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Culture & Art Report from INDONESIA


by midoriart

こどもテント・プロジェクト途中経過報告

 朝起きてまず思う。
「あ、今日は自衛隊のアシストはなかったんだな・・・」
勝手に同士のつもりでいたもんだから、一人取り残されちゃった感がまだある。でもここであ~ぁ、と気を抜くと絶対にマズい。震災以降気張ってやってきてるから、緊張の糸が切れると私は必ず発熱したりするのでいけない。こんなときは休むよりも働いた方がいい。早速東に電話。
「おーっす、ゴメンね、ここ2日連絡できなくて。自衛隊の帰国前のアシストに集中してたもんだから」
「いやいやいいんだ。僕も風邪ひいちゃってこの2日ダウンしてたんだ・・・」
確かに、電話口の声がいつもの東声とは違う。
 そうそう、最近新聞でも言われてるんだ、震災から3週間経つ今、ボランティアの疲労が目立ってきていると。英雄期を経て、長期戦になってきて、気張ってた緊張感が少し緩んで、疲れがたまってるところにフッと病原菌が入ってダウン。気をつけねば。
「よし、じゃーお互い気合入れていこう!昼から今のプロジェクト地に視察に行こうね」
ってことで、我々は午後からバントゥル県のこどもテント・プロジェクト第1弾が始まっているバンバンディプロ村のチャベンを訪ねた。
こどもテント・プロジェクト途中経過報告_b0090333_18064.jpg

 ここは住民1,124人、地震で367家屋のうち350家屋が全壊。犠牲者は63人で、うち7人は子供だった。チャベンには6町内あり、0~12歳の子供は480人、今回我々はこのうち3町内にしぼって150人の子供たちと「こどもテント・プロジェクト」を始めた。ここが第1弾の場所に選ばれた理由は、テント入手が難しかった時期に、こどもたちの遊び場として使用できる場所がちゃんとあったからだ。町内の裕福な家の敷地にあったこの集会所は被災しなかった。震災直後は、この建物に(この真裏が墓地だったこともあり)63人の遺体が集められ、合同葬儀が行われたという。それを聞いてちょっと背筋が冷えたけれど、逆にそんな場だからこそ、被災したこどもたちが今、このプロジェクトと一緒に見守られているのかもしれないと思った。

こどもテント・プロジェクト途中経過報告_b0090333_1105187.jpg この場が第1弾に選ばれてからも、次のロケーションのためにテントは購入済み、チャベンのような好条件じゃない場所でも、テントを持っていって同じプロジェクトを始めることはできる。ただ今は、この場をパイロットにして、今度どういった形での展開が理想的かを考えていこうと思っている。
 2週間という単位でプログラムを作り、それを更新するかしないか、その町内の父兄と相談しながら進めていこうという今回のプロジェクト、チェベンの親御さんからはかなり喜ばれて迎えられている。さらに運良くこのエリアは水の汚染がなく、政府の水質調査員に「調理してもよし」と言われているので、東グループと現地の母ちゃん有志が、救援パックの義援金で子供たちに食事を作っている。けれど今後、もっと環境の悪い場所があっても、そこで「こどもテント・プロジェクト」に興味を示し、町内あるいは村単位でその場の人たちからの支援協力が得られるのなら、我々はテントを持ってその地へ行くつもり。で、トイレ設置までも考えている。心優しい日本のメンバーのおかげで、私が握ってる義援金でそこまでのことはできるからね。


こどもテント・プロジェクト途中経過報告_b0090333_191629.jpg 今日はこんな感じでみんなでお絵かきしたり、歌うたったりもした。みんなが描いた作品をちょっと紹介~。みんな結構真剣に、集中してお絵かきしてます。子供たちからは一緒に混じろうって誘われたのだけれど、ゴメン、今日はホントに疲れていたし、君たちに風邪菌うつしてもいけないので、端で見学するだけにしとくよ。次は一緒に遊ぼうね。

こどもテント・プロジェクト途中経過報告_b0090333_110124.jpg 昨日は今回の地震で落ちて割れちゃった瓦を使って、みんなで絵を描いたという。自分の作品もってきて私のカメラに収まろうとするボーズの図~。コイツはカワイイ。私のことを「姉ちゃん」と呼んだ。「オバちゃん」って呼び方だってインドネシア語である中、ちゃんと「姉ちゃん」って方を選択した。偉いぞボーズ!気に入った。

 という感じで、こどもテント・プロジェクトの第1弾は、テントはないのです。でも、名称はこのまま続行。今のロケーションでは、地元ボランティアも参加してるし、周囲の母ちゃんたちが料理しにきてくれたり、東グループと現地グループの息も合っててなかなか和やか、いい感じ。こんな場所を後2箇所は見つけてもいいねーと東と言ってるところだ。


こどもテント・プロジェクト途中経過報告_b0090333_1112543.jpg そうそう、今日ここでこどもたちを見守ってる村の人たちと話していたんだけれど、ようやく政府が約束した配給が下りてきたらしい。政府の発表では、被災者(避難所で生活している人に限る)に対して、食費一人当たり3,000ルピア(1日)、衣料代10万ルピア(1回のみ)、台所用品代10万ルピア(1家族につき一度の支給)、米10キロ(1家族1ヶ月)が支給されることになっている。今日、この米の配給車がチャベンに来たそうだ。ところが米10キロがなぜか7キロに。
「そんな7キロばかりだったら俺たちいらねーよ」
と村人怒る。しかしホントに懲りないやつ等ってのはいるんだなー・・・。なんでこういう場に及んでまで、他人の分け前が欲しい?たかが3キロ抜いてまでも自分のものにしたいか?
  しかし、このまま村人が受け取らず、問題になっては逆に困るってことで結局は配給担当者(これ、政府の人間じゃない。村の詰所の人間がこういうことを同じ村の者にやろうとしてるってこと。さすが汚職の国インドネシアでしょ、一般市民の中でも結局こういった構造が当たり前にあるのだ)の負け。ちゃんと10キロで置いていったそうだ。
 今、こんな額の支給ですらこんな状態なのに、これから国が被災した家屋すべてに保証金を出すって、誰が信じる?これ信じてる人がいたら、ちょっとヤバいと思う。だいたい、賢い人だったらすぐにソロバンはじけると思うけど、国が保障するっていってる一軒に対する額を被災した家屋数で掛けると、それだけの国費がインドネシアにはないんだから。じゃーどっからその金作るの?だから信用しちゃダメだっつーの。
 
こどもテント・プロジェクト途中経過報告_b0090333_112483.jpg こどもテント・プロジェクトは今日から第2週目に入った。後1週間プログラムを続け、地元ボランティアが今後我々なしでも子供たちをちゃんと面倒みてくれるようになればベスト。後は村の人たちへうまく引き継ぐってことになる。今はここのプロジェクトを進めながら、別のボランティアと一緒に第2、第3弾のロケーション探しもしていく。
 夕方からは東とこどもたちの栄養補助食品購入に出かけた。むこう1週間分のミルク、ビスケット、ジェリーなどを大量調達。これで第1弾のプロジェクトは大体必要物資の量、1週間に必要となる予算などが明確になってきた。これを次のロケーションで生かし、全体のプロジェクト運営がスムーズに進められるようになってくれたらありがたい。私はここで一つ自衛隊アシストがなくなった分、こどもテントで準備しておけることを今のうちにしておいて、マニラにいってる間もちゃんと東に任せてプロジェクトが進行できるように段取りたいと思っている。明日はロゴを作ろうと思う。こどもテントの。乞うご期待!

 さて、今日の新メンバーさんです。
 南未歩さん、フジオリ アキコさん、山中京子さん、吉村尚子さん(カナダ)
計4名から23,000円いただきました。ようこそ救援パック・プロジェクトへ。
 前から比べて一日に集まる義援金が減っていることをメンバーの皆さんがどう思っていらっしゃるかわからないのだけれど、全体の報告をすると、現時点で集まってる義援金は2億6千400万ルピア。そこから今までに使ったのが約1億ルピア。なのでまだ1億6千400万ルピアは残っている。あ、前のブログを読んでいない人のために、日本円でいくらになるのか知りたかったら、75で割ってくださ~い。

 今後はこどもテント・プロジェクトの運営費としてこの義援金が使われることになる。毎日の子供たちの食費、新たなロケーションに行った場合には最初に子供たちに配給する「おりこうさんパック」の費用、そうしたもので毎日地味に出費していくことになるだろう。ま、これも現段階でのことで、状況が変化してきたら、それに応じて必要なものを調達するってこともあり得るけれど。でもしばらくは子供たちの報告が多くなりそうだ。過去からのメンバーの皆さん、あたたかく見守っていてくださいね。
by midoriart | 2006-06-21 23:06 | Jawa Earthquake