Culture & Art Report from INDONESIA


by midoriart

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 ジョグジャの街から南に20キロほど下るとパランテトゥリティス海岸に出る。この「Parangtritis」はジョグジャの若者からは略して「PARIS」と呼ばれている。ジョグジャに移って早7年近いのに、私はこのPARIS海岸に行ったことがない。正確に言えば、海を見たことはあるけれど、浜辺に降りて歩いたりしたことは一度もない。なぜかといえば、どう見てもキレイじゃないことと、バリの海岸のように、水着でワイワイできない、いかにもイスラム圏の海岸なので、なんか開放感がないからだ。
 
 今回初めてこのPARIS海岸へ足を着けることになった。今日のPARIS海岸行きのお相手は、日本人のお爺ちゃんをもつインドネシアとのクォーター、HASHIMOTO君。彼とは『KITA!!』展で知り合い、南風食堂のケータリングのアシスタントとして頑張ってもらった。たくさんの日本人アーティストと濃くて楽しい時間を過ごした後で、一気にみんなが帰国してしまい、一人残されて孤独死するんじゃないかと思っていたとき、この孤老の相手をしてくれたのがMOTO青年だった。

 3日前、5月27日はこのPARIS海岸が震源地で5,000人以上の犠牲者を出した中部ジャワ沖地震から2年目に当たる。その3日後にこの海岸へ行くことになったのも何かの縁か。せっかくなので、海岸へ行く前に、2年前の被災地救援活動で最初に建てたKODOMOプロジェクトのバンブー幼稚園(2年前の記事参照)を見に行った。

b0090333_2294633.jpg 第1バンブー幼稚園は今もちゃんと村の人たちに守られて運営されていた。村長さんちにも久しぶりに挨拶。あれからもう2年経ったとは・・・。今回出合ったMOTOも激災地バントゥールの出身、私が救援活動でこの地を訪れていたとき、この日本人の血をひく青年も同じ地で多くの親類縁者を亡くしていたとは、これも縁か・・・


b0090333_230339.jpg そして初めてのPARIS、パラントゥリティス海岸。
 正直言ってキレイではけしてない。水着を着てる人は一人もおらず、女子は洋服のまんまでご入水。着替えはどうしてるんだ?MOTOによれば、イスラムの若者たちは人前であまり肌を出せないので、洋服のままで濡れて帰るという。寒さに弱い私にはとてもできる業ではない。


b0090333_2301521.jpg 噂や写真で知ってた海岸馬車。せっかく若者に連れてきてもらったので、ちょっとデート気分を味わうために馬車に乗ってPARIS海岸を往復してみた。本当はサンセットで海岸がオレンジに染まる時間なのに、運悪く曇り空。夕日はまったくお目見えせず。
「ちゃんとサンセットを見るために、必ずジョグジャに戻っておいでよって意味なんだよ」
とMOTOがカワイイ事を言う。
 かなり長い間、海岸近くに寄ってみるなんてこともなかったけれど、今日は波打ち際を歩くなんていう、私にとってはかなり「若者っぽい」ことまでしてみた。そしたらやっぱり海っていいな・・と思ったり。MOTOのいうように、またサンセット見にPARISまで来ようかね。。。


 今日はまだ予定が続いた。ジョグジャにあるフランス大使館の出先機関、LIP主催のHIP HOP公演がジョグジャ市内TAMAN BUDAYA(アートセンター)であったのだ。海岸馬車を降りて速攻で市内まで戻り、MOTOと会場へ出かけた。

b0090333_2303252.jpg さすが肌の黒いメンバーが多い。バレエ、ブレイクダンス、パントマイムなどの要素を取り入れて、7名のダンサーがストーリー性のある舞踊(と呼んでいいのだろうか)を見せてくれた。私としてはもっとブラックテイストいっぱいのHIP HOPを期待していたので、正直なところ今ひとつではあったけれど、きっと本人たちも私ら素人が描いている「HIP HOP」が何かを知っているようで、ちゃんと最後には一人ずつが期待をまったく裏切らないブレイクな技を披露してくれたから会場総立ち。


 さらにさらに、孤老にやさしいMOTO青年は、ジョグジャを去る私にアチェ料理屋を紹介してくれた。彼は非常に興味深い混血で、母方のお爺ちゃんが日本人、おばあちゃんがソロ、父方の祖父母がアチェとアラブという組み合わせ。だからアチェにも詳しい。私は17年ちかくインドネシアに暮らしていて、初めて本当の「アチェ料理」なるものを食べた。

b0090333_230486.jpg 今思い出しても心が幸せで満ち溢れるほどに、アチェ料理は美味かった。これ、この前日本から来たアーティストたちに紹介できなかったのがかなり悔やまれる。MOTOリコメンドの1品目はナシ・グリ(味付けご飯)とカレ・アヤム・カンプン(地鶏のカレー)。ご飯には私の大好きなムリンジョの実のチップとピーナッツ、モヤシ炒めがついている。絶品。かなり美味い。

b0090333_231916.jpg そして2品目はミー・アチェ・クピティン(カニ入りアチェ麺)。見てもわかるように、昔のスパゲティ並のタマゴ太麺にピリっと辛いスープ。こっちもなかなか。アチェはスマトラとインドに挟まれているため、パダン料理とインド料理の折衷になってるんだな。両方が私の好物なんだから、それがミックスされて美味くないわけがない。もう一つ、興味深い話をするならば、アチェという土地はガンジャの葉っぱをフツーに一般料理の香辛料として使うことで有名。もちろんジョグジャではイリーガルなガンジャを料理に使ってるかどうかは知らないが、だからこそ美味しいと言われてるって事も付け加えておこう。


 実はけっこうイイ感じだったPARISの海岸、まだまだ試さなければならないメニュー豊富なアチェ料理屋、そして孤老想いの心優しい青年MOTO。ジョグジャもまだまだ捨てきれない魅力があるもんだ。
 今回の一時帰国、予定は2ヶ月間の滞在。アチェ料理が恋しくならないか、少々心配ではあるけれど、明日は荷造りして6月2日GARUDAの名古屋直行便再開第1便にて名古屋へ戻る。
by midoriart | 2008-05-30 02:27 | Yogyakarta
 ちょっと話が前後するが、4月18日からインドネシア3都市、ジョグジャでは5会場を使って開催された国際交流基金主催の大型展覧会『KITA!!:Japanese Artists Meet Indonesia』が5月18日で終了した。
 撤去のためにジョグジャを再訪したのは、とんでもない量の小物を集めて展示したSONTONの一人、川西君のみ。後は国際交流基金ジャカルタのスタッフと、私が集めた4名のアシスタント、そしてそれを先導する日本の美術輸送屋さんスペシャリスト2名。


b0090333_22532156.jpg 淺井裕介君の作品は、展示室の壁に直接貼ったマスキングテープの上に黒のサインペンでドローイングをしたもの。このマスキングテープは剥がした後でも作品となる。以前の作品で使ったマスキングをまとめて玉にしたもの(彼は「種」と呼ぶ)に、今回の作品で使ったマスキングテープも貼り付けていくから、種はどんどん大きくなる。
 最初はマスキング剥がしをしてた私も、川西君が一生懸命まるめている種が気になり、途中は役目交代で種を大きくする方も手伝った。
(写真は玉を丸める川西君と基金ジャカルタ事務所のHさん)


b0090333_22533259.jpg マスキングはキレイに剥がすとこんなふうにドローイングそのままが剥がれてくる。写真は壁から剥がした淺井君の鳥のドローイングと種。


b0090333_22534429.jpg 美術輸送のスペシャリストはK1選手かと思うような体格の2人。あっという間にSONTONの細々とした作品パーツが箱に詰められていくからお見事。私はちょうどこの時期に、自分が参加するグループ展の搬入に重なったため、すべてを見ることができなかったのが残念。


b0090333_22535643.jpg 日本在住のヨーロッパ人2人組、生意気の展示室では、窓に直接ドローイングされていたので、それを雑巾ではがす皆さん。基金スタッフから、なんと東京本部から来ている本展のディレクターFさんまでが窓磨き。お疲れ様です~


b0090333_2254882.jpg そして日本へ戻る作品は、コンテナに一つずつ詰め込まれていった。今回の展覧会でメイン会場となったJNM(Jogja Nasional Museum)へ寄贈されることに決まった作品は、
1)淀川テクニックの、ジョグジャのゴミから作ったアロアナと、ドキュメントビデオ
2)生意気の食べられるジャングル(JNM裏に作った201種の植木のガーデン)
3)西尾さんの魚の剥製


b0090333_2254225.jpg そしてそして、淺井君のマスキングのきれいに剥がれた鳥一羽は、作家のOKをもらった後、我が家にやってきた!これ、私の仕事部屋。たくさんある植木たちも、実は今回の展覧会で南風食堂が展示した作品の一部。命あるものなので、すべてそっくりそのまま私がお預かりして大事に育てることになった。淺井君の鳥は、その植木たちの上をゆる~りと飛んでいる。


 準備期間を入れたら2ヵ月半ほど関わってきた『KITA!!』展も本当に本当にこれで終わった。でも、この展覧会のおかげで日本で活躍しているアーティストとたくさん知り合えたことは、なによりも収穫。大型展覧会の裏側を知ることができたのも、今後の自分にとってかなりいい勉強になったと思う
by midoriart | 2008-05-22 22:51 | Art
今年はインドネシア復興100周年。これにちなんでいろいろな行事が開かれる中、ジョグジャカルタ特別州立ジョグジャ・ギャラリーでは『復興100年記念展:SETELAH 20 MEI』が20日から始まった。復興をテーマに作品募集があり、応募作品520作から4名のキュレーターチームにより1次と2次の審査を通過し、会場で展示された作品は67作品だった。


b0090333_1956758.jpg インドネシアの復興100年をテーマに、なぜ日本人の私の作品が入ったかというと、そこは話が少し昔に戻るので昨年愛知県立美術館で開催された私の個展、『交換プロジェクト’07~アジアの記憶~』記事を参照されたし。

b0090333_1956387.jpg 無事に審査を通過して、ようやくインドネシアのお爺ちゃんと交換したプロジェクトを、インドネシアの若者に見せるチャンスを得た。日本で発表したときはフィリピンでのプロジェクトと一緒で、ドキュメントビデオもフィリピン編とインドネシア編2本あったため、インドネシアの交換ドキュメント・ビデオは8分と短かく編集した。けれど今回は日本語字幕をつける必要もなく、東ジャワのブリタルで行ったプロジェクト一つを集中してみせることができる。4本あった60分のミニDVテープをすべてチェックして自分で編集し直した。それでもあまり長くては飽きられるので13分。


そしてようやく20日の開会式となった。私の好きな昔の大統領グスドゥールが公式に展覧会を開けるというので、いつもならダラダラと会場に出向く私がちゃんと時間どおりにギャラリーに向かった。そして人だかりのしている舞台の方へむかうと、ちょうど今展のキュレーターが舞台で挨拶を始めたところだった。
「では今から、今展の優秀賞の発表をしていきたいと思います」
あ、そうか。今回は形としてはコンペだから順番つけたりもしているんだ・・・。
「優秀作品となった5点には、一番、二番という順序はありません。名前と作品タイトルを紹介します」
そういって舞台に呼ばれていく人には、ジャカルタの作家、ソロ、バンドンなどジョグジャじゃないアーティストもいた。意外にも広い範囲から応募があったんだな。この展覧会。。。
「そして今回、すべての展示を終えたところで、どうしても優秀賞を足したいというキュレーターの希望があり、新たに2作品の特別賞を作りました。ではまず一人、ビデオインスタレーションのMIDORI  HIROTA・・・」


b0090333_19571952.jpg まさかインドネシアの復興をテーマにした展覧会で日本人がこうしたものの候補になるとは真剣に想像していなかったので驚いた。ってか、展示を完了させてみないことには、私の作品がどうなるのか、よくわかってなかったんか?キュレーター???

b0090333_19574110.jpg  とまれ、先の5人に混じり表彰されることに。これが私の好きなグスドゥールからだったら、腕でも組んで記念撮影したいところだが、ハードスケジュールのお爺チャマはなんと不参加で、代理の知らない爺さんが来てた。だからこの写真の白髪は元大統領のグスドゥールじゃないで~す。

 インドネシアではこういう美術展の開会式によ~くキャンバスが登場する。日本ならテープカットになるところ、こっちじゃキャンバスに関係作家が絵を描くってのが一般的(最近ではいろいろ新しい開幕の仕方も出てきたけど)。そこで優秀賞5名、特別賞2名の7名が共同で一枚のキャンバスに絵を描くこととなった。

b0090333_19575555.jpg こんなとき、もし絵筆もったことのない彫刻家が選ばれてたらどうしたんだろう?私もここんところあまり筆もって制作したことはなかったけれど、久しぶりに簡単なドローイングをする。今回出品したインスタレーション作品にも使われているヒト型のオブジェと同じ「祈るヒト」を描いた。


 開会式はとんでもない人が集まり、会場は入場制限までした。私はここまでたくさんの人が来て、目の届かないところで交換した繊細な展示品が破損したり消えたりしないかビクビクだったけれど、とりあえず無事だった。インドネシアの若い世代が、戦時中日本軍に抵抗したインドネシアの青年将校たちの歴史と、生の声を真剣に聞いてくれてるのがとても嬉しかった。
by midoriart | 2008-05-20 19:53 | Art
 インドネシア語では「100 tahun Kebangkitan Nasional Indonesia」なる展覧会が5月20日から始まる。今まで何人かに、何から数えて100年を記念してるのか聞いてみたけれど、ちゃんと答えられる人には会ってない。インドネシアの独立から60年ちょっとってことは、その40年前からすでにオランダから独立しよう~!という機運があったということか。
 ともかく、私が昨年暮れから今年にかけて愛知県美術館で発表した「交換プロジェクト」のインドネシア編が、テーマとして合っているということで、今回出品が決まった(日本での内容は『交換プロジェクト’07~アジアの記憶~』参照)。


b0090333_13303756.jpg 5月20日の展覧会オープンには、なんと過去の大統領グスドゥール(日本の新聞ではアブドゥールマン・ワヒッドと呼ばれていた)が来るらしい。歴代の大統領の中で、私が結構好きなオッちゃんなので楽しみ。
 「100 tahun Kebangkitan Nasional Indonesia:SETELAH 20 MEI」はジョグジャカルタ王宮北広場の角にあるジョグジャ・ギャラリーにて5月20日~6月12日まで開催。こんなテーマなので、当然ながら外国人の出品は私だけ。
JOGJA GALLERY
Jl. Pekapalan No.7 Alun-Alun Utara Yogyakarta
Openg 09:00 – 21:00 Closed Monday



b0090333_13314353.jpg それはいいけど、実はこの搬入の時期と、その前に関わっていた日本からの大型展覧会『KITA!!:Japanese Artists Meet Indonesia』展の撤収の時期がぴったり重なってしまった。ちょっと厳しい状態ではあるけれど、今晩から作品を入れてもいいとのことなので、なんとか18日までに展示を完成させたい。


 日本では2つのプロジェクトを一室で見せたけれど、今回は東ジャワ、ブリタールでの交換プロジェクトだけを見せるので展示方法も違う。特にこの国でやったものをここの国の人に見せるので、ドキュメントビデオの編集も変えることにした。今、この編集に手間取っていて泣けてくる・・・。1942年敗戦前の日本軍がインドネシアで作った「祖国防衛義勇軍」の生き残りたちを探して、私の作品と彼らの持っている何かとを交換して歩いた私のドキュメントで、久しぶりに日本人を見て、戦時下の記憶を語ってくれたお爺ちゃんたちを撮ったもの。

b0090333_1331294.jpg 彼らが何を語ったか、これは私としてはぜひともこの国の若い世代の人たちに聞いて欲しい。だから編集をしなおしている。よその国から来た私がおせっかいかもしれないけれど、独立してまだ間もないこの国、その独立を勝ち取る原動力になった当時の人たちの生の声はとっても貴重だと思う。特に私がお爺ちゃん好きだからそう思うのかもしれないけれど。


b0090333_13311826.jpg そして30人の生き残りと交換した「交換物」はこんな箱の中に入れて展示する。お爺ちゃんたちの顔写真と共に。

 今日、明日でなんとか終われるといいなーと思いつつ、今はビデオ編集のアシスタント待ち。明日18日は『KITA!!』展の最終日。
by midoriart | 2008-05-17 13:53 | Yogyakarta
 3日間のバリ滞在からジョグジャに戻るとき、N翁が一緒だった。N翁は私がバリ在住の頃からの知人。今回私がジョグジャで関わった『KITA!!』展の参加作家の中に興味ある作家がいたこと、ジョグジャには6年も足を運んでないこと、そしてたまには息抜きを兼ね、遊びに来てくれることになったのだった。6年前に来てくれたときには、私はまだローカルのアーティストや、ストリートミュージシャン達と一軒家で共同生活をしていて、とてもN翁をお客様としておもてなしできるような状況ではなかったのだけれど、今は立派な(?)一人暮らし。家もスタジオも見てもらえる。

 9日のお昼にジョグジャに着き、まずは『KITA!!』展の会場の一つ、LIP(Lembaga Indonesia Prancis=インドネシア・フランス協会)へ行った。ここではTheatre Productsがワークショップをした後、過去の作品のビデオと、ジョグジャ在住の彫刻家アブディ・スティアワンとコラボした作品が展示されている。

b0090333_215744.jpg これが作品。写真が小さいからどれが人間かわからないかも。一番手前の姉ちゃんは、たまたま座っていた子。後ろの2体がアブディの作品にTheatre Productsがデザインしたコスチュームを着せたもの。アブディの作品はほど実寸で作られた木の彫刻。こうやってみるとおもしろい。


b0090333_21571560.jpg 翌日、ジョグジャのメイン会場となっているJNM(JOGJA NATIONAL MUSUEM)へ行った。入り口には淀川テクニックのお馴染みの花輪。N翁は彼らの作品を初めて見たので、
「何これ?」
といきなり驚く。淀テクのこと、作品のことを話したら納得して大感動。
 

b0090333_21572997.jpg JNMに住み着いている犬。『KITA!!』展の準備期間中は、若手作家たちみんなに可愛がられて、友達もいっぱいできたのに、みんな帰ってしまったので私と同様、コイツも寂しい思いをしているに違いない。私を見たら
「お~。お前はまだいたのか・・・」
みたいな顔して走ってきてくれた。私の手は首を絞めてるんじゃなくて、こっち向かせてるところ。


 YNGが展示しているチムティへ行き、その横のケーキ屋でちょっと遅いN翁の誕生祝を済ませると、今回の翁のジョグジャでの予定は完了した。
「翁、まだ1日残ってますよ、何します?」
と聞くと、せっかくだからバリじゃできないことをしたいと賜る。そこで翁の暮らしているマス周辺にはなくて、ジョグジャにはあるものをいくつか提案して、この2つに決定。


b0090333_21574496.jpg その1。アイススケート。
 私は幼稚園以来、そして翁は35年ぶりとやら。私はほぼ滑れないだろう・・・とかなり弱気、翁は若い頃に身体が覚えたものは、ちゃんと身についている!と強気。それでも心配なので、お互いに30分間のプライベートコーチをつけてもらった。
 結果はま~、お互いに危なっかしくも滑ることは滑れたか・・・。もう少し滑ったら昔の勘が取り戻せそうな気はしたけれど、そこまで滑る体力が今となってはもう残っていなかった・・・。アイススケートじゃ~寒いだろうと、二人して着こんで行ったけど、なんのことはない。必死だから汗だく。私についてくれた若くてかわいい系のコーチと記念撮影~


b0090333_21575732.jpg その2。ボーリング。
 こちらも翁にとってはかなり久しぶりの遊びになったらしい。私は3年ぶりくらいか。ポーズだけはいいけど、私のスコアはなんと48。1ゲームで切り上げる。


 翁のおかげで普段は遊べない、けして一人じゃやろうとは思わない遊び2つができた。スケート、なかなか楽しかったな~。週末は利用料金が高くて、コーチをつけて3時間(といってもコーチは最初の30分しか見てくれない)で85,000ルピア(約1,000円)。それがコーチなしで火曜日のレディースデーに行けば15,000ルピア(約180円)と破格。ジョグジャに暮らしていたからアイススケートが上手くなった・・・なんてことがあるかもなぁ。
by midoriart | 2008-05-10 21:55 | Yogyakarta
 1月末からこっち、国際交流基金主催のインドネシアでの大型展覧会『KITA!!』展のリサーチ、準備、参加作家のケアと超ハードな毎日を過ごしてきた。そして展覧会は4月18日に無事開会し、あっというまに閉会まで1週間となった。展覧会が終われば、また相当量の作品撤去という大仕事が待っている。そんな時期に重なって、ジョグジャカルタ・ギャラリーで5月20日から始まる展覧会に出品が決まった。となると自由に動けるのは今しかない。


b0090333_0313512.jpg ってなことで6~9日まで急ぎ足でバリへ行ってきた。バリは第二の故郷、10年間世話になった木彫り師匠宅では私はほぼ家族扱いになっていて、3ヶ月も戻らないと農夫の父ちゃんが怒る。世話になったマデサナ兄貴の長女エリパニは私が自分の娘のように可愛がってる子で、19歳という若さでバリの僧侶に嫁いでしまった。彼女は過去に一度妊娠したのだが、不運にも生まれた子はわずか5時間でこの世を去った。そうしてこのたび4月12日に無事健康な男の子を産んだのだった。
(写真がエリパニ。19歳の若き母)


b0090333_0315332.jpg マデサナ兄貴が電話をくれたとき、私は展覧会準備の真っ最中で、ある展覧会場で作品の搬入中だった。
「ミドリ~。婆さんになったぞ~~~」
とちゃんと私に連絡をくれた兄貴の気持ちも嬉しかったけれど、その後すぐに連絡したエリパニが
「ミドリ、名前考えておいてね」
と恥ずかしそうに電話口で言うので、ついつい泣けてきた。本当に最近は涙腺がゆるくていけない。予定より1週間早く生まれたこの赤子の誕生日は我が母、和子さんの誕生日の翌日。これもなにかの縁か。
(エリパニの母、マデサナ兄貴の妻。つまりはこの赤子の婆ちゃん)


b0090333_032719.jpg 今回のバリ行きの目的はこの赤子と母ちゃんになったエリパニに会うこと、それから1年に1度の仕事、犬山(愛知県)にある野外民族博物館バリ島貴族の家の飾り布の注文。この2つだった。
  さらにもう1つ、学生時代の後輩の頼みで、現在バリに来ている日本人青年に会うというミッションもあった。その青年はバリ一番の観光地、クタビーチにいたので、私もムチャ久しぶりにツーリスト気分を味わうため、クタで待ち合わせした。90年初めてバリを訪れたときには、ここを歩いたんだな~~・・・と18年も前の記憶を思い出しては時の速さにため息。18年前には日焼けも怖くなかったもんだ。あぁ、時は流れる・・・。
(懐かしのクタ海岸、今もたくさんのサーファーがいる)


b0090333_0323513.jpg 私が10年暮らしていたのはウブド。ここでも今回はちょっとツーリストぶりたくって、観光客向けの店が延々と続く通りを徒歩でフラついてみた。けっこう新しい店ができてるもんだ。そしてバリの長い友達、ピアニストのトモコさんと夕陽の沈む時間にチーズとワインをお伴にお喋りタイム。彼女とはバリに戻ったら必ずと言っていいほど会っている。


 赤子に私が命名する時間もないまま、僧侶の3代目となるこの子にはデワ・アリッという立派な名前がつけられていた。そうそう、バリではこうして新しい生命を授かると、これが誰の生まれ変わりなのかを聞きに行く。この子はエリパニが嫁いだ先のご先祖様の生まれ変わりで、その人も昔やはり立派な僧だったらしい。特別な能力がないと操れないといわれているワヤン(影絵芝居)の演者でもあったという。もっと面白いことに、エリパニの腹に宿ろうとするとき、別に女のご先祖様の魂も生まれ変わろうとしてたらしいけど、2つの魂が競い合って、結果こっちの「もと僧侶」だった魂の方が勝ち~でリインカーネーションに成功したという話。

 夜にはエリパニの嫁ぎ先に赤子を見に行った。ジョグジャで買ったベビー用品持参で僧侶の家に着くと、僧侶(エリパニの義理の父親)と旦那(彼もすでに僧侶としてお努めしているけど、サイドビジネスで画廊のスタッフもしている)が出迎えてくれた。爺ちゃん僧侶、孫の誕生がかなり嬉しいらしく、毎晩エリパニたち新婚夫婦の部屋に来ては孫の顔見てニコニコしてるらしい。

b0090333_0325751.jpg そしてこの夜、爺さん僧侶が私のことを変な呼び方するので聞いてみたら、なんと私は「ドンパン」なる呼び名をつけられていた。これはバリ語で「ダドン・ジェパン」、つまり「日本の婆さん」って意味なのだ。これが略されて「ドンパン」。なんか響きとして安っぽいのが気になるが、初めて「婆さん」と呼ばれても嬉しい気分だった。めったに赤子なんて抱っこしないのだけれど、ドンパンとしては一度は抱いてやりたくて抱っこしてみた。本当に赤いんだねー、赤ん坊。
(ドンパンとデワ・アリッ)


 あっという間のバリだったけれど、仕事も片付け、懐かしいクタでツーリストして、ウブドで呑んで、孫の顔も見られたから結構濃い~時間だった。いい息抜きにもなったかな。こうしてると次は『KITA!!』展の撤去に、自分の作品の搬入が始まる。この週は出品作品のタッチアップで忙しくなりそうだ。
by midoriart | 2008-05-07 00:28 | Bali
 今回の展覧会の中ではキャリア組といえるのが、しりあがり寿さん。たぶんかなり多くの人が、彼の名前も作品も知っているんじゃなかろうか。しりあがりさん、今回の展覧会にはフル参加で、コミック本にも作品を掲載し、ビデオ作品部門でもオヤジが必死で縄跳びをしているという、ゆる~~くおもしろいビデオ作品を発表、さらにメイン会場となるJNM(ジョグジャナショナルミュージアム)ではインスタレーション作品を発表した。


b0090333_12433069.jpg しりあがりさんがジョグジャ入りした翌日、私は氏の必要とする材料や道具の購入に同行した。初めてお会いするのに、なぜか親しみやすい、やさしいオーラのしりあがりさんは、移動の最中にもこんな私のインドネシアでの生活についていろいろ尋ねてくださった。

 探したのは、インスタレーション作品制作のための1)でっかいバケツ(墨を入れて溶く)、2)長い柄の箒(先に筆をつけて高い部分に描く)、3)りゃんめんテープ(会場全体を和紙で覆うため)、4)古新聞(立体物をつくるときの中身にする)などなど。


b0090333_12434781.jpg 今回は、過去のインスタレーション作品制作のときにも一緒だったというアシスタントのマサコさんも同行、作業をしっかり心得ている彼女が無駄のない動きでどんどんとJNMの一部屋を和紙で覆っていく。それはそれはハイスピード。2人のコンビネーションも抜群。


 残念ながら、しりあがり寿さんがジョグジャ入りした時期は、後半の参加作家がどんどんジョグジャ入りしている時期で、みんなのコーディネートをしている私が一番パニックになってる時期だった。だから彼の制作プロセスを毎日毎日見ている余裕がなかったので、残っている写真はすべて完成してからのもの。制作過程がもっと見たかったなぁ~~~・・・


b0090333_12441134.jpg そして完成した作品、『オレの王国、今度は熱帯』のインスタレーションは、まるまる「寿ワールド」。ゆる~~~ぃオッサンや、サル風の生き物がいたるところにいる。その王国を私たちは白く塗られたスノコの橋を渡りながら探索していくことになる。


b0090333_12443290.jpg 
 床の一部にいた猿!!! 猿といえば、寿さんからいただいた名刺で私は大感動した!なんと「有限会社:さるやまハゲの助」というのだ!さる~~~~!!!

b0090333_12445864.jpg ジョグジャでの開会式が終わった後、参加作家全員とジャカルタに移り、残るジャカルタとバンドンのイベントに参加した。チャンチキトルネードのジャカルタ公演の後で、ようやく寿さんと記念撮影ができた~。インドネシアは初めてとのことだけど、思い切り馴染んでいる。お疲れ様でした、しりあがりさん!



◇KITA!!現地報告1:トヨシマさんがやってきた!
◇KITA!!現地報告2:南風食堂がやってきた!
◇KITA!!現地報告3:grafがやってきた!
◇KITA!!現地報告4:奈良美智がやってきた!
◇KITA!!現地報告5:SONTONがやってきた!
◇KITA!!現地報告6:淀テクがやってきた!
by midoriart | 2008-05-04 12:41 | Yogyakarta
 『KITA!!』展の最初にも出てきているように、淀川テクニックの柴田君とマッチャンは滞在制作のために早くからジョグジャ入りしていた。私が彼らの生の作品を見たのは2006年の韓国で。川のゴミだけでこんな立派な作品ができるのかと驚いたのを覚えている。
 彼らにとって川がどれだけ大事なのか、過去の作品から少しはわかっていたので、今回彼らの短い滞在中、時間に無駄がないように、ジョグジャ中を回って見つけておいたウィノンゴ川のある町内では、町民あげて彼らの滞在制作をバックアップしてくれた。


b0090333_11192595.jpg アロアナ船の基礎となる竹材も町内でそろえることができてラッキー。これはまだジョグジャ入りして2日目の彼ら。すでに地元労働者並みの貫禄。


 今回出会ったアーティストの中でも、彼らの態度には何度も感動させられた。とにかく真面目。私は昔の人なので、「美術=汗をかく」といったイメージを今でももっている。その点では彼らの制作態度はまさに体当たりで、汗をかくどころか、地元民よりも黒くなるほどアウトドアだった。
 来るなりレンタ・チャリも手配し、大きなバックパック背負って朝の5時から仕事開始。だから他のアーティストの行動時間とはかなりズレていて一緒になかなか呑めなかったのが残念だった。
 

b0090333_11193836.jpg 最初の便のアーティストたちとは、一度だけサタデーナイトを楽しむことができた。私んちに近い「プラウィサタ」では毎晩インドネシアの大衆音楽ダンドゥットのライブを演っているのだ。キュレーターの一人、豊嶋さんもここらで一度アーティストたちにも一息ついてもらおうという気持ちがあったみたいで、楽し~怪し~ひとときだった。
 腰フリフリの姉ちゃんに合わせて恍惚状態で踊る地元若者に、あっという間に溶け込むマッチャン。


b0090333_11195366.jpg 本来ならもう雨季は明けてるはずなのに、今年の雨季は長引いた。ゴミ集めをしては、メイン会場となっているJNM(ジョグジャナショナルミュージアム)へ戻ってくる淀テクの二人にも、容赦ない雨。それでもこの暗さの中、執拗にもゴミを求め歩く二人。爽やかな執念を見た。


b0090333_1120592.jpg ある日のウィノンゴ川。すでにアロアナのボディラインが見えてきていた。マッチャンは寒くてこんなに着込んでいるんじゃない。むっちゃ暑くて、日射病防止のための衣装なのだ。私はこの場所に10分いただけで汗ダラダラ、喉が渇いてたまらなかった。
 だからこそ、彼らは日の出とともにこの場に来て制作してたんだなぁ~・・・。にしても、本当にタフです、淀テク。


 ここでは書ききれないけれど、今回の展覧会の参加作家の中で、ほぼ「ウルルン滞在記」状態だったのが唯一、この淀テクだったと思う。町民全員が最後には彼らの作ったアロアナをいとおしく思い始め、JNMでの展示前にはみんなが川に入水して淀テク作アロアナの浸水式に参加した。さらには、それをJNMまで運ぼうとしたら6mのアロアナがトラックの荷台に乗り切れず、町内の父ちゃんと若い衆が、担いで運んでくれたのだ。
 私は携帯電話で柴田君とコンタクトをとりつつ、JNMの会場で彼らの作品搬入を待っていたのだけれど、大勢の人に担がれ、浸水を終えたアロアナが太陽の日にピカピカ照らされながらミュージアム内に入ってきたのを見たときには思わず涙が出た。


b0090333_11202263.jpg 正直言って、浸水と同時に壊れてしまうんじゃないかと思っていた(淀テク、ごめん!)アロアナが五体満足でミュージアムにやってきたのも感動だし、町内のオッちゃんらがそこまで愛着もっててくれたことも感動だった。そしてアロアナはJNMの一階会場に立派に吊り下げられたのだった。
 「うるるん滞在記」はこれだけではなかった。開会式には、なんとウィノンゴ川周辺の町民全員が参加して、淀テクの作品を見に来てくれたのだ!これにはさすがのマッチャンも柴田君もウルっときたようで、そんな二人を見てて涙腺の弱くなった私はまた泣けてきた。


 そんな具合で、今回は淀テクに何度も泣かされた。二人の朴訥な姿勢が私には本当に気持ちよく映った。多分他の参加アーティストもそうだったと思う。なんだか体育会系の人を応援したくなるみたいな。
 柴田君からは、アロアナ進水式を記録したDVDを預かった。落ち着いたら、一度あの町内を訪ねて、彼らの仕事場がどうなっているかも見たいと思っている。

◇KITA!!現地報告1:トヨシマさんがやってきた!
◇KITA!!現地報告2:南風食堂がやってきた!
◇KITA!!現地報告3:grafがやってきた!
◇KITA!!現地報告4:奈良美智がやってきた!
◇KITA!!現地報告5:SONTONがやってきた!
◇KITA!!現地報告6:淀テクがやってきた!
◇KITA!!現地報告7:しりあがり寿がやってきた!
by midoriart | 2008-05-02 17:16 | Yogyakarta
 『KITA!!』展が始まってあっという間に2週間。準備してる期間も時間の発つのが速かったけれど、始まってからも速い速い・・・。
 今回の展覧会は長期滞在して、若手作家がインドネシアで暮らしながら何かを生み出すというのが狙いの一つでもあった。そういうキュレーターの企みに応えるべく選ばれた長期滞在の作家に、淺井裕介くん、淀川テクニック、生意気、SONTON、南風食堂がいる。


b0090333_2184292.jpg 一番最初に入ってきたグループの一つ、SONTONは川西君とサキちゃんのユニット。おとなしくてムチャクチャ礼儀正しい彼らは、それからまったく想像のできない世界を作り出す。
 最初に驚いたのが日本から送られてきた作品の量。1x1mのパレットの上に2mの高さに積まれたダンボール箱、つまり1x1x2mの容積の作品が、なんと10個来た!


b0090333_219616.jpg そして中からはピンクや黄色、黄緑色のハデ~な飾り物やオモチャが出てきた。相変わらず礼儀正しく物静かに、コツコツと作品を展示室一面にディスプレイしていくSONTONの二人。せっかっく日本から工具も送ったのに、ジャカルタでスムーズに通関できなかったため、彼らがジョグジャ入りしても、使える工具がすぐになかった。やむをえず会場であるナショナルミュージアムお抱えの大工に発注した展示台は、見事にこちらが渡した図面からかけ離れたものが出来上がってきた。


 それでも川西君&サキちゃんは落ち着いて現状を把握、ここからできるものを考えていった。さすがは選ばれし若手作家、こういうインドネシアらしい「キラキラ(アバウトという意味)」感もすぐにつかんで対処している。エライっ!


b0090333_2194171.jpg 他の作家よりもかなり余裕で早くに作品を完成させ、知らぬ間にジョグジャのストリートミュージシャンたちとも仲良くなっていたSONTON。開会式では彼らのパフォーマンスもあり、会場は大盛り上がりだった。


b0090333_2110937.jpg 4月18日、ジョグジャの開会式を終え、一緒に移動したバンドンで彼らとようやく落ち着いて記念写真が撮れた。バンドンの会場スラサール・スナルヨでは21日に開会式があり、ジョグジャで展示の作家たちはすでに打ち上げモード。このムチャかわい顔のサキちゃんが、ライブとなると豹変するからおもしろい。
 川西君は今回の作品の量と梱包を見てもわかるように、他人に作品解体と梱包を任せられるようなものではないので、5月18日に会期終了したら、撤去のためにジョグジャに再来する予定だとか。また一緒に呑みに行きたいもんだ。

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ジョグジャナショナルミュージアムで展示中の作品部分。このマネキン見てたらサキちゃんを思い出した。

◇KITA!!現地報告1:トヨシマさんがやってきた!
◇KITA!!現地報告2:南風食堂がやってきた!
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◇KITA!!現地報告6:淀テクがやってきた!
◇KITA!!現地報告7:しりあがり寿がやってきた!
by midoriart | 2008-05-01 21:17 | Yogyakarta