Culture & Art Report from INDONESIA


by midoriart

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 昨日のパダン地震のニュースを受け、心配で連絡をくださる方が多いので、この場でまず無事の報告を。

b0090333_1202921.jpg 私が住んでいるジョグジャはジャワ島の中央にあり、今回の地震はジャワ島の西隣、スマトラ島のほぼ中央で起きている。2004年暮れにインド、タイを巻き込んで大きな被害を出したアチェの津波はこのスマトラ島の最西端にある。

 多くのニュースが流れたので、こちらを参照していただければインドネシア発信のニュースがYOU TUBEで見られる。
http://clickoverall.com/video-gempa-76-sr-di-pariaman-sumatera-barat.html

 私はちょうど昨日の朝、個展会場の作品撤収を終えてバリからジョグジャに戻ったとこだった。地震のおきた時間は車を運転していたのでまったく気づかなかった。というか、ジョグジャで地震を感じた人は私の周りにはいない。そのくらい遠い場所でおきた地震だった。

 最近だけでも西ジャワ、バリ、スマトラとインドネシアの各地で地震が起こっている。アチェの津波以降、この地球の表面化で大きな変動が起こっているのだろうか。とりあえず私は無事だったけれども、パダンで被災された人たちが早く元気を取り戻すことを祈るばかりだ。

 とり急ぎ、近況報告まで。

★記事追加(インドネシアの有力紙『KOMPAS』の今日の記事から)
『起こるべくして起こった地震』
 スマトラ島西海岸沖1200kmは、ユーラシアプレートがインド豪州プレートの下に潜り込み、2つのプレートがせめぎあい、年間5~7cmのズレを発生。2004~2005年の一連の地震の後(04年12月の8.9度アチェ地震、05年3月8.2度のニアス地震、05年4月7.4度のパダン地震)、次はパダン沖合~ムンタウェイ諸島が危ないとされたが、パダンを飛び越えて07年9月のベンクル地震が発生。
「なぜかムンタウェイ一帯は持ち応えた。それ以来、今回の地震は必然とされてきた。蓄積エネルギーの量から8.9度(7.9度の30倍のパワー)を予測したが、どうやら小出しに噴出を繰り返す性向らしい。今回の地震で動いたのは潜り込みラインの100km前後。ムンタウェイはまだエネルギーが発散していない。数ヶ月後か数年後かは分からないが、今後も大地震に備える必要がある」とバンドン工科大地震学教授。
 なお、10月1日9時45分、隣りのジャンビ州でも地下10kmでリヒター7.0度の地震。被害は不明。

『』30日、パダン/パリアマンで7.6度の地震』
 30日、サモア沖地震・津波から16時間半後の同日17時16分、西スマトラ州パリアマンの東南沖合い46kmの海底71kmでリヒター7.6度の地震。17時38分には海底110kmで6.2度の余震。パダン市では4変電所が壊れ停電。暗闇、豪雨の中、住宅地では地震火災。BII銀行、SUZUKI、中央市場、ラマヤナデパートほか4つのホテルなど、鉄筋建物も崩壊。
 1日朝現在、死者75人。AMBACANGホテルとブミ・ミナンホテルでは各100人を超える観光客やセミナー客(北スマトラ州海洋局)が、学習塾GAMAでは多くの児童生徒が倒壊建物の下敷きになった模様。KAMPUNG CINAと呼ばれる一帯は全壊。パリアマンは70%が倒壊。
by midoriart | 2009-09-30 11:58 | Yogyakarta
 19日、断食があけた。日没の合図で断食が明けると、夜には町内の子供たちの松明行進がある。今日ばかりは道路に面した我が家では仕事にはならんと腹をくくり、行進のビデオと写真撮影に徹することにした。


b0090333_0581093.jpg 断食明けして、おうちでしっかりご馳走食べた後、町内の子供たちが明かりを手に手に、鼓笛隊やら仮面をつけたちょっと年長さんを伴ったりして行進していく。


b0090333_0591371.jpg たいていは同じメロディ、同じリズムの曲と共に行進していくのだけれど、これがまったくジャワっぽくない。かなりリオのカーニバル風。この道に詳しくはないけれど、おそらくこの行事は最近のものと思われる。なんだかバリのヒンドゥーの正月ニュピの1日前(つまりは大晦日)に出るオゴオゴという「ハリボテ行進」を思わせる。結局どこの国にいても、人間なにかをみんなで祝うときには音出して行進したくなるものなんだろうか。


b0090333_113251.jpg イスラム暦の1430年の元日となった今日9月20日、外があまりに静かだったので、私は寝正月を決め込んで午前9時起床。ゆっくり朝シャワーをして、年始周りの準備。
 といっても私が行くところは一箇所。親しい友達はジョグジャ出身じゃない子が多く、元日にはそれぞれの里へ帰っている。今日私が年始挨拶に行ったアリ・ウマール夫妻も、実はスマトラ出身。別の島の人なんだけれど、まだまだ作品で食べていくのが厳しい彼の家族が4人揃って遠方の島スマトラのパダンまで行くのはそれは大変なこと。だから彼らはいつもジョグジャでレバランを祝う。
 家族へ年始のお菓子と、二人の子供にお年玉を準備。ちなみにこのポチ袋は私が好きで、中華系インドネシア人の正月用ポチ袋を使ってるだけで、本来イスラムの祝日レバランに適した袋ではない。


b0090333_16145.jpg 愛知県美術館で過去に開催された『アジアの潜在力』展でインドネシアから参加したアーティストでもあるアリ・ウマール。私は奥さんが作るパダン料理の大ファン。だからレバランに挨拶に行くのは、実はオセチ狙い。
 こんな質素な台所から、とんでもなく美味しい料理が生まれる。


b0090333_173776.jpg これだけ見ると、美味しそうには見えないかもしれないけど、ココナツと、インドネシアにあるすべての香辛料をすべて使って24時間煮込んだ牛肉料理ルンダンは最高。


b0090333_184826.jpg 娘と息子にお年玉を渡すと、偶然にも今日は息子タンジュンの4歳の誕生日でもあったらしい。早速私のもっていったチョコチップ入りクッキーでお祝い。わずかな時間ではあれ、ちょっぴりレバラン気分を味わってから帰宅した。
by midoriart | 2009-09-21 00:54 | Yogyakarta
 数日前からジョグジャが浮き足立っている。ジョグジャに限らず、イスラム教徒主流の場所ではみんなそうだろう。この1ヶ月続いた断食が明け、1年に一度のめでたい日レバランがやってくる。街の賑わいや人の忙しさは日本の正月に似ている。子供は大人からお年玉がもらえるし、都会で働いてる人たちは帰省する。学生たちもみんな下宿をはらって実家に帰る。

 バリで10年暮らしていても、ヒンドゥーを信仰する島ではまったくレバランの空気を感じたことがなかった。ここジョグジャに移ってからは、毎年この時期になると里恋しくなる。時間と金に余裕があるときは、せめて第2の故郷バリまで「帰省」するのだけれど、今回はジョグジャで仕事を残していたために、ここでレバランを迎える。


b0090333_14201171.jpg たまたま今年は日本の連休と重なったレバラン休暇。今日土曜の日没に断食を終えると、もうここからは食べまくり。しばらくスーパーも開かないので、数日間篭城のために買出しに行くと、スーパーもレバラン色で染まっていた。
 なんでかしらないけど、レバラン休暇になるとムチャ売れるのがシロップ。メロン味、ストロベリー味、ココナツ味などなど。ダイエットしてる身には、単なる砂糖汁なのだが、オバちゃんたちはダンボール1箱とかって単位で買っていかれる。


b0090333_14213430.jpg こちらはクッキー関係。これは断食中から売られている。断食明けする夕方からはこういうものも家族で食べながら団欒するのだろう。私はジョグジャにきた最初の断食月に、ガキでもできる断食とはどの程度大変なものかを知るべく、一ヶ月皆さんの断食につきあったことがある。1日(日が昇ってる間)食べなかったぞと思うと、つい自分を甘やかして、夕方断食明けするともともと好きな甘いものに手を出してしまう。だから断食で痩せるなんてことは私には無理で、逆太りしてショックだった記憶がある。
 にしても、ここの人たちはもともと甘いもの好きだから、この手のものはかかせないのだろう。で、当然のことながら糖尿病の方々多し。当たり前だわな。


b0090333_14242766.jpg これはアラブが原産とかの果物の実。レバランになったらこれは必需とばかりに売られる。色が茶色に黒光りしてて、正直どう見ても美味そうには見えない。インドネシア人の敬虔なイスラム教徒の友達ですら、
「そうでしょ。でもレバランにはかかせないのよね。でもゴキブリみたいよね」
なんていうくらい。私が言ったんじゃない。でも実は甘くて、好きな人は好きらしい。でもどっちかったら日本の御節の縁起かつぎと一緒で、とりあえずレバランだからないと・・・ってような、慈姑や煮豆の類と思われる。


b0090333_14271729.jpg 日本でいえばボーナス、ここではレバラン・ボーナスがある。実際ちゃんと法律で決まってて、会社は社員にボーナスを支払う。さらにパーセルと呼ばれる「お歳暮」もある。ただ格好はお見舞いの品っぽい。それこそ、その昔は家庭で作ったレバラン料理を、ご近所に配るというものだったりしたらしい。それもこれだけでっかい国インドネシアなので、地方によって様々だったものが、ここ20年くらいは、みんなパーセルといって、籠にシロップ、嗜好品、菓子などを詰めて配るようになったそうだ。
 さらに最近では、それこそ日本の過剰包装反対じゃないが、シンプルなダンボールにモノを詰め込むだけだったり、逆にパッケージに気合いれた大層洒落たものなど、バリエーションも増えてきた。賢い会社になると、レバラン用にスペシャルパッケージでチョコやらクッキーやら出してるし。商戦もなかなかヒート。


 そんな中で、私は蚊帳の外。つられて菓子買っちゃーいけない。でもなんたって1年で一番大きな祝日で、一般には今日土曜から次の土曜までお休みになるのだから、どうしたって生活に影響は出る。だから今日明日は私も休みと決めて、早速ビデオレンタルで6本映画借りてきた。
 うちは王宮から近い。今日1ヶ月の断食が終わると、王宮広場では花火打ち上げが始まり、夜には街の子供たちがイスラム暦の新年を祝って火を焚き、鼓笛隊が練り歩く。ともかくとんでもなく騒々しい夜がもうすぐやってくる。道路に面した我が家は、どうしてもこの騒々しさから逃れる事はできないから、逆に諦めて、部屋の中でホラー映画を大音量で見るとしよう。
by midoriart | 2009-09-19 14:34 | Yogyakarta
 9月3日、無事にバリでの個展が始まった。今回は少しゆっくりバリに滞在し、「交換プロジェクト=バリ編」のドキュメント・ビデオを撮影している。そしたら運良くこのタイミングでうちの町内では合同火葬祭があった。いまバリはバリ・ヒンドゥー教の火葬祭シーズンなのだ。

b0090333_15221460.jpg 今日の火葬祭には、私が昔からお世話になっているお爺ちゃんの奥さんの葬儀も入っていたから、朝から参加。これはお婆ちゃんの神輿。


b0090333_1525398.jpg 火葬場へ向かう前に、まずは祭司さんの指示で遺族がおまいり。その後、神輿は町内のみんなに賑やかな演奏と一緒に運ばれていく。


b0090333_15253577.jpg 火葬場(=墓場)には、すでにたくさんのルンブが準備されている。バリの火葬では、死んだ人はみなこの牛のお棺に入れて焼かれる。


 b0090333_1526437.jpg 1ヶ月間に先立った妻を見送るバラタ爺さん。わたしはバリに来てすぐの頃、木彫りの修行をしていたのだけれど、この爺ちゃんは私がついてた師匠と仲がよく、いつも一緒に木彫りをした仲。一ヶ月前に亡くなった奥さんは木彫り師匠の家の近くで飯屋をやってて、わたしは毎日ここで昼ごはんを食べていた。


b0090333_15281350.jpg わたしはバラタ爺さんの孫に嫁いだワヤンと親しいので、彼女とも記念撮影。婆ちゃんはもうこの牛のお棺の中に入って焼かれるのを待っている。


b0090333_15294084.jpg バラタ爺さんの奥さんは、1ヶ月前亡くなったときに、すぐに焼かれた。だからいまこのお棺の中に入っているのは灰だけ。でも、人が亡くなってすぐに弔いの費用がない場合には、バリではいったん遺体は墓地に埋められる。だから火葬祭までに2年、3年と待つことだってフツー。こうやって墓場に穴があるのは、今日の火葬祭のために、早朝遺体を掘り起こした跡。
 以前私のバリの家族であるマデサナ宅の母ちゃんの「遺体掘り」につきあったことがある。墓場にみんながランプを持って集まり、まさに芋ほり状態。
「お~~~!頭見つけた~~~!!!」
先に見つかって自慢げな人や、自分の親が久しぶりに土の中から出てきて、いとおしそうに、その骸骨を洗う遺族、人間の死がとてもリアルな現場だったのを覚えている。


b0090333_1534188.jpg 今日の火葬祭には、3日前に亡くなった近所の女の子も混じっていた。彼女は小さな頃から弱い子で、最近では結核を煩い、大学に入学したばかりなのに、呼吸困難から死に至った。火葬祭の日程が近かったため、彼女は今日、他の亡くなった人たちと一緒に弔われることになったのだった。
 でも、長年土の中に埋まっていた人たちとは違って遺体が新しい。でもちゃんと燃やさなければいけない。こういうときには「焼き屋」を頼む。一気に強火で燃やしてしまうのだ。こういう状況を見ていると、人間の魂、身体というものをいやでも考えさせられる。


b0090333_1538060.jpg 18年しかこの世にいられなかった彼女の最期を送り、バラタ爺さんの奥さんのお棺に戻ったら、もうすっかり燃えきっていた。墓場に30体ちかくあった牛のお棺はすべて灰になり、その灰を集めた遺族たちが、その灰を海へ流すべき、次なる儀礼の準備に入っていた。


b0090333_15394421.jpg そろそろ帰宅の時間、と墓場を去ろうとしたところで、
「ミドリ!」
と呼び止める人が。見ればバラタ爺さん。
 12人の子供をもち、孫は30人、ひ孫は50人ちかいというバラタ爺さんは気丈に振舞っていたけれど、長年つれそった奥さんの死はきっとつらいに違いない。随分耳の遠くなった爺ちゃんの昔話につきあってから、わたしは墓場を後にした。
by midoriart | 2009-09-08 15:17 | Bali
 バリ入りした8月31日から、ずっとウブドは雨が続いている。振り返れば20年近く作品を発表してきたけれど、個展で雨に降られるのは今回が初めてのような・・・。バリの家族の敷地内にある家族祠にも、日本の父の仏壇にも雨が降らないようにお願いしたけれど、朝からしとしと降る雨はすっきりあがることなく、オープニングの午後6時半を迎えた。


b0090333_16351825.jpg そうそう、その前に今日のサプライズ。開会前に最終で作品のチェックに出かけたとき、ギャラリーの前になにやら大きな花輪が立っている。インドネシアでは銀行のオープンとか、でかい商業画廊のオープニングにはたくさんの花輪が立つのだけれど、今まで私がこっちで個展をして、個人的に花をいただいたことはなかった。
「え?誰から?」
と思ってみれば、なんとデワ・ブジャナ! 少し前の記事にあるがデワ・ブジャナというのはインドネシアでも有数のバリ人ギタリストであり、活動15年のベテランバンドGIGIのギタリストとしても有名。彼と奥さんの連名でこの花輪が送られてきたのだった。素直に驚き、素直に嬉しい・・・。


b0090333_1636287.jpg 今回、バリ展の招待状兼ポスターには、バリで10数年来の付き合いになるフランス人の美術評論家、ジョン・クート氏に作品解説を書いてもらった。彼は私が一番最初にバリで展覧会をしたときにもテキストを書いてくれた、いわば私のインドネシア美術活動で一番古い友であり、私の作品の推移をすべて理解している人でもある。
 仰々しい開会式が嫌いな私は、ギャラリーオーナーのトニーさんに話して、こんな雨の中で足を運んでくださる方たちを待たせずに、来た人から展示室に入ってもらいたいことを伝え、しきたりぶった挨拶はなしにしたところにジョン・クート氏が来場。
「いや、ミドリの作品については、私から説明を入れたい」
との彼の希望で、ある程度の人数が展示室に集まったところで簡単な作品紹介と作家挨拶となった。


b0090333_1637278.jpg 昨日からバリを馬鹿にしたようなことばかり書いてて失礼ではあるけれど、インドネシアの中では片田舎にある地で、確かにこうした作品を理解してもらうのは難しい。ジャカルタやバンドンであったような反応はまったく期待してなかった。
 のだけれど。
 驚いたことに、来る人来る人が真剣に私の書いたテキストを読み、じっくりと作品を鑑賞してくれる。質問が出たりもする。こんな嬉しい事はない。


b0090333_16373637.jpg これがフィリピン編。1000人のフィリピン人と、私の1000個の陶作品を交換してもらったプロジェクト。


b0090333_1639243.jpg こちらはバリ編。私にとっては本当に第二の故郷と言えるバリ島で、100人のお爺ちゃん、お婆ちゃんと話し、作品を交換してもらったプロジェクト。これをバリで見せたいという思いから、今回の巡回展のアイデアが出たのだった。
 

b0090333_16392955.jpg 会場奥から入り口側を眺める。
 右手の壁に見えるのは東ジャワのブリタル編。


 今回バリで開催してみて気づいたのは、来場者がとても国際的なこと。それはバリ、それもウブドに近いという土地柄もあるし、トニーラカ・ギャラリーのリンクが外に向いていることもあるだろう。バリ在住の日本の友達がそれぞれに知り合いを誘って来場してくれたのも嬉しかった。
 友人の中にはバリ人と結婚し、バリと日本の血をもった子供がいる人もたくさんいる。今日はそんな子供が、自分の母の国の歴史を知り、興味深く1点1点を見てくれたことも印象的だった。またアメリカ人アーティストがコンセプトに感動してくれたり、見ず知らずの白人の老婆が本当にゆっくりと会場を見て回ってくれた姿もあった。

 あるインドネシア在住の日本人の知人が、来場者の対応で忙しい私のもとに来て、小さな声で言った。
「ミドリさん、この雨の中でね、一人だけ笑ってる人がいるよ」
「え?」
「ミドリさんのお爺様だよ、ここに写真のある・・・」
 そう、この交換プロジェクトはもともとお爺ちゃん子で、お爺ちゃんから昔の話を聞くことが大好きだった私が、身体に流れているお爺ちゃんの血を喜ばせるために、その昔は敵だった人の国で作品を交換するというプロジェクトを始めたもの。常に会場には軍服を着たお爺ちゃんの写真も展示している。展示で気が張っていて無事開会してほっとしているところに、お爺ちゃんが天国から笑って見ていてくれる姿が浮かんだら、突然涙が出てきて焦った。Mさん、化粧が剥げちゃうから泣かせるようなこと言わないでくださいよ~

 お爺ちゃん、4年かけて作ってきたものをたくさんの人に見てもらってます。
 見守ってくれて本当にありがとう。
by midoriart | 2009-09-03 16:33 | Art