Culture & Art Report from INDONESIA


by midoriart

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 今年4月からジャカルタ、バンドンを回った私の交換プロジェクト『Memory of ASIA ~お爺ちゃんたちの時代~』展が、インドネシアの最後の会場、バリのTONYRAKA ART GALLERYで始まる。
4日前にバリへ入り、作品のセッティングを始める予定にしていた。

b0090333_1621374.jpg 初日ギャラリーに行くと、まだ前の展覧会の作品を片付けているところだった。今までにこの会場は見ているけど、こうして作品がまったくない状態で見ると、相当に広い。およそ10x20メートルで、天井がとっても高い。後で知ったことだけど、ここはかつてバドミントン競技場として使われていたらしい。たしかに、よく見たら床にコートの跡っぽいラインが見える。


b0090333_163921.jpg バリといったら日本では有名だけど、インドネシアにいてバリというと実はただの田舎。というかインドネシア人にとってもバリってのは日常ではない楽園、リゾート地だから日本でいう沖縄のようなものかもしれない。
 現代美術に限って言えば、申し訳ないけれどまだまだ全然遅れている。私がバリに住んで最初に開いた展覧会では、インスタレーション作品の中にタバコの吸殻を入れられたことがあり、美術を見るマナーも何もあったもんじゃないことを痛感したものだった。だから今回のトニーラカ・ギャラリーは、実は私が一番恐れていた会場でもある。


b0090333_1635764.jpg 当然、ギャラリー側のスタッフに対しても期待はしていなかった。ジャカルタやバンドンで、大きな国際展を経験したきたような技術スタッフならまだしも、バリの田舎で基本的には絵画作品を壁に掛ける仕事しか知らないスタッフでは、私の作品設置はきっと理解ができないだろうと思っていた。
 ところが!トニーラカにいた二人の青年スタッフは、こっちのいうことをササッと理解し、手も早い。仕事も正確で丁寧ときたから本当に驚いた。バリ人にはまた失礼かもしれないが、思わず彼らの出身を聞いたくらいだ。一人は母親がスマトラ島出身ではあるにしろ、彼自身はバリ生まれのバリ育ち。もう一人は生粋のバリ人。さらに島外で仕事した経験もないという。なのにこの仕事!これは本当に驚きだった。


b0090333_1643545.jpg これが若くして有望なスタッフ、二人のコマン君。作品の大きさがバラバラだから、その中心を出して、センター合わせで横一列に並べていくという厄介な指示も、ちゃんと丁寧に迅速にこなす。


b0090333_165973.jpg オープニング2日前の夜。
 おおまかな壁面への作品設置が終わり、床に交換物を並べる段階になると、もう誰の手も借りられない。私一人でコツコツと500個以上の交換物を8x8センチの座布団に並べていく。本来は午後5時までの勤務なのに、8時を回ってもじっと私の横にいる一人のコマンに、
「ここからは一人でやってくしかないから、ほっといてくれていいよ」
と声をかけたら
「いえ、僕がアーティストのディスプレイに関してすべて責任をもっているので、最後まで付き添いますから。何かできることがあったら言って下さい」
ときた!
 バリで苦労したことのない人には、何をそんなことで感動してるんだ?と思われるだろうけれど、長くバリに暮らしてる人には、これがいかに貴重な存在であるか、おわかりいただけると思う。


b0090333_1654375.jpg 前日になって、一番気になっていた木枠が完成、私が撮影した100人のバリ人の顔写真をビニールシートに出力したものをその木枠に張り、メインの作品が完成。この大きな木枠7枚も、コマンはさっさとサイズを確認し、美しく会場のコーナーに取り付けてくれた。本当に手際がいい。要領よく動く人間の動きってのは見ててキレイだから、今回のセッティング3日間は本当に気持ちよく仕事ができた。


b0090333_166189.jpg 9月3日、明日のオープニングを前に、ようやく全体が完成。ドキュメンタリービデオを流す台も、機材も揃えてもらった。
今バリは火葬と婚礼シーズン。トニーラカ・ギャラリーのオーナー夫婦は、バリのカースト制でも上の階級で、お金も教養もあるという、バリではあまり数多くない層の人たち。でもそれをひけらかすでもなく、ちゃんと町内の奉仕活動にも参加している。町内の婚礼準備を1日手伝っていた夫妻が、帰宅の足でギャラリーに寄ってくれた。
「ミドリ!こういうのがやれて本当によかったよ。ずっと絵画作品ばかり見せてきて、ちょっと飽き飽きしていたんだよ」
とトニーさん。そして奥さんのラティは作品をじっくり見た後で
「感動したわ。お爺さんたちの反応に涙が出そうだったわ」
と言ってくれた。

 今回の作品シリーズは、私がどうしても多くの地で多くの人に見て欲しいと思って実現した。彼らのこういう言葉を聞いても、巡回させてよかったなーとつくづく思った。そしてようやく明日9月3日はオープニング。
by midoriart | 2009-08-31 15:59 | Art
 話が前後するが、インドネシア独立記念日8月17日に合わせ、東ジャワのブリタルで開催された展覧会。  
 1945年、当時インドネシアを占領し、インドネシアの青年を「祖国防衛義勇軍」の名の下に集めて日本軍が訓練をしていたブリタルのPETA訓練所で、日本軍に対する反乱がおきた。私は2年前この地を訪れ、PETAの生き残りを探して30人を訪ね、私の作品と彼らの私物を交換してもらうというプロジェクトをした。
 今回はそのときに関わったブリタル市の青年たちからお声がかかり、展覧会が実現した。私の交換プロジェクト「ブリタル編」はすでに日本、ジョグジャ、ジャカルタ、バンドンで展示したことがあるが、実際にプロジェクトを行ったブリタルで展示するのは初めて。


b0090333_16505937.jpg 今回の展覧会はブリタル出身で、私のプロジェクトに同行してからPETAの兵士たちに興味をもち、いまやお爺ちゃんとなった彼らを追って撮影してきたカメラマンとの2人展という形。私は会場で一番空間の作りやすいコーナーをとって作品をディスプレィした。


b0090333_16523147.jpg 聞けば、私が生き残りを訪ねた2年前から今までに、すでに他界された方も多くいるという。日本でもそうだけれど、第二次世界大戦の体験者から生の声が聞けるのは、本当に本当にあと数年のうちだけだろう。


b0090333_16535716.jpg 同じ作品を数箇所で展示してきたけれど、毎回会場の空気が違うから、セッティングにはそれなりに時間がかかる。でもそれがまたおもしろかったりもする。


b0090333_16545484.jpg インドネシア国民にとって、8月17日の独立記念日はかなり大事らしい。17日当日は「国民の休日」で、ここブリタルでも朝からアルンアルンという市の中心にある広場で大々的な式典が行われる。だからこの「紅白展」のオープニングは前日16日の夜。
 PETAのお爺ちゃん二人も招待され、わざわざ来てくれたのが一番嬉しかった。ナショナリズムいっぱいの詩の朗読、インドネシアの歌などをみんなで歌う間、私の作品の一部であるドキュメントビデオも上映。PETAのお爺ちゃんたちにとっては、詩の朗読よりも自分が大きくスクリーンに映ることのほうが興味があるようだった。


b0090333_16582538.jpg お疲れて帰宅を希望したPETA兵士の一人タキリンさんと記念撮影。彼は2年前、当時の記憶を鮮明に話してくれて、私の作品とはライターを交換してくれた。今回会って挨拶しても
「ふぉ~・・・それで、あんたは誰だっけね・・・」
って感じだったんだけど、ドキュメントビデオを見てるうちに思い出してくれた。

 もともとは、過去のインドネシアの英雄たち、独立のために戦ったおじいちゃん世代の人たちの話を聞けるようにこの展覧会を開き、ブリタルの若者たちに来てもらいたいって趣旨だったので、喜んで展覧会に参加したんだけど、主催者の段取りの悪さが目だって、今ひとつそうした目標まで達してなかった感が強し。まー、それでも私としてはなかなか再会できなかっただろうPETAのお爺ちゃん2人とまた会えただけでも、6時間電車に揺られてブリタルに来たかいがあった。
by midoriart | 2009-08-29 17:02 | Indonesia
 インドネシア近代絵画の父といえばアファンディ。ジョグジャには彼が亡くなるまでスタジオとして使っていた家がそのまま美術館となって今も国内外の来客を迎えている。感情を剥き出しに、激しいタッチで描かれた彼の作品は、今でもオークションで高値がつけられ、過去には福岡のアジア美術館でもインドネシア・アーティストとしては初の個展も開催された(もちろん、そのときには残念ながらすでに本人は他界していたけれど)。
 彼が溺愛した娘のカルティカ・アファンディも父の血を受け継いで絵描きになった。父の影響で若い時期から日本を含めた海外での経験も多い彼女はインドネシアでは珍しいセンスの持ち主。70歳を過ぎた今もエネルギッシュに制作を続けている。

 彼女のことはインドネシアに来て当然知っていたけれど、彼女が私を知ることになったのは2004年のこと。ジョグジャの国立アートセンターで開催された女性アーティストばかりの展覧会で、彼女も私も招待されて出品していた。そのときの私の作品を彼女がいたく気に入ってくれて、家に呼ばれたとき、作品を購入したいと言われたのだった。
「もうすぐ私のミュージアムを作るのよ。その中に私がコレクションした女性アーティストの作品も展示したいの。これをそこに置きたいのよ」
 世の中いろんなアーティストがいるだろう。最近のインドネシアでは老いも若きもアートバブルに乗って「売れてなんぼ」が主流になっている。もちろん作品で食べていけるのはいいことだろうけれど、私は自分の手から生まれたものがずっとインドネシアに残って、多くの人の目に触れるということがとても魅力的だった。


b0090333_2221939.jpg とまれ、2004年にすでに買っていただいた私の作品は、ミュージアムが出来上がるまで保管しろとのカルティカからのご用命で、5年もの間私のスタジオに眠っていた。これがこのたびようやく彼女の元で作品として展示室にセッティングされることになったのだ。
(※写真はカルティカの作品展示室)
 

b0090333_21593869.jpg ジョグジャ北部カリウランに作った彼女の私設ミュージアムはまだ七割ほどの出来。それでも彼女のセンスがそのまま実現された空間だった。6000平方メートルの敷地に5つの建物があり、その一つが私の作品を含む彼女のコレクション作品展示室になるとのこと。最初に行き当たるのがこの部屋で、お花のハットをかぶった彼女は相変わらず元気に大工に指示をしている。


b0090333_220444.jpg 正直言って彼女の作品は多大に父の影響を受けている。一つ大きく違うのは、彼女は人間の性器をはっきりとモチーフとして使うことだ。私は彼女の作品タイプを時代順に把握するほどには詳しくないが、私が知り合ってからというもの、チンチン関係の作品をやたら目にする。今日見せてもらった彼女の作品展示室にも、立体のチンチン作品がたくさん並んでいた。
 なんたって今は父のもってるアファンディ・ミュージアムに700点の作品が置いてあるらしい。それをここで全部展示するなんて不可能で、入れ替えをしたり、企画展をしたり、なにしろこれだけの敷地と設備なので、ちゃんと全部をコントロールできる専門職の人を入れる必要もあるとのことだった。
(※絡み合うコミカルなチンチンの先っちょは鶏だったり犬だったりする)


b0090333_2204139.jpg そして久々に自分の作品の梱包をとく。5年ぶりに人目にさらされるんだなー、これ。はいいけど、作品と展示室の素材、色みがあまりに同じで、これ一体いいことなのか、悪いことなのか???
今日は久しぶりにカルティカ(私は彼女をマミーと呼んでいる)に会って、お話しすることが山ほどあったので、セッティングは半分にして、食事したり彼女の今後のプランを聞いたりで時間が過ぎた。


b0090333_2211213.jpg なんたってこのスタイルなんだから。インドネシアの70歳過ぎでこんな人はそんなにいない。女優かカルティカかってくらいじゃないだろうか。彼女に会うたび思うけど、こんな制作意欲の尽きない、それでいてソフトででしゃばらない、可愛いおばあちゃんになれたらいいな~~~。


b0090333_2213621.jpg 展示室に入る予定の他の作品がまだないこともあって、空間の全体を見てからしかセッティングできない私の作品はそれぞれのポジションを決定できず、今日はここまで。他の作品が入って一段落した頃に再度お邪魔して最終仕上げをすることにした。カルティカ・ミュージアムの正式なオープニングは今日のマミーの話では来年になっちゃうだろうとのこと。でも11月26日のマミーの77回目の誕生日には、みんなを呼んでここで宴らしい。作品が皆さんの目に触れるのはその時になりそうだ。
(※女性アーティストのコレクション展示室)
by midoriart | 2009-08-24 21:57 | Art
 15日午前2時の夜行電車Gajayanaに乗り、東ジャワのブリタルに到着したのは午前7時半。仮眠をとってから作品設置を開始。今回インドネシア共和国独立記念日8月17日に合わせて開催される展覧会の会場は、スカルノ初代大統領の墓地と記念ミュージアムがある場所。この記念ミュージアム内にある展示館1が私の作品展示場所。17日の独立記念日まで3連休になるため、この駐車場では様々なイベントが準備されているようだ。
 動きの早いスタッフのおかげで思っていたより順調に作品設置が終わったので、そのまま駐車場で繰り広げられるいろんなイベントを見て回ることにした。中でも一番おもしろかったのが「ニ・ディウッ」、こっくりさんの東ジャワ・バージョン。


 b0090333_18462388.jpgインドネシアで有名なのは「ジェランクン」といって、ホラー映画にもなっている。椰子でつくった柄杓を人に見立て、そこに霊を呼ぶという、まさにコックリさん。ちゃんとお返ししないと後で祟られるあたりも日本と似ている。今晩の出し物「ニ・ディウッ」は頭が椰子の実、脳みそに当たる部分はミリの実、そして半身は竹篭。ジャンブー(グアバ)の葉を炭で焚き、この中に霊を入れる。


 b0090333_18465574.jpg東ジャワでは「ニ・ディウッ」を支えることができるのは初潮前の娘だけらしい。降霊の間、3人の娘がそれを待つ。


b0090333_18471666.jpg すべてを仕切って歌を歌っているのはおばあちゃん。このおばあちゃんにはいつ霊が入ったかがわかるらしい。3人の娘に支えられたニ・ディウッは、おばあちゃんに化粧もしてもらう。


b0090333_18473896.jpg この間、ずっとおばあちゃん集団の歌が続く。それにリズムをつけるのは男衆。女性の霊であるニ・ディウッを誘えるのは男ということらしい。怖いよりはコミカルにみえるニ・ディウッの顔に比べ、私がぞっとしたのはこっち。青年のもっていた音鳴らしの木に白く描かれた人の顔。かなり怖い。


b0090333_18475815.jpg そしてやっぱりおばあちゃんには、いつニ・ディウッが動きたいのか、タイミングもわかるらしく、
「はい、立っていいわよ」
みたいに指示をする。そして娘が立ち上がると、あれよあれよとニ・ディウッが上下して、娘はそれに必死でついていく感じで走り出す。


b0090333_1848165.jpg 娘は何人も待機していて、疲れた子がいるとさっと走っていって、ニ・ディウッを支えるのを交代するようになっている。もっとみんな怖がってるのかと思いきや、意外にも楽しそう。楽しく運動しました的な感じ。


 う~ん、感想はというと、まぁまぁ。こうしたものはバリ生活が長かっただけに、山ほど見て来た。バリの場合、降霊やら交霊やら、トランスやら狐憑き系のものは日々の暮らしの中にあるくらいだから、そのスゴさと比較したら、申し訳ないけれど今晩のはフツー。
 後から関係者に話を聞くと、昔これは女の子たちの遊びだったらしい。だから呪術的ってよりは、コックリさんのライトソフト系(?)。霊もそんなにいたずらだったり怖いものではなくて、みんなで踊って遊びましょうみたいなものがルーツだそうだ。ホラー映画になったジェランクンのように、いったん呼んだ霊は、ちゃんとした呪文にのっとって返さないと、後から「えらい」事になっちゃう・・・ってような怖さはないらしい。だから私からすれば「まぁまぁ」ってことになっちゃうわけで・・・。


 までも、バリを離れて久しい私にとっては、久しぶりにちょこっとおもしろい出し物が見れた。その後同じ会場で、郷土のお菓子展もしっかりチェックしたことは言うまでもない。
by midoriart | 2009-08-15 18:42 | Indonesia
 ときどき話題に出るインドネシアの大御所バンド、GIGI。私はバリに住み始めた時から、彼らの、特にボーカル、アルマンのファン。長年ファンをやってきたかいあって、今年春にひょんな偶然からメンバーと会うことになり、その後、メンバー内唯一のバリ人、ギタリストのデワ・ブジャナからギターに絵を描くように依頼されたりもあって、ボーカルのアルマン、ギタリストのブジャナとは仲良くさせてもらっている。
 先日、アルマンから突然電話があった。
「ミドリ、俺たち今度ジョグジャで演るから!」

 彼らと仲良くなってから、私のシマ、ジョグジャでライブをやるのは初めて。それも場所を聞いたらなんとアルンアルン・ウタラ、つまり北の王宮広場で、私んちからは歩ける位置。13日は朝からわくわくそわそわ、ほぼ仕事は手につかない状態で彼らが来るのを待った。夜からのライブに、夕方ジョグジャへ来るGIGI、ともかく彼らのスケジュールは過密。一緒に夕飯食べる約束も、結局はフライトの遅れから叶わず。

 b0090333_12125051.jpgライブ会場に着いたアルマンから電話もらったのはもう午後10時を回っていた。楽屋でちょっと話したらすぐに出番。今回は初めてステージ袖からライブを見せてもらった。

 14曲を演じ終えた彼らは、さっとステージを降りる。私も一緒について下へ降りたらそこにはすでにお迎えの車がスタンバイ。周囲にはどんどんファンが近づいてくる。
「ミドリ、一緒に行くか?歩いてここまで来たんだろ?」
 もちろん!とばかりにGIGIのメンバー4人とマネージャーが乗った車に便乗、広い会場を出るときには、まるでこの前捕まった酒井法子の気分だった。わ~~~っと覗き込んでくるファンたちの塊をよけてよけて車は進む。スーパースターや犯罪者ってのは、こんな感じで車に乗ってるんだな~~~としみじみ。


 
b0090333_12172853.jpg GIGIともなれば、ジョグジャで最高級ホテル、そこでメンバー4人と歓談。きっとわざわざ見に行った私へのサービスなんだろう。本当なら疲れてるだろうに、食べ物やフルーツまで用意してくれた。これがボーカルのアルマン。私の15年来の憧れ。ステージで飛び跳ねたあとなのに、まだこの笑顔。


b0090333_18221358.jpg GIGIとの3ヶ月ぶりの再会に興奮冷めやらぬまま、私は東ジャワ行きの準備。日本で15日の終戦記念日が終わると、次にくるのは17日、インドネシア共和国の独立記念日。この日に合わせて開かれる独立戦争の英雄記念式典の中で、私の作品が展示されることになったのだ。行く先は東ジャワブリタール。ジョグジャを午前2時に発ったGajayana特急は午前7時半にブリタール到着。


b0090333_18232678.jpg ブリタルはインドネシアの初代大統領スカルノの生家、墓地、記念館がある。その敷地内にある展示室が今回の展覧会場。


b0090333_18243427.jpg 敷地内に立つ土産物屋には、いろんなデザインのスカルノTシャツ。スカルノ初代大統領はなかなかハンサムだから、Tシャツも絵になる。こんなの日本で麻生Tシャツとかあっても、誰も着ないよな・・・。
 少し休んで、早めに作品設置に入る。展示の様子は明日へ続く~~~
by midoriart | 2009-08-14 12:00 | Indonesia