4月28日◆デリバリー:独楽のオッチャンの愛
2007年 04月 28日
国際交流基金の企画で、日本から慰問団がジャワ中部沖地震の被災地へやってきたのは3月中旬のことだった。「こどもプロジェクト」のメンバーでもあった基金本部のKさんの熱いプッシュにより、我々が建てた「第3こどもバンブー幼稚園」にも慰問団が来てくれることになり、手品のお爺ちゃん、独楽のオッチャンとオバチャン、そして世界チャンピオンのヨーヨーマスターTAKAさんが、それぞれの素晴らしい技を披露してくれたのは3月21日(『スケバン刑事の先生、地震被災地を訪問』参照)。私の最近のヨーヨー・ブームはここに端を発している。
バンブー幼稚園の後にもまだ公演場所が残っていたために、独楽のオッチャンはすべての事業が終了して帰国する日に、被災地の子供たちにプレゼントしてほしいと、日本からもってきた独楽のいくつかを私に託してくれた。
(私も一個もらった。子供たちにはもっと軽いカラフルなブリキの独楽と、木製の独楽をプレゼント)
オッチャン、ごめんなさ~い。今の今まで、被災地へもってく時間がありませんでした~。いや、時間はあった。でも、せっかくなら「こどもプロジェクト」の縁の下の力持ちで、フットワーク軽く走り回ってくれた東にも、オッチャンのくれた独楽を見せたかったし、彼もここんとこずっと3つのバンブー幼稚園や、被災地の復興の様子を見てないので、デリバリーは一緒に行こうと約束していたのだ。彼がここしばらく、本業のドラマ撮影ロケでジョグジャにいなかったので、なかなか二人の予定が合わずに1ヶ月が過ぎてしまった。そしてようやく今朝は二人の予定が合ったので、頑張って早起きしたのだった。
ロロン村の第3バンブー幼稚園、今日も子供たちは元気にお勉強中。お迎えのお母さんたちも、この前の慰問団のことがあるから、今日はこの日本人何もって来た?って顔で迎えてくれた。
先生に独楽と、それから東京本部のKさんが託してくれた子供たちへのアメを手渡す。
「あ~、これなら私から子供たちに教えられるわ~、この前ちゃんと教わったもの」
「ヨーヨーは難しそうだったからねー。もらってもできないわよ・・・」
と二人の先生。一人は慰問団のワークショップで、独楽のオッチャンから始動を受けている。
いや先生、ヨーヨーだってできると思うよ、ただ私たちが見たTAKAさんの技があまりにヨーヨーからかけ離れていたために先生たち引いちゃったみたいだ。

せっかくなので第1バンブー幼稚園のあるタンキル村にも寄ってみた。以前から被災地の話をここで読んでる人は、なぜ私がここへ寄りたいかをご存知のはず。
そう、村長さんの奥さんの料理~。本当に偶然にも、連絡なしで行った日には必ずといっていいほど私の好物が出来上がっている。奥さんも不思議がって笑っている。今日もココナツミルクい~っぱいのスープがほかほか。幸せ~・・・。
タンキル村では政府の復興支援金の第3弾が下りたそうで(今までかかって3回に分け、一家に1500万ルピアが支援されている)、私らが子供たちの栄養補助パックを支給してたときにはただのテントだった村長さんちの入り口も、それなりに家っぽい建物が出来ていた。
ハッキリいって1500万ルピア(日本円で20万円弱)ではもとの家と同じものはまず建たない。でも、ちゃっちぃ青色のペラペラビニール製テントが村いっぱいに並んでた頃を思えば、随分復興したな~と思う。
考えてみたら、東と会うのは久しぶり。結局彼は慰問団が来たときも撮影ロケで参加することができなかったので、私が彼と会ったのはそれのずっと前ってことになる。彼はこの前のスマトラ地震のときもサッと現場に駆けつけてるし、本当~~にフットワークが軽い。彼いわく、3年前のアチェ地震も、この前のスマトラ地震も、ジョグジャに比べたら全然復興が遅れているという。
これだけ広いインドネシア共和国で、国として大切じゃない場所で被害があろうと、国も気合入れてサポートしないってことらしい。
帰り道で東がいう。
「そういえばウラン(彼の妻)がこの前すげー美味いレレを買ってきたんだよ。この近くなんだけど・・・」
レレってのはインドネシアのウナギといおうかドジョウといおうか。ずーずーしい平ぺったい顔で長いヒゲを生やしている。身は白身でまーまー美味しい。新鮮な海産物がないジョグジャでは、レレの消費量がとても多いらしい。
このレレを串に刺して椰子の殻を燃やしたものの上で炙り、それにココナツミルクと香辛料いっぱいのスープをかけて食べる・・・なんて説明を聞いてたら、もう食べるしかない。
東も初めて行く場所なので迷って迷ってようやくたどり着いた。田舎の村のフツーの家だもの。簡単には見つからんわ。今日は幼稚園訪問があったために、行動開始が早かった。ここについた時でまだ午前10時。レレの香ばしい匂いはするものの、ご飯も焚けて食べられる状態になるのは11時半だといわれ、泣く泣く匂いだけ嗅いで帰ることにした。
バンブー幼稚園の後にもまだ公演場所が残っていたために、独楽のオッチャンはすべての事業が終了して帰国する日に、被災地の子供たちにプレゼントしてほしいと、日本からもってきた独楽のいくつかを私に託してくれた。(私も一個もらった。子供たちにはもっと軽いカラフルなブリキの独楽と、木製の独楽をプレゼント)
オッチャン、ごめんなさ~い。今の今まで、被災地へもってく時間がありませんでした~。いや、時間はあった。でも、せっかくなら「こどもプロジェクト」の縁の下の力持ちで、フットワーク軽く走り回ってくれた東にも、オッチャンのくれた独楽を見せたかったし、彼もここんとこずっと3つのバンブー幼稚園や、被災地の復興の様子を見てないので、デリバリーは一緒に行こうと約束していたのだ。彼がここしばらく、本業のドラマ撮影ロケでジョグジャにいなかったので、なかなか二人の予定が合わずに1ヶ月が過ぎてしまった。そしてようやく今朝は二人の予定が合ったので、頑張って早起きしたのだった。
ロロン村の第3バンブー幼稚園、今日も子供たちは元気にお勉強中。お迎えのお母さんたちも、この前の慰問団のことがあるから、今日はこの日本人何もって来た?って顔で迎えてくれた。
先生に独楽と、それから東京本部のKさんが託してくれた子供たちへのアメを手渡す。「あ~、これなら私から子供たちに教えられるわ~、この前ちゃんと教わったもの」
「ヨーヨーは難しそうだったからねー。もらってもできないわよ・・・」
と二人の先生。一人は慰問団のワークショップで、独楽のオッチャンから始動を受けている。
いや先生、ヨーヨーだってできると思うよ、ただ私たちが見たTAKAさんの技があまりにヨーヨーからかけ離れていたために先生たち引いちゃったみたいだ。

せっかくなので第1バンブー幼稚園のあるタンキル村にも寄ってみた。以前から被災地の話をここで読んでる人は、なぜ私がここへ寄りたいかをご存知のはず。そう、村長さんの奥さんの料理~。本当に偶然にも、連絡なしで行った日には必ずといっていいほど私の好物が出来上がっている。奥さんも不思議がって笑っている。今日もココナツミルクい~っぱいのスープがほかほか。幸せ~・・・。
タンキル村では政府の復興支援金の第3弾が下りたそうで(今までかかって3回に分け、一家に1500万ルピアが支援されている)、私らが子供たちの栄養補助パックを支給してたときにはただのテントだった村長さんちの入り口も、それなりに家っぽい建物が出来ていた。ハッキリいって1500万ルピア(日本円で20万円弱)ではもとの家と同じものはまず建たない。でも、ちゃっちぃ青色のペラペラビニール製テントが村いっぱいに並んでた頃を思えば、随分復興したな~と思う。
考えてみたら、東と会うのは久しぶり。結局彼は慰問団が来たときも撮影ロケで参加することができなかったので、私が彼と会ったのはそれのずっと前ってことになる。彼はこの前のスマトラ地震のときもサッと現場に駆けつけてるし、本当~~にフットワークが軽い。彼いわく、3年前のアチェ地震も、この前のスマトラ地震も、ジョグジャに比べたら全然復興が遅れているという。
これだけ広いインドネシア共和国で、国として大切じゃない場所で被害があろうと、国も気合入れてサポートしないってことらしい。
帰り道で東がいう。
「そういえばウラン(彼の妻)がこの前すげー美味いレレを買ってきたんだよ。この近くなんだけど・・・」
レレってのはインドネシアのウナギといおうかドジョウといおうか。ずーずーしい平ぺったい顔で長いヒゲを生やしている。身は白身でまーまー美味しい。新鮮な海産物がないジョグジャでは、レレの消費量がとても多いらしい。
このレレを串に刺して椰子の殻を燃やしたものの上で炙り、それにココナツミルクと香辛料いっぱいのスープをかけて食べる・・・なんて説明を聞いてたら、もう食べるしかない。
東も初めて行く場所なので迷って迷ってようやくたどり着いた。田舎の村のフツーの家だもの。簡単には見つからんわ。今日は幼稚園訪問があったために、行動開始が早かった。ここについた時でまだ午前10時。レレの香ばしい匂いはするものの、ご飯も焚けて食べられる状態になるのは11時半だといわれ、泣く泣く匂いだけ嗅いで帰ることにした。
by midoriart
| 2007-04-28 21:24
| Jawa Earthquake

