Culture & Art Report from INDONESIA


by midoriart

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b0090333_17463677.jpg インドネシアを去る前の、最後の週末がやってきた。次の週末にはもう私は日本にいる。10年来のインドネシアでの友、ジャカルタ在住の役者のSさんと、ジョグジャで学生をして今はジャカルタ在住のF君が、最後のお別れにと、わざわざジョグジャに来てくれた。
 うちに泊めたくてもすでに家具のほとんどがなくなっているので、二人は近くのホテルにチェックイン。そして我が家に遊びに来てくれた。


b0090333_17485117.jpg もうすぐ新しい飼い主へ婿入りするモジャは、最近人馴れのため、毎朝夕に道行く人を見る練習をしている。朝の練習時、ちょうどSさんとF君がベチャに乗ってやってきたので、私が彼らを撮影、そしてベチャに乗ってるF君が私とモジャを撮影。この2枚は同時に互いを撮ったもの。


b0090333_1752141.jpg 生まれたときからずっと私の家で育ったモジャは今年で10歳。年のわりには人生経験が少なく、まだまだ知らないことが多い。今度の親はジョグジャの田舎に暮らしているから、環境はいいにしても、知らない人をたくさん見ることになる。かなり臆病者のモジャの行く末が心配だったけれど、最近は毎朝夕の外出タイムが楽しみになってきてる様子のモジャ。これなら私から離れても大丈夫かな・・・。


b0090333_1754671.jpg 昔ジョグジャに住んでいたF君をまず「SAMURAI RAMEN」へ連れて行く。これはジョグジャ在住の日本人Mさんが最近始めたラーメン屋さん。日本人が少ないためにまともな日本料理屋は一軒もないジョグジャにあって、Mさんのラーメン、丼メニューは日本人にとってはかなりありがたい。
 Mさんとも親しいF君は、試食して意見を求められたため、しっかり試食で楽しむ。私は新メニューのブルーベリージュースを満喫。


b0090333_17555992.jpg ちょうどいいタイミングでF君が来たこともあり、ジョグジャに長い日本人の皆様が、私のお別れ会を開いてくださった。もともとそんなにたくさんの日本人とは付き合いがないのだけれど、今回は一番お世話になったおじ様・おば様方が主催してくださり、さらに古い友のSさん・F君も参加できて楽しいひとときだった。


b0090333_17573193.jpg 翌日は私の大のお気に入りフットマッサージを三人で楽しみ、夜は最近情報を得たばかりのピザ屋を試すことにした。なんでもベルギーの人が窯焼きの本格的なピザを作ってるって話。確かにジョグジャにあってこのレベルのピザが食べられるのは嬉しいことだ。
 どこから沸いたのかというくらいに白人の皆さんが多くて驚いた。みんな知ってるもんだなー・・・


b0090333_17594493.jpg そして締めにはカラオケ。もともとジョグジャでカラオケに行ったことは1度、それも昔作っていたジョグジャの情報誌の取材で行っただけ。なんといってもジャカルタのように日本と同じレベルのカラオケ屋などなく、日本の歌の一番新しいので5~8年前の歌謡曲レベル。
 でも今日は逆にインドネシアの歌の歌い収め・・・と、私は日本の曲はいっさい歌わずに、インドネシアで贔屓のバンドGIGIの歌を歌いつくした。

 最後の週末、インドネシアで一番古い友Sさんと共に過ごせたのは嬉しかった。特に年齢が近く、やってることも似てる(私は美術、彼は演劇)こともあり、インドネシアで体験した互いの辛さも語り明かし、分かり合えることができた。Sさんはこれからもずっとインドネシアで役者として頑張っていくので、使わなくなった机や鏡など、すべてジャカルタへ持ってってもらうことにした。時々私のことも思い出してもらえるだろう。
 あっという間の週末、SさんとF君が帰るときに、初めて泣けそうになった。別れがもう迫ってきてるんだなーと実感した。まだまだこれからスターレットとの別れ、モジャとの別れがやってくる。少しずつ、ジョグジャを去る日が近づいている。
by midoriart | 2010-02-27 23:45 | Yogyakarta
b0090333_1234575.jpg ジョグジャ撤退を前に、我が家周辺は1年に一度の騒々しいシーズンに入っている。このエリアはジョグジャ王宮の城壁内で、本来は外国人が住めないエリア。なのになぜか大家さんからOKをもらい、ここに約9年暮らした。
 毎年1度、ジョグジャ王宮北の広場(アルンアルン)で行われる、イドゥル・アドハ(犠牲祭)を祝う伝統行事「グルブッグ・ブサール」。ジョグジャ観光局の仕事をしてたので、こういうものがあることは知ってたけれど、一度も行ったことがなかった。完全撤退を前に、今このタイミングであるってことは、最後くらいは見ておけということか。
 さらに友達が招待状をもらったからと誘ってくれた。おまけに今年は8年に一度のでかいものだという。


b0090333_12393771.jpg 今までなぜ私がこれにそんなに興味がなかったかというと、写真と話で知っていて、あんな人ごみの中に入り込むのがどうもためらわれたからだ。でも今回は招待状があって、王宮の中で行事を見ることができる。外野の恐ろしい人だかりとは別のエリアで。


b0090333_1241967.jpg だからこんなふうに、撮影もそれなりにきれいにできたわけで。これがもし、王宮の外の広場だったら、とてもとてもまともに見てることなんでできなかっただろう。
 後で聞いたところ、広場の方では失神して倒れてた人もいたらしい。感動からか、混雑でか、または日射病か知らないが、本当にこの犠牲祭はかなり気合入れて見ないといけないものなのだ。


b0090333_12433120.jpg この米や野菜で積み上げたグヌンガン(山状の供え物)がジョグジャ市民のお目当てなのだ。王宮から出発してこのグヌンガンを広場西にあるイスラム寺院「グデ・カウマン・モスク」まで運ぶ。そしてモスク前で祈りを捧げた後、グヌンガンの供え物を市民に振るまうのだ。
 スルタンの加護と一年間の幸運を呼ぶと信じられているグヌンガンだから、みんなが少しでもその御下がりをもらおうと、砂糖の山に群れるアリ状態になるのだ。日本でも威勢のいい祭があるけど、そんな感じ。とにかく老若男女がグヌンガンにたかり、その飾り物を奪い合うのだ。皆さんご苦労様です。


b0090333_12454719.jpgb0090333_1246688.jpgb0090333_12462386.jpgb0090333_12463912.jpg

 このグヌンガンの行列を護るのが王宮衛兵。彼らへの報酬はすずめの涙ほどなのに、いまでもみな、王様の護衛というこの任務に誇りをもっているらしい。このくそ暑い中、この形相で炎天下にずっといられるというのは、相当な精神力。それともジョグジャ王スルタンの神通力でも備わっているのか。

 とまれ、正直あまりジョグジャの伝統文化に興味のなかった私が、今日の儀礼には感動した。オランダ植民地350年の歴史と影響が垣間見える近衛兵の制服、鼓笛隊の奏でるメロディ、なんともジョグジャらしい。生きてる王様、そのご加護を信じる市民。ジョグジャのいいところってのは、まさにここなのかもしれない。
 去る寸前に、住んでいた土地のいい面を見ることができて、満足な1日になった。
by midoriart | 2010-02-26 17:33 | Yogyakarta
 バンドンのお気に入りホテルBumi Sawunggalingで泊まった朝、タクシーで北へ。最初に行ったのは去年8月に個展でお世話になったスラサール・スナルヨ・アート・スペース。バンドンの彫刻家スナルヨさんの私設ミュージアムだ。以前はずっとここに泊まって作品設置をしてたので、スタッフは清掃員までお友達。久しぶりにみんなの暖かい笑顔に迎えられる。
 お目当てのスナルヨさんに会って、お別れの挨拶。
「しばらくインドネシアに来ないのなら、後から私の新しい家に来なさい。心臓の病から、そっちで畑仕事して、プールにはいるようにしてるんだよ」
とスナルヨさんの新しい家に誘われた。


 b0090333_16342738.jpg まずはその前に今年頭にできたばかりのアートスペース、Lawangwanggiを見に行くことにした。ちょうどスペースの開館記念展覧会が終わったばかり。半分くらいが撤去されていたけど、まだ知人の作品数点を見ることができた。これはインドネシアの中堅作家メラ・ジェラスマの作品。


b0090333_1636730.jpg これは第2回シンガポールビエンナーレのインドネシア代表になった若手ユニットTramaramaの展示。小さなキャンバスに描いたドローイングを写し、それで動画を作って作品にしている。今年夏には日本の森美術館でも荒木夏実氏のキュレーションで展覧会が予定されている。


b0090333_16374829.jpg これが2階会場。窓ガラスを利用して切り絵作品を出品しているのは、私の妹分、バンドンの若手アーティストPrilla Tanya(プリラ・タニア)。向こうにはバンドン北部、ダゴの丘が見渡せる。
 にしてもこの会場もかなりリッチ。数学教授である女性がオーナーで、2階建てのでっかい建物は、前出のスラサール・スナルヨ・アート・スペースを手がけた建築家によるもの。でも正直なところ、展覧会を見るには動線がはっきりせず、今ひとつ見にくい。


b0090333_164102.jpg このLawangwanggiから丘を200mほど上ったところに、スナルヨさんの新しい家がある。大きな門を開けて中に招き入れられたら、バリの高級ビラですか?ってな景色が目の前に開けてきた。


b0090333_16422286.jpg まぁ、中まで見ていきなさい・・・と入ったお部屋はこんな感じ。すべてスナルヨさん本人のアイデアとスケッチにより出来上がっている。まー、この家と敷地全部が、彼の三次元の作品みたいなものなんだろう。にしても、なんでこのお爺ちゃん、こんなにセンスがいいのだろう。ため息が出る。これ本当にバリの隠れ家的な高級ビラにも全然ヒケをとらないぞ。


 スナルヨさんは去年私が個展でお世話になった後に、心臓を患って手術もされたという。そのために最近はあまり身体に負担のかかる立体作品の制作は控え、この新しい家の斜面に作った畑で野菜を育てたり、プライベートプールに浸かって歩いているという。
「え?プールまであるの?」


b0090333_16461956.jpg ありました~~~・・・
 プライベートプール。もう、これはバリです。UBUDです。Tjamphuanです。一緒に行った友達もみんな唖然としている。ため息しか出ない。

 最近のアートバブルでインドネシアの若手アーティストたちはみな成り金になり、土地を買い、家を建てている。そんなあまりに急激なアートの流れを見ていて心配だった私は、スナルヨさんの夢のような新居を見て、実はインドネシアの重鎮アーティストの中には、最近の一過性ブームとは無縁に、昔っから大型プロジェクト(パブリックアートなど)で経済力をつけているアーティストもいたんだなーとあらためて気づいた。
 スナルヨさんのすごいのは、年齢を超え、いろんな世代、いろんな分野の人とも分け隔てなく付き合い、とってもオープンであることだろう。
「そうか・・・ミドリは帰ってしまうのか・・・寂しくなるなぁ・・・」
とこぼすスナルヨさんに
「あの、ここで日本料理のできるコックがいるなら、私できますが・・・」
と半分本気な冗談をかえす。


b0090333_16532148.jpg 最後にスナルヨさんと記念撮影がしたくて、どの場所が一番気に入っているか聞くと、景色を眺めながら執筆をするデスクが好きだと言われたのでこの場で撮影。


 そして夕方まで昔からの仲間とお茶しながら喋りまくり、ジョグジャへ向う夜行電車でバンドンに別れを告げた。
by midoriart | 2010-02-23 23:28 | Bandung
b0090333_11412537.jpg 本気国を前に、なんとか時間をつくってバンドンへ行くことにした。1992年にバリで暮らし始め、バリの芸大留学生のツアーでバンドンを訪ねたときから、西ジャワの街バンドンは私の大好きな街。当時知り合った芸大の友達が、考えてみればインドネシアでの一番古い友達、ほぼ20年来のつきあいということになる。
 ジョグジャを23:10に発つ夜行電車TURANGGA(トゥランガ)を待つ。電車に乗るとき必ず立ち寄るこの店にも、もうしばらく来る事はないのだなぁ・・・


b0090333_11445787.jpg 午前中はITB(バンドン工科大学)の美術学部を訪ねた。ここにこれば知ってる友達がたくさんいるから、まとめてお別れの挨拶もできる。思ったとおり、数人の友達に会えた。
 午後からは古い友達が新しく始めたというギャラリーを訪ねることに。その前にまずはランチ。街が見下ろせるDAGO(ダゴ)にできたナシクニンの店でオリジナルメニューを試す。景色がいいこともあるけど、ココナツとターメリックの組み合わせが最高に美味。


b0090333_11474880.jpg これが去年12月から始まったばかりのアートスペース、PLATFORM。構えは小さいが、なかなか内容のある展覧会をしていた。それもそのはず、この建物はもともとファッション関係者がブティックとして建てたものだけれど、わけあってレンタルに出された。それを借りたのが私の友達だったのだ。
 友達というのが実はスゴイ。インドネシアを代表するキュレーターばかりなのだ。もとジャカルタのギャラリーキュレーターだったRiffky、現スマルジャギャラリーキュレーターのUcok(Aminudin Siregar)、現スラサールスナルヨのキュレーター、Agung Jenonng、そして今日私が会う約束をしていたインディペンデントキュレーターのHeru Hikayat。


b0090333_11511556.jpg これだけ若手の現役バリバリキュレーターが揃っていれば、おもしろい企画にもなるだろう。彼らがここを共同で借り、なにやら他のアートスペースではできないことをやろうとしているらしい。なかなか気になるスペースだ。
 なんと奥にはレンタルハウスまであるから、レジデンスプログラムなどにも対応している。今度バンドンに来るならここに泊まるのもアリだな・・・。


b0090333_11532232.jpg 中はこんな感じ。3階まであって、いずれはレジデンスプログラムで参加したアーティストが制作できるスペースにしたいらしい。
 展示スペースはさほど広くはない。銀座やシンガポールの街中にある画廊サイズ。でも自然光がキレイにはいる気持ちのいい空間ではある。


b0090333_11545875.jpg バンドンの親友ササンも大学の講義を終えてここに来てくれた。彼とは何度か一緒に企画展を作った仲。日本への留学経験も多い、私がインドネシアで一番信頼している友達だ。
 さらに運のいいことに、バンドンから電車で4~5時間の場所でアートスペースを運営している友達が、なんと今日1日だけ用事でバンドンに来ているという!なんというタイミング!ということで、20年来の友が3人揃い、バンドンの老舗アイスクリーム屋、Tiziに集まることに。左からAriefyudi(ジャティワンギアートコミュニティ主宰)、Heru Hikayat(インディペンデントキュレーター)、私、Prilla(バンドンの若手女性アーティスト)、Nurdian Ichsan(セラミックアーティスト、バンドン工科大学美術学部講師)。

 夜はササンとの約束で、最後の呑み会。涼しいバンドンの夜は懐かしい友とのお喋りで更けていった。
by midoriart | 2010-02-22 11:40 | Bandung
 今朝午前6時から起きたのは、マデ兄貴、嫁のムプ、昨日からバリに来て撮影を始めている私の友達、フィリピンの映画作家のキドラット。今回私がバリに来た一番の目的、ティルムの浄化儀礼のためにみんなで海へ行くことになっている。


b0090333_22113426.jpg ティルムは1997年7月の新月に生まれた。バリ語で新月はTilem(ティルム)、新月の様子のとおり、真っ黒な身体の凛々しいオス犬は、私がジョグジャに引っ越すときにもちゃんと着いてきてくれた。私がこの国で、一人で暮らしてこられたのは、ひとえに彼がいつも私をガードしてくれたからだった。そんな彼が逝ったのは昨年3月だった。
 ジョグジャの庭に埋めてあったティルムをそのまま残していくことだけが気になっていた私は、少し前にバリから荷物を運ぶために来てくれたマデ兄貴とその息子フォギに頼んで、一緒にティルムの霊を呼び起こす儀礼につきあってもらった。


b0090333_2215872.jpg そして、こうしてボトルにつめたティルムの墓の土を、今回私がバリへ一緒に連れて帰ってきたのだ。


b0090333_221619.jpg 1990年に初めてバリを訪ねて以来、あっという間に20年の付き合いになったインドネシア。ここに暮らす間に、私はティルム以外にも2匹の相棒を亡くしている。初代スギト(カニクイ猿)と、現在のスギトの夫ソチョだ。
(写真は去年3月、ティルムの後を追うように1週間遅れで逝ったオス猿のソチョ)


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 この2匹の猿は、バリの兄貴の家の庭に埋めてある。今回は彼らの霊をすべて海に返すことにしていたので、マデ兄貴の嫁ムプと一緒に猿たちを埋めたあたりの土を掘り起こして採取した。ムプがちゃんとマントラ(お経)を唱えてくれる。
「スギト~、ソチョ~、起きなさいよ~、さぁ海に行くよ~~~」
 そしてジョグジャから連れて帰ったティルムの土と一緒にして白い布でくるみ、壷に収めた。


b0090333_22215170.jpg 猿2匹と犬1匹なので、3つの供え物がいる。私はここで彼らの浄化儀礼についてフツーに書いているけれど、本来ペットとか愛玩動物なんて意識のないバリ人にとって、動物ごときに人間のような儀礼をするなんてことはナンセンス。ムプがこの浄化儀礼のための供え物を作っていたときも、近所の人が見て、
「え?ここんちで誰の儀礼があるの?」
「あーこれね、ミドリの犬と猿のよ・・・」
と答えて唖然としていた。
 でも私が20年近く世話になっているマデ兄貴の家族は、長年私と暮らして、いかに日本人(の多く)が自分の飼っていた動物に対して愛情をもっているかを理解してくれている。だからこんな面倒な供え物でも、ちゃんと人間のように真心込めて準備してくれるのだ。こんなバリ人はめったにいるもんじゃない。


b0090333_22262473.jpg 聖水をかけ、マントラ(お経)を済ませた後、我々も砂浜に座り、海に向ってティルムたちの霊がここに解き放たれ自由になることを祈る。マデ兄貴は
「俺はティルムが日本までついていって、ずっとミドリを守ってくれるように祈ったぞ」
なんて言ってくれる。本当にあったかい家族なんだなー、私のバリの家族は。泣けてくる。

 そして3匹の霊のこもった土を入れた壷を、マデ兄貴が海に流してくれた。私では遠くまで行けないので、兄貴がザブザブ波打ち際を進んで、遠くへ投げてくれた。3匹の魂を乗せた壷は、あっというまに白い波間に消えていった。これからはどこにいてもこの3匹が見守っていてくれる。合掌・・・
by midoriart | 2010-02-11 22:07 | Bali
 3月頭の帰国を前に、バリでの用事を済ませるためにジョグジャを発った。今回の一番の目的は、ジョグジャまで連れてきてジョグジャで死んだ愛犬ティルムの葬式。借家の庭に埋めたままほっておくのは忍びなく、バリの暦の良い日を選んで、ちゃんとバリへ帰してやらなければ、いつか必ず後悔すると思っていた。
 出発の予定を考えていた頃、懐かしいフィリピンの友から連絡があった。彼はKidlat Tahimikというフィリピンでは誰もが知ってるドキュメンタリー映画作家。日本でも知る人ぞ知るというお方。私は数年前に彼のいるフィリピンはバギオで彼と知り合い、幸運なことに自分のやった交換プロジェクト(作品をフィリピンの人々と交換してもらうという作品)を彼がドキュメントビデオにしてくれたこともあって縁が続いている。
 Kidlatからの久しぶりの便りによれば、「今度はバリで棚田のフィルムを撮るから会えないか」ということだった。せっかくなので彼とスケジュールを調整して、今回のバリ行きとなった。


b0090333_1731858.jpg ちょうど2月10日はバリのカレンダーでブダ・チェメンに当たる。たくさんの儀礼がバリ中で行われる日だった。私のバリの家族も、その大元の家族祠ででっかい儀礼があるというので、前夜バリに到着したKidlatを連れて出かけた。
 考えてみれば、初めてバリに来てこうした儀礼を見て、大きなカルチャーショックを受けたものだ。今じゃフツーに自分自身の儀礼になっちゃってるけど。


b0090333_1751352.jpg インドネシアには来たことがあっても、ジャカルタやバンドンなどの都会しか見ていなかったKidlatにとって、バリ・ヒンドゥーの儀礼はかなりショックだったようで、カメラを回す手が止まらない。大興奮のご様子。
(右がフィリピン映画界の重鎮、Kidlat Tahimik)


b0090333_1763441.jpg 大きな儀礼になればなるほど、多くの奉納がある。最初は娘たちによる踊り。


b0090333_177273.jpg ワヤン。一般にはシャドーパペット(影絵芝居)として知られるワヤンだけれど、儀礼で使うときには昼間なので影を使わずそのまま人形を操る。ストーリーを見せるというよりも、聖なる儀礼に近い。
 今日の演者は私が以前5~6年間バリの男性舞踊を習っていたスクロ先生だった。彼は絵描きとして暮らしの糧を得、踊り手やワヤンの演者としてヒンドゥー教の聖なる儀礼に奉仕している。私がバリで知り合った人の中でもかなり聖なるお方。今日この場で会えて嬉しかった。


b0090333_17102067.jpg そして〆はトペン(仮面劇)。20年前、バリに初めて来てこうしたものを見たときに受けたショックを、今私の横でKidlatが感じている。同時多発で起こる様々な奉納舞踊を見て、家の中をあちこち走り回っている。
 長く暮らしているうちに、こういうものを見るのがフツーになっていたけれど、近くインドネシアを去ることになっていざ見ると、本当にバリの伝統文化って素晴らしいな~といまさら感動する。最後になってこうした儀礼をまた見ることができたのはバリの神々の私へのプレゼントだったのかもしれないなぁ。
by midoriart | 2010-02-10 16:56 | Bali
 ジョグジャの荷物も随分と整理できてきた。日本へ送り返すものはダンボール7箱と大きなキャンバス類。バリの家(木彫りの師匠宅に作った一部屋)にはジョグジャで使っていたソファベッドやプラたんすなどを送る。バリへ送るのも島が違うと送料は結構かかっちゃうので、バリの兄貴に頼んでジョグジャまで車を出してもらうことにした。19時間かけてマデ兄貴とその息子フォギが我が家に着いたのは6日の午前5時。


b0090333_12443025.jpg マデ兄貴は私がバリからジョグジャに引っ越した2000年にもトラックでジョグジャまで送ってくれた。そのときは私もトラックに便乗、さらに犬のティルムまで乗っていたっけ。数回ジョグジャに来てるし、ぶっ通しの運転で疲れた兄貴を家に残し、中学生のフォギを連れて近所に散歩に出た。
 このジョグジャとは思えない洋風な建物、これが私んちのすぐそばにある。もと教会だったらしい。でも今は誰も使っていない。昔から気になっていたのに、徒歩でしか入っていけない場所にあったため、10年間近くまで行けなかった場所に、その場を去るギリギリになってようやく行くことができた。


b0090333_12461851.jpg この教会の詳しいことは知らないが、こういうのを見ると、さすが350年間もオランダ植民地だった土地だな~とつくづく思う。周辺の家もどこか洋風なつくりが多かった。
 フォギと路地を歩いていたら、地元の暇そうなオッサンが近づいてきて、
「どうだね?土地ごと買わんかね?」
なんて言ってきた。こんな素晴らしい建物、なんでジョグジャは市の史跡とかにして保存しないんだろう、もったいない・・・。


b0090333_12482174.jpg 私んちは王宮のすぐそば。ちょうど今はスカテンの前で北のアルンアルン広場に遊園地が出ている。フォギーを連れて一周。考えてみれば私がバリに来て、マデ兄貴の家で木彫りの弟子になった頃には、まだこのフォギーは生まれていなかった。私の方がこの子よりもインドネシアで長いんだなー・・・。
 いったん家に戻り、仮眠をとってたマデ兄貴を起こし、私の大好きなパダン料理屋へ。最近はどこへ行くにも
「あー・・・これでこの人と会うのは最後かもなーーー・・・」
と、去る者特有の感傷に浸ってしまう。このパダン料理屋の兄ちゃんとも、ほぼ10年の付き合いだもんなー。私の好みを知ってて、いつもココナツソースをたっぷりとかけてくれた。兄ちゃん、どうもありがとう・・・


b0090333_12522280.jpg 荷物を出して、ガランとしたスタジオにて。左からマデ兄貴、私とモジャ、そしてフォギー。私がお一人様の身で、20年近くインドネシアで暮らしていられたのは、このマデ兄貴のファミリーのおかげに他ならない。日本人と見れば金づると思い、なんとか美味しい汁を・・・と思う土地の人も多い中、私には困ったときにはジョグジャまで来てくれるこの家族がいる。本当にありがたい。


b0090333_12544722.jpg わずかな時間ではあったけど、引っ越しの忙しい時期、ちょっとセンチメンタルになってる時期に、兄貴と息子が来てくれたのは嬉しかった。そしてもう一つ、彼らにお願いしたい大事なことがあった。それは去年3月に逝ったティルムの儀礼。ティルムは私がジョグジャに引っ越すときに一緒にバリからついてきてくれた私の大事な大事な守り神だった。それを借家であるジョグジャの家の庭に埋めたまま置き去りにはできない。バリ・ヒンドゥー教のやり方で、ティルムの霊をここから出してやることにした。
 三人でティルムの墓に集まり、
「ティルム、ティルム、さぁ一緒に帰ろう、帰るよ、帰るよ」
と呼び、墓の土をボトルに詰めた。
 兄貴がバリへ帰るのに託すこともできるけど、私がどのみち9日からバリへ行くので、ティルムの霊の詰まったボトルは今はまだジョグジャの我が家にこうして置いてある。9日に私が一緒にバリへ連れて戻ることにした。


 運び出した荷物のせいで、部屋は急にガランと広くなった。そこに雨がしとしと降ったりすると、なんだか突然寂しい気分。去ると思うと、今までいやだったことまでが懐かしくいとおしく思えるから人間って勝手なもんだ。新しいことの始まりには、かならずその前の別れがあるのだから仕方ないのに。
by midoriart | 2010-02-06 12:39 | Yogyakarta
 今日は昨日ジョグジャを案内した森美術館キュレーターAさんを案内するジョグジャのアートツアー2日目。昨日のツアーを終え、Aさんからのリクエストは、いろいろなアーティストを訪問したいとのことだった。昨晩のうちに思い当たる友達に連絡をとり、数人にアポイントを入れた。


b0090333_2236815.jpg アーティスト訪問の前に、アートスペースをひとつ見ることに。これはジョグジャ市内を南のパラントゥリティス海岸方面に向ってずっと南下したTembi(トゥンビ)という地域にできた新しいスペースで名前はそのまんまTembi Contemporaryという。

 毎回展覧会があるたびに、我が家にも招待状をいただいていながら、なかなかタイミングが合わなかったり、興味ある展覧会がなくて行ったことがなかった。せっかくAさんもいらしているこの機会にと出かけた。ここはバレンタインギャラリーというクアラルンプールやシンガポールにもギャラリーをもってる人が、ジョグジャ在住の白人のオッチャンと組んで作ったアートスペースだった。できて2年目。印象としては、今のインドネシア現代美術事情そのままで、売れる絵画を集めるための倉庫っぽいものだった。


b0090333_22405086.jpg その後、私が過去にインドネシアの現代美術を紹介すべく、『Passing On Distance』という名で日本へもっていった展覧会(名古屋と東京を巡回)に参加してくれたアーティスト、Yusra Martunus、Handiwirman SaptraのスタジオへAさんをお連れした。
 これはHandiwirmanのスタジオ。彼も昨日のリヨンと同様、ここ数年であっという間に引っ張りだこになった若手作家。10年前、私がジョグジャに来た頃は、1日インスタントラーメン一食で暮らしていた。それが今や国内外のコレクターが彼の作品を待ってる状態。そして昨年土地を買い、スタジオと家を建てた。


b0090333_22435584.jpg 訪問したときに制作していたのが手前のピンクの作品。最近ではミラノのギャラリー、台北の美術館など、海外でも頻繁に発表している。なんたって彼は第1回シンガポールビエンナーレのインドネシア代表。数年前は制作しても発表の場もなく、家が近かった私とはギターを弾きながら夜な夜な歌いまくる仲間だったのに、いまやそんな時間はまったくなくなってしまった。稼ぎ頭の彼が友達と遊ぶのを、妻はまったく許してはくれない。苦労の時代を知ってる私としては、彼の活躍はまことに喜ばしいのだけれど、ギター仲間が減ったって意味ではかなり寂しい気がする。


b0090333_22465310.jpg あまりに忙しそうなHandiwirmanのスタジオを早々に引き上げ、次に行ったのはEko Nugrohoのスタジオ。彼も若くして、そのPOPな作風は早くからヨーロッパで評価され、リヨンビエンナーレにも参加している。今回のツアーでAさんに紹介した彼らみんなに共通して言えるのは、見た目にはフツーーーのインドネシア青年で、けしてオシャレな格好をしてるわけでもないのに、作品から見えるセンスはかなりのものだ。
 Ekoは主としてミューラル(壁画)の作品が多い。だから作品を売ることが難しい。そんな彼は今、ジョグジャにお店を持っていて、ここで彼のドローイングTシャツ、ジャケットなど、手ごろに若者が買っていける商品として販売している。


b0090333_22502360.jpg 昨日訪ねたSangkringのバリ人アーティスト、リヨンはその空間を後輩達の発表の場として使って自分の成功を「還元」あるいは「貢献」している。そしてEkoは、自分が海外で見てきたアーティストとしての生き方、生きていく方法を、後輩達と共有している。彼のショップ「Daging Tumbuh Shop」は最初の1年、彼一人の資本で始まり、若いアーティストが何を作っても、この店で売れるようにその場を開放していた。次の1年は、後輩の中からすこしずつ活躍の場を広げ始めたWhedarを誘い、共同出資で継続している。

 昨日のAさんの感想のとおり、ジョグジャのアーティスト達は自分の成功をちゃんと他者にも還元してるケースが多いのかもしれない。それはちょっと意地悪に見れば、他人のやっかみや恨み、嫉妬を避けるために、前もって還元してしまおうとしてるのかもしれないし、よく言えば「相互協力」「私のものはみんなのもの」という昔ながらのインドネシアのいい部分なのかもしれない。
 とはいえ、もちろんそんないい子ばかりじゃなく、作品が売れたお金でどんどん奥さんのおっぱいが整形ででっかくなってってるケースもなくはない。運転免許もってないくせに新車買っちゃってる子とか。奥さんが急に派手になって、お買い物は上海・・・なんていってる子とか。

 いやぁ~、今回久しぶりにAさんのおかげでしばらく会ってなかった旧友に会い、私自身も考えることが多かった。まさに中国のアートバブル。それでも彼らはすでにブームは冷めてきてるのを感じているという。こりゃ2~3年先が楽しみだ。ブーム前からコツコツやってた者と、ブームに乗った成り金アーティスト、どんなふうに差が出てくるか。ぜひぜひ見たいものだ。
by midoriart | 2010-02-02 22:33 | Art
 東京のお洒落エリア六本木に建つ森美術館。53階にある展示スペースは、「世界で一番高いところにある美術館」でもある。今回この森美術館のキュレーターAさんがインドネシアへいらっしゃるにあたり、ジョグジャの現代美術の様子を視察すべく、私が2日間コーディネーターとしてお付き合いすることになった。


b0090333_16401791.jpg まずは前出の記事『シダルタ回顧展』を開催中のJNM(ジョグジャ・ナショナル・ミュージアム)へ。シダルタの作品を初めて見るというAさんも、彼のマルチな才能に驚かれた様子。
 JNMは昔の芸大校舎の再開発でできたミュージアムで、2008年には国際交流基金による大規模な日本アーティストの展覧会も開催された会場。当時も現地コーディネーターとして数ヶ月働いた私にとっては、かなり親しみのある美術館でもある。その頃にはまだなかったレジデンス用施設も今では完成している。


b0090333_16435080.jpg これが部屋の中。ホットシャワー付きのダブルとツインの部屋が3部屋、AC付きが1部屋、そしてドミトリーが1部屋。なかなかの施設。これが2年前にあったなら、きっと日本から来た若手アーティストもここに泊まりたいといっただろう。


b0090333_16451990.jpg その後、私のオススメなジョグジャのアーティストを訪問し、夕方からはバリ人の友達が最近建てたばかりの、ジョグジャでもっとも新しいアート・スペースSangkringへ。


b0090333_16462593.jpg この大きなスペースが、まだ30代前半のバリ人アーティスト個人の持ち物だというんだからインドネシアも凄い。生きてるうちにそれも若くしてこんな立派な個人ミュージアムを作れちゃうのがインドネシアだなぁ~。本当にここ数年、中国アートバブルがインドネシアに飛び火して以来、この国の現代美術マーケットは気が狂っちゃったように見える。
 ましかし、彼のように作品が売れたお金を貯めてこんな立派なスペースを作り、後輩アーティスト達の発表の場として運営してるってのは頭が下がる。そうそう、彼の名はPutu Sutawijaya、我々親しい仲間は彼をリヨンと呼んでいる。


b0090333_16543585.jpg 2階もまだまだこんなスペース。森美術館のAさんも、
「これ、ミュージアムですよ。ギャラリーってレベルじゃないですよね・・・」
とつぶやく。驚くなかれ、Sangkringは今も建設途中で、メインの建物の他に、ミュージアムショップ、カフェ、木工スタジオ、金工スタジオ、陶芸スタジオなど様々な素材が扱えるスタジオと、海外から来たアーティストが滞在できるようなレジデンス施設までプランされている。裏を除いたら、まだまだ土地はずっと奥まで続いていた。


 驚くべき現代美術バブル。こうやって実物を見ると本当にスゴイ。明らかに彼なんかは日本でいうところの「勝ち組」だろうな・・・。でも彼のすごいのは、それを独り占めするでもなく、村人に(建設の職人は近場で雇っている)、芸大の後輩たちに、こうして還元するところだろう。Sangkringは2009年11月に開催されたジョグジャ・ビエンナーレの一会場としても思い切り活躍した。

 Aさんの言葉が印象に残った。
「日本にもわずかに成功したアーティストっていますけど、彼らが他者に何かを還元してきたかっていったら、なにもないですよね。ここのアーティスト達が、こうして周囲に還元しているってのは本当にすごい。素晴らしい・・・」
 確かに、それがゴトンロヨン(相互協力)のインドネシアなのかもしれない。
by midoriart | 2010-02-01 16:36 | Art