Culture & Art Report from INDONESIA


by midoriart

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1月27日◆バリ父の初体験

 久しぶりの正月を日本で迎えるための一時帰国、なんだかんだいって一ヶ月近く日本に滞在できた。でもいつも思うけどあっという間。
 昔はちょこっと帰国すると、すぐにバリ島が恋しくなって、実家の母親にまで
「なんか、そうやってボーっとしてるあんたを見てると、動物園の猿みたいでかわいそうに見える」
と言われたりしたけれど、なんだか最近は日本へ戻るたびに
「日本っていいなぁ~~~」
と、日本文化に通じた外国人の気持ちになることがある。これはきっと、長いこと離れたからこそわかる日本の良さを感じることができるからなんだろうな。

 とまれ、24日を27日に延期してのインドネシア戻り。成田空港GARUDAのチェックインカウンターは満員。こんなに観光客いるんだったら、名古屋便なくしちゃうことないのになぁ~。。。

b0090333_17583872.jpg 午前11時に予定どおり成田を経ち、8時間のフライトで飛行機はバリ島のングラ・ライ空港へ。着陸ちょっと前にパイロットからの放送があり、バリ・ヒンドゥー教の総本山、アグン山が見えるよ~とのこと、楽しみに窓のぞいてたら、見えた見えた、アグン山のカルデラ。さすがに神々しい。いつもは下から拝んでるけど、今日は上からで失礼いたします~。。。


 いつも迎えに来てくれるのは10年間木彫りを習った師匠でもあり、今ではもう兄貴的存在のマデ・サナ。天パの長髪に長身なのでアライバルの扉を出たらすぐに見つけられるのに、アレ?なんでいないの??? と思ったら、サナ兄貴の妻が私に手を振っている。見れば父ちゃんまでいるじゃないの!

b0090333_1851768.jpg 今日のお迎えメンバーはなんと、昨年結婚したばかりの身重の我が娘(詳細は10月の記事参照)エリパニ、彼女が運転手。そしてエリパニの本当の母(私は第2の母)、エリパニの従姉妹の娘、そして父ちゃん(サナ兄貴の父=エリパニの爺ちゃん)。
※空港の施設に感動してカタまりっぱなしの父ちゃんとその家族


b0090333_1872030.jpg 昔~っから、私はナナン(バリ語で「お父さん」の意)を街に連れてってあげたいと思っていた。バリの田舎の村で百姓してるナナンは、一度も空港を見たことがないし、デパートも知らない。いつか私が空港から車を必要とすることがあったら、ナナンに街を見せてやりたい・・・。それを知ってたサナ兄貴が、今日は気をきかせて娘のエリパニに運転させ、ナナンも乗せていくよう仕向けたらしい。
※フードコートでくつろぐナナンと身重のエリパニ

 夕飯のために、空港を出てデンパサールの街のデパートに向かった。バリで暮らしてた頃は、娘のエリパニと街の映画館で映画を見て、このデパートをフラフラ回ったもんだ。
ナナンはバリ人の年寄りにとっては一張羅の白いシャツに伝統的な腰巻といういでたち。そんな、いかにも「フツーのバリ爺さん」を、バリではちょっと目立つ外国人の私が手を引き、バリ語で
「父ちゃん、こっちだよ。ちゃんと歩いてよ~」
なんて言ってるから、店員達の目が点。エリパニたちがそんな様子を後ろから笑いながら見ている。


b0090333_18103833.jpg 最上階のフードコートで、歯のないナナンでも食べられそうなメニューを選んだ。ごくフツーのメニューではあるけど、初めて緊張しまくりで乗ったエスカレーターで到着した4階のフードコートで、めくるめく電飾の中で食べるご飯はナナンにとっては初体験で、かなりの感動だったようだ。口の周りに飯粒くっついてるのも忘れて食事を楽しんでくれた。ほれ、この笑顔見たら、ナナンがどれだけこの一時を楽しんでくれたかよ~くわかる。

 最後にナナンが一言。
「わしなぁ~。こんだけ満ちたりた飯を食ったのははじめてかもしれんわぃ・・・」
そこまで言ったら四男の嫁に悪いけど、初体験のフードコートを満喫してくれたようで私も「バリ父」孝行したかいがあったってもんだ。

 私が帰るとバリの家族はにわかに騒がしくなる。私がバリに戻るとレンタカーするので、子供達はまとまって一緒に出かけられる。ってんで、サナ兄貴の息子フォギ(13歳)を筆頭に、サナ兄貴の弟タガル(ナナンの四男)の2人の娘、次男サヌの息子、そして長男の娘の娘などなど、世代もゴッチャにみんな集まる。

b0090333_181140100.jpg 彼らの第一の目的は「日本の母」にアイスクリームを買ってもらうことなんだけど、それ以外の楽しみは、空港への見送りについていって、帰りにサナ兄貴と海でチャプチャプすること。これは私を空港へ送る車の中。すでにお子達ははしゃぎまくり。昔はこういう子供の歓声にムカッと来たもんだけれど、最近は歳とったからか、こんな子供達の浮かれ具合も微笑ましく見てられるようになった。今では彼らは私のバリの家族だと心からいとおしく思える。


 そしてようやく28日午後1時半、ジョグジャに到着。一ヶ月ぶりに会った2匹の犬は大喜び。ここからが私にとっては大忙しの時間。庭の芝刈り、洗濯、部屋の雑巾掛けなどなどで2日はかかる。この忙しい時に、なんと井戸水を汲むポンプが故障して水がないっ!夕方慌てて近所のオッチャンを呼んで原因を調べてもらったところ、マシーンのプロペラが焼けて動いてないとのこと。結局この日には直せず、翌29日になってようやく水が使えるようになって今日に至る。

b0090333_18135670.jpg いやぁ~、なんかいつも出かける時と戻ってきた時は忙しい。なんでいつもこうなのかねぇ~・・・と愚痴る私に、井戸に潜ってたオッちゃんが言った。
「人生、人間と同じさ~。健康なときもありゃ、風邪引くこともある。ちょうど今が風邪の時期だっただけでよー、元気なときもすぐ来るわな」
※うちの井戸にシュルっと入っていくオッチャン

 いやな事もいっぱいあるインドネシアで、ふとこんな含蓄ある言葉が井戸修理師の口から出てきたりするからおもしろい。またここで私の暮らしが始まる。
by midoriart | 2007-01-30 17:59 | Bali
 ジャワ島中部沖地震で「こどもプロジェクト」のような大きな活動を始めてしまったことは、私の半世紀(までまだ生きてないけど)の中でもかなり重大な経験となった。その中でも私自身がとっても貴重で興味深い経験をしたなぁ~と思うのが「コッキン(国際緊急援助隊)」との出会いだ。
 小さな頃からお爺ちゃんの影響でか戦争映画が大好きで、小学校高学年になるとボロボロになったアメリカ軍の古着で登校していた私は、卒業文集に深い意味もなく
「大きくなったら自衛隊に入る!」
と書いた。
 だけど実際にはもっと大きな夢だった美術の世界へ進み、今に至っているんだけれど、アーミーグリーンにはいまだに憧れている。

 そんな私が、昨年5月27日のジャワ島中部地震の「おかげ」で、生の自衛隊と接し、さらには彼らのアシストをするという機会まで得たのだ。これはホント、今思ってもかなり貴重な体験だった。そして運のイイことに、私がアシストしていた幹部の皆々様はとってもイイ人たちで、私が帰国すると知ると、多忙な身のくせにちゃんと一席をもうけてくださるのだ。
 10月の一時帰国の際もそうだったけれど、今回もプロジェクトの終了打ち上げを兼ねた新年会まで企画してくださった。もうこれ以上多忙な皆さんの邪魔はすまい・・・と思っていたら、コッキンの副隊長だったWさんから、
「インドネシアに戻られる前に、是非また防衛省にお越しください。コッキンの先遣隊メンバーもできるだけそろえておきます」
とわざわざ連絡をいただいた。

 昨年6月1~20日まで、コッキンがジョグジャで救援活動をした際、私はボランティアで彼らと関わった。名前は通訳だったけれど、ちゃんとした通訳のお手伝いというよりは、先遣で入ってきた中心メンバーにジョグジャの情報をお知らせしたり、必要な物資をそろえるのに、どこの店が適しているのかなど情報提供をした。この最初の19名の働きは、まるでスパイ大作戦みたいに迅速でカッコよかったもんだ。このメンバーが、今回私がインドネシアに戻る前に集まってくださるというのだ。なんだか、とっても贅沢な話。


b0090333_119540.jpg 「防衛省」になってから、ここを訪ねるのは2度目(1月9日付『コッキンと防衛省と新年会』参照)。例のショボい看板(表札?)はまだブロンズが出来てこないのか、仮のままだった。受付も、もうすっかり慣れてきた。私のような風体の一個人が統合幕僚のエライさんに会いに行くので、ニコやかな受付穣の顔にも、微妙に疑いの眼差し。
  それでも私が面会届けに書きこんだWさんの部署に彼女が電話したら
「はいはい、じゃあお通ししてください!」
とWさん本人が明るく答えてくださるので、問題なくパス。


b0090333_1194642.jpg コッキン先遣隊の皆さんがいる棟までは、こんなエスカレーターを使う。ホテルにでも行くような感じ。今日は先遣隊のときに一番近しくアシストをした補給班のMさん、Yさん、そして副隊長のWさん。それに海のMさん、空のOさんとTさんが参加してくださり、14階のレストランで会食となった。集まってくださった皆さんも、コッキン以来顔を合わせるのは初めてって人もいて、短いお昼休みの一時、ここだけがまるで先遣隊の会議室に戻ったみたいだった。


 皆さんそれぞれに1245(ヒトフタヨンゴー=12時45分)から会議だったり、仕事だったりと、席をお立ちになるので、私も早々に引き上げることにした。忙しい中時間を作ってくださった皆さんに感謝。その後、勝手知った防衛省の別棟に一人で歩いて行った。ここにはムチャくちゃレアな「スタバ防衛省店」や、自衛隊のキャラグッズを売る土産物屋、後はコッキンの皆さんが「貧民食堂」と呼ぶおっきなレストランなどが入っている。

b0090333_123195.jpg 今日見ておもしろかったのは「防衛庁」が「防衛省」になったお祝いに、防衛省内に入ってる店がやっちゃってたフェアー。なんで「省」になるとポッキーが安くなるのかよーわからんけど、祭気分で楽しかった。もっと不思議なことに、ハワイのTシャツとかオーストラリアの革財布などもワゴンで安売りしていた。ちょいと気になるローズ・ウォーターなんてものも1000円で出ていた。


b0090333_124195.jpg そして私はといえば、結局は何も買わずに棟を出て、そのまま防衛省を後にした。コッキン先遣隊の皆さん、どうもありがとうございました~!
by midoriart | 2007-01-30 01:20 | Japan
 東京にいる間は、気になる展覧会を集中して見て回るようにしている。会場が1~2箇所の時は一人で動くこともあるけれど、気合を入れてたくさん回るぞ!というときに、一緒に回ってもらうのが東京在住のアーティストIさん。彼とは宮本亜門さんを介して知り合った。今では亜門さん抜きで二人で出かけることがよくある。年齢も近くて、やってることが同じなので、相談もできるし話してて楽しい。
 

b0090333_16174525.jpg 今日の私のリクエストはつい先日オープンしたばかりの国立新美術館チェック、そしてこの周辺の小さなギャラリー系巡りだった。やってる展覧会よりも、「箱」としての新美術館が気になっていた。地下鉄乃木坂を出ると、直通の通路があった。待ち合わせはチケット売り場だったのだけれど、Iさんとはちょうどこの通路で出くわした。

b0090333_16181877.jpg ガラス張りの館の中は自然光いっぱいで気持ちがイイ。
「1月ってこんなにあったかいもんだったか?」
ってな陽気&空調。

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 展示自体は正直、とっても見にくかった。後から会場の平面図を見て、
「え?ちゃんとしたキレイな四角形だったの!?」
と驚くくらい会場がいびつに区切られていたので、一つの展覧会としては正直つらかった。見にくいですわ・・・。
 逆に2階でやってた昭和のアニメとか、江戸時代のフィギュアとかの方が私は楽しめた。


b0090333_16192425.jpg ちょうど名古屋の母からメールが来て
「昨日テレビで新美術館のことやってたわよ。フレンチのランチが美味しいそうよ。1600円」
って言うので、土産話にと3階まで行ってみたけれど、想像どおり長蛇の列。私らが食べる頃にはディナーになってるんちゃうかって感じだったので、そのまま地下まで降りた。


b0090333_1620345.jpg  ミュージアムショップは、さすがの品揃え。フロアも広い。美術愛好者はもちろんのこと、「TOKYO、TOKYO」が好きな海外からのツーリストのツボにもピッタリはまりそうなダルマとか、鳥獣戯画とか、扇子に団扇とか「ジャパニーズ臭」いっぱいの商品もたくさん並べていた。

 その奥が、おそらく館内では一番チープに食べられる一角で、ビュッフェ風に自分の好きなものを取って、最後に会計するってコーナーになっていた。Iさんと私はここでお試し~。彼はカレー、私は中華バリそば。ハッキリ言って量が足りんわ、値段の割りに。なのでお洒落に小さくまとまったサンドイッチを買って二人でシェア。これでようやく腹が満ちた。
 その後はTOKYOアートトライアングルとなるらしき地帯を散策し、最後には原宿、新宿までも回った。Iさんは東京人だし、普段でもサクサク歩いている人なので、この画廊からこの画廊へと、チャッチャカお歩きになる。私も同世代として(言い訳になるけど彼の方が二つ下)負けてはいられないので、ガンバッて歩いたけれど、やっぱり東京人には敵わない。最後の方は足をひきずって彼についてく感じだった。

b0090333_16204923.jpg それでも、1日でかなりの場所を見ることができて、これは本当~~~に彼のおかげ。私一人だったら移動に悩むし、疲れてお茶ばっかりしてただろう。美大生だった頃のようなペースで充実の画廊巡りができた。Iさん、アリガトウIさん!

※写真はすべて国立新美術館にて。


★遡って日記を更新しました。
1月11日『明治神宮と岡本太郎記念館』
1月22日『「こどもプロジェクト」東京講演報告』
by midoriart | 2007-01-23 23:16 | Art
 今回私が帰国していることを知っていたNPO ARDA代表のNさんが、私に東京講演をやって欲しいと電話くださったのは、1月初旬のことだった。
最近の天災や人災(テロなど)で観光客に人気のなくなったインドネシアでは、国営エアーのGARUDAが名古屋便をストップした。だから私は関空か成田からしかインドネシアへ戻れない。実家の名古屋から近いのは関空だけれど、大阪には友人もいないし見たい場所もそんなにない。けれど東京には名古屋以上に友人がいるし、見たい展覧会もたくさんある。そんな理由で私は成田からインドネシアに戻ることにしていた。1月27日成田を発つ前にということで、決まったのが22日の夜、門前仲町の門仲天井ホールだった。


b0090333_16102182.jpg 急に決まったことだし、「こどもプロジェクト」はもう昨年終了したこともメンバーの皆さんには伝えてあるので、どれだけの方が今もまだ興味をもってくださるのかわからなかったけれど、少なくとも「講演」を聴きたいという方がいらっしゃる以上、私に時間がとれる以上、皆さんへの報告としてやっておかなくちゃ・・・と、メンバーの皆さんにメール連絡もしておいた。

b0090333_16118100.jpg そして当日。1時間前に会場についてプレゼンテーションの準備などしていたら、懐かしい顔がやってきた。大学の同級生、美術研究所で講師をしていたときの教え子、名古屋で中学時代に遊んでいた友人など。中には、私が知らなかったけれど、救援活動をずっとブログで見ていてくれた人もいた。そして今まで一度も会ったことのなかった、「こどもプロジェクト」のメンバーの方々。
参加人数としては、名古屋講演の88人よりもずっと少ない20余名だったけれど、ほぼ全員がすでにこの活動を知っている、もしくはメンバーだったので、話もしやすかった。本当の報告会になった。


b0090333_16115984.jpg アットホームな会場で、後半は質問を受け付けた。
国際交流基金の方からは
「金を持ってる日本人がいるとわかって、被災者から迫られたりしなかったのか」
とか、若い青年から
「こんなユニークな活動が知られてくると、今後インドネシアの天災があったら、廣田さんが受け口になるんじゃないですか?どうします?」
とか、
「活動中、一番大変だったことは?」
などなどいろいろ聞かれた。

 そんな質問に答えていて、自分自身わかったのは、半年におよぶ活動を私は充分に楽しんできたということだった。500万円という大金が重荷になった時期ももちろんあったけれど、そうした重圧を吹き消してくれる信用できる仲間との出会いや、ブログでの暖かい書き込みがあったおかげで、私は本当に楽しんですべてのプロジェクトを遂行できたんだなぁ~とあらためて思ったのだ。


b0090333_16124532.jpg 一生に一度経験できるかできないかという貴重な時間を過ごせたのも、ブログを通じて知り合ったメンバーの皆さんのおかげだと思う。被災から8ヶ月になる今、もう私のブログで被災地の現状を知ろうとする方も少なくなってきているけれど、今ここでもう一度メンバーの皆さんにお礼を言いたい。


 青年から出た質問、
「またインドネシアで天災があったら、みんな廣田さんに救援活動を期待するんじゃないですか?」
に、私は答えた。
「いえ、もうしません。今回は私の周囲で起こったことで、友達を助けることがここまで発展したのです。別の場所で何か起こっても、私にはこんなモチベーションはありません。ここで足を洗います」


b0090333_16132732.jpg 一人の人間として多くを学んだ2006年は過ぎ、2007年が始まった。久しぶりに気持ちの引き締まる冷たい空気の正月を日本で過ごし、気持ちの切り替えもできたように思う。今年はフィリピンや日本での個展に向け、自分の時間を使っていきたい。
by midoriart | 2007-01-22 23:08 | Jawa Earthquake
 先日、名古屋にある名城大学アジア研究所で行った「こどもプロジェクト」の活動報告会(1月12日付『アジア研究所の講演会』参照)を、今度は東京でもやることになった。私の帰国や報告会のことを知ったある美術のNPO代表Nさんからの依頼だ。彼女は「こどもプロジェクト」の早い段階から、彼女のネットワークに我々の活動を伝え、多くのメンバーを集めてくださった。

 この前のアジア研究所では、アジア諸国での支援問題に興味をもつ大学生が中心だったけれど、今度はおそらくメンバーの方々、美術関係者でアーティストの活動に興味をもった方の参加が多いと予想される。

 以下はNさんが一般に向けて配付している案内のぬき出し。そのまま使わせていただくことにする。

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ジャワ地震復興体験と
「こどもプロジェクト」
廣田緑の報告・講演会

日時:1月22日(月)19:00~21:00
場所:門仲天井ホール


 昨年5月27日、インドネシア・ジャワ島中部、ジョグジャカルタを襲いました。地震直後より救援活動を開始したアーティスト、廣田緑さんの報告・講演会を行います。

b0090333_14112465.jpg ブログで現地の状況を伝えた廣田さんへ、日本から予想以上に多数の人々から義援金が集まり、その責任感が背中を押しました。「ファミリー・パック」「父ちゃんガンバレ・パック」「オンリー乳作戦」等のサポートは現地に根差した臨機応変な動きで、遠く離れている私たちの心を動かしました。過酷な救援活動中にありながら、毎日義援金の収支報告をブログに掲載していた真摯な態度にも頭が下がりました。


b0090333_14114249.jpg そして8月に「第一号バンブー幼稚園」を開園。『彼女はなぜ人々を救い幼稚園を建てたのか ~ジャワ地震復興に見る日本女性ここにあり~』と週間朝日(2006.10.6)にも掲載されました。

 今回は正月をご実家名古屋で過ごし、インドネシアへ戻る直前の廣田さんから、これらすべての貴重な体験を、画像をまじえて語って頂きます。

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●企画・共催:門仲天井ホール/黒崎八重子
      NPO芸術資源開発機構(ARDA)/並河恵美子

●お申込み・お問合せ
      門仲天井ホール
      tel 03-3641-8275  fax 03-3820-8646

●アクセス
      営団地下鉄「門前仲町」駅3番出口から徒歩3分/都営地下鉄大江戸線「門前仲町」駅6番出口から徒歩1分(駐車場はありません)

        
●NPO ARDA : tel&fax: 03-3334-7876
E-mail:namikawa@arda.jp http://www.arda.jp

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さかのぼり、1月15~17日の出雲旅行記事をUPしています。
●1月15日「大国主大神さんの住処へ」
●1月16日「松江城の堀川めぐりと三瓶温泉」
●1月17日縄文時代の巨木林と境港のねずみ男
by midoriart | 2007-01-21 14:08 | Jawa Earthquake
 正月母孝行旅行の最終日は、私が心待ちにしていた三瓶小豆原(さんべあずきはら)埋没林公園から始まった。ここは以前、バリのN翁から話を聞き、いつかは訪れたいと思っていた場所。約3500年前の縄文時代後期、三瓶火山が噴火したときに埋もれたスギの原生林が、今になって見つかり、地面に根を生やして立った状態で見つかったもの。
 今の地表から13メートル下へ掘っていって、縄文時代の地層まで達し、それを保存展示棟にしてるから、外から見たら高い建物は何もない。我々が3500年前の地層まで下っていくという感じ。

b0090333_15105097.jpg この、外のシンプルさと、その中にある、とんでもなく時空を感じさせる空間との対比がまたスゴイ。売り文句の「縄文時代のタイムカプセル」はけして大袈裟じゃない。


b0090333_1511785.jpg 照明をおとした静かでひんやりした空間に私と母だけでいると、本当に縄文までタイムスリップしたよう。636本もの年輪をもったスギの断面からは、今もスギの香りがしているからまた感動。樹皮に触れているうちに、不思議と涙がこぼれて止まらなかった。

b0090333_15113196.jpg 展示棟の隣りには、もう一つ合体木根株展示棟がある。この螺旋階段を下りていくという建物の構造も、必然からなんだろうけど、内容と合っててかっこいい。昨日の美術館もカッコよかったしなぁ。。。あなどれんなぁ、島根県。


 感動しまくった後、母を乗せ、レンタカーで一気に松江まで戻る。本来なら今頃雪だという話だけれど、暖冬の今年はみぞれのような冷たい雨が降るに留まっていた。曇った日本海の波を左手に見ながら松江まで戻るのに2時間。一気にもう一つの目的地、境港へ。
 ここでの目的ったら、なんたって「水木しげるロード」。これがどこかに出来たって話は昔から聞いたことがあったけれど、縁のない場所だったので今回の出雲大社参りを決めるまで忘れていた。島根・鳥取地方の地図を見ていて「妖怪」の文字を見つけて再び思い出した。ここまで近づいたなら行くしかない。

b0090333_15121528.jpg 境港までは松江から車で40分ほど。港の駐車場に車を停め、まずは妖怪ポストを目指す。ここから手紙を出すと、鬼太郎の消印がつくとガイドブックにあったので、妖怪友達(妖怪好きな友達って意味。本当の妖怪じゃない)への土産はこれと決めていた。これが妖怪ポスト。せっかくなら本当に鬼太郎の住んでる家とか作って、そこにリアルに妖怪ポストを設置してほしかったなぁ。

b0090333_15123399.jpg そうそう、境港のまん前にある交番は、その名も「鬼太郎交番」で、中にはちゃんと鬼太郎が「飲むな!」のたすきをかけて立っていた。


b0090333_15124683.jpg この境港から商店街に作られた水木しげる記念館までの通りには、120体ちかい妖怪が点在している。駅にはさっそく私が一番好きな妖怪の総ボス、「ぬらりひょん」がいた!感動して頭なでなで。実はここにいる妖怪、みんな小柄。
b0090333_1513449.jpg  ぬらりひょん様はこんなサイズ。



b0090333_1513205.jpg 後は有名どころで「こなき爺」も。商店街では「ふりかけ爺」「ふりかけ婆ぁ」なんて商品もあった。

b0090333_1513536.jpg  私がつい手を出してしまったのはドリンク系。「妖怪珈琲」とか「目玉の親父汁」など、ネーミングでまずそそられるし、絵もいい。5種類全部GET。


b0090333_1514742.jpg 途中の公園のライトは目玉の親父。
 でも・・・
 やっぱり目玉の親父ってのは、一人いるから存在価値があるのであって、こんなにいっぱい目玉つけられちゃっても、ありがたみがないというか・・・。

 そうそう、境港の妖怪ポストから友人に手紙を送るため、切手貼ったりしていたとき、港インフォメーションのカウンター奥から人が出てきて、働いている人が
「あ、どうも~、いってらっしゃ~い」
って言ってるのが聞えたので、手紙書く手を休めて頭を上げると、なんとそれは「ネズミ男」!!! いゃ、、、そりゃそれがカブリモノだってことはわかってる。でも、それでも「ネズミ男」!横にいた母が
「ミド、あの妖怪(彼女は名を知らない)と写真撮らなくていいの?」
って言うんだけど、さすがにこの歳して、カブリモノと写真はナシでしょう。撮りたくてたまらんところを我慢した。
 でも、その後で妖怪ロードを歩いて水木しげる記念館まで来たとき、ネズミ男もここまで来ていたのだ。もうこうなったら撮るしかない。なんて呼んだらいいか悩んだ末
「ネズミ男ぉ~、写真とろ!」
と誘ってパチ。
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 後日談ではあるけれど、期待しまくった妖怪ポストからの葉書には、「境港」のカニの絵入り消印はついていたけれど、鬼太郎も別の妖怪もいなかったので、ちょっとガッカリ。せっかくここまで鬼太郎に徹して町おこしするんだったら、徹底的にやって欲しかった。切手だって、妖怪にすべきだと思う。

 縄文時代のスギ原生林へタイムトリップした後には、境港で妖怪たちの世界へ入り込めた。名古屋からはまだまだ遠方感のある島根・鳥取には次いつ来るかもわからないので、この後飛ばして松江に戻り、しんじ湖の夕日を(といってももうほぼ沈んでたけど)見てから夕方の便で名古屋に戻った。
 二泊三日はあっという間だったけれど、まだまだいっぱい残っている日本の良さを発見できる旅になった。今回の旅で、自分のもっている目が、なんだか「日本のことをとってもよく知ってる外国人」的な視点で日本を見ているようにも思った。きっと外に出たからこそ、感じられる日本の良さってものがあるんだろうなぁ。
 これからは帰国のたびに、日本の美しさを発見できる旅に行きたいなぁ~。
by midoriart | 2007-01-17 23:09 | Japan
 考えてみたら20年前に父が逝ってから、今回はじめて家族旅行というものをした。私の帰国時に母を連れて旅したことは何度かあったけれど、姉も旅に参加したのははじめてだった。一泊しかできない姉もいるのに片道4時間半の地を選んだのはかわいそうだったけれど、今回の旅では私はどうしても出雲を訪ねたかった。1泊は松江のしんじ湖温泉で、2泊目はもっと南西の三瓶温泉で泊まるようにスケジュールをたてた。

b0090333_0452798.jpg 一泊目は、しんじ湖畔にある「なにわ一水」泊まり。せっかくなので7時半に起きて母と湖畔を散歩。愛知県美術館学芸員のTさんからススメられた島根県立美術館は、こっち側から見ても建物が景色とケンカしてなくて気持ちイイ。さすが◎


b0090333_0466100.jpg 姉は仕事が待っているので今日の午後2時半には松江を出なければならない。宿でのんびりと朝食をとった後、3人で松江城へ向かった。目的は城ではなくてお堀。ここには50分かけて外堀と内堀を巡る屋形船があるのだ。これは今回の旅で私が密かに楽しみにしてたイベントの一つだった。嬉しいことにコタツ付きの船で足はぽっかぽか~。


b0090333_0472611.jpg  途中三つの橋は水面と橋下の差が少ないために、屋形船の屋根が自動で下がってくるようになっている。身体の硬い人だとちょっとしんどいくらいに前かがみになって、こんなトンネルをくぐったりして、インディージョーンズ気分も味わえる。大好きな小泉八雲が住んでいた一体は武家屋敷として今も昔のままの景観が残っている。こんな景色は雪と合うんだろうなぁ・・・

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昼食後、姉は名古屋に向けてまた長い電車に揺られていったので、ここから私と母はレンタカーしてもっともっと西を目指した。今度の出雲旅で絶対に行こうと思っていた「三瓶埋没林公園」を訪ねるためには、この近場で一泊しておくのがベスト。埋没林公園をススメてくれたバリのN翁からのアドバイスもあったので、二泊目で選んだのはさんべ温泉にある「さんべ荘」。松江から出雲経由で車で約3時間かかった。


b0090333_0494770.jpg このさんべ荘、国民宿舎といいながらも、別館は立派な温泉旅館並み。今回は2箇所とも私がインドネシアからインターネットで調べてネットで予約したものだけれど、このさんべ荘はフロントの方もとても丁寧で人間味ある対応をしてくれた。私が一時帰国で母孝行の旅をしたいとメールしたら、
「自分が親孝行するならこの部屋を使う」
と、さんべ荘の中でも一番オススメの部屋という「松虫草」をおさえてくれた。
b0090333_0502227.jpg ここは将棋の羽生と森内が対局した部屋として有名らしいんだけれど、12畳の和室に茶室、さらに総桐の内風呂、庭までついてる、まるで一軒家。

b0090333_113898.jpg  いたるところにとっても気のきいた飾り物があって母も私も大喜び。さらにさらに、露天風呂は五右衛門風呂、陶器風呂、竜神風呂などなど多様。ただ、この日はほ~~~んのちょっぴりの雨だったために、風呂から風呂へ移るのが寒くてたまらなかったけど・・・。



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 私の一番好きな「知らない場所を車で走る」ってことも実現し、選んだ宿も大正解。満足な1日となった。
by midoriart | 2007-01-16 22:43 | Japan
 今回正月に合わせて帰国したには理由がある。一つは出雲旅行。
 ここ数年は、帰国の度に、私が興味ある場所へ母を連れて行くというのが、私にできる唯一の母親孝行になっている。今年はさらに美容院経営で忙しい姉も、休みを使って参加すると言っていたので、私が気になっていた出雲大社へ参る旅を計画した。

 私の実家がある名古屋から島根・鳥取方面へ向かおうと思うと意外と遠い。今回は名古屋~岡山間が新幹線、岡山~出雲市をスーパーやぐも使用で出かけることに。出発は15日午前0803。姉は一泊二日、私と母は二泊三日の旅。初日は3人で出雲大社を参るだけになった。新幹線とスーパーやぐもでトータル4時間45分の道のり、さすが陸の孤島。


b0090333_2183240.jpg  出雲市駅でまずは出雲そばを食べて腹ごしらえし、バスで出雲大社へ。お参り気分を高めるために手前の神門通りで降りて歩く。末並木の参道はいかにも日本らしい空気に溢れていた。大国主大神さんには悪いけど、思ってたほど広くはない。さすがに初詣客ももう減ってるようだけれど、年配の皆さんの団体は結構いた。まずは拝殿前の旗に小さく感動してパチリ。
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b0090333_2203897.jpg  総檜造りの拝殿は昭和34年に再建されている。ここにある巨大注連縄は周囲4メートル、長さは1.5トン。この縄の断面はこんなにデカイんだけれど、この下でカップルで来てる若い姉ちゃんが一生懸命コインを投げている。

 ???な私に人のよさそうな爺ちゃんが寄ってきて、
 「あの断面にお賽銭投げ込んで、ささったら縁起がいいんだよ」
と教えてくれた。母がまず最初に試してみるのだけれど、なかなか刺さらない。その失敗しまくりの100円玉を私が拾って投げてみたら第1投で成功。こりゃ新年早々縁起がいいわぃ。


b0090333_2214341.jpg ここから本殿に向かう。やっぱりここまで来ると、かなり緊張した空気がある。ここには大国主大神の他5神が祀られている。この本殿で見つけたウサギの彫りはカワイイ。やっぱりコレは因幡の白ウサギを助けたやさしい大国主大神のストーリーと関係があるんだろうか?


b0090333_2221659.jpg お年寄り団体についてるガイドさんのでっかい声でわかったのがこの東西十九舎。細長いこの建物は旧暦10月(神無月)に日本中から集まってくる神さんたちのホテル。だから出雲地方ではこの月を神在月という。
 とまぁ「神在月」のことは知ってたけれど、これが神さんのホテル(ガイドさんは『宿舎』と言ってたけど)だったんだ。創建は寛文年間で、今の建物は1748年の造営とのことだった。


b0090333_2224717.jpg この横に生えた巨木にはぎっしりとおみくじが結ばれていた。もう、この木と結んだ白い紙の集合が、こんなにも美しい景色を作り出している。冬のピンと張りつめた空気の中に凛として建つ大国主大神さんの住処は、やっぱり緊張感があった。ここは縁結びの神さんとして有名らしいけれど、私は男女の「縁」を願うというよりも、昨年私の周囲で生まれた人たちとの「縁」をつくってもらったことに感謝して、その縁からまた新たな縁が生まれていくことを願っておいた。
by midoriart | 2007-01-15 23:16 | Japan

b0090333_210447.jpg 昨年10月の帰国の時から連絡を受けていた「こどもプロジェクト」の講演会が、ようやく今日実現した。会場となったのは名古屋の名城大学天白キャンパス。最近の私大はまるでホテルのようなのでビックリした。講演1時間前に担当者のIさんに会うため、アジア研究所の事務所へ。その手前に高~いビル、タワー75があり、この15階レセプションホールが講演会場だった。



b0090333_2112877.jpg Iさんと会場に向かうまでに学食や生協(のようなもの)を見たけれど、県立芸大出身の私にはこれが大学とは思えない。学食なんていっちゃ失礼なほどの豪華レストラン、ホテルのような絨毯張りフロアー、あまりに小奇麗でまずは建物に感動。さらに会場からの眺めがスゴイ。眼下は霊場。

 私の帰国予定に講演スケジュールを合わせたため、試験の時期に重なってしまったらしいけれど、それでも主催者であるアジア研究所の予想よりもずっと多い88名(入場の際に記名した人の数)が参加してくださった。
 最近の若者、特に学生してるくらいの世代とは長らく接触がなかったのだけれど、今日集まった学生達はそれぞれにボランティアか、あるいはインドネシア(広い意味ではアジア)に興味があったのだろう。別に私の講演ごときに出席したって単位になるわけでもないけれど、これだけの数の学生が聞きにきてくれたのは嬉しかった。

b0090333_21103840.jpg パワーポイントで140ページ余にまとめた被災当日から活動終了までの写真報告をした後、後半1時間の質疑応答が私自身興味深かった。卒業したらJICAに入って国際的にボランティア活動をしたいという青年からは、現地の人たちと円滑にコミュニケーションをとるためのコツを聞かれた。
b0090333_217354.jpg また大学職員のおじ様からは、物資配給の際に誰にそれを配るのか、何を判断基準にしたのかなどの質問があった。ボランティア活動をしている方が自分の神戸地震救援のときの経験と重ねて、興味深く私の体験を聞いたとコメントしてくれたりもした。



b0090333_21111889.jpg 人からいろいろ聞かれ、その時々の被災地の状況や自分自身の気持ちを思い出したことで、半年の活動の意味や結果をあらためて考え直すことができたし、義援金を送ってくださった方も何人か参加してくださったので、本当にいい報告会になったと思う。



b0090333_2152365.jpg さすがは大学、こんな講演会でも参加者にはアンケート用紙を配っていた。講演後、参考までに見せていただいたら、おもしろかったかどうかの5段階評価では9割以上が4と5で、わずかに3があった程度なので、まぁまぁの成績といっていいのか。
 今日で発表の時間配分もある程度わかったので、場所を移しての東京講演ではもっとうまくお喋りできるといいなぁと思う。

※さかのぼって1月5日「ビギナーのお伊勢参り」と1月9日「コッキンと防衛省と新年会」をUPしました
by midoriart | 2007-01-12 20:58 | Jawa Earthquake
 バリで暮らしていたときに、私の隣人だったのはN翁。翁といったってまだ50代半ばなのだけれど、私にとってはすべての面で生き字引のような方で、最初はN爺と呼んでいたのだけれど、本人はどうも「爺(じじぃ)」という耳ざわりがお気にめさなかったようなので、いつしか「翁」に改正された。
今回の私の帰国と、N翁の帰国が偶然にも重なり、東京で会うことになった。残り少ない東京滞在で私が見たい場所へ一緒に行こうと言われ、考えたら最初に浮かんだのが明治神宮だった。泊めてもらっている友人宅が代々木公園なので、毎日の移動で「初詣は明治神宮」っていう目出度いポスターを何度も目にしていたせいだろうか。さらに、以前から気になっていた岡本太郎記念館も明治神宮からはさほど遠くない。この2つをセットにしてN翁と回りましょうってことに決定。約束は明治神宮の入り口。



b0090333_16113100.jpg ときどき日本に帰って街を歩くと、自分でもなんか周囲から浮いてるのがわかることがある。何かが違う。これはインドネシア勤務の長い大使館員の友人でも言っているので、インドネシアのローカルさんたちとほぼ同じレベルで暮らしている我々なんかは、特に日本では浮いてしまうんだろう。浮いてる2人で明治神宮参りとなった。

そんなに古いわけじゃないこの神宮でさっとお参りし、今年初でおみくじなるものを引いた。ここのは俗にある「吉」とか「大吉」とかではなく、明治天皇の大御心(おおみごころ)が書かれたものをもらう。私が引いたのは
「さしのぼる朝日のごとくさはやかに もたまほしきは心なりけり」
とのお言葉。「空高く昇っていく朝日のように、いつもすがすがしく、明るく爽やかな心を持ちたいものです」という意味らしい。下手におみくじで「凶」なんか引いてガクッとするより、一言もらうってのもイイかもしれないなぁと思った。

b0090333_1615833.jpg 本殿を出てくぐった門のフレームを見て驚いた。金属製のパーツ飾りはどう見ても「ハート」。神宮でこんなバタ臭いモチーフがあるとは驚き。それでもまだ
「きっと葉っぱのデザインが転じてこうなったんだろう・・・
って勝手に解釈しているところに
b0090333_1623343.jpg追い討ちの「ハートづくし」これは門のフレームの四隅に使われていたもので、こうなると「ハート」以外の何者でもないような気がする。明治天皇はバタ臭いデザインを好んだんだろうか?


 神宮を出たら、右手に御苑への入り口があった。拝観料は500円。古い日本庭園のようで、菖蒲園もあるらしい。もちろん今の時期では菖蒲は咲いてないけれど、まぁせっかくなので行ってみましょうってことで翁と入園。こんな都会の真ん中で、野鳥がたくさん飛んでいるのには驚いた。

b0090333_1632983.jpg 寒い空気の中で御苑を歩いていると、園の一番奥で「清正の井」を見つけた。清正が見つけた湧き水らしい。静まりかえった誰もいない場所でシンシンと透明に湧いている水を見ていたら、二人とも同じことを考えていた。
「なんだか・・・  今日来た中で、この場所が一番神聖な場所みたいですよね・・・」
 自然のパワーってのは本当にスゴイなぁと思うのだけれど、この湧き水の場も、まるで沖縄のウタキ巡りをしていたときに感じたようなとても強い地の力があった。おそらくN翁もそれを感じたのだろう。二人そろってこの湧き水に拝み、御苑を後にした。




b0090333_164013.jpg そこから表参道を歩き、軽いランチを済ませて岡本太郎記念館へ。根津美術館めざして進むうちに通り越してしまい、戻って入ったのがここ。嬉しいのは全館撮影OKなこと。来館してた皆さん、携帯カメラで撮影しまくっていた。企画展はキュレーターを変えていろんな展示をしていくらしく、今回はもとBT(美術手帖)編集長によるもの、おかもとたろさを先入観なしに、企画者の意図なしに見せようと、コレクション作品をランダムに選出し、タロさを象徴する色を壁面に使って、壁一面に作品を並べるという見せ方だった。タロさの作品の場合、こういうちょっと見は「ハチャメチャ」な展示方法も、全然アリだと思う。

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b0090333_1651743.jpg 同じ職業(というのはおくがましいが)の人の仕事場ってのはとっても気になる。この「たろさ」の記念館には彼のスタジオが再現されていた。他のどんな作品よりも、私にはこの一角が感動だった。あらためてタロさのスゴさを感じたし、表参道からちょっと入ったところに、バナナの木の生えたお洒落なカフェ付き記念館があるとは嬉しかった。これから帰国して東京へ来たら、是非とも寄りたい場所だ。
by midoriart | 2007-01-11 22:59 | Japan