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Culture & Art Report from INDONESIA


by midoriart

5月30日◇PARISな1日(さよならジョグジャ)

 ジョグジャの街から南に20キロほど下るとパランテトゥリティス海岸に出る。この「Parangtritis」はジョグジャの若者からは略して「PARIS」と呼ばれている。ジョグジャに移って早7年近いのに、私はこのPARIS海岸に行ったことがない。正確に言えば、海を見たことはあるけれど、浜辺に降りて歩いたりしたことは一度もない。なぜかといえば、どう見てもキレイじゃないことと、バリの海岸のように、水着でワイワイできない、いかにもイスラム圏の海岸なので、なんか開放感がないからだ。
 
 今回初めてこのPARIS海岸へ足を着けることになった。今日のPARIS海岸行きのお相手は、日本人のお爺ちゃんをもつインドネシアとのクォーター、HASHIMOTO君。彼とは『KITA!!』展で知り合い、南風食堂のケータリングのアシスタントとして頑張ってもらった。たくさんの日本人アーティストと濃くて楽しい時間を過ごした後で、一気にみんなが帰国してしまい、一人残されて孤独死するんじゃないかと思っていたとき、この孤老の相手をしてくれたのがMOTO青年だった。

 3日前、5月27日はこのPARIS海岸が震源地で5,000人以上の犠牲者を出した中部ジャワ沖地震から2年目に当たる。その3日後にこの海岸へ行くことになったのも何かの縁か。せっかくなので、海岸へ行く前に、2年前の被災地救援活動で最初に建てたKODOMOプロジェクトのバンブー幼稚園(2年前の記事参照)を見に行った。

5月30日◇PARISな1日(さよならジョグジャ)_b0090333_2294633.jpg 第1バンブー幼稚園は今もちゃんと村の人たちに守られて運営されていた。村長さんちにも久しぶりに挨拶。あれからもう2年経ったとは・・・。今回出合ったMOTOも激災地バントゥールの出身、私が救援活動でこの地を訪れていたとき、この日本人の血をひく青年も同じ地で多くの親類縁者を亡くしていたとは、これも縁か・・・


5月30日◇PARISな1日(さよならジョグジャ)_b0090333_230339.jpg そして初めてのPARIS、パラントゥリティス海岸。
 正直言ってキレイではけしてない。水着を着てる人は一人もおらず、女子は洋服のまんまでご入水。着替えはどうしてるんだ?MOTOによれば、イスラムの若者たちは人前であまり肌を出せないので、洋服のままで濡れて帰るという。寒さに弱い私にはとてもできる業ではない。


5月30日◇PARISな1日(さよならジョグジャ)_b0090333_2301521.jpg 噂や写真で知ってた海岸馬車。せっかく若者に連れてきてもらったので、ちょっとデート気分を味わうために馬車に乗ってPARIS海岸を往復してみた。本当はサンセットで海岸がオレンジに染まる時間なのに、運悪く曇り空。夕日はまったくお目見えせず。
「ちゃんとサンセットを見るために、必ずジョグジャに戻っておいでよって意味なんだよ」
とMOTOがカワイイ事を言う。
 かなり長い間、海岸近くに寄ってみるなんてこともなかったけれど、今日は波打ち際を歩くなんていう、私にとってはかなり「若者っぽい」ことまでしてみた。そしたらやっぱり海っていいな・・と思ったり。MOTOのいうように、またサンセット見にPARISまで来ようかね。。。


 今日はまだ予定が続いた。ジョグジャにあるフランス大使館の出先機関、LIP主催のHIP HOP公演がジョグジャ市内TAMAN BUDAYA(アートセンター)であったのだ。海岸馬車を降りて速攻で市内まで戻り、MOTOと会場へ出かけた。

5月30日◇PARISな1日(さよならジョグジャ)_b0090333_2303252.jpg さすが肌の黒いメンバーが多い。バレエ、ブレイクダンス、パントマイムなどの要素を取り入れて、7名のダンサーがストーリー性のある舞踊(と呼んでいいのだろうか)を見せてくれた。私としてはもっとブラックテイストいっぱいのHIP HOPを期待していたので、正直なところ今ひとつではあったけれど、きっと本人たちも私ら素人が描いている「HIP HOP」が何かを知っているようで、ちゃんと最後には一人ずつが期待をまったく裏切らないブレイクな技を披露してくれたから会場総立ち。


 さらにさらに、孤老にやさしいMOTO青年は、ジョグジャを去る私にアチェ料理屋を紹介してくれた。彼は非常に興味深い混血で、母方のお爺ちゃんが日本人、おばあちゃんがソロ、父方の祖父母がアチェとアラブという組み合わせ。だからアチェにも詳しい。私は17年ちかくインドネシアに暮らしていて、初めて本当の「アチェ料理」なるものを食べた。

5月30日◇PARISな1日(さよならジョグジャ)_b0090333_230486.jpg 今思い出しても心が幸せで満ち溢れるほどに、アチェ料理は美味かった。これ、この前日本から来たアーティストたちに紹介できなかったのがかなり悔やまれる。MOTOリコメンドの1品目はナシ・グリ(味付けご飯)とカレ・アヤム・カンプン(地鶏のカレー)。ご飯には私の大好きなムリンジョの実のチップとピーナッツ、モヤシ炒めがついている。絶品。かなり美味い。

5月30日◇PARISな1日(さよならジョグジャ)_b0090333_231916.jpg そして2品目はミー・アチェ・クピティン(カニ入りアチェ麺)。見てもわかるように、昔のスパゲティ並のタマゴ太麺にピリっと辛いスープ。こっちもなかなか。アチェはスマトラとインドに挟まれているため、パダン料理とインド料理の折衷になってるんだな。両方が私の好物なんだから、それがミックスされて美味くないわけがない。もう一つ、興味深い話をするならば、アチェという土地はガンジャの葉っぱをフツーに一般料理の香辛料として使うことで有名。もちろんジョグジャではイリーガルなガンジャを料理に使ってるかどうかは知らないが、だからこそ美味しいと言われてるって事も付け加えておこう。


 実はけっこうイイ感じだったPARISの海岸、まだまだ試さなければならないメニュー豊富なアチェ料理屋、そして孤老想いの心優しい青年MOTO。ジョグジャもまだまだ捨てきれない魅力があるもんだ。
 今回の一時帰国、予定は2ヶ月間の滞在。アチェ料理が恋しくならないか、少々心配ではあるけれど、明日は荷造りして6月2日GARUDAの名古屋直行便再開第1便にて名古屋へ戻る。
by midoriart | 2008-05-30 02:27 | Yogyakarta