Culture & Art Report from INDONESIA


by midoriart

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ついに私も韓国ブーム

 私が92年から99年という長い間、一人ぼっちでもバリで暮らしてこれたのは、あるバリ人一家のおかげといえる。マデ・サナ一家、私の木彫の師匠(正確には師匠の兄に当たるが彼も木彫り師)の一家だ。私はもともと、サナと彼の家の前で知り合い、彼の弟から木彫りを学ぶことになり、後にスタジオを彼の家の敷地内に作った。1992年のことだ。私がジョグジャに居を移してから、バリへ戻る時にはここへ泊めてもらっている。
現在彼には高校を出たばかりの娘エリパニと、中学1年の息子がいる。娘のエリパニは小さい時から母親の手伝いをよくする子で、私が「バリへ戻る」と電話をしておけば、自分の部屋をキレイに掃除してベッドメーキングまでして、私が自由に使えるよう準備しておいてくれる。その間彼女は母親と一緒に別の部屋で寝るのだ。小学校4年から知っている娘なので、私にとっては他人には思えず、バリに戻るたびに大きくなっている姿を見ると、なんだか遠くに住んでいてたまに姪を見る伯母の気分になる。
バリに戻ると、いつもエリパニとおしゃべりしながらインドネシアの若者の流行をチェックすることにしている。今回は彼女らの間で起こっている韓国ドラマブームがスゴかった。日本ではオバチャマのハートをつかんだ韓国ドラマ、インドネシアではしっかりと娘たちのハートをつかんでいた。先回9月に日本に戻ったときにも、韓国フィーバーが残っていて、「今度は韓国の時代劇!」とかいって王朝の料理番の話の予告編を見たのだが、まさにそれと同じ番組をこっちも「ジュエリー・イン・ザ・パレス」として放送していた。
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恥ずかしながら、今回バリでエリパニと毎日見ていたおかげで、ハマってしまったのが「Sad Song」。盲目の女性が幼馴じみをアメリカに行ってもずっと想い続けるストーリー。韓国ドラマのお決まりパターンで、毎回男も女も涙目。今回気づいたけれど、このブームというのは毎日見れるという点が大きいように思った。普通のリアルタイムな連ドラの場合、週に1回を約三ヶ月かけてようやく最終回に至るが、日本同様ここでも韓国ドラマは(月)~(金)のペースで毎日ストーリーが展開していく。毎日見ているからドラマがついつい日常化し、自分もその中にいるような気がしてくる。そしてどんどんハマっていく、という気がするさらにインドネシアという国はかつて「おしん」が空前のヒットを飛ばした国である。辛い環境の中、みんなにイジめられながらも明るい未来を掴んでいく話はここの人は大好きなのだ。韓国ドラマはそのへんのツボにもうまく当たっているとみえる。かくいう私も今回はハマり気味。バリからジョグジャに戻った今日、エリパニがいなくても一人でしっかりTVをつけてしまった。このドラマ、きっと日本でも放映したものなんじゃないかな。もしもご覧になった方がいらっしゃったら、最初の見逃している部分で聞きたいことがあるので是非ご連絡を!
ちなみに私は今のところ、盲目の女性の相手役の悲しい面相の役者よりも、お金持ちの坊ちゃんで盲目女性に片想いの役者をひいきにしている。

後日)))
 ジャカルタに行った友人にDVDを買ってきてもらい、ようやく全編が理解できた。泣いてばかりいた主役の男ではなく、写真手前のブルーのセーターが私のお気に入り。
by midoriart | 2005-11-26 15:36 | Culture

Wijilanのコンサート

バリ・ビエンナーレのためにジョグジャを発とうとしていた11月19日の前日、青年団長がやって来た。私の住むウィジラン通りは電気料金を青年団がまとめて管理してくれている。住民は青年団の集金係に領収書と引き換えに電気料金を支払うのだが、その際に青年団活動費として5,000ルピア(約60円)を足して支払う。毎回家に来てくれるので、近所付き合いの少ない私も青年団長の顔くらいは知っている。
「あの、ミドリ・・・今日はちょっと報告があって・・・」
なんだか切り出しにくい感じの話ぶり。
「あー、町内で何かあって、寄付金募っているのかな・・・」
と思っていると、話は違うらしい。
「実は明日、この前の道で青年団主催でコンサートがあって、一日道がふさがれることになるんだ。ミドりの車も出せなくなるかと思うので、先に伝えておこうと思って・・・」

 インドネシアの田舎では、まだまだ公共の道路はその周辺の住民のものみたいに思われている。葬式があればその家の前の道をふさいで椅子を出し、テントを張って弔問客を迎える。以前、隣りのおばあちゃんが夜中に亡くなっていたのをまったく知らず、翌朝外出しようと思って外に出たら、車庫のまん前まで隣りのおばあちゃんの弔問客でいっぱいになっていて、一日どこにも出かけられなかったことがあった。だから今回はまだ、事前に知らせてくれただけありがたい。さらに、今でよかった。これがもしもまだ作品が完成していない一週間前だったら、スタジオで制作している間、外でガンガン喧しくされて必要な材料を探しに出ることもできず大変だったろう。

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しかし、道路でやるか?普通。 一体どういうことになっているかを図で説明しよう。
 我が家は上図のように、まさに王宮の隣りにある。週末にはジャカルタなど都会からの観光客がウィジラン通りに寄って、ジョグジャ名物のグドゥック(甘く煮込んだジャックフルーツ料理)を買っていく。この通りを土曜の丸一日通行止めにし、夜中12時までのコンサートを開催するというのだ。やってくれるわ、ウィジラン青年団。通りの土産物屋も、カキイレ時の週末に商売上がったり。

 しばらく家を空けるときにはスタジオや寝室を掃除するのが習慣の私は、この日どこ逃げることもできず、家で夜八時のフライトまで我慢することになった。この周辺は家で商売している人が多いので、このコンサートは老若男女の娯楽になったようだった。パンクやラッパーのお兄ちゃんが気合入れて熱唱するのを舞台の下で聞いてはしゃいでいるのは近所のガキどもという、非常にのどかな風景をちらりちらりと眺めながら、バリ行きの支度をすませた。  しかし。こんな行事の最中、通行止めした家から急病人なんて出たら、いったいどうなるんだろうなーと、少し気になった。

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by midoriart | 2005-11-15 20:46 | Yogyakarta

バリ・ビエンナーレ

今年はインドネシアでたくさんの大型美術展がある年になる。日本では三年に一度のトリエンナーレが秋から横浜や福岡で開催されたが、インドネシアの主流は二年に一度のビエンナーレ。8月にジャカルタでCP財団主催のCPビエンナーレが開かれたのを皮切りに、11月はバリ、12月はジョグジャカルタ、そしてあまりのラッシュに開催を来年に延期したジャカルタ・ビエンナーレと続く。
 この中で一番古いのはジャカルタ・ビエンナーレで、80年代から開催されている。CPビエンナーレは今年で二度目の開催となったが、先月報告したようなポルノ・アート事件があったり、運営上の問題があったりで、第二回をもって終了すると正式な発表があった。


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さる11月26日に開会式を終えたのはバリ・ビエンナーレ(2006年1月4日まで開催)。今年が第一回となるこの大型展覧会はバリ島内で10会場を使用、参加作家200余名、全作品350点という巨大さ。作家もビエンナーレ委員会からの招待部門と、「プリ・ビエンナーレ」の名で本開催の前にバリとジャワ島の数会場で開催された公開公募展からの選抜作品部門とがある。選考委員のほとんどがバリ在住のアーティストや画廊オーナー、彼らは私が長年バリで制作していたことも知っているので、きっと今回の展覧会に招待してくれたのだろう。  私は搬入のため19日にバリ入りし、三日かけて作品をセッティングした。私に当てられたギャラリーは、住み慣れたウブッの北部にあるシカ現代美術ギャラリー。1996年、バリで最初に展覧会をした縁のある場所だ。今では展示スペースを奥へと広げ八年前の倍の広さになっていた。
 私はもともと人に見られていると制作ができない性質なので、早めにギャラリーに入り、他の作家とディスプレイのタイミングがかち合わないようにした。26日オープンなので、多くの作家は二日前にバリに来て作品のディスプレイをする予定でいるところ、私は20日から設置を始めた。もと木彫りの師匠宅に泊まり、高校を卒業したばかりの師匠の娘エリパニをアシスタントにして二人でギャラリーにつめた。ギャラリーの中では美術とはまったく無関係の大工さんたちが他の参加作家の希望に合わせて壁面を作ったりしている。仕事の手を休めながら私の作品を見て、 「これはいったい何?」 答に困るような質問を投げかけてくる中、適当におっちゃん達をあしらいながらなんとか13段、2.6mの柱を積み上げた。


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七段目の内部。天を指した印相がガラス箱に入っている(陶)。周囲はインドネシア、日本の金糸入りの布を使った小さな座布団。ガラス箱の真上に小さな照明があり、手を照らしている。

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一番下の段には八方位を向いた八体の人間像が立っている。身体は木彫り、顔は一つずつ陶を焼いて作った。ここにも真ん中に暖かな色みの照明が当たっている。


そしてバリ・ビエンナーレの初日。オープニング会場は10会場の一つであるARMA(Agung Rai Museum of Art)。このビエンナーレに合わせてシンガポールからインドネシア現代美術の調査に来ていた知人を誘い、オープニングに出席した。インドネシアでは一般に午後7時半がオープニング・タイムなのに、午後5時とは早すぎる、明るすぎる。実はこの日はウブッ村の寺院で何十年に一度という大寺院祭があり、関係者の一部はこちらにも出ねばならず、そのために開会式が早まったのだと美術館のスタッフが裏事情を教えてくれた。さすがは信仰の島バリ、現代美術の大型展覧会であろうとも、神様の行事はそれよりもずっと優先されるべきものらしい。

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ARMAの裏庭がオープニングの会場となった。雨こそ降らなかったからよかったものの、雨季にこの場を準備しているとは、なんという度胸。正面に見えるのは、普段観光客がバリ舞踊を鑑賞できる野外ステージ。

どこの国でも同じ、退屈なバリ州知事の挨拶、委員会紹介などの後、これまたバリならではのウェルカムダンスが始まった。が、バリ島以外の都会から参加している作家たちにはそれなりに新鮮らしく、カメラを構えている人もいた。チーフキュレーターは、このバリ・ビエンナーレが「バリ=商業主義的な美術」というイメージを変え、他の地域の宗教や文化とインターアクトしながら発展していくきっかけになるべきこと、現代美術を追って伝統美術を置き去りにするのではなく、昔からの継承美術も大切にすべきであることなどを語った。オープニングでのバリ伝統舞踊は、そうした想いの一つの現れなのだろう。
 このビエンナーレ実現の裏には、オートバイ・パーツ会社の大きな資金援助があるため、サブに「アストラ・オートパーツ・アート・アワード」と題されている。12月30日、バリ・ビエンナーレ閉会式に、今回の出品作品の中から四名の優秀作品が選ばれ、2500万ルピア(約30万円)の賞金が送られることになっている。さてさて、アワードはいったい誰の手に渡るだろうか。
by midoriart | 2005-11-03 17:16 | Art