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Culture & Art Report from INDONESIA


by midoriart

7月23日◆バンブー幼稚園・ふたたび

 2006年5月27日のジャワ中部沖地震は、もうすっかり過去のことになりつつある。
 ちょうど私が日本を去ろうとしていたそのとき、新潟でほぼ同じ規模の地震が起こり、1年前のジョグジャ地震を思い出した。

 今回の一時帰国で東京に行ったとき、国際交流基金のMさんと再会した。
 彼女は以前基金ジャカルタ事務所に勤務していて、私の展覧会や私が企画して招聘した日本人アーティストのサポートなど、様々に助けてくださった方。彼女と会ってランチしているときに、彼女から手渡されたのは、国際交流基金スタッフ有志から集めた「ジャワ中部沖地震被災地への義捐金」だった。
 ひょんなことから私が被災地への救助に入るようになり、日本の皆さんから義捐金を預かって動き始めるのだが、その活動も最後には「こどもプロジェクト」の名で被災地3箇所に「こどもバンブー幼稚園」を開設することで終了した。

 それ以降もメール等で義捐金をまだ受け付けているのかと問い合わせがあるのだけれど、私自身がもう自分の生活に戻りたいということと、一人二人からの義捐金を預かっても、有効的に被災地で使うことが難しいことなどから、お断りをしてきた。
 ただ、今回Mさんから義捐金を受け取ったのは、ずっと前からこのお金があることを聞いていて、私が被災地で使うと約束していたことと、有志の皆さんからそれなりにまとまった額が集まっていたので、形になって被災地で利用することができると考えたからだ。

 さっそく「こどもプロジェクト」の立役者、東(ホントの名はチャハヨという。詳しくはず~っと遡って2006年5月27日以降のブログ記事を参照されたし)と再会。ちょっと太った感アリだけど、基本相変わらず元気。日本からメールで事情は伝えてあったので話は早い。
「ところでミドリ、今日は今から時間あるの?」
「なんで?」
「一番いいのは実際に被災地に入ってみて、今何が必要とされているのか見ることだろ」
 さすがは東。彼は本当にフットワークが軽い。


7月23日◆バンブー幼稚園・ふたたび_b0090333_18594663.jpg  早速私の車で第3バンブー幼稚園へ。ここは私がヨーヨー道に入信するきっかけとなった、国際交流基金の慰問団が訪ねてくれた幼稚園でもある。今回預かった義捐金は65,059円、先日の換金でこれが4,830,600ルピアになった。
 現場を見る前の段階では、私と東は第3幼稚園に電気を引けないかと考えていた。が、今回行ってみてわかったのは、ようやく今になって政府からの援助金が幼稚園単位で入り、建物を直したりできることになったというのだ。
(今年3月に国際交流基金主催で来イし、被災地の子供たちを慰問して回ってくれた慰問団のメンバーの一人。世界YOYOチャンプのTAKAさん イン第3バンブー幼稚園)

7月23日◆バンブー幼稚園・ふたたび_b0090333_1902523.jpg  念のため、第1バンブー幼稚園のあるタンキル村へも行ってみた。ここは村長さんの奥さんの手料理が美味しいから、どうしても寄りたくなる村なのだ。ここでもやはり、村長さんいわく幼稚園には援助金が入るという。それよりサポートが行き届かないのは、赤ん坊や年寄りらしい。つまり、公共施設(学校など)に所属していればサポートは受けやすく、単独(乳児や家にこもっている老人)の者にはサポートは届きにくいことがわかった。
(タンキル村の第1バンブー幼稚園)
 

 そこで、東と相談した結果、Mさんからの義捐金は以前も「こどもプロジェクト」で遂行してきたような、乳児への栄養補助パックのサポートに使うことに決定。早速1度のサポートで何が必要か、いくら必要か、我々に負担のない程度で、週何回、それを何度続けることができるのかを話し合うことに。明日までにはこの義捐金の使い道がハッキリすることだろう。
 遠い被災地からの帰り道、東と同じことを思った。


「今になって被災地に行ってみると・・・
遠~~~~~いよねぇ~~~~・・・・」

 明日には補助食品の買出しに行きたいと思っている。
by midoriart | 2007-07-23 22:58 | Jawa Earthquake