Culture & Art Report from INDONESIA


by midoriart

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 インドネシア3都市を巡る私の個展はジャカルタ会場(4月2日~20日)の次に西ジャワのバンドンへ回る。ジャカルタ会場の撤収に行く前に、次の会場での打ち合わせのため、ジョグジャから夜行電車でバンドンへ。
 バンドンの会場は北部ダゴからもっと上に登った丘にあるスラサール・スナルヨ・アート・スペース。バンドン在住の彫刻家スナルヨ氏の個人ミュージアムとして10年前にオープンしたものが、最近では他のアーティストにも開かれたミュージアムになっている。組織もしっかりしていて、ここで開催される展覧会はすべてキュレーターチームが内容を検討してスケジュール割をしている。
 
 今日は一日このミュージアム内にあるバンブーハウスに泊めてもらうことになっていたので、午前7時にバンドンの駅に着くなり直行してまずはバンブーハウスで仮眠をとることにした。

b0090333_23525844.jpg これがスラサール・スナルヨ内にあるバンブーハウス。バンドンはオランダ植民地に、オランダ人が好んで休暇を楽しんだという避暑地。避暑っていうか、寒がりの私にとっては、かなり寒い場所といえる。ましてやスラサールはもともと涼しいバンドンの丘の上にあるから、夜はかなり冷える。


 バンブーハウスは味があって周囲は緑に囲まれて、まるで昔私が住んでたバリの一軒家を思い出すんだけど、なんたって気候が違う。夜行電車の疲れをとるため水浴びをするのはいいけど、ほとんど修行僧。冷水での水浴びは老体にはこたえる。

b0090333_23532129.jpg でも寒ささえ我慢できれば、なっかなかの住み心地。5月8日の展覧会オープニング前には、作品設置に4~5日とっているので、その間はずっとここに滞在することになる。10数年浮き草のような暮らしをしている私の長所といえば、どんなスペースでも1日あれば自分の空間にしてしまって快適に暮らせること。今回も一泊しただけなのに、もう自分ち気分でリラックスできた。

b0090333_23534862.jpg そして展覧会場はといえば、スラサール・スナルヨは本当に広い。メインの展示スペースの他に、その上に新たに作った展示スペース、そしてカフェの横に小さな空間がひとつ、その横には細かく仕切られた長方形のスペースもある。


b0090333_23542056.jpg 今回私が使うのはその中のギャラリーBと呼ばれる部分。大きく分けて10x8m、5x4m、9x7mの3つの展示室がある。これ全部私が使うことになる。今やってるジャカルタの国際交流基金ホールの2倍以上の広さ。
 形が形なだけに、展示のレイアウトがなかなか決まらず、結局朝から晩まで一日中、頭の中で自分の作品を置いた場合を想定してスペースをぐるぐる回るだけになった。

b0090333_23543848.jpg これがギャラリーBを出たところにあるカフェ・スラサール。洒落ててメニューも美味しいから、バンドンの若者たちにも人気のスポット。今日は日曜だから、美術に興味のない若者も、このカフェに集まってきている。いやぁ~、こういう場所を見るにつけ、ジョグジャってのがいかに田舎モンの街かがわかる。
 ここはさらにホットスポットにもなってるから(っても有料)ネットもできて便利。今度作品設置にきたら、毎日メニューを順番に試していけるな…。


 ここはスタッフも多く、展覧会もコンスタントにあるから、皆さん手馴れていて嬉しい。設置の相談ができる技術者もいるし、案内状やポスターのことをお願いできるハウスデザイナーもいるし、打ち合わせがその名のとおり、ちゃんと打ち合わせになってるってことがまず嬉しい。(←この普通に考えたら当たり前のことができないのが、インドネシアの普通といっていい。失礼かもしれないけどホント)
 1日ではあったけど、やっぱりちゃんとスペースを見て、展覧会初日までのことを話し合っておいてよかった。一晩震えながらバンブーハウスで寝たのもよかった、次回長く滞在するときには絶対毛布もってくぞ。

 そして明日はここからアンコッ(乗り合いバス)で長距離バスターミナルまで行き、高速道路で2時間強、ジャカルタへ向かう。20日でジャカルタ会場での個展は終了、作品撤収です~。
by midoriart | 2009-04-19 23:49 | Bandung
 ジャカルタとバンドンでの個展の合間に、日本からインドネシア現代美術の調査に来たSさんの同行通訳の仕事が入った。だいたい昔っから、日本の美術関係者が気にするのは首都ジャカルタ、そこから近いバンドン、アーティストの坩堝ジョグジャカルタの3都市。余裕があるとこれにバリがプラスされるのが定番。
 でも今回はちょっとハズレのジャティワンギがリストアップされているのが興味深かった。私自身、個展の準備に時間が必要で、調査にはあまり関われなかったので、今回は西ジャワのジャティワンギへの一泊二日、ジョグジャ市内でのアーティストへのインタビューの遂次通訳、これだけを引受ける事にした。

 ジャティワンギ。インドネシアでもそれほど知られた場所ではない。西ジャワ、バンドンとチルボンの間にある小さな町で、知ってる人は「瓦屋の町」として知っている。今回こんな僻地の、それも車で10時間もかかるような場所になんでついていったかというと、Sさんが見て、話を聞きたいというジャティワンギ・アート・ファクトリーの主宰が、私の古くからの友人だったからだ。
 もともとバンドンで演劇専攻で、でも美術学部の学生と仲が良くて、昔はバンドンでアートスペースの企画もやっていた。私はその時代からのつきあい。その彼が故郷ジャティワンギに戻り、絵描きの奥さんや土地の仲間と一緒になにやらイベントをやってるぞってことは本人から聞いていたけれど、じゃ行くか…という距離ではなく、ずっと行けないままだったのだ。


b0090333_19533552.jpg  そして今回のチャンスがやってきた。朝ジョグジャを出たって、向こうに着くのは午後8時。それでもジャティワンギ・アート・ファクトリー(以後JaF)のアリフは他の仲間たちと一緒に我々を待っててくれた。これがJaFのスペース。普段は妻が絵を描いていたり、音楽の仲間が瓦琴、瓦パーカッションなどを創作して練習してたり、この村の職人さんが瓦の土で立体作品を作ったり…となんでもありな空間。

b0090333_19545100.jpg  この日は長旅で疲れたのもあり、さらっと1時間ほどインタビューをして寝る。


b0090333_19544170.jpg  翌日明るいところで見たら、アリフの実家の瓦工場はかなりでかかった。
「お洒落な瓦の積み方してるんだねぇ~~~」
と関心していたら、実はこれ、先日9日にあった総選挙の時に、投票場として使われた名残。この隙間隙間に投票者が入り込んでいたわけね、なるほど…
 

b0090333_1955459.jpg  これがJaF主宰、旧友アリフユディ。昔はテキトーにやってる兄ちゃんって感じだったのに、実はやる人だったのね…、弟が村長に選ばれたこともあり、美術と一般大衆がとっても近く結びついてる。日本でもいいサンプルとして学ぶものが多いコミュニティだぞ、これは。


b0090333_19552387.jpg  昨日の夜に聞き逃したことをSさんがまたインタビュー。その横でやたら子供の声がうるさいな~と思ったら、嫁さんが近所の母子を集めてプレーグループ(幼稚園のようなもの)の真っ最中。インタビューを終えた我々に、日本語の単語を少し教えてほしいと言われ、コンニチワ、サヨウナラ、アリガトウを教える。お母さん方がちゃんとメモってて微笑ましい。


 また10時間の道のりが待っているからあまりゆっくりはできない。久しぶりにアリフに会ったのに、もったいないなぁ~~~と名残惜しくも車に乗る。そうそう5~6年前、まだ彼がJaFを作る前にここに来たとき、名産のナシ・ティンブルを食べてとっても美味しかったことを覚えていて、今回も何がなんでも食べなければ!と思っていた。

b0090333_1955359.jpg  岐路を急ぐ運転手に何度も何度も
「昼はナシ・ティンブル食べるから、お店探してくださいね~」
としつこくねだり、田舎にしてはかなり小奇麗な食堂で、かなり小奇麗バージョンのナシ・ティンブルにありつけた。おかずが取り立てて変わってるわけではなく、こうしてご飯が葉っぱに包まれてるんだけど。でも最初に食べた時は美味しかった。
 今回のは小奇麗すぎて、ローカル感に欠けたけど、でも味はよかった。Sさんも満足の様子でよかったよかった。


 もったいないな~、もっとのんびりしたいわ、この村。ジョグジャからだと遠いけど、バンドンからだったらチルボン方面のバスで3時間。今度は村の土使って何かしに行きたいなぁ。アリフ、待っててね~。
by midoriart | 2009-04-13 23:51 | Bandung
b0090333_19412615.jpg 2006年にフィリピンで始めた作品の交換プロジェクト、フィリピンではマニラ、バギオ、キブガンで合計1000人のフィリピン人と1000体の作品を交換した。最後100体はキブガンというバギオからさらに北に入った田舎に出向き、自ら作品を背負って交換してくれる人を探した。この様子は、私のプランに興味をもってくれたフィリピンのドキュメンタリー映画界重鎮、キドラット・タヒミック(現在越後妻有で制作中)によって撮影もされた。


b0090333_19415765.jpg その後、インドネシアに戻ってからは、日本と関わりのあった場所を探し、見つけたのが第2次世界大戦中、唯一日本軍に氾濫を起したPETA(Pembela Tanah Air=祖国防衛義勇軍)の部隊があったブリタルだった。1945年2月14日の「ブリタルの反乱」はこの後のインドネシア独立を奮起したとして、インドネシア史でも重要な扱いを受けている。私はここに住んでいるPETA元兵士を一人一人訪問して作品を交換してもらった。
(オープニング会場入り口で国際交流基金スタッフと)

 私の大好きだった竹次郎爺ちゃんと同じ世代の人たち、同じ時代を生きた人たちに会って、話をし、作品を交換する。これは私の中に流れる爺ちゃんの血を喜ばせる作業だと私は思っている。あの時代には戦うことしかできなかった人たちと、今の時代になって私は笑って話すことができる。


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 ブリタルでの交換プロジェクトを終え、次に始めたのはバリだった。ここには日本軍とバリ人との歴史的物語が残っているわけではないが、私が10年暮らした島でもあり、自分が暮らしてきた村周辺で、当時のバリの人がどんな日本を目の当たりにしたのかを知りたくて始めた。
 現在までに64人の爺ちゃん、婆ちゃんと交換が終わった。今回ジャカルタ会場ではこのすべてを展示している。けれど広い会場に並べてみると、64個って意外に少ない。まだまだ足りない。次回バンドン会場での展示までに、またバリへ戻ってプロジェクトを続けようと思っている。


b0090333_19461878.jpg そして日本での交換。こっちは一時帰国の際に少しやっただけなので、まだ22人。ひとつのプロジェクトの成果として見せるにはまだまだ足りないのだけれど、今回は会場がジャカルタの国際交流基金ホールだったので、やはり日本のものも見せておきたいと思って展示してみた。おそらくインドネシア巡回展の中でも、日本編を展示するのは今回だけだろう。


b0090333_19453979.jpg 会場に入るとまず私と竹次郎爺ちゃんの関係について、そしてなぜ私がこうしたプロジェクトを始めたのかの説明、そしてフィリピン編へと続く。


b0090333_19472765.jpg 次にブリタル編、PETA元兵士と交換した品々は私が作った箱に1点ずつ収めて展示している。


b0090333_19464227.jpg その次にバリ編。バリのお年寄りは写真を見てても味がある。たらんと垂らした乳がお茶目な婆ちゃんもいる。ジャカルタはとりあえずイスラム圏なので、ポルノ表現には厳しい。最初は本気でちょっと心配だったけれど、さすがにこれで怒る人はいなかったのでホッとした。


 この展示は国際交流基金ジャカルタ事務所ホールにて4月20日まで開かれている。
Memory of Asia ~Midori Hirota Exchange Project~
At HALL OF THE JAPAN FOUNDATION JAKARTA
Summitmas I Lt.2 Jl.Jend. Sudirman Kav 61-62 Jakarta Selatan
10:00 – 18:00 (土日、選挙の日は休廊)

by midoriart | 2009-04-02 23:37 | Art