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Culture & Art Report from INDONESIA


by midoriart

12月5日◇ジョグジャ唯一の生き証人

 ジョグジャカルタに訃報が走った。
 21歳で貿易商社員としてインドネシアに赴任、戦時中(34歳)は兵器増強のために屑鉄種集要員としてインドネシアに渡った。敗戦後インドネシアに残留する道を選び、インドネシア女性と結婚し、ジョグジャカルタの北部カリウランに住んだ日本人男性。


12月5日◇ジョグジャ唯一の生き証人_b0090333_11273878.jpg 田中幸年さんは昨年100歳を迎えた。
 私はちょうど一時帰国中で参加できなかったのだけれど、ジョグジャ在住の日本人で盛大な祝賀会も開いたという。カトリック教徒の彼の家族は、今年10月20日、田中のお爺ちゃんの101歳の誕生会は、クリスマスにあわせて開こうと相談していたそうだ。
 1966年に母国を訪れたきり、日本を見たことのなかったお爺ちゃんは今年9月に念願かなって一時帰国した。そして12月4日、100年間の波乱に満ちた人生に幕を下ろした。
(写真は94歳のときのお爺ちゃん)


12月5日◇ジョグジャ唯一の生き証人_b0090333_11282843.jpg ジョグジャにいながら、私はついに田中のお爺ちゃんと生きてお目にかかることができなかった。せめて最期のお別れには参列したいと、今日はカリウランのお爺ちゃんのお宅へ伺った。彼がずっと守ってきたカリウランの宿泊施設前で、たくさんの家族に担がれてお爺ちゃんの棺は住み慣れた家を後にした。
(お爺ちゃんが運営していた宿、「VOGELS」)


 また一人、大事な戦争の生き証人が逝ってしまった。
 戦争はまた遠いものになっていくのだろうか。あの時代はもう誰にも振り向かれないのだろうか。私の祖父も生きていたらちょうど田中のお爺ちゃんと同い年だ。徴兵されていやいや兵隊になった。そんな話を直接聞いた私は、おそらくそういう話を聞けた最後のゼネレーションになるのだろう。かれらの語った言葉、守ってくれたからこそある今の日本、それが風化しないよう自分にできることを探したいと今日あらためて思った。
 田中のお爺ちゃん、100年間、お疲れ様でした。あなたが選んだこの地で、やすらかに眠られますよう。合掌。

※写真は(http://www.eva.hi-ho.ne.jp/yasu-ito/travel/kaliurang/index.htm)より引用
by midoriart | 2008-12-05 23:06 | Yogyakarta