テント撤収完了。打ち上げ会は9日に。
2006年 12月 07日
最後の仕事、こどもテントの撤収に行ってきた。
第3テントのあったボンドワル村では、
「今まで本当にお世話になりました。お借りしたテントは我々で水拭きし、たたんで保管してありますからいつでもお返しできます」
と前に村から連絡があったけれど、撤収にはトラックを借りる必要があったので、第4テントの撤収を待って、まとめて引き取ることにしていた。
第4テントのあるセウォン、ここは以前問題のあった芸大教授がリーダーシップを取っているテント、我々みんながこの先生にはマイッてて、会えば腹が立つことはわかってるから今までほっておいたけれど(で、本当にやってる活動自体は面白いのだ。ボランティアの学生たちは素晴らしい)、すべての活動が終了する今、ここがどうなっているのか、東を通じてチェックしてもらった。
東が携帯メッセージで、丁寧に
「我々の活動も終了に近づき、貸していたテントなどを引き上げたいと思っていますが、今も使用していますか?」
と問い合わせたところ、なんと返事は
「Ambil saja(持ってきゃいいだろ)」
の一言だった。芸大の教授とは思えない返答に我々一同唖然。さらにその後にも、
「私はもっと永久的な建物を作る予定です(からテントなんていりません)」
ってメールも来た。はいはい、そこまで言うなら引き上げるがね。
この前月曜に私から先生に電話して、
「話では『持ってきゃいいだろ』ってことみたいですから、近々テントその他を引き上げますけど、せめてそちらでテントを解体して、トラックに載せるだけの状態にしておいてもらえますか」
と頼んでおいた。そこで今日、夕方から2つのテントの撤収に東とスネ男おじさん、レンタルしたトラックで出かけてきたわけだ。
まずはボンドワルから。ここは12月3日に結婚式を挙げたばかりのゴソン君の恋が芽生えたテント。久しぶりに村を訪ねると、テントの場所には家が建っていた。第3テントのために土地を貸してくれていたお爺ちゃんが建てたんだそうだ。村の人たちが
「久しぶりですね~。どうです?随分まともな状態になったでしょ?」
と挨拶に来てくれる。確かに、あの頃は行くたびに全身埃だらけで、家に戻ると眼球取り出して目の裏側まで洗いたい気分になったもんだ。
【第3テントのあったまさにその場所に建ったお爺ちゃんち】
こどもプロジェクトで作ったWCも健在、キレイに利用されていて安心した。お爺ちゃんと、プロジェクトに積極的だった青年団の娘さんがトラックに積むところまで来て、
「本当にありがとう。お世話になりました。たまには顔出してくださいね」
と何度も言ってくれた。ホントに気持ちのいい最後となった。

【洗ってたたんだテントは、お爺ちゃんちで丁寧に保管されていた】
そして第4テントのあるセウォンへ。
テントのあった場所に、ざっとたたんだテントが置いてある。先生んちへ行ってみると、子供たちは先生の家に集まってオーケストラの練習をしていた。
ここに貸し出ししていたのはテントの他に、食事サポートのための台所用品一式(鍋や皿など)、コッキン(国際緊急支援隊)から譲り受けた大きなホワイトボードだ。がしかし、行ってみると、返却の準備が出来ているのはテントのみ。それもムチャ適当にたたんだ状態。こういうところで人の、あるいは村の性格が出ちゃうねぇ~~・・・。
「ホワイトボードはもらうわけにはいかんかな?」
って、先生、今になって言われても、すでにこれは第3バンブー幼稚園へ寄贈することになってるのよ。前に聞いたときには
「あなたのサポートなんかなくたって、私は自分でやっていけますから」
なんて強気なメールをよこしておいて、いまさら何よ。傲慢なのか甘えん坊なのかよーわからん。
結局台所用品はすぐに返せない(なんでかよくわからんけど)ので、後から東に連絡するってことだった。形ばかりの報告書をもらったけど、そこには「こどもプロジェクト」から200万ルピアをもらった(これも現金で渡したのではなく、この金額で建材を買って渡し、WCを建てたんだけどね)って会計報告はあったけど、実際に現金で渡してるはずの食事サポートのおかず費用については書かれてなかった。
帰りの車の中で、まだムカついてる私は東に言った。
「ゴメンね~、サポートすべき相手を間違えた私が悪かったわ・・・」
精神的に私なんかよりずっと大人の東は、
「ミドリ(苦笑しながら)・・・。ミドリはあの先生を助けたわけじゃないんだよ。あそこに集まってた子供のためによかれと思ってやったことでしょ。で、子供たちはこれまでの間、随分助けられたんだ。間違ってなんていないよ」
と笑って言ってくれた。
さてこの2つのテント、単に撤収したのではない。皆さんの愛は形のある限り、別の形になって新たにサポートを必要としている人に届くのだ。私はずっと地震の被災者と関わってきたから詳しく知らなかったけれど、実は今、ジョグジャでは南(地震の被災地)ではなく、北(ムラピ火山のあるエリア)が「えらいこと(名古屋弁)」になっているのだ。こどもテントは、今後北で活躍することになる!こちらの報告はまた追って。
「こどもプロジェクト」メンバーの打ち上げは来る9日(土)タンキル村の村長さんちで夜7時から!
==================================
◆東って誰?って思う方は、当ブログの「新たな仲間登場」
http://midoriart.exblog.jp/d2006-06-05を見てください。
◆「救援パック・プロジェクト」隊員って誰?って思う方は「ジョグジャ救援パック小隊:隊員紹介」
http://midoriart.exblog.jp/d2006-06-14を見てください。
◆救援パック・プロジェクトの1ヶ月の会計報告は
http://midoriart.exblog.jp/d2006-06-27を見てください。
◆救援パック・プロジェクトの2ヶ月目の会計報告は
http://midoriart.exblog.jp/d2006-07-23を見てください。
◆救援パック・プロジェクトの3ヶ月目の会計報告は
http://midoriart.exblog.jp/d2006-08-27を見てください。
◆救援パック・プロジェクトの4ヶ月目の会計報告は
http://midoriart.exblog.jp/d2006-09-27を見てください。
◆救援パック・プロジェクトの5ヶ月目の会計報告は
http://midoriart.exblog.jp/d2006-10-18を見てください。
◆救援パック・プロジェクトの6ヶ月目の会計報告は
http://midoriart.exblog.jp/d2006-11-23を見てください。
第3テントのあったボンドワル村では、
「今まで本当にお世話になりました。お借りしたテントは我々で水拭きし、たたんで保管してありますからいつでもお返しできます」
と前に村から連絡があったけれど、撤収にはトラックを借りる必要があったので、第4テントの撤収を待って、まとめて引き取ることにしていた。
第4テントのあるセウォン、ここは以前問題のあった芸大教授がリーダーシップを取っているテント、我々みんながこの先生にはマイッてて、会えば腹が立つことはわかってるから今までほっておいたけれど(で、本当にやってる活動自体は面白いのだ。ボランティアの学生たちは素晴らしい)、すべての活動が終了する今、ここがどうなっているのか、東を通じてチェックしてもらった。
東が携帯メッセージで、丁寧に
「我々の活動も終了に近づき、貸していたテントなどを引き上げたいと思っていますが、今も使用していますか?」
と問い合わせたところ、なんと返事は
「Ambil saja(持ってきゃいいだろ)」
の一言だった。芸大の教授とは思えない返答に我々一同唖然。さらにその後にも、
「私はもっと永久的な建物を作る予定です(からテントなんていりません)」
ってメールも来た。はいはい、そこまで言うなら引き上げるがね。
この前月曜に私から先生に電話して、
「話では『持ってきゃいいだろ』ってことみたいですから、近々テントその他を引き上げますけど、せめてそちらでテントを解体して、トラックに載せるだけの状態にしておいてもらえますか」
と頼んでおいた。そこで今日、夕方から2つのテントの撤収に東とスネ男おじさん、レンタルしたトラックで出かけてきたわけだ。
まずはボンドワルから。ここは12月3日に結婚式を挙げたばかりのゴソン君の恋が芽生えたテント。久しぶりに村を訪ねると、テントの場所には家が建っていた。第3テントのために土地を貸してくれていたお爺ちゃんが建てたんだそうだ。村の人たちが「久しぶりですね~。どうです?随分まともな状態になったでしょ?」
と挨拶に来てくれる。確かに、あの頃は行くたびに全身埃だらけで、家に戻ると眼球取り出して目の裏側まで洗いたい気分になったもんだ。
【第3テントのあったまさにその場所に建ったお爺ちゃんち】
こどもプロジェクトで作ったWCも健在、キレイに利用されていて安心した。お爺ちゃんと、プロジェクトに積極的だった青年団の娘さんがトラックに積むところまで来て、「本当にありがとう。お世話になりました。たまには顔出してくださいね」
と何度も言ってくれた。ホントに気持ちのいい最後となった。

【洗ってたたんだテントは、お爺ちゃんちで丁寧に保管されていた】
そして第4テントのあるセウォンへ。テントのあった場所に、ざっとたたんだテントが置いてある。先生んちへ行ってみると、子供たちは先生の家に集まってオーケストラの練習をしていた。
ここに貸し出ししていたのはテントの他に、食事サポートのための台所用品一式(鍋や皿など)、コッキン(国際緊急支援隊)から譲り受けた大きなホワイトボードだ。がしかし、行ってみると、返却の準備が出来ているのはテントのみ。それもムチャ適当にたたんだ状態。こういうところで人の、あるいは村の性格が出ちゃうねぇ~~・・・。「ホワイトボードはもらうわけにはいかんかな?」
って、先生、今になって言われても、すでにこれは第3バンブー幼稚園へ寄贈することになってるのよ。前に聞いたときには
「あなたのサポートなんかなくたって、私は自分でやっていけますから」
なんて強気なメールをよこしておいて、いまさら何よ。傲慢なのか甘えん坊なのかよーわからん。
結局台所用品はすぐに返せない(なんでかよくわからんけど)ので、後から東に連絡するってことだった。形ばかりの報告書をもらったけど、そこには「こどもプロジェクト」から200万ルピアをもらった(これも現金で渡したのではなく、この金額で建材を買って渡し、WCを建てたんだけどね)って会計報告はあったけど、実際に現金で渡してるはずの食事サポートのおかず費用については書かれてなかった。
帰りの車の中で、まだムカついてる私は東に言った。
「ゴメンね~、サポートすべき相手を間違えた私が悪かったわ・・・」
精神的に私なんかよりずっと大人の東は、
「ミドリ(苦笑しながら)・・・。ミドリはあの先生を助けたわけじゃないんだよ。あそこに集まってた子供のためによかれと思ってやったことでしょ。で、子供たちはこれまでの間、随分助けられたんだ。間違ってなんていないよ」
と笑って言ってくれた。
さてこの2つのテント、単に撤収したのではない。皆さんの愛は形のある限り、別の形になって新たにサポートを必要としている人に届くのだ。私はずっと地震の被災者と関わってきたから詳しく知らなかったけれど、実は今、ジョグジャでは南(地震の被災地)ではなく、北(ムラピ火山のあるエリア)が「えらいこと(名古屋弁)」になっているのだ。こどもテントは、今後北で活躍することになる!こちらの報告はまた追って。
「こどもプロジェクト」メンバーの打ち上げは来る9日(土)タンキル村の村長さんちで夜7時から!
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◆東って誰?って思う方は、当ブログの「新たな仲間登場」
http://midoriart.exblog.jp/d2006-06-05を見てください。
◆「救援パック・プロジェクト」隊員って誰?って思う方は「ジョグジャ救援パック小隊:隊員紹介」
http://midoriart.exblog.jp/d2006-06-14を見てください。
◆救援パック・プロジェクトの1ヶ月の会計報告は
http://midoriart.exblog.jp/d2006-06-27を見てください。
◆救援パック・プロジェクトの2ヶ月目の会計報告は
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by midoriart
| 2006-12-07 21:36
| Jawa Earthquake

