9月8日◇NGABEN:バリの火葬祭
2009年 09月 08日
9月3日、無事にバリでの個展が始まった。今回は少しゆっくりバリに滞在し、「交換プロジェクト=バリ編」のドキュメント・ビデオを撮影している。そしたら運良くこのタイミングでうちの町内では合同火葬祭があった。いまバリはバリ・ヒンドゥー教の火葬祭シーズンなのだ。
今日の火葬祭には、私が昔からお世話になっているお爺ちゃんの奥さんの葬儀も入っていたから、朝から参加。これはお婆ちゃんの神輿。
火葬場へ向かう前に、まずは祭司さんの指示で遺族がおまいり。その後、神輿は町内のみんなに賑やかな演奏と一緒に運ばれていく。
火葬場(=墓場)には、すでにたくさんのルンブが準備されている。バリの火葬では、死んだ人はみなこの牛のお棺に入れて焼かれる。
1ヶ月間に先立った妻を見送るバラタ爺さん。わたしはバリに来てすぐの頃、木彫りの修行をしていたのだけれど、この爺ちゃんは私がついてた師匠と仲がよく、いつも一緒に木彫りをした仲。一ヶ月前に亡くなった奥さんは木彫り師匠の家の近くで飯屋をやってて、わたしは毎日ここで昼ごはんを食べていた。
わたしはバラタ爺さんの孫に嫁いだワヤンと親しいので、彼女とも記念撮影。婆ちゃんはもうこの牛のお棺の中に入って焼かれるのを待っている。
バラタ爺さんの奥さんは、1ヶ月前亡くなったときに、すぐに焼かれた。だからいまこのお棺の中に入っているのは灰だけ。でも、人が亡くなってすぐに弔いの費用がない場合には、バリではいったん遺体は墓地に埋められる。だから火葬祭までに2年、3年と待つことだってフツー。こうやって墓場に穴があるのは、今日の火葬祭のために、早朝遺体を掘り起こした跡。
以前私のバリの家族であるマデサナ宅の母ちゃんの「遺体掘り」につきあったことがある。墓場にみんながランプを持って集まり、まさに芋ほり状態。
「お~~~!頭見つけた~~~!!!」
先に見つかって自慢げな人や、自分の親が久しぶりに土の中から出てきて、いとおしそうに、その骸骨を洗う遺族、人間の死がとてもリアルな現場だったのを覚えている。
今日の火葬祭には、3日前に亡くなった近所の女の子も混じっていた。彼女は小さな頃から弱い子で、最近では結核を煩い、大学に入学したばかりなのに、呼吸困難から死に至った。火葬祭の日程が近かったため、彼女は今日、他の亡くなった人たちと一緒に弔われることになったのだった。
でも、長年土の中に埋まっていた人たちとは違って遺体が新しい。でもちゃんと燃やさなければいけない。こういうときには「焼き屋」を頼む。一気に強火で燃やしてしまうのだ。こういう状況を見ていると、人間の魂、身体というものをいやでも考えさせられる。
18年しかこの世にいられなかった彼女の最期を送り、バラタ爺さんの奥さんのお棺に戻ったら、もうすっかり燃えきっていた。墓場に30体ちかくあった牛のお棺はすべて灰になり、その灰を集めた遺族たちが、その灰を海へ流すべき、次なる儀礼の準備に入っていた。
そろそろ帰宅の時間、と墓場を去ろうとしたところで、
「ミドリ!」
と呼び止める人が。見ればバラタ爺さん。
12人の子供をもち、孫は30人、ひ孫は50人ちかいというバラタ爺さんは気丈に振舞っていたけれど、長年つれそった奥さんの死はきっとつらいに違いない。随分耳の遠くなった爺ちゃんの昔話につきあってから、わたしは墓場を後にした。
今日の火葬祭には、私が昔からお世話になっているお爺ちゃんの奥さんの葬儀も入っていたから、朝から参加。これはお婆ちゃんの神輿。
火葬場へ向かう前に、まずは祭司さんの指示で遺族がおまいり。その後、神輿は町内のみんなに賑やかな演奏と一緒に運ばれていく。
火葬場(=墓場)には、すでにたくさんのルンブが準備されている。バリの火葬では、死んだ人はみなこの牛のお棺に入れて焼かれる。
1ヶ月間に先立った妻を見送るバラタ爺さん。わたしはバリに来てすぐの頃、木彫りの修行をしていたのだけれど、この爺ちゃんは私がついてた師匠と仲がよく、いつも一緒に木彫りをした仲。一ヶ月前に亡くなった奥さんは木彫り師匠の家の近くで飯屋をやってて、わたしは毎日ここで昼ごはんを食べていた。
わたしはバラタ爺さんの孫に嫁いだワヤンと親しいので、彼女とも記念撮影。婆ちゃんはもうこの牛のお棺の中に入って焼かれるのを待っている。
バラタ爺さんの奥さんは、1ヶ月前亡くなったときに、すぐに焼かれた。だからいまこのお棺の中に入っているのは灰だけ。でも、人が亡くなってすぐに弔いの費用がない場合には、バリではいったん遺体は墓地に埋められる。だから火葬祭までに2年、3年と待つことだってフツー。こうやって墓場に穴があるのは、今日の火葬祭のために、早朝遺体を掘り起こした跡。
以前私のバリの家族であるマデサナ宅の母ちゃんの「遺体掘り」につきあったことがある。墓場にみんながランプを持って集まり、まさに芋ほり状態。
「お~~~!頭見つけた~~~!!!」
先に見つかって自慢げな人や、自分の親が久しぶりに土の中から出てきて、いとおしそうに、その骸骨を洗う遺族、人間の死がとてもリアルな現場だったのを覚えている。
今日の火葬祭には、3日前に亡くなった近所の女の子も混じっていた。彼女は小さな頃から弱い子で、最近では結核を煩い、大学に入学したばかりなのに、呼吸困難から死に至った。火葬祭の日程が近かったため、彼女は今日、他の亡くなった人たちと一緒に弔われることになったのだった。
でも、長年土の中に埋まっていた人たちとは違って遺体が新しい。でもちゃんと燃やさなければいけない。こういうときには「焼き屋」を頼む。一気に強火で燃やしてしまうのだ。こういう状況を見ていると、人間の魂、身体というものをいやでも考えさせられる。
18年しかこの世にいられなかった彼女の最期を送り、バラタ爺さんの奥さんのお棺に戻ったら、もうすっかり燃えきっていた。墓場に30体ちかくあった牛のお棺はすべて灰になり、その灰を集めた遺族たちが、その灰を海へ流すべき、次なる儀礼の準備に入っていた。
そろそろ帰宅の時間、と墓場を去ろうとしたところで、
「ミドリ!」
と呼び止める人が。見ればバラタ爺さん。
12人の子供をもち、孫は30人、ひ孫は50人ちかいというバラタ爺さんは気丈に振舞っていたけれど、長年つれそった奥さんの死はきっとつらいに違いない。随分耳の遠くなった爺ちゃんの昔話につきあってから、わたしは墓場を後にした。
by midoriart
| 2009-09-08 15:17
| Bali