Culture & Art Report from INDONESIA


by midoriart

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DEEPな夜

ところで、今回私がマニラをとことん楽しめたのにはもう一つわけがある。パトリックの他に、私には貴重な知人がマニラにいるのだ。国際交流基金(ジャパンファンデーション、「JF」と訳す)のマニラ支局チーフディレクターのBさんは、過去JFジャカルタ支局に長く勤務、彼の時代にはインドネシアの現代美術が彼の理解によって非常に多くのサポートを受けていた。アーティストから何度も彼の名を聞いていた私は結局インドネシアで会うことができず、彼が東京へ戻ってから、日本でようやく話をすることができたのだった。それがかれこれ3~4年前のこと。

 そのBさんが自らマニラを志望してチーフになったことを聞いたのは、私がパトリックと知り合う前のこと。今回はパトリックと知り合ったことでフィリピンへ行こうと思い立ったのだが、そのときにすぐ浮かんだのがこのBさんだった。旅の日程をたててすぐBさんに連絡を取り、マニラで再会する約束をした。
 まず最初は、Bさんにパトリックを紹介するのを兼ねて、パトリックのガイドでマニラの画廊巡りをした。そして翌日、私はBさんと「サシ」で会う約束をした。なにせ数年ぶりの再会、つのる話は山とある。日本語のわからないパトリックがいては気をつかってしまう。「よし、じゃあDEEPなマニラを案内しましょう!」というBさんの言葉に大期待の私。  夕方にホテルに迎えに来てもらい、まず行ったのはフィリピン料理を食べながらフィリピン舞踊を見るレストラン。思い切りツーリストな場所。Bさんもお客様の多い仕事、こういうスポットは覚えておく必要があるのだろう。勿論、なかなか楽しめる。食事も美味しい。気になるココナツミルク系のデザートもしっかりチェックさせてもらった。
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パトリックいわくフィリピーノはエンターテイナーな素質が高いらしい。確かに流しは歌がうまい!
スペイン植民地が長いからか、こんな流しが普通にいる。日本で過去にブレイクした「息子よ」がフィリピンの歌だったことを今回知った。

そして次がお楽しみ、「DEEP」なマニラ! 「GoGoバー」という名は聞いたことがあるが、いったいどんなものかは知らない。そんな私が行った先はいかにもアメリカ兵のお好みといったセクシーライトの煌く場所。少々屋台村を髣髴させる入り口でまずはカメラを没収された。いいぞ、これは怪しい。
 中央には公のスペースというか、土産物を売るコーナーと、誰の趣味なのか鯉を泳がせた稚拙な人工池。それを囲んで10件ほどのゴーゴーバーが並んでいる。入り口ではバーニーちゃんや、カーボーイハットのセクシー姉ちゃんが客引きをしている。我々はざっと流して、どこもほぼ同じと確認してから一件を選んで入ってみた。こんな場所へは過去からよく性別を間違われる私としても一人では来られなかっただろう。中ではそれなりに今風の音楽が流れ、カウンター前の特設舞台でビキニのお姉ちゃんがクネクネしていた。実際にこうした場に入ったのは初めてだけれど、普通TVや映画で見るこうした場所のお姉ちゃんって、もっと挑発的じゃないか?とも思うのだが、マニラのお姉ちゃんは、踊りたいけど恥ずかしいのか、超ハイヒールで豪快に動くのが面倒なのか、とっても微妙な感じで踊っている。ついつい一人ずつの年齢とか背後にある人生ストーリーを想像してしまう。
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ここへ来る前に、すでに私はマニラの街で何人も美しい男性を見てきた。パトリックに聞いてもマニラはタイに次いで多いらしい。手術も盛んだという。私が見てすぐわかる人もいるけれど、若くして転換している本当に華奢で可愛らしい少年(少女というべきか)もいるに違いない。  そんな目で、私はほぼかぶりつき状態で(テーブルがそうできているんだから仕方がない)壇上のお姉ちゃん達を見ていた。15人くらいがクネクネしている中、私には気になるお姉ちゃんが見つかった。年は16歳くらいか。華奢で顔もとても小さい。まだ少女のような体型なのに、なぜか乳だけがとってつけたように半球でふんぞり返っている。なんか不自然だ。身体と全然バランスが取れていない。 「う~~~ん。。。本物なんだろうか???」  それを隣りのBさんに話すと、 「うーーー・・・確かにちょっと変だよねーー・・・」 ってことになり、ついには我々の疑問を解消すべく彼女を指名することに。

 隣りに座った彼女はROSEちゃん。18歳。だと本人が言うということは、おそらく16歳くらいだろう。3ヶ月前に、もともと勤めていた姉を頼りにして村から出てきたという。性産業の裏には貧しい過疎化の村人の生活がかかっている。アジアの現実。近くでよく見れば、彼女は女だった。Bさんが隠しもせずに 「この人がね、あなたの胸が作り物だって言うんだよ」 というと、 「NO。本物よ」 と答えられた。はい、ごめんなさい。確かに本物かも。
 私がもと男性って人もたくさんいるのかと聞くと、笑顔で 「アレとアレと・・・」 なんて舞台の「お姉ちゃん」を指差し始めるからびっくり。Bさんと二人で 「OK,OK、Roseちゃん、いいよ、わかったわかった・・・」 慌ててその手を押さえた。
 明日は仕事のある身で、こんなDEEPな夜を私に味わわせてくれたBさんには心から感謝。なんだかフィリピンとは縁を感じてしまった。  マニラを発つ最後の夜には、パトリックとフィリピン料理を食べ、マッカーサーやビートルズが泊まったという由緒あるマニラホテルのラウンジで呑んだ。ヤクザな安宿、たくさんのミュージアム、Bさんとの再会とDEEPな夜、凝縮の旅だった。今は来夏に再び訪れる計画を立てている。
by midoriart | 2005-09-14 07:18 | Culture

フィリピンへの旅

 日本から7月半ばにインドネシアに戻った私は、一ヶ月もしないうちに、フィリピンへ旅することになった。アジア好きな私も、まだ訪れたことのない国だ。実は今回、ビザの問題でインドネシアをいったん出るというのが一番の目的だった。インドネシアから一番安く出られる国といえば、シンガポール。しかしこの国は過去に数回訪れ、ほぼすべてのギャラリーやミュージアムを見てしまったこともあって、今回は違う国へ出たいと思っていた。残り少ない人生、せっかくなら一度も行ったことのない国を訪ねてみたいではないか。そんな時、ふっと浮かんだのがパトリックだった。

 パトリックはフィリピン、マニラにあるナショナル・ミュ-ジアムの学芸員であり、またフィリピン唯一のエリート校、フィリピン国立大学の芸術学教授でもある。私は彼が4ヶ月インドネシアのキュレーター・シップについて調査していたときに、知人の紹介で知り合った。親しくなってみると彼は非常に有能で、日本で開催されたいくつかのアジア美術に関する展覧会にフィリピンの担当者として関わっていた。ジョグジャカルタ、バンドンでの調査を終えて最終調査地ジャカルタにいた彼と展覧会のオープニングで会ったとき、ちょうど私はインドネシアを出る予定を立て始めていた。そんなときに彼に会った私は突然「フィリピンへ行ってみよう!」とひらめいたのだった。

 彼がインドネシアでの調査を終えて8月1日に帰国、そして私は間もなく8月10日にシンガポール経由でフィリピンへ飛んだ。ジョグジャからフィリピンへの安いフライトは彼が教えてくれたタイガー・エアー。シンガポールからの往復がたったの155シンガポールドル(日本円にして約10000円)。怖いのはシステムで、チケットレスのフリーシート。予約はネットでのみ、クレジットカードで購入というもの。でも、彼のフィリピンの友人はいつもこれを利用しているという。モノは試しでこのチケットを買ってみた。そして緊張の11日、シンガポールの空港でタイガー・エアを探すと、ちゃんとカウンターはあった。ネットで購入した際に知らされた予約番号のプリントアウトをカウンターで渡すと、ボーディングパスをくれる。が座席番号はない。ボーディングと同時に、開店したてのパチンコ屋さながら、乗客がダーーーっと機内に走りこんで好きな席を取っている。まるで普通電車のノリである。安くてひどいかといえば、そうでもない。それなりに機内は清潔。機体はエアバス。しかし、安さ重視の驚くべきアイデアで、離陸直後に配られたデューティーフリーの小冊子には機内食のメニューもはさまれていて、飲食は希望者のみ、お金を払って頼むというもの。
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さらに徹底していることに、枕もブランケットも「売り」。寒がりの私はやむをえず4シンガポールドル(約300円)でブランケットを買ったが、せめて半額でレンタルしてほしい。買ったブランケットはどうなる?軽装の旅なのに、なんでブランケット持ち歩かにゃならん?捨てるのももったいないし。文句を言いながらも3時間ちょっとで飛行機は無事にフィリピンへ。勿論、交通の便の良いマニラ空港へなんて着いてはくれない。クラーク空港という、ピナツボ火山近くにあるアメリカの空軍基地跡。1991年まで使用されていたけれど、ピナツボ火山の大噴火以降撤退、周囲はフィリピン軍に引き渡され、小さな飛行場は一応国際空港となったらしい。

 あらかじめパトリックが調べておいてくれたので、私はこの国際空港とは思えないのどかすぎる空港を降り、所要時間2時間のシャトルバスに乗ってマニラ中心へ向かった。降車場になっている大きなショッピングモールで無事にパトリックと再会、彼が予約してくれた民宿へ。  彼が用意してくれたのは、彼の勤めるナショナル・ミュージアムの他にもメトロポリタン・ミュージアム、フィリピン文化センターなど、文化的な施設に簡単にアクセスできる場所で、マニラ湾まで歩くこともできる。宿も私の希望で木賃宿なのだけれど、古い民家を改造したお洒落なもので、とても満足。しかしパトリックは 「夜はね、ここからむこうダメですよ、ヤクザ多いからねー。ここからこっちになら一人歩きOK」 と説明してくれた。  私は昔から一人で海外をひょこひょこ歩くのが好きなので、自然と危険な場所に対する嗅覚がよくなっている。だから彼の行っている意味は空気ですぐにわかった。でもこの周囲の環境、わずか1週間の滞在ではあったけれど、私は好きになった。少し怪しくて、人はフレンドリーで、アジアなのに西洋的な部分の多いこの空間は気に入った。
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by midoriart | 2005-09-02 05:15 | Art