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Culture & Art Report from INDONESIA


by midoriart

2月6日◇バリの家族イン・ジョグジャ

 ジョグジャの荷物も随分と整理できてきた。日本へ送り返すものはダンボール7箱と大きなキャンバス類。バリの家(木彫りの師匠宅に作った一部屋)にはジョグジャで使っていたソファベッドやプラたんすなどを送る。バリへ送るのも島が違うと送料は結構かかっちゃうので、バリの兄貴に頼んでジョグジャまで車を出してもらうことにした。19時間かけてマデ兄貴とその息子フォギが我が家に着いたのは6日の午前5時。


2月6日◇バリの家族イン・ジョグジャ_b0090333_12443025.jpg マデ兄貴は私がバリからジョグジャに引っ越した2000年にもトラックでジョグジャまで送ってくれた。そのときは私もトラックに便乗、さらに犬のティルムまで乗っていたっけ。数回ジョグジャに来てるし、ぶっ通しの運転で疲れた兄貴を家に残し、中学生のフォギを連れて近所に散歩に出た。
 このジョグジャとは思えない洋風な建物、これが私んちのすぐそばにある。もと教会だったらしい。でも今は誰も使っていない。昔から気になっていたのに、徒歩でしか入っていけない場所にあったため、10年間近くまで行けなかった場所に、その場を去るギリギリになってようやく行くことができた。


2月6日◇バリの家族イン・ジョグジャ_b0090333_12461851.jpg この教会の詳しいことは知らないが、こういうのを見ると、さすが350年間もオランダ植民地だった土地だな~とつくづく思う。周辺の家もどこか洋風なつくりが多かった。
 フォギと路地を歩いていたら、地元の暇そうなオッサンが近づいてきて、
「どうだね?土地ごと買わんかね?」
なんて言ってきた。こんな素晴らしい建物、なんでジョグジャは市の史跡とかにして保存しないんだろう、もったいない・・・。


2月6日◇バリの家族イン・ジョグジャ_b0090333_12482174.jpg 私んちは王宮のすぐそば。ちょうど今はスカテンの前で北のアルンアルン広場に遊園地が出ている。フォギーを連れて一周。考えてみれば私がバリに来て、マデ兄貴の家で木彫りの弟子になった頃には、まだこのフォギーは生まれていなかった。私の方がこの子よりもインドネシアで長いんだなー・・・。
 いったん家に戻り、仮眠をとってたマデ兄貴を起こし、私の大好きなパダン料理屋へ。最近はどこへ行くにも
「あー・・・これでこの人と会うのは最後かもなーーー・・・」
と、去る者特有の感傷に浸ってしまう。このパダン料理屋の兄ちゃんとも、ほぼ10年の付き合いだもんなー。私の好みを知ってて、いつもココナツソースをたっぷりとかけてくれた。兄ちゃん、どうもありがとう・・・


2月6日◇バリの家族イン・ジョグジャ_b0090333_12522280.jpg 荷物を出して、ガランとしたスタジオにて。左からマデ兄貴、私とモジャ、そしてフォギー。私がお一人様の身で、20年近くインドネシアで暮らしていられたのは、このマデ兄貴のファミリーのおかげに他ならない。日本人と見れば金づると思い、なんとか美味しい汁を・・・と思う土地の人も多い中、私には困ったときにはジョグジャまで来てくれるこの家族がいる。本当にありがたい。


2月6日◇バリの家族イン・ジョグジャ_b0090333_12544722.jpg わずかな時間ではあったけど、引っ越しの忙しい時期、ちょっとセンチメンタルになってる時期に、兄貴と息子が来てくれたのは嬉しかった。そしてもう一つ、彼らにお願いしたい大事なことがあった。それは去年3月に逝ったティルムの儀礼。ティルムは私がジョグジャに引っ越すときに一緒にバリからついてきてくれた私の大事な大事な守り神だった。それを借家であるジョグジャの家の庭に埋めたまま置き去りにはできない。バリ・ヒンドゥー教のやり方で、ティルムの霊をここから出してやることにした。
 三人でティルムの墓に集まり、
「ティルム、ティルム、さぁ一緒に帰ろう、帰るよ、帰るよ」
と呼び、墓の土をボトルに詰めた。
 兄貴がバリへ帰るのに託すこともできるけど、私がどのみち9日からバリへ行くので、ティルムの霊の詰まったボトルは今はまだジョグジャの我が家にこうして置いてある。9日に私が一緒にバリへ連れて戻ることにした。


 運び出した荷物のせいで、部屋は急にガランと広くなった。そこに雨がしとしと降ったりすると、なんだか突然寂しい気分。去ると思うと、今までいやだったことまでが懐かしくいとおしく思えるから人間って勝手なもんだ。新しいことの始まりには、かならずその前の別れがあるのだから仕方ないのに。
by midoriart | 2010-02-06 12:39 | Yogyakarta