Culture & Art Report from INDONESIA


by midoriart

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 バンドン工科大学(ITB)美術学部で講師をしている友人ササンと一緒に、インドネシアの若手作家を日本で紹介すべく企画した「Passing on Distance」展が実現したのはもう2年前になる。名古屋在住の現代美術家久野利博さんのサポートによって名古屋のNAFギャラリーで2005年6月に開催されたこの展覧会は、次に福岡アジア美術館の元学芸課長(現九州大学教授)後小路雅弘さんのサポートにより、東京は萱場町のBASE GALLERYで2006年3月に開催された。

 NAFギャラリーでの開催と時を同じくして、愛知県美術館では大規模な企画展『アジアの潜在力』展が開かれていた。偶然にもこの展覧会にもインドネシアのアーティストが二名選ばれており、さらに偶然にもその二人ともが私の親しくしているジョグジャのアーティストだった。この二人は普段ほとんどインターネットを使わない生活をしている人たちだったために、私はこの二人と愛知県美術館学芸員、高橋秀治さんとの間で橋渡し的仕事もさせていただいた。


b0090333_0263325.jpg インドネシアには『VISUAL ARTS』という、唯一の美術誌(フルカラーの高価な隔月誌)がある。過去に私は日本の美術について数回テキストを頼まれたことがある。
(VISUAL ARTSの最新号カバー)


「Passing On Distance」展が東京へ巡回した際に、私とササンは同じことを考えていた。せっかくインドネシアの美術を日本で紹介したのだから、日本の専門家から見たインドネシア現代美術の印象を、インドネシアの美術関係者に知らせたかった。そこで多忙な高橋さんに無理を言って「Passing On Distance」の展評を書いてもらえないかお願いしたのだった。
  高橋さんが忙しいスケジュールの合間に書き上げてくださったテキストは、昨年夏に私がインドネシア語訳をし、編集部へ送ってあった。それが毎回編集部に電話するたびに、
「あ、次の号で掲載します~」
なんて返事ばかりが続き、さらに私が親しくしている編集者が知らない間に退職してたりもしてて、余計に話はややこしくなって今に至る。

「ミドリ、タカハシ氏のテキスト、載ってるぞ」
とササンから数日前に携帯のショートメッセージが入った。ジャカルタ発行の『VUSUAL ARTS』がジョグジャのディストリビューターに届くのに時間がかかるために、私が最新号を手に入れたのは昨日のこと。


b0090333_0273091.jpg 確認してみると、あったあった、全4ページに高橋さんのテキストがまるまる載っている。さらに、編集部からの言葉として
「本来、展評といえば展覧会開催から間もなく掲載されるものである。がしかし、愛知県美術館学芸員である高橋氏から見たインドネシア現代美術というものは、我々にとって非常に貴重な見解であると本誌は考えた・・・云々」


b0090333_027548.jpg ここまででっかく作品の写真も掲載されているので、5人の参加作家、きっと嬉しいだろう。私もようやくホッとした。あれだけ多忙な方に書いていただいたテキストなだけに、掲載されなかったら私は愛知県美術館に足向けて寝られないところだった。


b0090333_02897.jpg さらに、新しくなった編集者に頼まれて書いた私のテキスト、昨年10月に見に行った韓国での2つのビエンナーレ(光州と釜山)のレポートもちゃんと載っていた。


 話は変わり、フィリピンはキブガン村で行われる「国際環境デー」(4月5日付『キブガン村の修行系プロジェクト・イン・フィリピン』参照)のポスターのラフが出来上がった。主催のNGO代表Mさんから
「ミドリさんの飼ってる猿使って、自然環境保護とアートが一緒になったイメージで、おもしろくできないかしら」
と希望を伝えられて作ったのがコレ。

b0090333_0283387.jpg 最初はインドネシアのつもりで椰子の木を配したのだけれど、かなり標高の高いキブガン村周辺には椰子はないらしい。そこで松に変更。ちなみにこの猿は私の愛猿スギトの相棒、ソチョ(男)の方を使った。


 さらに話は遠く大阪へ飛ぶ。
 私のヨーヨーの師匠TAKAさんがGWの今日は大阪でパフォーマンスをしていることを彼のブログで知ったので、私の友達Sさんにメールして、
「一度でいいから、あの技を生で見てきて!」
と連絡したら、本当にSさん、ダンナさまと一緒に見に行ってくれたのだ。さらに写真まで送ってきてくれた。


b0090333_0285974.jpg お~、懐かしのTAKA師匠とSさん!


 さらに嬉しいことに、このSさん夫妻もヨーヨー道に入った。すでにマイ・ヨーヨーもってるもん、Sさん。ダンナさんのブログには、なんで私がここまでヨーヨーにハマれるのかわからなかったらしいけど、今日の師匠のパフォーマンス見て買ってるし、マイ・ヨーヨー。
 夜になって、Sさんから
「今となりの部屋からHさん(ダンナさん)がコロコロ・・と犬の散歩技やってる音が聞こえます」
ってメールが来て、私まで嬉しくなってしまった。仲間ができた~~~。
 Sさん夫妻に先越されないように、私も日々練習に励まねばっ。
 
by midoriart | 2007-04-29 23:25 | Art
 国際交流基金の企画で、日本から慰問団がジャワ中部沖地震の被災地へやってきたのは3月中旬のことだった。「こどもプロジェクト」のメンバーでもあった基金本部のKさんの熱いプッシュにより、我々が建てた「第3こどもバンブー幼稚園」にも慰問団が来てくれることになり、手品のお爺ちゃん、独楽のオッチャンとオバチャン、そして世界チャンピオンのヨーヨーマスターTAKAさんが、それぞれの素晴らしい技を披露してくれたのは3月21日(『スケバン刑事の先生、地震被災地を訪問』参照)。私の最近のヨーヨー・ブームはここに端を発している。


b0090333_2121431.jpg バンブー幼稚園の後にもまだ公演場所が残っていたために、独楽のオッチャンはすべての事業が終了して帰国する日に、被災地の子供たちにプレゼントしてほしいと、日本からもってきた独楽のいくつかを私に託してくれた。
(私も一個もらった。子供たちにはもっと軽いカラフルなブリキの独楽と、木製の独楽をプレゼント)


 オッチャン、ごめんなさ~い。今の今まで、被災地へもってく時間がありませんでした~。いや、時間はあった。でも、せっかくなら「こどもプロジェクト」の縁の下の力持ちで、フットワーク軽く走り回ってくれた東にも、オッチャンのくれた独楽を見せたかったし、彼もここんとこずっと3つのバンブー幼稚園や、被災地の復興の様子を見てないので、デリバリーは一緒に行こうと約束していたのだ。彼がここしばらく、本業のドラマ撮影ロケでジョグジャにいなかったので、なかなか二人の予定が合わずに1ヶ月が過ぎてしまった。そしてようやく今朝は二人の予定が合ったので、頑張って早起きしたのだった。
 

b0090333_212297.jpg ロロン村の第3バンブー幼稚園、今日も子供たちは元気にお勉強中。お迎えのお母さんたちも、この前の慰問団のことがあるから、今日はこの日本人何もって来た?って顔で迎えてくれた。


b0090333_21222856.jpg 先生に独楽と、それから東京本部のKさんが託してくれた子供たちへのアメを手渡す。
「あ~、これなら私から子供たちに教えられるわ~、この前ちゃんと教わったもの」
「ヨーヨーは難しそうだったからねー。もらってもできないわよ・・・」
と二人の先生。一人は慰問団のワークショップで、独楽のオッチャンから始動を受けている。
いや先生、ヨーヨーだってできると思うよ、ただ私たちが見たTAKAさんの技があまりにヨーヨーからかけ離れていたために先生たち引いちゃったみたいだ。

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b0090333_21233784.jpg せっかくなので第1バンブー幼稚園のあるタンキル村にも寄ってみた。以前から被災地の話をここで読んでる人は、なぜ私がここへ寄りたいかをご存知のはず。
 そう、村長さんの奥さんの料理~。本当に偶然にも、連絡なしで行った日には必ずといっていいほど私の好物が出来上がっている。奥さんも不思議がって笑っている。今日もココナツミルクい~っぱいのスープがほかほか。幸せ~・・・。


b0090333_21235780.jpg タンキル村では政府の復興支援金の第3弾が下りたそうで(今までかかって3回に分け、一家に1500万ルピアが支援されている)、私らが子供たちの栄養補助パックを支給してたときにはただのテントだった村長さんちの入り口も、それなりに家っぽい建物が出来ていた。
  ハッキリいって1500万ルピア(日本円で20万円弱)ではもとの家と同じものはまず建たない。でも、ちゃっちぃ青色のペラペラビニール製テントが村いっぱいに並んでた頃を思えば、随分復興したな~と思う。


 考えてみたら、東と会うのは久しぶり。結局彼は慰問団が来たときも撮影ロケで参加することができなかったので、私が彼と会ったのはそれのずっと前ってことになる。彼はこの前のスマトラ地震のときもサッと現場に駆けつけてるし、本当~~にフットワークが軽い。彼いわく、3年前のアチェ地震も、この前のスマトラ地震も、ジョグジャに比べたら全然復興が遅れているという。
 これだけ広いインドネシア共和国で、国として大切じゃない場所で被害があろうと、国も気合入れてサポートしないってことらしい。


 帰り道で東がいう。
「そういえばウラン(彼の妻)がこの前すげー美味いレレを買ってきたんだよ。この近くなんだけど・・・」
レレってのはインドネシアのウナギといおうかドジョウといおうか。ずーずーしい平ぺったい顔で長いヒゲを生やしている。身は白身でまーまー美味しい。新鮮な海産物がないジョグジャでは、レレの消費量がとても多いらしい。
 このレレを串に刺して椰子の殻を燃やしたものの上で炙り、それにココナツミルクと香辛料いっぱいのスープをかけて食べる・・・なんて説明を聞いてたら、もう食べるしかない。


b0090333_2124405.jpg 東も初めて行く場所なので迷って迷ってようやくたどり着いた。田舎の村のフツーの家だもの。簡単には見つからんわ。今日は幼稚園訪問があったために、行動開始が早かった。ここについた時でまだ午前10時。レレの香ばしい匂いはするものの、ご飯も焚けて食べられる状態になるのは11時半だといわれ、泣く泣く匂いだけ嗅いで帰ることにした。
by midoriart | 2007-04-28 21:24 | Jawa Earthquake
 私は2003年からジョグジャカルタで日本語のフリーマガジンを発行している。ネット上で多くの情報を得るという「ネットサーフィン」という言葉から、ジョグジャをくまなく回るための味方『Jogja Surfing』と名づけ、1人で取材、撮影、記事書きから版下作りまでやってきたので、自分では結構このマガジンがいとおしい。
 二年ほど前から、ジョグジャカルタ市観光局もこれがどれだけジョグジャのPRに役立ってるかを理解し始めてきたので、今までは自腹だったりもした印刷費用も、今ではジョグジャカルタ市がサポートしてくれている。毎年10月に東京で開催される国際ツーリズム・フォーラムにジョグジャが出かけるときに作る立派な冊子も、私が編集・デザインして作っている。
 
 ジャワ島は東西に長い。西ジャワ、中部ジャワ、東ジャワで文化も地方語も違う。インドネシアの首都ジャカルタがあるのは西側。ジョグジャや古都ソロがあるのが中部。そしてインドネシア第2の都市スラバヤがあるのが東ジャワ。

b0090333_012169.jpg 今日はこのスラバヤ市観光局ご一行がジョグジャに来て、スラバヤのPRをするというイベントに招待された。以前からスラバヤ観光局は、私が出してるジャワPRの冊子を知っていて、スラバヤ・バージョンを作ってほしいと言っていた。ただ私がずっと別の用で忙しくしてて、返事するのもすっかり忘れていたところ、今回は本人たちがジョグジャに来たので、とりあえずは会って話を聞きましょうってことにして会場へ出向いたというわけ。


 ジョグジャ側で招待されていたのは、ツアーエージェントや新聞・ラジオなどの報道関係者。どーせ時間通りに始まらないと思って、ゆっくり行ったらすでにホテルのホールでは舞踊披露が始まっていた。ジョグジャの宮廷舞踊のとろ~~んと眠りを誘うタイプとは随分違い、かなりダイナミックな動き。かといって、バリのリズムとも違うし、ガムラン音楽にもインドっぽい笛の音が混じっている。こういうのを観ると、インドネシアの芸能は本当にバリエーションに富んでるなぁ~と思う。


b0090333_013345.jpg スラバヤがいかにポテンシャルな都市であるかを力説しているこのオッサンがスラバヤ市観光局長さん。


b0090333_0132370.jpg スラバヤというと、ただフツーの都会って印象しかなく、日本で出てるインドネシアのガイドブックにもほとんどインフォメーションがない。今日の話を聞いていたら、結構気になる歴史的サイトや、資料としても貴重な種を多く保育している動物園などがあるらしい(猿の種類も多いらしい!気になる・・・)。私はやらないのでわからないけれど、ゴルフ・コースもかなり本格的なものがいくつかあるという。


b0090333_01340100.jpg スラバヤ、PRの仕方もお洒落だわ。今日は招待客への土産に、こんなTシャツとピンバッジ、スラバヤ紹介のVCDを用意していた。これならもらっても着るよ、私。


 プレゼン後のランチタイムに、この局長と話し合う時間をもった。とにかく、向こうはとっとと私をスラバヤに呼んで、日本人観光客にウケそうな場所を見せ、本にしたいらしい。もちろん、ジョグジャからスラバヤへの旅費も、向こうでの滞在も、飯も、み~んなスラバヤ市もち。私はスラバヤの資料をもらって予習しながら、どのホテルに泊まりたい、どこでSPAを試したい、何を食べたい、何を見たいってことをリストアップすればいい。う~ん、なかなかの大名旅行、おいしいぞ・・・。


b0090333_0141510.jpg 実はここしばらく、右手首を傷めるまでヨーヨー練習したり、13時間半かけてバンドンへ行って、フィリピンでの展覧会にもってく作品選考したりしてる間に、私は翻訳の仕事をしていた。最近日本ではこうした旅行者のための会話集が流行ってるらしいのだが、私が今回請けたのもそんなシリーズもの。すでにタイや韓国バージョンが出ているらしい。


 会話のインドネシア語訳に加え、インドネシアに関するエッセイ、さらにイラストまでを引き受けたものだから、結構忙しい。私はもともと、どんな仕事でも締め切りより2~3日前に仕上げるのをモットーにしているので(気が小さいからギリギリまでかけると自分の心臓に悪い)、実はかなり時間に迫られている。
 でも・・・。昔からそうなんだけど、展覧会の前とか、旅行の前とか、やらなくちゃいけないことがたまりまくってる状態の時に限って、
「これが終わったらアレがしたい、コレがしたい・・・」
って次の想像ばっかりしちゃうのが私のクセ。

 スラバヤ市長も早く来てくれって待ってるそうだし、5月はスラバヤ市で大きな祭もあるっていう。なので翻訳の仕事を終えてフィリピンへ発つ前に、5泊6日ほどの予定でスラバヤへ行くことに決めた。スラバヤからなら水牛レースで有名なマドゥーラ島へもフェリーで30分だし、避暑地になってる高原地帯もある。無理すればジャワ島の聖なる山、標高2382mのブロモ山まで行くこともできる(ちょっとキツイかなぁ)。スラバヤの中心地には華僑が多いから、美味しい食べ物もたくさんありそう・・・。 新たな楽しみが目の前に出来て、かなり楽しみになってきた。早くに仕事を片付けるぞ~。
by midoriart | 2007-04-25 23:10 | Yogyakarta
 さすがフィリピンで「キュレーター界の重鎮、あるいは神」といわれるパトリックだけある。私とササンがリサーチして資料収集した結果を昨晩送ったところ、すでに今朝になって、答が返ってきた。彼が最初に大雑把に私に伝えていた展覧会のテーマ「Everyday Life and Popular Culture」は、最終的にパトリックによって「POPSCAPE」という主題になった。
 けして大量ではないにしろ、私とササンなりにパトリックの意図するところを理解し、探してきた若手アーティストの作品は、彼にもぴったりくるところがあったようで、
「ミドリとササンのセレクションは素晴らしいよ」
とお褒めの言葉もいただいたのでホッとした。
 
 最終的に選考されたアーティストは、ジョグジャから1名、バンドンから4名、うち女性3名男性2名となった。私は内心、自分が抱えてもってく作品が少なくてすんだってこともホッとしている。4名分の作品は、バンドン在住のササンの手荷物となる。よろしく、ササン!


b0090333_19251330.jpg ジョグジャからは1980年生まれのウェダール・リアディ(Whedar Riyadi)。ちょっぴり奈良美智風なところもある、ヒネた子供のドローイングや、ハードロックやパンクなど音楽からの影響を思わせるインク画などを紹介する。



b0090333_19255428.jpg バンドンで私が一番最初っから持っていこうと決めていたのが1979年生まれ、バンドン工科大学美術学部彫刻科出身の女性プリラ・タニア(Prilla Tania)。見た目にはトムボーイな彼女だけれど、作品はとても女性的(本人はそれを意識して作ってはいないところが興味深い)、今回は過去ジョグジャのギャラリーで発表したことのある作品をセレクト。

 これは3メートルの黒い布に、左から恐竜、原始人、兵士・・・宇宙飛行士、コミックのキャラ、エイリアン・・・と、歴史が左から右へと流れていくもので、それらのシルエットを彼女自身が白い糸で縫った作品。静かに迫力のある作品だと思う。


b0090333_19263077.jpg プリラの一つ後輩にあたる女性アーティスト、デウィ・アディティア(Dewi Aditia)。彼女の作品はけっこう昔から商業画廊の展覧会カタログで見ているのだけれど、昨年ジャカルタで開催されたジャカルタ・ビエンナーレに出品した作品が特に私の記憶に残った。


b0090333_19265378.jpg 日本でもよく見かけるパーティやキャンプ用のプラスティック皿、これを引っかいて作ったドローイング・シリーズを壁いっぱいに展示したもの。一つ一つには彼女のその日の思いが絵日記のように描かれている。シンプルだけれど生活臭のある、人間くさいのに都会的に洗練された作風が私は気に入っている。


 今回彼女の新作までを見せてもらい、チーフ・キュレーターであるパトリックにも全部の資料を送った中で、彼はこの皿の作品を選考。3種類の大きさでトータル70枚ほどある作品をもっていくことになった。運び屋ササン、ご苦労様です・・・



b0090333_19272368.jpg 今回のバンドン行きで発掘した大当たり(だと私は思っている)の新人がOQ。フルネームはリッキ・レサ(Rizki Resa)なのに、どこを取って「OQ(オーキー)」と名乗ってるのかは謎。彼は芸術関係の大学ではなく、バンドンの私立大学で情報学部のジャーナリズム科を出ている。彼の白黒写真はコンセプトもはっきりしていて、視覚的にもおもしろい。
(ジャカルタの都会で足だけを見せて写るモデルたち)


b0090333_19274034.jpg 私は先週末の2日のうち、彼と会うことはできなかったのだけれど、昨日ササンが約束して会い、長いことインタビューしたらしい。ササンも一押し。1982年生まれ。



b0090333_192848.jpg そして一番最後に選考が決まったのが、今回の参加者で一番若い女性、チナンティ・アストリア(Cinanti Astria)、彼女にいたっては1985年生まれの現役学生。せっかくパトリックがインドネシアの若手が見る「インドネシアの今」を見せたいなら、ここまで年齢層下げるのもアリだろうってことで選考。
(会田誠を思わせるちょっぴりセクシーで怪しげな雰囲気をもつ水彩画。テクニックもなかなか)


b0090333_19282558.jpg 彼女はこの前私がプリラとササンとで行ったPatluckというコーヒーショップで今年発個展をしたばかり。小さなサイズの水彩画をたくさんつくっている。日本のマンガやゲーム、おたく文化の影響もある、正に現代インドネシアの若者らしいセンスをもっている。
 作品に出てくるストレートの髪の女性はすべて自分らしい。彼女とも私は直接会うことができなかったけれど、ササンから彼女の作品コンセプトなど聞いて興味をもった。パトリックの好みかどうかが気になったけれど、今朝彼からOKが出た。


 というわけで、6月15日からCCP(フィリピン文化センター)内Bulwagang Fernando Amorsoloで始まる展覧会の準備も一段落ついてホッ。さらに私はジョグジャから1人分の作品を持っていくだけなので、肉体的疲労もササンよりずっと軽い。助かった~。
 案内状は私がデザインして、ジョグジャで印刷することになっている。まずはパトリックからのテキストを待ち、選考した作家たちの作品の撮影をして準備せねば・・・。今回の私自身の展覧会の案内状はバギオで印刷するのだけれど、そっちもデザインは私が頼まれていたんだった。少しずつ仕事を進めなければ・・・。
by midoriart | 2007-04-24 19:28 | Art
 さすがにバンドンは寒い。ササンやプリラの家があるダゴはバンドンの北部でかなり高地。ずっと南にある鉄道駅ですでに700mというから、1000m近いってことか。明け方には肩が寒くて目が覚めた。

b0090333_049581.jpg にしても、この快適な部屋!プリラは5人兄弟の真ん中。一番上のお姉さんはすでに結婚してジャカルタで暮らしているので、彼女の部屋はゲストルームとして使われているらしい。建築家のお父さんをもってるだけあって、なかなか凝った作りの部屋だ。


b0090333_0492333.jpg プリラの作品を見るために、相方のササンがやってきた。まずはヨーヨーの腕前を試す。
「ボクは全然やれないよぉ~~~」
って言ってたくせに、いきなりクリクリとループ技をやり出した。
私がまだ連続で10回もイケてないのに、ササンいきなり地味~~に10回をクリアしている。悔しい~~~・・・


 今日中にできるだけのアーティストと会いたいので、早々にプリラ宅を出る。そして私が1年前バンドンに来たときから気になっていたカフェ・バリで、ちょっと早めのランチタイム。

b0090333_049564.jpg これが私の頼んだ「ナシ・バリ(そのまんま『バリ飯』って意味)」。
 確かにジョグジャやバンドンの味付けじゃない、バリ臭さがちゃんと出てる!美味しい~~~。つい最近バリへ戻ったばかりだから、そんなに大感動ってとこまでいかなかったけれど、しばらくバリに戻ってないときにこの味を食べたら、かなり嬉しいだろうな~。


 この店で今日一人目のアーティストと面談。彼女のもってきた作品データを見ながらお喋り。彼女の作品は以前にも見ていて、今回の展覧会のテーマにはぴったりなので是非作品をもっていきたいと思っていた。彼女もフィリピンで作品が紹介されることには興味あるみたいで、話はまとまりそうな気配。

 ここで豪雨&雷。次の場所へ出るにも公共機関使ってる我々にはツライ天気。雨足が落ち着くのを待ってたら携帯が鳴った。
「ミドリ~どこよ?迎えに行くから場所教えて」
デイジーさんからだった。彼女は私がとってもお世話になっているバンドンのキュレーター、バンドン工科大学美術学部の教授でもあるアスモジョ氏の奥さん。たまにしか会わないのだけれど、なぜかとても懐かしい気持ちになる人。
 ちょうど家族で降りてきてる(彼らの家はバンドンのかなり北部)から、どこかで落ち合おうという話だった。ササンと一緒にカフェ・バリにいると伝えたら30分後には迎えに来てくれた。


b0090333_051123.jpg 彼らと一緒にバンドンの新しいアート・スペースBUTONを見にいくことに。アスモジョも若い子とアート談義するのが大好きだから、結局ここでかなり長居をしてしまった。私はこのグループ(11人の若手集団)の中の1人の写真作品に興味があり、その子の資料が見たかったのだ。


b0090333_0512657.jpg 代表者の青年からBUTONの成り立ちを聞いたり、今やってるミューラルの展覧会の説明してもらったりした。にしても、80年代生まれの子らが、こうやって元気に、真面目に美術のこと考えてアクション起こしてるってのは、私にも刺激になる。たまにこういうパワーの近くにいくとワクワクする。
(アスモジョもササンもさすが先生。若いものみるとついつい講義が始まっちゃう)


b0090333_052892.jpg 彼らのトイレにはぎっしりとオバケが描かれていた。これもBUTONのメンバーの1人の作品。彼の作品にはインドネシアの代表的なオバケ、ポチョンやジェランクンが描かれていて、化け物好きな私には嬉しかったけれど、ササンの趣味ではなかったようだ。


b0090333_0524241.jpg これ、ポチョン(あるいはポチョンガン)というインドネシアのオバケ。
  イスラム教徒は死ぬと白い布に包まれ、頭と足の先を縛られる。ちょうどアメのパッケージみたいな感じになる。で、ここではこれがオバケになって出てくるのがポピュラー。縛られててちゃんと歩けないから、キョンシーみたくピョコン、ピョコン・・・と飛んでくるらしい。
 

 BUTONを後にして、アスモジョ家族と一緒に夕食をとり、私はそのままササンに送ってもらって鉄道の駅に向かった。昨日の事故、実は2箇所で起こっていた。これはこっちの有名紙コンパスの記事から。

悪天候が影響、1日2件もの鉄道脱線事故
21日午前3時25分、ジャカルタ発のスラユ号が西ジャワ、ガルットを通過中に前から4、5両目が7m下の崖に転落、3両目はぶら下がる事故が発生。乗客600人中7人が重傷、70人が軽傷を負った。現場は雨で地盤が緩みレールが歪曲していたもの。同日12時15分、ソロ発ジャカルタ行きの特急列車(9両編成)の最後尾車両が西ジャワ、プルウォクルト近くで脱線。相次ぐ列車事故に新たな記録を追加した』
 駅で聞くと、ジョグジャへ戻るには一度北に上り、そこから東へ向かう線に乗って向かうので、通常より4~5時間余分に時間がかかるとのこと。いまさら仕方ないので、納得して乗ることに。

 そして翌朝、ジョグジャの駅に着いたのは午前9時半だった。昨日の夜8時に出てから、なんと13時間半、電車に揺られていたことになる。行きも帰りも、老体にはかなり厳しい旅になったけれど、その大変さも忘れるほど、久しぶりのバンドンは充実した楽しい旅になった。
 今週中にはフィリピンへもっていく作家の作品をすべて決定させなければいけない。
by midoriart | 2007-04-22 23:03 | Bandung
 今回のバンドン行きは、6月中旬からフィリピンで開催予定の「Everyday Life and Popular Culture –Indonesia Young Artists-(仮称)」で紹介する若手アーティストのリサーチが目的。ジョグジャ⇔バンドン間は約500km。中途半端に近くて遠いので、この間の飛行機はあまり飛んでいない。さらにバンドンは1000m級の山々に囲まれた盆地で、着陸時にかなりの覚悟がいるとみんなから聞くので、私としては飛んで行きたい場所ではない。
 そうなると選択肢はジャカルタまで1時間飛んで電車で2時間戻るか、素直にジョグジャから電車に8時間揺られるか。値段的に私は後者を選んだ。


b0090333_14293092.jpg ジョグジャカルタのトゥグ駅を23:40に発つ夜行電車は、バンドンに翌朝07:33着予定。最近はインドネシアの鉄道事情も随分よくなり、1~2時間遅れても当たり前ってことがなくなった。予定より10分遅れて駅に入ったエクスプレス号に乗り、とっとと眠る私。
(夜のトゥグ駅。私が慣れたからか、駅が改善されたからか、物騒な印象はない)


 午前5時、乗務員に毛布を取り上げられる。電車は止まったままで動いていない。乗客がザワザワしている。私の耳にはiPODのイヤホンがささってるので、車内アナウンスが聞こえなかった。隣の席のオッチャンに聞いたら、
「わたしらの前の列車が転覆事故らしい。バンドンまでは行けないから、バスに乗換えないといけないよ」

b0090333_14303972.jpg ここ数日の雨で、弱い地盤が崩れたところを通過した電車が、そのまま傾いて川まで落ちていっちゃったという。こっちが先行してたら・・・と思うとぞっとする。それでも死者がいなかったのは不幸中の幸いか。



b0090333_14301811.jpg そんなわけで、あと1時間半もあればバンドン到着って所まで来ておきながら、我々乗客はバスに乗換え、4時間の山道を通ってバンドンへ向かうことになった。ま~それでも途中にはこんなキレイな景色も見れたので、仕方ないか・・・
(アンラッキーの中にもラッキーを見つけることが上手くなったのは、とにもかくにもインドネシア暮らしが長いからだと思う)。


 結局バンドンの駅に着いたのは11:30。昨晩電車に乗ったとこから12時間の旅、老体には結構厳しい。駅には展覧会を一緒に企画しているバンドン工科大学美術学部の講師、ササンが迎えに来てくれた。セラミック・アーティストの彼も、今度のフィリピン(バギオ)のイベントに招待されている。仕事が速く、正直で真面目なので、彼とは過去にいくつかの展覧会を共同企画してきた。インドネシアの友人の中で、私が一番信頼している人だ。


b0090333_14311494.jpg 駅の喫茶店で2日間にやるべきことを話し合い、ざっとスケジュールを立てて、とっとと始動。アンコッ(乗り合いバス)で第一の目的地を目指す。
(アンコッに乗ってくる子供の流し。ギターも歌もなかなかの腕前)


b0090333_14313544.jpg インドネシア若手作家としてフィリピンで紹介するアーティストの候補の1人は、バンドンで有名なTシャツブランドのデザイナー。彼は今バンドンにいないので会うことができなかったけれど、ササンが事前にコンタクトを取り、彼の作品資料CDをこの店で受け取ることにしていた。
(店内は日本にあってもおかしくないようなコジャレた内装。左隅の細くて高いのがササン)


b0090333_14315775.jpg 次に訪ねたのはCCF、フランス文化センター。ここの展示スペースでパフォーマンス・アーティスト集団が展覧会をしていた。今日は私の旧友ヘルーがディスカッションのパネラーになっていたので、正直あまり興味はなかったのだけれど、のぞくだけのぞいてみた。
 彼にささっと挨拶だけして、次の目的地へ。
(CCF。INVALID URBANというアーティスト集団のグループ展風景)


b0090333_14322818.jpg このヘルーはRed Pointというギャラリーの専属キュレーターでもある。彼はディスカッションが夕方まであったので、私はササンと二人でギャラリーへ。Red Pointは私がバンドンへ頻繁に遊びに行くようになった90年代半ばにすでにあった版画家グループの名で、彼らが集まる場が発展して展示スペースになっていったもの。
 その後、名を聞かなくなった時期を経て最近また復活し、展示スペースでは版画作品に限らずいろいろな作品を紹介している。残念ながら今は展覧会がなく、27日から始まる次の展覧会用の作品がディスプレイ待ちで置いてあるだけだった。


 バンドンもジョグジャと同じで夕方からどよ~んと曇ってきた。
 今日のお宿はバンドンの女性アーティスト、プリラ宅。彼女の作品は2005年夏と2006年春に「Passing On Distance ~90年代以降のインドネシア若手作家たち~」展の中で名古屋(NAF Gallery)と東京(BASE Gallery)で紹介したことがある。
 今回のフィリピンでの展覧会にも、私は彼女の作品を持って行きたいと思っていたので、最新作を見せてもらうついでに、そのまま泊めてもらうことにした。今まではバンドンではササン宅が定宿だった。でも昨年末に結婚して、嫁は東京芸大陶芸科に留学中だという状況で私が泊めてもらうのも今ひとつ気がひけるし、それよりなによりササンちは温水がない。プリラ宅はでかくてキレイで温水シャワーもあるので、気持ちのいい方を選ばせてもらった。


b0090333_14354340.jpg せっかくのサタデー・ナイト。ササンと一緒にプリラのオススメ・スポットに連れてってもらうことにした。コーヒー・ショップ&ライブラリーPatluck。店内は展示スペースもあり、若手アーティストの発表をサポートしているという。プリラもここで過去に展示したことがあるらしい。今はササンの教え子にあたる現役の学生のイラストレーション展が開催されていた。
 

 考えてみたら電車脱線のため、昨日の夜はあまり寝てなかったので、午後11時にプリラ宅へ戻り、とっとと就寝。
by midoriart | 2007-04-21 23:28 | Bandung
 今晩23:40発の夜行電車で西ジャワのバンドンへ向かう。明日の到着は07:33。ほとんど、デンパサール⇔名古屋間と同じ所要時間。乗り物が飛行機だったら日本まで着いてるってことになる。たかが2日留守にするだけでも二匹の犬たちを残すのでそれなりに準備がいる。洗濯もしたいのに、今日は朝からずーっと曇り空で、夜になったら雨まで降ってきた。
 
 今回のバンドン行きの目的は、フィリピンのギャラリーで開催を予定している「インドネシア若手アーティスト展」の作家選考。さらに、一緒にバギオ(ルソン島北部の街)に行く陶芸作家のササンと、キブガン村でのワークショップの打ち合わせもしなければならない(『キブガン村の修行系プロジェクト・イン・フィリピン』4月5日付参照)。

 バンドンにだってもちろんヨーヨー持参。ササンはビリヤードがプロ並みの腕らしい。さてヨーヨーの腕はいかに? 今日も練習しようと思ったのに、昨日からついに右手首がケンショウ炎みたくなって、コーヒーカップもってもギクッと痛い。手首傷めるまでヨーヨーやってる40女なんてもの、世の中にそうはいまい。でも、ここで挫けないのが体育会系。これはきっと、今のうちに左でも練習しておけってことだと思い、普段どうしても練習がおろそかになりがちな左手でのトリックにトライ。世界一周の技も左手でできるようになった。


b0090333_2261365.jpg 夕方になって電話が鳴った。
 ここ数ヶ月会っていないティタからだった。ティタはインドネシアでは数少ないバンドン出身の女性アーティスト。だんなさんのアグス・スワゲもこれまた有名なアーティストで、去年開催されたシンガポール・ビエンナーレにはインドネシア代表として夫婦揃って出品している。
 アグス夫婦とはジョグジャに来てすぐに知り合い、アーティストどうしというよりは、音楽仲間として付き合っている。絵も、ヨーヨーも、国境を越えられるけど、音楽もしかり。呑んでからじゃないと眠れないアグスの家に夜遊びに行けば、必ず泡の出る飲み物が待っていて、さらにほろ酔いのアグスと一緒にギターでぼろろん演れるのが楽しくて私はアグス宅の常連客となっている。
(一番右がアグス・スワゲ。後ろは彼の作品。真ん中二人はバンドンのアーティスト)


 けれど去年5月のジャワ中部沖地震でジョグジャが被災して以来、ティタはローカルのアーティストを巻き込んだ大規模な救援活動に忙しくなり、私は私で「こどもプロジェクト」にかかりきりになり、ほぼ1年の間、彼らの家でボロロンやることはできなくなっていた。
 そして今晩の電話。
「ヘィ、ミドリ! 今どこよ? 明日、アグスの誕生パーティだから、あんた歌うのよ!」
「え~~~~!!! 今晩からバンドンだってばぁ~~~」
「そんなのキャンセル、キャンセル~~!ダイエット中のあんたのために、ヘルシーサラダも準備してるのに~」
ってさ~、もっと早くに言ってよーーーー・・・。


b0090333_227770.jpg アグスは国内外で高い評価を得ているアーティストだけれど、若い頃にミュージシャンになろうか、アーティストになろうか悩んだくらいのギターの腕前。好きが高じて、彼の家には彼のアトリエの他に、ミュージック・スタジオもあり、本格的に録音も出来る。私もここで酔っ払いながら録音をして1枚のCDにしたことがある。
(もう1人の音楽好きアーティストのお気に入りギターを借りて)


 だから彼らが本気でパーティするって言うことは、サウンドシステムもかなり本気な準備をしていることになる。これに参加できないとは・・・。もっと早くに聞いてれば、バンドン行きはいくらでも変更できたのに~~~。本当に泣けそうに悔しいけれど、バンドンではすでに何人ものアーティストとアポイント入れちゃってるし、いまさらチケット変更するのも億劫。う~~~、今回はやむをえない、バンドンを取るしかない。


b0090333_228588.jpg 近頃のマイ・ブームはヨーヨーだけれど、私の昔からのブーム(ここまできたらもうブームというより日常なんだけど)はギター。中学校に入ってすぐにつくったバンドは女3人の「ういろうず」(私は生粋の名古屋人)。中学高校と女子校だったので、バンドやってて私のような風体だと男役のイメージがあるみたいで、バレンタインには後輩からかなりチョコレートをもらった。

 好きで男っぽく見えてたわけじゃないので、自慢できる話ではないけれど、私は単純に好きなチョコがたくさんもらえて嬉しかった記憶がある。
(いまだに大事にしているヤイリのアコースティック) 

b0090333_2282493.jpg 芸大でつくったバンド「やきとりどうしよう」は同じ科の女5人。別にお笑いバンド目指してたわけじゃないけど、いい加減なバンド名。毎年の芸祭でR&Rをやっていた。今思えば、我々のバンドで盛り上がって踊ってくれてたのが、先輩の奈良美智さんや小林孝亘さんだったんだから、スゴイ。



b0090333_2284546.jpg バリ時代には1人でボロロンするだけだった。そしてジョグジャに来てから今のバンマス、ティアスさんと知り合った。彼はジョグジャのインディーズ・バンドの中では伝説の人みたくなっている。今でもインディーズの若者たちからは兄貴として慕われている。確かに、彼のスライド・ギターは泣ける。
(ジョグジャのラジオ番組に出演、生で演ったとき)


b0090333_229655.jpg そしてそうそう、この人と伝説のバンドをしていたのが、この前バリでN翁の誕生会に来ていたアリフさん(『大成功のヨーヨー伝道と大歌謡会』4月8日付参照)なのだ。


 本当はこの前のN翁の誕生会でぶっ通し弾き語りして以来、好きの虫が起きてきて、まだ歌いたいとうずうずしていたところ(あ~、今思えば、この右手首のけんしょう炎はヨーヨーだけじゃなくてギターもあるかも・・・)。バンドン行きがなかったら、明日の今頃はアグスの誕生会でまた歌いまくり弾きまくりだったのに・・・。けど、いかんいかん、まずは自分のやることしないと。
 ティタには私が来週明けに戻るまで、最上のワインは残しておくようにお願いした。バンドンから戻ったら、アグスのお誕生を祝いに、約1年ぶりに彼らの家を訪ねようと思う。
by midoriart | 2007-04-20 22:09 | Yogyakarta
 中部ジャワ沖地震の被災地に、こどもプロジェクトが建てた第3こどもバンブー幼稚園。ここに日本から慰問団が来てくれたのが3月21日なので、私のヨーヨー・ブームもかれこれ1ヶ月になる。慰問に来てくれた一人は世界チャンピオンのタイトルを過去に2回も取り、日本人で初めてヨーヨーマスターの称号を得たというTAKAさん。彼の神業ヨーヨーを見、さらにヨーヨーをもらって直接指導してもらって以来、小学校時代のコカコーラヨーヨー・フィーバーを思い出していまだに毎日ヨーヨーを握る日々が続いている。


b0090333_1648345.jpg TAKAさんが店長している通販のサイトでマイ・ヨーヨーを購入したときに、師匠が一緒に送ってくれたのがこのFAST201。コカコーラヨーヨーと比べると全然重い。これがプロの重みというものなのか。キャッチしても痛い。サイトで調べてみたら

「Full Active Starburst Technologyの頭文字をとってF.A.S.T.と呼ばれる新しいスターバーストの仕組みを使用して登場してきたヨーヨーファクトリーのスタンダード機種です。グラフィックデザインやヨーヨーのフィーリングが成熟しているのはプロヨーでおなじみだったYo-Hans氏がこのメーカーのオーナーだからです。ザンナビのスター形状と近い構造ですが、アクティブスターバーストの名の通り、スターを押し込むとへこむ動きをします。これにより独特の回転音が生じます。

ボディーが完全分解できるため、ウエイトを取り外したり、スターシステムを交換することができるようになっています。今後のラインナップとしてパーツ販売も予定されているため、カスタマイズの幅の広い機種としてお勧めです。アメリカのアリゾナの工場で作られているため精度は高いです」
理解のできないカタカナがいっぱい登場でまったく意味不明、でもスゴいヨーヨーだってことだけはわかる。


b0090333_1650865.jpg 気になってその他のヨーヨーもいろいろ見てみると、やっぱ奥が深い。(以下は師匠TAKAさんが店長しているスピンギアのサイトから了解を得て転載)
アクセサリー関係もやっぱりいろんなものが出ていた。
ヨーヨーを収納できるボックスとか、


b0090333_16504982.jpg 腰につけておけるこんなケースもある。これかなり気になる。
 七五三におもちゃの刀を差して行った私は、どうもこういう関係のモノにいまだに惹かれる。もっともっと上手くなったら、常にこんなケースでヨーヨーを携帯したいもんだ。左右につけて二刀流してみたい~


b0090333_16512487.jpg 中身がいったいどんなもんかはよくわからないけれど、こんなかわいいプレゼント・ボックスに収納されたヨーヨーもあった。BCチャンピオントップセット(スピントップ&ヨーヨー)ってものだけど、半分何が入ってるのか私にはわかっていない。けどかわいいから気になる。


b0090333_16514194.jpg さらに、遊びの道具としてではなく、木工作品としてかなりレベル高い、こんなのも見つけた。自分の好みで組み立てられるものらしいけれど、私の芸大時代の友達の中にもきっと欲しい人がいるだろうな~。寄木の一品はかなりそそられる。この域に来ると、たとえばギター好きが高じてギター作りの方へいっちゃう人とか、そんなのに近いんだろうなぁ。このトム・クーンのシリーズはいつか実物を触ってみたいと思ってしまった。


 このサイトを見ていて納得したけれど、ヨーヨーってのは「スキル・トーイ」と分類されるらしい。確かに遊び道具なのに、遊ぶ人のレベルで随分とイメージが違う道具ではある。この分類の中に、こんな懐かしいものまで発見!!! 

b0090333_1652421.jpg アメリカン・クラッカー!!! 
流行ったよなぁ~~~昔。で、たいていみんな持ってたような気がする。当然、私も持っていた。夕飯終わってみんなのテレビ鑑賞タイムにやっては母に
「やかましぃ!」
と叱られた。
 それがなんと、今日びは光るらしい。これ、田舎に行って夜にやったらかなりキレイだろうなー。


b0090333_16585623.jpg いろいろ巡ってヨーヨーの奥深さを楽しんでいると、こんなヨーヨーを見つけた。
 「JN」というのは、日本ヨーヨー連盟が開催する全日本大会のことで、フリースタイル競技で各地の予選本選を勝ち抜いた人たちがファイナルで一同に集まり、日本一を決めるというもの、らしい。私がこの連盟の存在を知ったのは、師匠TAKAさんのブログからで、ちょうど今年の大会のロゴ募集~ってお知らせがあったので、そのURLを覗いてみたのがきっかけ。


 私のヨーヨー熱絶好調のときだったので、このロゴ募集要項を見て、
「◆採用特典:採用者には、製作予定の限定系ヨーヨーのプレゼントを予定しております」
ここがムッチャ気になった。自分のデザインしたロゴ入りヨーヨーが欲しい~!と思って一晩で作ったロゴで応募したら、なんとこれが採用決定。やっぱり今はヨーヨー風がこっちに向かって吹いてるってことか。


b0090333_16541431.jpg 連盟のサイトでも4月18日付でロゴ決定の告知が出てたので、私も今日ここで報告することにした。だからさっきのヨーヨー、「JN2005」のロゴ入り限定ヨーヨーを見たときにも、
「今度はここに私のロゴが入る」
と思ってウキウキ。
 5月12、13日が大会ってことは、その前にはオフィシャル・ヨーヨーが出来るってことだろうから、フィリピン行く前にはマイ・ヨーヨーwithマイ・デザインが手に入るかも・・・。今からかなり楽しみだ。
by midoriart | 2007-04-19 16:54 | Yogyakarta
 フィリピンの国立美術館でキュレイターをしている友人パトリックと企てている展覧会は、インドネシアの若手作家の紹介。昨日はジョグジャの若手2人と会って作品を見せてもらった。よく展覧会のオープニングで顔を見る子たちだった。そのうちの1人がちょうど今、二人展をやっているというので、まずはそれを見に行くことにした。

b0090333_23461632.jpg 会場はうちから近いKKFという、レストランと多目的ホール、展示スペースを備えた場所。レストランには私のお気に入り、テンペ(インドネシアの納豆)ステーキってメニューもある。私が行ってたジョグジャの芸大を卒業したばかりのWedhar Riyadiが同期の作家もう1人と開催していたのがこの展覧会。最近の若手作家はこういった手の作品傾向が多い。ミューラル(壁画)かTシャツデザイン。

b0090333_23465220.jpg でもこのWedharの方はいろんな技法を試したりしていて、私は個人的にわりと好きな作品をつくっている。昨日会ったときの第一印象は「ダサいヤツ」だったので作品と本人があまり結びつかない。日本のアニメなどの影響も多々ありそうな彼の作品の中で、『ゲゲゲの鬼太郎』が好きな私が惹かれたのは、でっかい目玉に乗った女の子。目の下のクマもいいし、頭で結んだリボンの真ん中には髑髏が座している。


b0090333_23472577.jpg パトリックへの報告も兼ねて会場撮影した後、ついついこのキャラのTシャツを購入~。若手アーティスト支援にもなるんだからいいさね。


b0090333_23474811.jpg 私は2003年から、ジョグジャカルタで『JOGJA SURIFNG』というジョグジャ周辺のガイドブックを発行している。なんとなく思いついて、アイデアをジョグジャの王様にプロポーザルで見せたら、是非作ってみて欲しいってことになったのがきっかけ。
 山アリ谷アリの末、今はジョグジャカルタ市観光局がスポンサーとなり、印刷費だけはサポートしてくれている。後はまったく私の勝手。何を書こうがどこを紹介しようが、すべて自分の好きにしていられるので、2ヶ月に一度の趣味の雑誌って感じだ。

 ちなみに、観光局に頼まれて、過去からの内容をまとめたサイトjogjasurfing.comもあり。
すべて1人で動かしているために、なかなか完璧にはいかないけれど、それなりの情報を掲載しているつもりなので、ジョグジャ観光など考えている人には見て欲しい。日本で出てるガイドブックよりはジョグジャについてのインフォが多いはず。


b0090333_23492673.jpg 今日はこの『ジョグジャ・サーフィン』5~6月号の原稿を印刷屋に出してきた。
 ここが仕事場。いつも自分ちで版下を作り、最終稿を持って印刷屋に行く。ここのパソコンに入れてみて、日本語の文字がすべて表示されるか確認、色の出方のチェックなどなどをサラっとして引き渡す、というのが隔月の私の行事。
(手前がいつも手伝ってくれるヨノさん。後ろの青年は印刷屋の若くして有能なスタッフ。私のフォトショップの先生でもある)


 ここのスタッフとは私がジョグジャに来たての頃からの付き合い。私が展覧会をやるときの案内状も、名刺も、日本へもっていった展覧会のカタログも、すべてここで印刷されている。まだまだ日本と比べたら低いレベルの印刷技術しかないインドネシアで、ここのスタッフは向上心のある人たちばかり。私が何冊も日本の雑誌などを見せたりして、かなりいいレベルの仕事ができるようになってきたので安心して任せられる。


b0090333_23495478.jpg 原稿を入れたところで、私が取り出したのは、もちろんヨーヨー。
 いきなり顔が子供に戻ってしまって、デスクを離れてヨーヨー振り回す印刷屋のナンバー1とナンバー2。ナンバー1のヨノさんがいうに、子供の時はヨーヨーが欲しかったら自分で木を彫って作ったものらしい。それも、丸い板と板を合わせるんじゃなくて、糸巻きのあの溝を彫ったっていうんだから気合が違う。
 

b0090333_23501867.jpg 狭い印刷屋のオフィスではやりきれないと、外まで出ちゃったヨノさん。
 私もつられて外に出て、一緒になって汗かくまでヨーヨーを回した。いや~、にしても本当にヨーヨーは国境なしだなぁー・・・。今日の入稿でちょっと問題があったため、明日の朝にも印刷屋に寄ることになった。そしたらヨノさんからいきなり挑戦状。


「ミドリ、このトリックは一回だけ回せたってダメなんだよ~・・・」
と彼が言うのは、私の師匠世界チャンピオンのTAKAさんに教わった世界一周(被災地訪問の時には「マタハリ(太陽)」と名づけて紹介してくれた)のトリック。
 これは大~~~きくヨーヨーを一周させて手元にシュルッと戻すというテクなんだけど(多分小学生レベル)、ヨノさんはこう言うのだ。
「これはさ~僕らが小さい頃は、5回回してもまだヨーヨーが戻ってきたら、スゲ~!!!って言われてたんだ」
とのこと。

 私が1回っきり回したって感動してくれんってことかい。なんだか宿題出された気分・・・
 明日の朝までにせめて3回回しくらいは成功させたい。ちょっと早起きして頑張ってみるか。
by midoriart | 2007-04-18 23:45 | Yogyakarta
 考えてみたら、フィリピンへ発つ日まであと約1ヶ月に迫っていた。まだチケットは取っていないのだけれど、5月22日までにはケソン島北部のバギオに着いていたい。私のフィリピンで3度目になる個展は6月5日にバギオ市内のギャラリーVOCASで始まるのだ。今回は私がバギオの奥地に入り込み、村の人と接した結果そのものが作品となるので、今ジョグジャで準備するものはそれほどない。展覧会の2週間ほど前に現地入りすれば大丈夫だろう。その後は6月13日頃にバギオから首都マニラに移動し、今度はこっちでも展覧会の準備がある。

今回のフィリピン行き、私には3つのミッションがある。
メインである個展がまず1つ。同じくバギオで開催される『国際環境デー』のイベントの一つであるワークショップが2つめ。このワークショップはフィリピーノ&アメリカンの陶芸家レイ君、フィリピーノ&西洋(どこの国か忘れた)の竹ちゃん、インドネシア人のササン、そして私という4人の国籍もバラバラなアーティストのコラボレーション(詳細は4月5日付『キブガン村の修行系プロジェクト・イン・フィリピン』を参照されたし)。

b0090333_23315122.jpg ここまではバギオ、そして3つめはマニラでの企み。
もともとここまで私がフィリピンと縁が深くなったのも、もともとはマニラ・ミュージアムの学芸課長であるパトリックのおかげ。彼が2005年に助成金を得てタイとインドネシアのアート・シーン調査をしていたときにジョグジャで知り合って以来、なぜか気が合ってちょくちょくコンタクトをとっている。
(これがパトリックの仕事場、マニラのナショナル・ミュージアム。考古学、人類学、植物学から古代の出土品、芸術作品と国立博物館の名にふさわしい収集品の質と量。彼は美術館の偉いさん)


b0090333_23321349.jpg 最初にフィリピンへ行こうと決めたのも、彼がフィリピンのアート・シーンについていろいろ話してくれたことに惹かれたからだった。当時彼はフィリピン唯一の国立大学UP(The University of the Philippines)の教授でもあったので、美術学部の他の教授を紹介してくれて、それがきっかけで去年はこの大学に招聘され、アーティスト・トークをしたり、一部の授業でワークショップしたり、ついでに個展したり・・・と展開することにもなったのだった。
(パトリックのオフィス。な~~んにも置いてない広~~~い部屋に彼一人)


b0090333_23324210.jpg そして今回の私の3つめのミッションは、このパトリックとの企てで、マニラの美術館でインドネシアの若手アーティストの展覧会をするというもの。場所は由緒正しいCCP(Culture Center of the Philippines)。この芸術の殿堂といわれるカルチャー・センターはあのイメルダ夫人が1969年にとてつもない費用をかけて建てたもの。


 4階建てのモダンな建物の中には、かなりレベルの高いシアターや、小劇場、アジア諸国の伝統楽器を集めた小博物館の他に、大小いくつかの企画展示室(ギャラリー)も併設している。パトリックは以前からこのカルチャー・センターのギャラリーを使っていろんな展覧会をキュレーションしてきていたのだった。


b0090333_23331721.jpg 昨年の8月に私が個展を終え、インドネシアへ戻る前に彼と最後の食事をしたとき、我々は冗談半分で約束した。
「パトリック、もしまた私が何かの縁でフィリピンに戻ってくることが出来たら、そのときにはインドネシア・アーティストの展覧会をやろう。パトリックの調査した成果にもなるんだし、私が来るときに作品も運んじゃえば大丈夫だからさ~」
(CCPのシアター)


 こんなテキトーな約束だったのだけれど、運とは不思議なもので、今年になってまたフィリピンを訪れることになり、こりゃあの約束も果たしちゃおう!ってことで一気に盛り上がった。ここしばらくパトリックとはメールでコンタクトを取り合い、二人で相談した結果、展覧会で紹介する若手作家がだいぶ絞られてきた。となると、後は私が実際に作家に会って作品を見ながら、どの作家のどの作品をもっていくのかを決めていく段階になってきた。


b0090333_2334995.jpg ジョグジャからだけではインドネシアのアートを紹介したことにはならないので、今週末にはバンドンへ行く。若手作家が活発に制作しているのはジョグジャ、バンドン、ジャカルタ。今回はパトリックのインドネシアでの調査結果から彼の意見を最大に生かして作家選考することにしたので、作家探しはこの二都市に限ることにした。
(パトリックとの企みが実現するのはこのギャラリー)


b0090333_23345084.jpg 今朝さっそくジョグジャのトゥグ駅に行ってチケット購入。バンドンってのは中途半端な位置にあって、ジョグジャ⇔バンドンの飛行機は週に2本ほどしかないし、バンドンは盆地で着陸でフラフラしてかなりビビるらしい。結局私はジョグジャ23:30発、バンドン翌07:33着の夜行電車に決めた。むこうからは20:00発でジョグジャに翌朝04:35着という、これまた夜行。金曜の夜行に乗り、日曜の夜行で帰るということになる。

 老体には夜行電車はけっこうツライけれど、久しぶりの電車の旅もまぁいいか・・・。これも楽しんじゃえばいいさな・・・。こうやってどこかに行くことが決まったとたん、すでにご当地の美味しいもののことばっかり考えてしまう。ダイエットはどうなることやら・・・。
by midoriart | 2007-04-16 23:30 | Yogyakarta