは重鎮バンドGIGIの曲なんだなー。特に私は15年来のファンなので、DRIVEには大変申し訳ないが、GIGIの曲の時だけ飛び跳ねて躍らせてもらった。〆はもっと重鎮Iwan Falsの『BENTO』。いかにもインドネシア。
今まで知らなかったバンドだというのに、ミーハー根性が出てきて、裏方していた知人に頼んで楽屋へ。写真撮って話をしていたら、なんとこのボーカルのアンジさん、ジョグジャ出身だった!(名古屋の友達夫妻は「アンギさん(Angge)」、ボーカルの彼は「アンジ(Anji)」、似てるようで別名) こんなところで里の話になるとは、ボーカルも思ってなかっただろう。最後には、
「え、ところで姉さん(mbak)はジョグジャの人なの?」
ガン・・・、着物まで着てるのに、ナニジンなのかわかってもらえていなかったとは・・・軽くショック。
私は直接今回の主催者と知り合いではないのだけれど、アンギさん夫妻もいるので、ずーずーしくも打ち上げにまで参加した。名古屋にもちゃんとインドネシア料理を出す店があるのだ。これは栄にある「SAMA-SAMA」という居酒屋。今日はもちろん貸切。
皆さん座敷で盛り上がっているところで、私が気になったのは健気に働く若者たち。いつもはここ、インドネシア人コックのオッちゃん一人なのに、なんでこんなに?
貸切で忙しくなるからと、名古屋に研修生として来てる若者が借り出されていたのだった。自分がずっとインドネシアで一人で暮らしてきて、それなりに孤独や不安も味わっているから、こういう若者が名古屋で一人がんばって働いて里に仕送りしてると思うと、いとおしくてしかたない。バンドのメンバーそっちのけで、この子らと語ってしまった。
いやぁー、今晩でよくわかった。名古屋にもたくさんのインドネシア人がいるんだなー。これからはなんでもアンギさん夫妻に誘ってもらって参加しよっと。]]>
5月16日◇ござる乃座イン名古屋能楽堂
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2010-05-16T20:45:00+09:00
2010-05-24T21:01:22+09:00
2010-05-24T21:01:22+09:00
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そのときに能楽堂エントランスで見つけたのが『第13回ござる乃座公演』だった。申し訳ないが、狂言だったら野村萬斎が見たい。ときおりNHKの子供用の狂言など見ても、カッコいいなーと思っていた。
せっかくなので母を誘い、チケット発売日の開始時間と同時に電話をしたのに、取れたのは能楽堂の一番後ろの一番右端だった。
先回中学の同級生に誘われ、女三人で行ったとき、私だけが超ラフな格好してて少々恥ずかしい思いをした。今回は母と一緒だし、せっかくだから着物でお出かけ。
久しぶりの着物姿を自分で写真に収めたくて庭に出たら、愛犬のぷりが「う~~~~・・・・ぐるぐる・・・」と唸っている。そんなに私が着物着ると怪しい人間に見えるのか?ぷりよ?
日曜なので開演は午後2時。お昼は能楽堂に隣接しているレストラン「城」にした。久しぶりに平ぺったい麺がすすりたくて、「きしめん御膳」。名古屋コーチンの炊き込みご飯付。ここ、名古屋に遊びに来た友達連れてくるのにいいかもな~
更に感動したのがこれ。金シャチかまぼこ!ちゃんと口も割れている。母の方はお吸い物にちゃんと入ってる。きしめんもプリプリでどうもここで打ってるみたいだ。
食べ物にまず満足して、会場へ入る。申し訳ないけど、この前見た和泉流のときとは違って満員!!! さすがだなー野村万作&萬斎。なんたって人間国宝だもんなー。
しかし、ここの会場、もう少し傾斜つけてくれたらありがたい。今日の席では前の人たちの頭が気になって、隙間隙間を探して除かなくちゃいけないから大変だった。
しかし萬斎はすごいと思う。私なんて狂言についてはまったくの素人だけど、でも舞台に現れたとたんに会場の空気が変わった。声を発するとまた、彼がこの空間すべてをコントロールしてるんじゃないだろうかというような緊張感が走る。足を踏んでも。
今回はどうやら知ってる人にはかなり嬉しい、万作爺ちゃん、萬斎さん、そしてその息子という三代共演の曲もあり、それで〆となった。狂言って若い頃は何もおもしろいと思わなかったし、何を喋ってるのかもわからないと決め込んでいた。でも、今見るとおもしろいなーーーー。日本のこういう芸能って本当に素晴らしいと思う。
年をとったせいかもしれないけれど、これからは機会があれば母と伝統芸能見るってのもいいなーとつくづく思った。なんたって名古屋は芸どころだし。]]>
5月4日◇亀崎潮干祭
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2010-05-04T20:37:00+09:00
2010-05-16T20:53:37+09:00
2010-05-16T20:53:37+09:00
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今年は東京から2人帰ってくるタイミングに合わせ、名古屋にいてもなかなか集まる機会のない同期や後輩を誘って呑みに行くことになったのだけど、その中の一人は幼い息子もいるので不参加となった。その代わりに、彼の家のすぐ近くでやってるお祭を見に行く事に。
Tは同じ芸術大学の油絵科。サッカー部の主将だった彼と、マネージャーといいながら試合に出してもらったりしてた私、そしてキーパーのBとで集まった。初めて訪ねたTの家ではかわいい奥さんと息子に出迎えられた。
昔クリーニング屋さんだった家の店の部分をTがスタジオにしている。なかなかいい感じ。
Tの家は愛知県の半島、半田は亀崎というところにある。なんでもここで昨日今日と行われている潮干祭は国の重要無形民俗文化財、愛知県有形民俗文化財になっている貴重な祭だった。恥ずかしながら名古屋市内の私は、今年になって初めてそれを知った。
5両の山車を潮干の浜に曳きおろしたことからこの名のある潮干祭。そういえば今朝の朝刊1面にカラー写真でその海岸での様子が掲載されていた。
私が気になったのは山車の彫り物とからくり人形。5両の山車は建造が文政、天保、元治などかなり古い。からくり人形は江戸時代の竹田からくりの生きた化石とまでいわれて絶賛されるものが奉納されるという。
ついついT宅で久しぶりに話し込んでしまったので、祭のクライマックスである浜にはいるシーンを見ることはできなかった。正直ちょっとナメていたのがいけなかった。
しかし、いいよな~、半田。まだまだ町並みも昔っぽいところがたくさん残っていて、祭の屋台もたくさん。町の人たちの祭にかけてる姿勢も半端じゃないし、なんせ子供たちがちゃんと山車に乗ってお囃子をつけてるのがいい。最近年をとったからか、こういうライブな「ぴ~ひゃらら」を聞くと、なんとも心が落ち着く。
2日間行われる潮干祭の最終日、それも夕方から海岸へ行った私が見たのは、神社前の曳き廻し。勇壮な男たちの掛け声、子供たちのお囃子、祭だねぇ~~~・・・。
っていってるうちに日もくれてきた。私とBはまだここから名古屋に戻ってゴールデンウィークのプチ同窓会がある。Tの息子岳チャンもちょいお疲れで帰りたいモードになってきた。最後に山車の前で記念撮影して、亀崎の浜を後にした。]]>
5月2日◇京都・大阪二人旅その2
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2010-05-03T10:43:00+09:00
2010-05-16T20:54:46+09:00
2010-05-10T10:43:55+09:00
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こちらMINTOカフェの1階にあるCOCORO MUSEUM。なんでももともと大阪のアーティスト夫婦がここを借りてギャラリーとして運営していたのだが、その人たちが東京へ越したためにJUN氏がこの家(長屋の一番角っこ)を譲り受けたらしい。そして1階は過去の機能のままにギャラリーとして残し、2階をベジタリアンカフェとしてOPENさせたのだ。詳しい店のことについては「濃い~ぞ大阪」を見られたし。
先回JUN氏の案内で来たときには、私のフィリピンの友達キドラット・タミヒックの作品が展示してあったけど、今日は関西で活動してる若い女性アーティストの個展の最終日だった。
今回の旅の連れ、W子の兄貴夫婦が三重でベジタリアンカフェを経営しているので、W子はこのMINTOのベジタリアンメニューが気になってた。だからこそ今回はここでランチってことにず~っと前から決めてたのだけれど、不幸にも、店を切り盛りする青年はたった一人。そこに店のオープンと同時に、白人のどでかい兄ちゃん&その父母らしき人が入ってきて、ガンガン食事のメニューを注文する。私らのベジタリアンチャーハンは・・・。
腹すかせまくりで期待しまくりで行ってたために、作ってくれたお兄ちゃんには申し訳ないけど、ちょっと拍子抜けなランチになってしまった。いや、別に美味くないんじゃない。タイミングが悪かったために、空腹でのウェイティングタイムがあまりにも長すぎた。吐きそうになるくらい腹へっちゃってたもんな・・・。
なのでちょっとリベンジな気持ちも働き、JUN氏のAmantoグループ最初の店、Salon de Amantoのケーキセット。ここは先回フィリピンの友達マリコさんにつれてきてもらい、JUN氏を紹介された場所。チーズケーキが美味。
築120年の家屋を改装した店内は、W子も気に入ってくれた。本当にこの空間は居心地がいい。さらに好感がもてるのは、近所のおかんとかも来てるところ。フツー街中にこういう洒落た店ができると、洒落モノな若者の溜まり場になりそうなもんだけど、さすがは大阪。気になれば近所のおかんでも普段着で平気で入ってくる。そのおかんが案外店員と仲良かったりしてるからおもしろい。
久しぶりに関西に来たW子は、自由軒のライスカレーも気になっていたのだが、もう今日は中崎町周辺だけ楽しんで帰ることにした。名古屋~大阪ってホントに近いし、バス片道2,500円だもん。だったらこれからは頻繁に来てもいいやと思える。
今回の旅がW子との関西ツアー第1弾ってことで、これからは2ヶ月か3ヶ月に一度こんな旅もいいねーって話になり、夕方6時半のバスが出るまでの3時間を焼肉屋で過ごす。どうもランチのベジタリアンチャーハンの反動で、ガツッと肉食べたくなってるんだな。W子も兄貴がベジタリアンなだけで、本人はがっつり肉食だから、私のリベンジであるホルモン焼きに喜んで付き合ってくれた。梅田のカッパ横丁、いい感じ~~~
ホルモン焼きの〆に頼んだネギいっぱいの塩焼きそば、これが大当たり!カッパ横丁はまだ3時だってのに、結構おっさんが入ってきてすでに顔が赤い。さすが大阪。
蓬莱の豚マンとシュウマイを土産に買って、女子二人旅も幕を閉じた。]]>
5月1日◇京都・大阪二人旅その1
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2010-05-01T23:26:00+09:00
2010-05-07T17:03:49+09:00
2010-05-07T16:54:44+09:00
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そのときにフィリピンの友マリコさんから紹介されたのが、大阪中崎町をベースに活動している現代舞踏家Jun Amanto氏だった。知り合ってすぐ、偶然にもジョグジャカルタで毎年パフォーミングアーツのフェスティバルを主催し、日本からは歌舞伎や能の関係者、ちょっと前は大野慶人さんまでが公演をしたことのある由緒正しい国際フェスティバルのチェアーマンから連絡があった。
だったらアジアの人の動きを研究しているJun氏を招聘してもらえないか相談し、正式招待をしてもらうまでに話をもっていった。でも私自身まだ彼の舞踏を見たことがない。これはマズイでしょと思ってたところに、展覧会の情報。それが京都国立博物館の『長谷川等伯』展だった。すぐJun氏に連絡をとり、近々公演がないか聞いたところ、5月1日に定期公演があるというじゃないの。グッドタイミング。てなわけで、今回は京都・大阪一泊旅行となった。
(写真:最終日前の土曜、40分待ちで展覧会場に入る。なんでも混んでた日は90分待ちもあったとか)
今回は中学からの同級生で、大学を京都で過ごした友達を誘った。等伯の迫力或る屏風を鑑賞し終わると、ちょうとお腹のすく時間。女二人で京都ったら、やっぱ美味しいご飯でしょう。
河井寛次郎記念館へ入る手前に、小さいけれどこだわってそうな寿司屋を発見。生もの一切食べられない私でも全然OKな季節のお弁当を注文。これだよねー京都。味が上品。盛り付けが繊細。目で楽しめます~。目も腹も、舌も、大満足。
ここ数年、一時帰国のときに京都は2~3度訪ねたけれど、いつも寺巡りを優先させてしまって、ずっとこの記念館に来られずにいた。ようやく来れた記念館は入るなりスゴかった。この蓮の蕾をもった手の木彫りが最初に来館者を迎えてくれる。存在感がすごい。
居間にあった祠(と呼んでいいのかなぁ)。すべてに味がある。手仕事のぬくもり、彼のこだわり、日本の心だなーまさに。
家の中を奥へ奥へと入ると、彼の陶芸工房がある。登り窯も迫力あるけど、この仕事場がまたいい。見ている人たちのほぼ皆さんが「こんなところに住みたいわね~~~」と感想をこぼしている。でもこの家に住んだら、パソコンもインターネットもテレビもゲームもやっちゃいかんだろうな。
家屋の間にある庭。まん丸な石のレイアウト、ようやく暖かくなった初夏の日差しに黄色の花びらを広げたタンポポ。素朴なんだけど、それがとっても力強い。こういう家や仕事ぶりを見せられると、日本人に生まれてよかったと心から思える。
記念館を出、高台寺方面を散策。今日はGWとあって、舞妓トライアルした観光客姉ちゃんが、人力車で京の町を案内されてる光景に何度も出会った。いまやこういう舞妓さんなりきりパッケージがあって、人気みたい。なにげに京で目にする舞妓さん、バッタもんかもしれんってことだ、気をつけねば・・・。
その後、四条瓦町まできて、念願の抹茶ソフトを橋のたもとで食べ、満ち足りた心と腹で大阪を目指す。Jun氏の公演は午後7時から。
尺八、オカリナ、シタールの演奏者が即興で演奏する中で、Jun Amanto氏の即興舞踏がはじまる。私は専門家じゃないので素人感想でしかないが、観客が勝手に意味をもたせられるような表現だった。それに普段はミックスされない異なる国発祥の楽器が、意外にも融合してることもおもしろい発見だった。
もひとつ、彼をインドネシアのフェスティバルに推薦するという視点で見ても、武芸、スタントマン、大道芸などユニークな経歴から得た彼の肉体に関するコンセプトは興味深く、インドネシアの人たちにもかなり興味を持って受け入れられるだろうと思った。「日本」という固有のものではなく、「アジア」の表現という感じ。おもしろい。
京都と大阪、またもや濃く充実した1日になった。]]>
4月23日◇食べ歩きのリトルワールド
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2010-04-23T22:58:00+09:00
2010-04-30T09:58:21+09:00
2010-04-29T23:25:15+09:00
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これはフランス、アルザス地方の建物で、ムギ・トウモロコシなどの耕作、ウシの飼育のほか、ブドウ栽培も行なっている農家のサンプル。
こちらは韓国地主の家。慶尚北道の山村から移築したもの。リトルワールドが嬉しいのは、ここにちゃ~んと食事処があること。韓流ドラマ全盛期にきたときは、確かこの韓国展示エリアの店で、韓流スターのブロマイドまで売ってたような記憶がある。 全部の展示の中、私が好きなのはインド展示エリアとそこで食べられるインドカレー、そしてチベットの寺院。
さて、なんで今日私が一人でここに来たのかというと、ちゃんと理由がある。話は私がバリで暮らしていたときに遡るから、かれこれ14~15年になるのかな。ずっと「バリ島貴族の家」コーディネーターをさせてもらっているのだ。
最近めっきり物忘れが激しいので、どうやってコーディネーターを始めたのか、記憶がなくなってしまった。一番最初に関わった学芸員の方ももう今はいらっしゃらず、担当者は現在のMさんで三人目。そのくらい長いおつきあいになった。
この貴族の家のすべての家屋に施されている金色の飾り布は、野外展示1年の間に随分色あせる。これを毎年私がバリの工房へ発注し、色の組み合わせを決定し、製作過程をチェック、完成した品を受け取って梱包、日本へ発送している。毎年この飾り布は夏休み時期に取り替えている。
といっても、今までは私がずっと現地にいて品物を送るだけだった。数年前、ちょうど一時帰国が飾り布の取り替えのタイミングに合ったので、リトルワールドを訪ね、当時の担当者に、本当の巻き方などをお伝えしたことがあったけれど、今度の担当のMさんとは、今までメールでやりとりしてるだけで、ちゃんと会ったことはなかった。今日はご挨拶を兼ねて、数年ぶりのリトルワールドとなったわけだ。
(写真はバリ島貴族の家の前にあるインドネシア料理の屋台)
はっきり行って野外展示場は広い。今日は中学生たちがムチャたくさん歩いている。遠足なんだろう。私には歩く気力もなく(だってまだ寒いし)、打ち合わせもあったので、Mさんと一緒に園内バスに乗る。
バスもなかなか味がある。フツーのバスもあれば、タイのトゥクトゥクや、こんなフィリピンのジプニーもある。3度のフィリピン訪問でずっとお世話になったジプニーに犬山でお目にかかれるとは嬉しい。
今日は今後の「バリ島貴族の家」展示についてMさんと話し合いをもつのが一番の目的だったんだけど、私にはもう一つ楽しみがあった。別にリトルワールドの宣伝するつもりじゃないけれど、ここではいつもいろんな催し物があって、今は「世界の屋台料理」なんてのをやってるのだ。 これ見たら、食べずにはいられないでしょう。
私が一番惹かれたのは沖縄石垣の家にあるラフティー丼。打ち合わせも早々に、私は石垣の家に急ぎ、待ってましたのラフティーをシークワサージュースといただく。満足~~~~。もうちょい暖かかったらよかったなぁ~~~・・・展示の家から三線の音も聞こえてくるもん、もうここだけ石垣島・・・
学芸のMさんが薦めて下さったのは、こちらのサーカス。ロシアから来日した9名のアーティストたちによる、イリュージョンサーカスだ。まー今日はホント、残念なことに遠足のジャリが多すぎた。おまけに冷えすぎてたために、私には野外はキツかった。これはまた来る必要があるな、まだまだ屋台飯も食べきれてないし。タンドールチキンも、クスクスも、トッポギもタコスもまだ食べてないぞ。こちらのイベントは6月27日までだから、もっと暖かくなったら行くぞ~
Mさんと直接展示を見ながら今後の相談もできた。もっともっとバリ島貴族の家の展示状態をリアルにして、本当のバリの空気がここで伝えられるように、私もお手伝いできたらいいなーといろんなアイデアを浮かべながら、ひとまず今日はリトルワールドを後にした。やっぱおもしろいわ、リトルワールド。]]>
4月6日◇福岡いそぎ足の旅
http://midoriart.exblog.jp/13123643/
2010-04-06T10:02:00+09:00
2010-04-09T10:36:35+09:00
2010-04-09T10:36:35+09:00
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私は後小路さんがアジア美術館にいらした時からお世話になっている。インドネシアの調査にも二度同行させていただき、インドネシアの重鎮アーティストと直接話すという貴重な経験をすることもできた。最後にインドネシアでジョグジャカルタ、バンドン、ジャカルタの調査でご一緒したのはジャワ地震の少し前だったから4年ほど前か。今後日本でどういう形でインドネシア美術と関わっていくことができるのかなど相談したいことがたくさんあったので、春の到来を待って博多へ出かける事にした。
九大の研究室に入ってからは、すっかり写真を撮るなんてことを忘れていたので画像はない。日本ではジョグジャの常のように、どこにいても勝手にパチパチ写真が撮れないから残念だ。なんとなく誰かに怒られそうな気がしてなかなかカメラを出せない。
これは今回泊まった中州川端のホテル。しかしビジネスホテルってすごいなー。ぎりぎりのスペースに必要最小限のものをちゃんと揃えている。見てよこのスリムな家具。この狭い廊下的フロアーにシングルベッド。ユニットバスもきも~ちミニサイズ。でも新しいから気持ちよく使うことができた。
久しぶりに会った後小路さんと、最近のインドネシア美術事情について語りあい、研究室の様子や学生さんを紹介していただき、オマケにお昼ご飯まで誘っていただいた。もともと愛知県の小さな芸術大学しか知らない私にとって、九州大学のように広い大学のキャンバスってのは馴染みがないからおのぼりさん気分。
そうそう、今回思い切って博多まで出たのは、後小路さんにあいたかったのはもちろんのこと、もう一つの後押しがあった。写真は九大農学部博士課程の学生さんF君。彼とはジョグジャで知り合った。森林政策の学会などにインドネシア語で出席もできちゃうエリート。彼がちょうどタイミングよく一時帰国していて、夜は美味い博多飯に連れてってくれるというから勢いがついた。
天神のかなり美味いモツ鍋屋で満喫後、川沿いの屋台で明太子つまみに焼酎。福岡サイコ~。明太子てんぷら、いわし明太、そしてF君オススメの「きびなごの天ぷら」、ジョグジャの友達とこうして野外で呑んでると、なんだかジョグジャとダブってくる。
翌日は久留米の石橋美術館を目指した。後小路さんのインドネシア調査に同行した、当時大学院生だった女性が、今はここの学芸員さんになってるというので早速訪ねてみたのた。地図を見れば久留米の手前、少し寄り道すれば太宰府天満宮!いまさら遅いかもしれないけれど、少しは老化してる脳みそにもご利益があるかもと、早起きして寄ってみた。
思えばさだまさしの歌にもあったなー「しんじ池にかかる3つの赤い橋は ひとつめが過去で ふたつめが今・・」と。歌詞を思い出しながら、過去、今・・・と太鼓橋を歩いてみた。
桜門を抜けて本殿へ。ちょうどご祈祷中だった。この本殿右には飛梅があり、桃山時代の華麗な装飾にも圧倒される。寒い中、頑張って来たかいもあり、引いたおみくじは「吉」。
太宰府を後にして久留米へ。しかしブリジストンの石橋さんはすごい。このエリアは一大文化エリアになってるじゃないの。美術館以外にも文化センターや日本庭園もあるし、美術館の日本近代洋画のコレクションもかなりの質と量。学芸員になったIさんにも案内していただいてかなり満喫。
石橋さんがこうやって自分の利益を一般ピープルに還元してるってすごいことだなーと思った。とにかく、美術は高貴なもの・・・みたいにおかたくとまるんじゃなくて、一般人が本当に気持ちよくいられるような空間になっていて、好感がもてる。福岡の中心から特急で30分の場所ではあるけど、一度足を伸ばしたらいろいろ見るものもあるからこれはオススメ。
久留米を出た後、今後は福岡アジア美術館を訪問。勉強不足で、ここは月休みじゃなくて水休みだった。けれど学芸課長の黒田さんのご厚意で、学芸室で久しぶりに近況報告やらをして、OPEN前の展覧会の準備を見せていただいた。アジア美術という測りにくい分野で、ここまでのコレクション、企画をずっと続けてきた福岡アジア美術館もすごいなー。
そしてそこに関わってこられた今は九大教授の後小路さん、そして現学芸課長の黒田さん、このお二人に会ってお話しできただけでも、今回の福岡ツアーは大収穫だった。母と姉から頼まれていたふくやの明太子を買って、名古屋への岐路についた。]]>
1月16日◇NIPPONの正月 at 犬山温泉
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2010-01-16T21:31:00+09:00
2010-01-16T23:32:28+09:00
2010-01-16T21:31:56+09:00
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話はちょっと前後するけど、日本で向かえた正月のこと。
2010年の元日、名古屋は雪景色だった。スタジオの2階から、我が家の母屋を眺める。
今年は姉のリクエストで、家族3人温泉で一泊して正月を楽しむことになっていた。宿探し担当の私が選んだのは、名古屋からそんなに遠くなくて、でも旅行気分が味わえる場所。そこで犬山の温泉に決めた。木曾川の向こうに見えるは犬山城。
しっかり温泉につかり、正月の料理三昧して部屋で3人マッサージして、元日の1日身体を休めた翌日、目指したのはモンキーパーク、通称モンパ。私が大好きなスポット、なんたって猿だらけの場所なんだから。
オススメは南米館。タマリンやマーモセットなどムチャ小さな猿たちがたっくさんいる。ちょっと落ち武者系。ネズミくらい小さくて、キッキッと鳴く。かなり可愛い(臭いけど)。
モンパといえば人気はワオキツネザル。寒さの中、数箇所に設けられた暖房器具の前に座り込んで、思い切り両手を広げて暖をとっていた。今回わかったことに、猿はさすがに「毛」好き。私が防寒にかぶっていた帽子は、意図せずして大成功だった。ワオキツネザルたちは私の「毛」がいたく気になるらしく、ピョンピョンと勢いよく跳ねてみんなが集まってきた。
こんな近くまでやってくるから大感動。見てた係員さんが「触らないでくださいね!」っつーから、手は出せない。でもかなりの接近で嬉しい。
さらにモンパで見るべきはヤクニホンザル。屋久島のニホンザルが屋久島以外の場所でいるのはこのモンパだけ。寒い時期は、みんなが「猿団子」になってて、とんでもなくほのぼのとする。オマケに焚き火で暖をとった後、ここのヤクニホンザルたちは午後2時に焚き火で焼いた焼き芋を食べるのだけど、なんと見てる我々にも芋がもらえるのだ。
これがたまらなくて今年も来た~。ここの焼き芋がなんでこんなに美味いのかと思っていたら、その謎が今回解けた。なんでも京都の和菓子屋で使う上等のサツマイモの型崩れしたものをモンパが安く買ってるらしい。猿たちと一緒に食べられるから美味しいのではなくて、本当に芋そのものが美味かったんだな~~~。ホントに、ここの焼き芋は食べる価値アリ。もひとつ素晴らしきは、エサが欲しくて手を叩いて私ら人間を呼ぶ猿の姿。泣けるほど愛らしい。
さらにさらに、正月二日間だけのスペシャルは「奇跡のミカン」。
たまたま年末にニュースで見た。モンパにいるゴリラのエサになるミカン。これを食べたゴリラが排泄した中に、噛まれずに出てきたミカンの種があり、さらにそれを清掃員が集めずにいて、それが発芽して木になって、実を実らせるまでになったというもの。ちょっと縁起物かも・・・と、家族全員が抽選券をもらってこれをGET。モンパ三昧の1日だった。
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11月23日◇HIGUREな想い出
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2009-11-23T21:02:00+09:00
2009-11-30T21:29:37+09:00
2009-11-30T21:25:26+09:00
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HIGUREといえばまずはラクダ。近所の人ならみんなが知ってる屋上のラクダ。
週末になると、私の個展じゃなくて屋上のラクダが気になって入ってくる客もたくさん。気さくなオーナーの気質はスタッフ皆さんも同じで、快く屋上まで上げてくれる。私はこの1ヶ月寒くてなかなか外に出る気がしなかったのに、会期終了が近づいたある日、プレゼントされたようにあったかい1日がやってきたので、ようやくこの屋上でラクダと一緒に一杯やることができた。
それからこんなこともあった。美学校の授業。
美学校というのは昭和44年創立の美術・芸術専門学校で、中西夏之、加納光於、赤瀬川原平なども講師をした由緒ある学校。以前名古屋市立美術館で学芸員をしておられたK氏が現在ここで教えておられ、今回はK氏の教え子たちへの課外学習としてHIGUREを訪ねてくださった。
会期後半になって、大学の大先輩、小林孝亘さんも奥さんと来てくださった。いまやどこの美術館でも引っ張り凧の小林さんは、実はその昔、私にサーフィンの楽しさを伝授してくださった師匠でもある。
今、小林さんの作品は茨城県立美術館『眼をとじて』で見ることができる。
近くにあったのに、なかなか行く機会のなかった「富士見坂」にもちゃんと上ってきた。その名のとおり、この坂を上った場所は、東京都で唯一富士山を見ることができるポイントらしい(本当かどうかは知らないが)。
冬場は空気が澄んでいて見やすいというので、期待して行くと、上りきった場所にすでに人だかり。近所の「富士見坂」通なおじ様が
「っし!今日は見えるよ、夕日が少し沈んだくらいがチャンスなんでぇ」
と説明してくれるので待ってたけど、うーーーん・・・あのシルエットがそうだったのかなぁ・・・。
「スナック美奈子」。HIGUREのオーナー小澤さんの3大ご用達のうちの一軒。個展オープニングの夜に連れていってもらって会ったときから、私は美奈子ママのファンになった。
その後も数回呑みに行き、クロージングのおつまみなど、とっても美味しいネタをたくさん差し入れしていただいた。一ヶ月の滞在期間中、真剣にここでバイトしたくなるくらいだった。日暮里での想い出と美奈子ママは切っても切れない。あのスナック、なぜか妙~~~に居心地いいのだなぁ。。。
クロージングで嬉しかったのは、なんといってもTAKAさんが来てくれたこと。YOYOマスターTAKA、ヨーヨーの世界チャンピオンとは2年前にジョグジャで知り合った。5000人の犠牲者を出したジョグジャの地震被災地へ、TAKAさんが慰問に来てくださったのだ。
なんかの縁で義援金を託され、幼稚園を3つ建てていた私は、国際交流基金から現地のコーディネートを依頼され、私が関わった幼稚園にもTAKAさんが慰問に来てくださった。その素晴らしい技を見て、小学校の頃のYOYO熱が復活し、今では私も弟子の一人(かなり低レベルの)。久しぶりに師匠の技を見ることができて、幸せなひとときだった。
HIGUREでの想い出を揚げてたらキリがない。でも、こうして新しい出会いがあるたびに、人生ってやっぱりおもしろいなーと思う。なにがあっても、外に目を向けて動いていることって大切だなーーー。新しいご縁ができた皆さん、これからもどうぞよろしくお願いいたします~~~
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11月9日◇歴史探訪散歩(庭園編)
http://midoriart.exblog.jp/12353859/
2009-11-09T20:38:00+09:00
2009-11-19T21:51:15+09:00
2009-11-19T21:06:21+09:00
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個展の会期の合間に、今日は1日東京散歩。芸大時代の同期に歴史オタクのI君がいるので、こういうときにはいつもガイドをお願いしている。午前10時に新御茶ノ水で待ち合わせして今日の歴史散歩のスタート。まず湯島聖堂を巡り、次に神田明神。ここの神田祭は江戸3大祭のひとつ。
当時たくさんあった山車は、電線の普及で激減したらしい。なんと残念な理由・・・
こんなお猿さんの山車の絵がついた手ぬぐいもあった。
次に訪ねたのは小石川後楽園。水戸徳川家水戸藩初代藩主・頼房が築いた庭園を、2代光圀(水戸の黄門さん)が改修した公園で国の史跡、名勝にもなっている。
東京ってすごいなー。こんな広い場所が、突如都会の中にあるんだから。しかし、今では見事な江戸の庭園も、その背景には高層ビルが立ち並んでて、そのギャップはちょっと悲しくもある。水戸の黄門さんが今この景色を見たら、どう思うんだろう。
池の鯉は化け物か人面魚かというくらいでかくて、橋の上に人影がすると、エサがもらえると思って、バクバク大きな口を開けてくる。これだけ大量ででっかい口だとそれなりに怖い。
次に行ったのは護国寺。徳川綱吉の母、桂昌院の発願によって天和元年(1681年)に創建されたもので、歴史オタクのI君いわく、東京にある大きな寺の中で、唯一戦争の空襲にあわなかった寺らしい。
奥には大隈重信、山田顕義などの墓もあり、I君はそっち探しに忙しかったけど、私の目にとまったのはなんたって「猿」。
3匹の猿が塔を支えてる。可愛い・・・いやいや支えてる感がなんともイイ感じ。
そして次は椿山荘。南北朝時代から、椿が自生していることで有名だったこの土地に、明治の元勲、山縣有朋が私財を投じてこれを購入し「椿山荘」と命名した。1992年からは敷地内にフォーシーズンズホテルもOPENした。
インドネシアでもホテル巡りが趣味の私にとって、庭園はあるは、バリでも有名なフォーシーズンズが入ってるというので、期待して行ってみた。確かにキレイな庭ではあるけど、なぜか洋風の建物があったり、う~ん、個人的には今ひとつ馴染めなかった。
いや、庭園が悪いんじゃなくて、せっかくの庭園なのに、そこに建てた建物がなんか違和感あるといったほうがいいな・・・。これはフォーシーズンズホテルの中から庭を見た景色。
ガイド役のI君は建築家で、仕事がら歩き回るのには慣れてるもんだから、この寒空の中でも休憩なしにテクテク歩く。老体で歩きなれてない私にはハードな運動でもある。陽が傾こうとも、今日の歴史探訪散歩はまだまだ続き、次は浜離宮。閉園ギリギリに入り、早歩きで庭園を回り、ここから乗ったのは水上バス。
浜離宮から北へと北上する水上バスが着いたのは浅草。冬の風を受けて隅田川をのぼり、気持ちはもう江戸っ子。そうなったら〆は決まってる、神谷バーの電気ブランと屋台のホッピー。
こうして今日歩いて消費したカロリーは、〆のホッピーとモツ煮で「チャラ」になり、ほろ酔い気分で1日を終えた。]]>
11月8日◇東大とお爺ちゃん
http://midoriart.exblog.jp/12346885/
2009-11-08T16:33:00+09:00
2009-11-19T20:39:43+09:00
2009-11-18T17:01:05+09:00
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そんなとき、東京在住の友達が東京大学の教授で、このプロジェクトに協力してくれる人を紹介してくれた。待ち合わせは東大の図書館前。考えてみれば東大は初めて行く。約束より早く行って、構内をプラついた。
これは東大農学部で見つけた洒落た建物。すけすけのガラスの中で講義してた。
せっかく大学まで来たなら食事はやっぱ学食。交換を終えてから、早速日本一の大学の学食にトライ。気になった北海道フェアの「鮭親子丼」は、残念ながら木曜のスペシャル。
諦めて注文したのは和定食。S、M、Lが選べる。私はM560円で、焼きシャケ。汁物は具が多く、飯は炊き込みでもっちもち。かなりお徳でガッツリ食べられる。
夕方から、東大宮に出かける。こちらも「交換プロジェクト」のお爺ちゃんと会うため。
今回、個展の案内を出したら、記者をしている友人から、
「ミドリさん、年寄りが必要ならうちにお爺ちゃんいますよ。もう戦争の話だったら止まらなくなりますよ」
というから、早速お宅を訪問。大正6年生まれ、今年92歳になるお爺ちゃんは、そんな歳にはまーーーったく見えず、元気そのもの。
「戦争の体験が聞きたいそうだけれども、いつの戦争だね?」
と聞かれてまず驚いた。
出征したときにもらったという寄せ書きの旗や、当時の勲章、賞状、とにかくものもちがいい!軍隊手帳もきれいな状態で残されていた。
多分、もともとがとっても几帳面な方なのだろう、すべての資料がきれ~~~いに保管されていた。普通は戦争関係の資料館などで、ガラスの展示ケースに入っていて、実際手にすることなどとてもできないような当時の雑誌などが、まるで昨日本屋で買ったんじゃないかというような状態で出てきたのも驚き。
さらに、それらの貴重な資料を、すべて貸してくださる太っ腹さ!!!
とにかくこのお爺ちゃまのお話は楽しかった。太平洋戦争の始まるきっかけになった支那事変から満州へ渡っている人だから、軍隊手帳の仕事内容にも「征伐」なんて言葉が出てくる。さらにすごいのは、このお年であるにも関わらず、すべての記憶がちゃんと正しい時空軸の中で説明されている。
2時間のお話はあっという間で、もっともっと聞きたいことがあったのだけれど、お爺ちゃんのオネムの時間なので切り上げた。
貴重なお話、資料、さらに当時の絵葉書との交換、どうもありがとうございました!!!]]>
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