Culture & Art Report from INDONESIA


by midoriart

カテゴリ:Jawa Earthquake( 130 )

 今年11月13日から始まる愛知県美術館での個展。これには夏にフィリピン・バギオで行ったプロジェクトと、新たにインドネシア・ブリタール村で予定しているプロジェクト、この2つを発表する。バギオの展覧会で発表した作品は、そのままバギオ在住の友人マリコさんに預けていたのだけれど、ようやくこのたび、愛知県美術館お抱えの運送会社経由で名古屋まで戻ってきた。
  私がジョグジャで制作した1000対のヒト(樹脂製)を、フィリピンへもっていって1000人のフィリピン人と交換したプロジェクトが昨年のフィリピンでの作品となった。その交換品と、交換してくれた人の写真を展示した。バギオでの個展会期中ずっと滞在ができなかったので、個展終了後はマリコさんが保管してくれたというわけ。


b0090333_22203831.jpg 東京から戻った11日の夕方取りに行き、3ヶ月ぶりの対面。
 1日かけて1000個の交換物をチェック、展示のときにわかりやすいよう、10、20、30単位で交換物を小さなポリ袋に収納。こうして見ていると、フィリピンで会った人々と何を交換したのかが思い出されて楽しい。


b0090333_22204730.jpg このマリコさん、フルネームは反町マリコさん。今「反町」といえば?
 そう、何をかくそう「反町JAPAN」のあの反町監督の実のお姉様なのだ。彼女は今回私が開いたバギオでの個展をすべてコーディネートしてくださった方。お宅にお邪魔したときに見つけた「反町フィギュア」で事情を知った。そのとき、私はまったく「反町JAPAN」なるものを知らなかったのだけれど、日本の友人に話したら「どえらい」有名な人だとわかって驚いた。


 とまれ、そんな事情から今晩は「反町JAPAN」の試合を観戦していたわけ。
 そしたらいきなりの速報、インドネシアで地震。すぐにジョグジャとバリの知人に電話連絡して無事を確認。私の留守中にまた大きな地震がきて、家が崩壊してたらたまったもんじゃない。主人のいない2匹の犬がかわいそうだ。

 今日の現地の新聞にあった記事から。
リヒター7.9度、ベンクル-パダン大型地震
12日18時10分、スマトラ島南部ベンクル市の南西海上159キロ、南緯4.67度、東経101.13度、地下10キロでリヒター震度7.9度の地震が発生。続いて19時21分に5.7度、20時2分にも6.1度、20時53分に5.0度の余震が発生。
ベンクル市では民家数十戸、州庁、公立病院が、パダンでは自動車のショールーム、民家数十戸が破損。倒壊家屋の下敷で死者3人。北スマトラ州では全州が停電となった。全体の被害状況はまだ把握されていない』

 どうやらこれにはムンタウェイにある断層に問題があるようだ。
ムンタウェイ断層の危機、今後も注意
ジャンビ~パダンに渡って被害を起こした地震の翌13日にも6時49分に7.7度の、8時26分に6.7度の地震が発生した。昨日からの地震はいずれも、スマトラ島-パプアのインド洋側を走るインド豪州プレートとユーラシア・プレートがせめぎ合う線上にあり、特にムンタウェイ諸島北部のムンタウェイ断層の南端に発生したもの。
この断層では1979年にリヒター8.3度、1833年に8.9度、2000年7.9度の大地震があった。今回が最大か不明だが、今後8度以上の地震が来て津波が南ランプン、バンテン、ジャカルタに及ぶ可能性は十分にあると専門家』

 17日には関空からバリを経由してジョグジャに戻る。これ以上大きな地震がなければいいのだけれど。
by midoriart | 2007-09-12 22:18 | Jawa Earthquake
 フットワーク超軽で、さらに責任感の思い切り強い「東(あずま)」のおかげで、国際交流基金のMさんから預かった義捐金の使い道が早速決定。1回の栄養補助パックを以下のとおりにした。

1)オートミール
2)シリアル
3)粉ミルク
4)小豆煮汁
5)ビスケット 
  これでタンキル村の0~5歳児60人をサポートできる。
  1回のパックで約55万ルピアかかるので、今回の義捐金で8回のサポートを続けられる。

 正直なところ、8回のサポートのために、我々8週続けて被災地に行くのはキツい。我々が第1バンブー幼稚園を建設して以来、3つの幼稚園の中でも一番親しくつきあっているこのタンキル村の村長さん夫婦なら、何かをチョコまかすなんてことはしない。もともと我々は今までの活動すべての内容において、関係者がチョコまかしできないよう、信用できる人へフェイスtoフェイスで物資を渡すようにしてきた。なので今回も物資で支援することにした。

 それでも、念には念を入れて、買い出した品物を転売されないようにするには?
 私も東も、村長さん夫婦がそんなことするとは思えないんだけど、少なくとも我々の活動を信用して義捐金を託してくれた人のことを思うと、できるだけ安全な策を考えたい。そこで今回我々がやったのがコレ!

b0090333_19322.jpg 買ったものをすべてケースから出し、バラしてビニール袋に詰めたのだ。

内容はこんなビスケットや、シリアルなどなど。

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b0090333_1103536.jpg そして今日、東と一緒に16袋をタンキル村に運んだ。村長さんちの猫も出てきて内容チェック。そして村長さんの奥さんに、東が内容の説明。我々としては、週に1度60人の子供たちにこれを作り、その場で食べていくようにするのがベストだと伝えた。もともとの「こどもプロジェクト」栄養補助パックのときに購入した100名分のプラスティック皿とカップはそのままここに寄付してあるので、充分に役立つ。

b0090333_111872.jpg すでに老人や乳幼児に対するNGOや政府のサポートがなくなってしまっている今、我々の栄養補助は随分みんなのために役立つと、村長さんの奥さんも大喜び。彼女は以前も私にこそっとつぶやいたことがあった。

「私ね、本当に嬉しいのよ。こうやって仕事与えてもらうとさ、みんなで頑張ろう!って気になるからね」
 彼女になら安心してこの栄養補助パックも預けられる。


b0090333_1112660.jpg 東はこのパック配達の後、午後から東ジャワの撮影の仕事に出発した。私は27日から国際交流金のご一行様ジョグジャ視察に31日まで同行する。村長さんの奥さんは、栄養補助パックの配給日程が決まったら教えてくれると言ってたので、あいてる時間を見つけ、義捐金をくださった皆さんへの報告も兼ねて、いつかまたタンキル村へ行くつもりだ。
by midoriart | 2007-07-25 01:04 | Jawa Earthquake
 2006年5月27日のジャワ中部沖地震は、もうすっかり過去のことになりつつある。
 ちょうど私が日本を去ろうとしていたそのとき、新潟でほぼ同じ規模の地震が起こり、1年前のジョグジャ地震を思い出した。

 今回の一時帰国で東京に行ったとき、国際交流基金のMさんと再会した。
 彼女は以前基金ジャカルタ事務所に勤務していて、私の展覧会や私が企画して招聘した日本人アーティストのサポートなど、様々に助けてくださった方。彼女と会ってランチしているときに、彼女から手渡されたのは、国際交流基金スタッフ有志から集めた「ジャワ中部沖地震被災地への義捐金」だった。
 ひょんなことから私が被災地への救助に入るようになり、日本の皆さんから義捐金を預かって動き始めるのだが、その活動も最後には「こどもプロジェクト」の名で被災地3箇所に「こどもバンブー幼稚園」を開設することで終了した。

 それ以降もメール等で義捐金をまだ受け付けているのかと問い合わせがあるのだけれど、私自身がもう自分の生活に戻りたいということと、一人二人からの義捐金を預かっても、有効的に被災地で使うことが難しいことなどから、お断りをしてきた。
 ただ、今回Mさんから義捐金を受け取ったのは、ずっと前からこのお金があることを聞いていて、私が被災地で使うと約束していたことと、有志の皆さんからそれなりにまとまった額が集まっていたので、形になって被災地で利用することができると考えたからだ。

 さっそく「こどもプロジェクト」の立役者、東(ホントの名はチャハヨという。詳しくはず~っと遡って2006年5月27日以降のブログ記事を参照されたし)と再会。ちょっと太った感アリだけど、基本相変わらず元気。日本からメールで事情は伝えてあったので話は早い。
「ところでミドリ、今日は今から時間あるの?」
「なんで?」
「一番いいのは実際に被災地に入ってみて、今何が必要とされているのか見ることだろ」
 さすがは東。彼は本当にフットワークが軽い。


b0090333_18594663.jpg  早速私の車で第3バンブー幼稚園へ。ここは私がヨーヨー道に入信するきっかけとなった、国際交流基金の慰問団が訪ねてくれた幼稚園でもある。今回預かった義捐金は65,059円、先日の換金でこれが4,830,600ルピアになった。
 現場を見る前の段階では、私と東は第3幼稚園に電気を引けないかと考えていた。が、今回行ってみてわかったのは、ようやく今になって政府からの援助金が幼稚園単位で入り、建物を直したりできることになったというのだ。
(今年3月に国際交流基金主催で来イし、被災地の子供たちを慰問して回ってくれた慰問団のメンバーの一人。世界YOYOチャンプのTAKAさん イン第3バンブー幼稚園)

b0090333_1902523.jpg  念のため、第1バンブー幼稚園のあるタンキル村へも行ってみた。ここは村長さんの奥さんの手料理が美味しいから、どうしても寄りたくなる村なのだ。ここでもやはり、村長さんいわく幼稚園には援助金が入るという。それよりサポートが行き届かないのは、赤ん坊や年寄りらしい。つまり、公共施設(学校など)に所属していればサポートは受けやすく、単独(乳児や家にこもっている老人)の者にはサポートは届きにくいことがわかった。
(タンキル村の第1バンブー幼稚園)
 

 そこで、東と相談した結果、Mさんからの義捐金は以前も「こどもプロジェクト」で遂行してきたような、乳児への栄養補助パックのサポートに使うことに決定。早速1度のサポートで何が必要か、いくら必要か、我々に負担のない程度で、週何回、それを何度続けることができるのかを話し合うことに。明日までにはこの義捐金の使い道がハッキリすることだろう。
 遠い被災地からの帰り道、東と同じことを思った。


「今になって被災地に行ってみると・・・
遠~~~~~いよねぇ~~~~・・・・」

 明日には補助食品の買出しに行きたいと思っている。
by midoriart | 2007-07-23 22:58 | Jawa Earthquake
 国際交流基金の企画で、日本から慰問団がジャワ中部沖地震の被災地へやってきたのは3月中旬のことだった。「こどもプロジェクト」のメンバーでもあった基金本部のKさんの熱いプッシュにより、我々が建てた「第3こどもバンブー幼稚園」にも慰問団が来てくれることになり、手品のお爺ちゃん、独楽のオッチャンとオバチャン、そして世界チャンピオンのヨーヨーマスターTAKAさんが、それぞれの素晴らしい技を披露してくれたのは3月21日(『スケバン刑事の先生、地震被災地を訪問』参照)。私の最近のヨーヨー・ブームはここに端を発している。


b0090333_2121431.jpg バンブー幼稚園の後にもまだ公演場所が残っていたために、独楽のオッチャンはすべての事業が終了して帰国する日に、被災地の子供たちにプレゼントしてほしいと、日本からもってきた独楽のいくつかを私に託してくれた。
(私も一個もらった。子供たちにはもっと軽いカラフルなブリキの独楽と、木製の独楽をプレゼント)


 オッチャン、ごめんなさ~い。今の今まで、被災地へもってく時間がありませんでした~。いや、時間はあった。でも、せっかくなら「こどもプロジェクト」の縁の下の力持ちで、フットワーク軽く走り回ってくれた東にも、オッチャンのくれた独楽を見せたかったし、彼もここんとこずっと3つのバンブー幼稚園や、被災地の復興の様子を見てないので、デリバリーは一緒に行こうと約束していたのだ。彼がここしばらく、本業のドラマ撮影ロケでジョグジャにいなかったので、なかなか二人の予定が合わずに1ヶ月が過ぎてしまった。そしてようやく今朝は二人の予定が合ったので、頑張って早起きしたのだった。
 

b0090333_212297.jpg ロロン村の第3バンブー幼稚園、今日も子供たちは元気にお勉強中。お迎えのお母さんたちも、この前の慰問団のことがあるから、今日はこの日本人何もって来た?って顔で迎えてくれた。


b0090333_21222856.jpg 先生に独楽と、それから東京本部のKさんが託してくれた子供たちへのアメを手渡す。
「あ~、これなら私から子供たちに教えられるわ~、この前ちゃんと教わったもの」
「ヨーヨーは難しそうだったからねー。もらってもできないわよ・・・」
と二人の先生。一人は慰問団のワークショップで、独楽のオッチャンから始動を受けている。
いや先生、ヨーヨーだってできると思うよ、ただ私たちが見たTAKAさんの技があまりにヨーヨーからかけ離れていたために先生たち引いちゃったみたいだ。

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b0090333_21233784.jpg せっかくなので第1バンブー幼稚園のあるタンキル村にも寄ってみた。以前から被災地の話をここで読んでる人は、なぜ私がここへ寄りたいかをご存知のはず。
 そう、村長さんの奥さんの料理~。本当に偶然にも、連絡なしで行った日には必ずといっていいほど私の好物が出来上がっている。奥さんも不思議がって笑っている。今日もココナツミルクい~っぱいのスープがほかほか。幸せ~・・・。


b0090333_21235780.jpg タンキル村では政府の復興支援金の第3弾が下りたそうで(今までかかって3回に分け、一家に1500万ルピアが支援されている)、私らが子供たちの栄養補助パックを支給してたときにはただのテントだった村長さんちの入り口も、それなりに家っぽい建物が出来ていた。
  ハッキリいって1500万ルピア(日本円で20万円弱)ではもとの家と同じものはまず建たない。でも、ちゃっちぃ青色のペラペラビニール製テントが村いっぱいに並んでた頃を思えば、随分復興したな~と思う。


 考えてみたら、東と会うのは久しぶり。結局彼は慰問団が来たときも撮影ロケで参加することができなかったので、私が彼と会ったのはそれのずっと前ってことになる。彼はこの前のスマトラ地震のときもサッと現場に駆けつけてるし、本当~~にフットワークが軽い。彼いわく、3年前のアチェ地震も、この前のスマトラ地震も、ジョグジャに比べたら全然復興が遅れているという。
 これだけ広いインドネシア共和国で、国として大切じゃない場所で被害があろうと、国も気合入れてサポートしないってことらしい。


 帰り道で東がいう。
「そういえばウラン(彼の妻)がこの前すげー美味いレレを買ってきたんだよ。この近くなんだけど・・・」
レレってのはインドネシアのウナギといおうかドジョウといおうか。ずーずーしい平ぺったい顔で長いヒゲを生やしている。身は白身でまーまー美味しい。新鮮な海産物がないジョグジャでは、レレの消費量がとても多いらしい。
 このレレを串に刺して椰子の殻を燃やしたものの上で炙り、それにココナツミルクと香辛料いっぱいのスープをかけて食べる・・・なんて説明を聞いてたら、もう食べるしかない。


b0090333_2124405.jpg 東も初めて行く場所なので迷って迷ってようやくたどり着いた。田舎の村のフツーの家だもの。簡単には見つからんわ。今日は幼稚園訪問があったために、行動開始が早かった。ここについた時でまだ午前10時。レレの香ばしい匂いはするものの、ご飯も焚けて食べられる状態になるのは11時半だといわれ、泣く泣く匂いだけ嗅いで帰ることにした。
by midoriart | 2007-04-28 21:24 | Jawa Earthquake
 今日は「こどもプロジェクト」第3バンブー幼稚園に、日本からの慰問団が来てくれた。久しぶりに早起きし、午前7時半、会場になるロロン村へ。ジャワ中部沖地震で全壊したロロン村の幼稚園を再建したバンブー幼稚園では、現在35人の園児が元気に学んでいる。

b0090333_323338.jpg 今回、国際交流基金からバンブー幼稚園にも慰問団を派遣したいとお話をいただき、幼稚園の先生に連絡したところ、
「そんな珍しいものを見せてもらえるなら、ぜひ、他の幼稚園児にも呼びたい」
との希望で、今日の公演には周辺の7つの幼稚園から合計200人の園児が集まった。私が現場についたときにはすでにバンブー幼稚園の中は満員。


 今回慰問に来てくれたのは、蒲郡(愛知県)の手品師MAX渡辺、名古屋で独楽博物館をもつ藤田夫妻(独楽のおっちゃんとおばちゃん)、そして2度もヨーヨー世界チャンピオンになったヨーヨーマスターTAKA。彼は『スケバン刑事』で主役の松浦亜弥に演技指導もした人。
 インドネシアの片田舎、ジョグジャカルタまで来てくれた慰問団の4人のうち、3人が愛知県出身(私は名古屋出身)というのも意外でおもしろかった。


b0090333_33483.jpg さて、本日大盛況のバンブー幼稚園、最初の出し物はMAXの手品。私自身、手品を間近で見たのは初めてだったので、真剣に見てしまった。箱からウサギ、新聞紙に水注ぎ、宙からコインなど、思い切りスタンダードなネタではあるけれど、仕掛けのわかりにくいものがあったりで感動。幼稚園児には難しいかと思いきや、かなりウケてたのでMAXも大張り切り。


b0090333_334073.jpg これ以降の芸は場所を幼稚園の外に移して行った。長身のヨーヨーマスターTAKAが、インドネシア語を使いながらヨーヨー芸を披露してくれる。実は私は小学校のときに「光るコカコーラYOYO」を持っていて、いっときヨーヨーにハマった時期があったので、今回一番楽しみにしていたお題目。さらにTAKAさん、インドネシアへ来る前にこのブログにも寄ってコメントくれたこともあったから、会うのが楽しみだった。

 さすがに世界の舞台に何度も立ってきただけあって、完璧なエンターテイメント。技は正直いってあまりに高度すぎて、何してるのかわからないくらいのスピード。しかし見せ方が上手い。若いのに、技だけでなく芸として人に見せることを極めてるな~と関心して見とれてしまった。


b0090333_34894.jpg そして締めは独楽のオッチャンとオバちゃん。伝統ネタの独楽、そして南京玉すだれ。これもなんとなくどんなもんかは知ってるけれど、実際に見たのは初めて。独楽はスゴイ!細~~い糸を渡ったり、扇子のあの薄い紙の上で回ったり、素直に感動。
「はい!竹コプターしたい人~!」
といって一人の園児が前に出ると、その子の頭で独楽回しが始まった。ドラえもんネタはインドネシアでも充分にウケる。私もやってほしかった、この竹コプター。


b0090333_3428100.jpg 南京玉すだれも、園児が参加。独楽のオッチャンもうまい。芸人魂を感じる。声のガレ具合がまた味がある。日本人なら誰でも知ってる南京玉すだれででっかいアーチを作り、子供のチンチンとこに持ってって、
「はいっ!おしっこ~~~~」
とか言っちゃってるから、みんなに大ウケ。

b0090333_345478.jpg 公演時間としては2時間弱だったけれど、バンブー幼稚園の先生も園児も、それ以外の6つの幼稚園の先生&園児も、みんな喜んで帰っていった。今回慰問団は昨日2つの小学校、そして今日はバンブー幼稚園と、午後に小学校1校、すべてで4つの場所で公演をしてくれた。私が関わったロロン村だけが幼稚園児。慰問団の皆さんに聞いたらバンブーの園児たち、反応としてはよかったみたいだ。ただ、まだちっちゃいから、小学校では人気だったワークショップ(ヨーヨーや独楽回しを練習できる時間)が今ひとつ盛り上がらなかった。ま~3~4歳ではちょっと難しいかもな。
(ヨーヨーマスターと記念撮影。星の技をリクエストした)


b0090333_353269.jpg それでも先生たちが一生懸命に独楽回しの練習したりしてて、それはそれで和やかな風景だった。今回インドネシアに持ってきた80個ほどの独楽は、今回の慰問先にプレゼントされることになった。アリガトウ、独楽のオッチャンとオバちゃん(←これ、ホントに彼らの芸名)。
(南京玉すだれのハート)


b0090333_354827.jpg 夜は公演スケジュールをすべて終えた皆さんと、一緒に夕食をとる機会を得た。
そして!!! ヨーヨー世界チャンピオンTAKAからもらったのがこの光るヨーヨーっ!!! マジで嬉しい。小学校時代ぶりにヨーヨー握ったけれど、嬉しい~・・・。さらにさらに、スケバン刑事の先生からの直接指導を受けることができて、本気で感動。私のスナップを見て
「あ~、やっぱり子供のときにやったことのある人ですね~~~」
なんて言われて、また調子にのってしまった。

  夕飯も適当に済ませ、簡単な技にのぞむけれど、なかなか簡単にはいかない。明日は慰問団の皆さん最後の1日になる。最後の夕食会までに、宿題を出してもらってので、今日明日はその技を練習せねば・・・。ゆっくりブログ書いてる場合じゃない。


 さらにさらに、独楽のオッチャンからは独楽と玉すだれをいただいた。日本の伝統玩具スペシャル~!玉すだれも教えてもらうとかなり奥が深い。こちらはちなみに名古屋市港区にオッチャンの独楽博物館があるので、興味ある方はこちらのサイトを参照されたし⇒独楽博物館
 ご一行様は被災地の子供たちの慰問に来てくださっているのだけれど、私個人もかなり癒された1日となった。公演通訳を頼まれていたのに、すっかり忘れて観客となってしまってました。基金のTさん、ゴメンなさい・・・。そして慰問団の皆さんにもこの場を借りてお礼を言いたい。子供たちを見る目がみなさん本当にやさしかった。「見せる」プロの姿勢、子供たちのためにたくさんのインドネシア語を覚えてきてくださったボランティア精神にも頭が下がる。本当にお疲れ様でした~。
by midoriart | 2007-03-21 23:01 | Jawa Earthquake

b0090333_23114943.jpg マイクロウェーブの調子を試すため、今日は5分でバゲットを焼いてみた。
 成功!想像どおりのほんのりキツネ色に焦げたトーストの完成!10年あまり、フライパンで焼いてきたトースト。もちろんそれでも焼けなくはないけれど、中への火の通り方が、やっぱり違うもんだ。とにかく10年欲しくて手に入らなかったものが今ここにある幸せ。しばらくはこの喜びと感動を、美味いトーストと共に味わえそうだ。

 昨年末の解散&慰労会(2006年12月9日付『こどもプロジェクト解散パーティinタンキル』参照)以来、「こどもプロジェクト」の立役者、東とは会っていなかった。彼もすでに今までの暮らしに戻り、テレビや映画、CMの撮影などのプロジェクトに参加して仕事をしている。

 少し前に報告したように、国際交流基金の慰問団がもうすぐジョグジャにやってくる。これは本部(東京)からの企画で、ジャワ島中部沖地震の被災地を4人の芸人さん(という言い方でいいのかわからないけれど)が慰問することになり、その公演会場の一つに、我らのバンブー幼稚園が選ばれたのだ。本部のKさんは「こどもプロジェクト」の早くからのメンバーでもあり、過去にジョグジャで学生時代を送ったこともあり、特に思い入れもあるようだ。
 過去に作った3つの幼稚園のうちから一箇所を選ぶにあたり、東とも相談した上で、一番最後に作ったロロン村第3幼稚園に決めた。なぜなら幼稚園の関係者が村の衆とうまくやってるし、先生たちが私たちの想像する「先生=教育者」、心から子供の教育や将来のことを考えてるように見えるからだ。
 
 選んだ以上、この幼稚園の現状が気になっていた。1月末に一時帰国からジョグジャに戻り、雨季を迎え、被災地がどうなっているか、ずっと気になってはいたものの、自分自身の雑用があって、なかなか足が向かなかった。活動当時は毎日のように通っていた場所だけれど、用がなくなって思えば、実際にはとってもとっても遠い場所だったのだなぁ・・・。
 東に連絡して、彼の撮影が終わって時間が出来たら、一緒に3つの幼稚園を回ってもらうように頼んでおいたら、今朝携帯にメッセージが入った。
「ミドリ、今日なら時間があるから向こうまで行けるよ」
それで早速、雨の中を二人で被災地へ向かったというわけだ。12月9日の解散パーティ以来、2ヶ月半ぶりの被災地。


b0090333_2313812.jpg まずはジェティス村第2幼稚園。幼稚園のまん前にこんなでかい建物が建設中でビックリした。せっかく気合入れて描いた絵は、この建物で隠れてしまっていた。なんでも政府が村単位に送った支援金で、この村は集会所を建てるらしい。日曜ではあるけれど、大工がそぼ降る雨の中、タラタラと仕事をしていた。
(右端に茅葺き屋根が見える、それが第2幼稚園)


b0090333_23132698.jpg 幼稚園の中はこんな感じ。今日は日曜なので無人だけれど、ちゃんと有効利用されているようで安心した。




b0090333_23135141.jpg 次に交流基金の慰問団が訪れる予定のロロン村第3幼稚園へ。
 やっぱりここを選んで正解だった。周辺まで清掃も行き届き、環境が保たれていた。遊具も、村の衆が相互協力で運んで盛り土した広場に移されていた。






b0090333_2314750.jpg 中もこの通り。名古屋のメンバーが学園祭で参加者と一緒に作ってくれた折鶴も、ちゃんと天井から垂れ下げてあった。






b0090333_23142268.jpg さらに、トイレ周辺にはこのように小さな植木鉢が並べられていた。3つの幼稚園の中で、我々が作って手渡した後に、現場の人たちが何らかの形で手を加えてあるのを見たのはこの幼稚園だけだ。もらったものを「もらいっぱなし」にするのではなく、自分たちでよりよくしようという気持ちが見えて嬉しかった。




 そして最後にタンキル村第1幼稚園へ。
 ここは昔の記事を参照してもらえばわかるけれど、幼稚園の先生がちょっと信用しにくい態度に出てたり、いろいろ問題もあったので、慰問団の話があったときもまったく候補にするつもりはなかった。けれど今回は3つの幼稚園の現状を見ておきたかったし、なんといってもタンキル村の魅力は幼稚園じゃなくて村長さんの奥さんの手料理。だから今日の幼稚園訪問でも、私と東は無言のうちに、ここを最後の視察地と決めていた。そうすれば奥さんの手料理をいただいて腹を満たして帰宅できる。


b0090333_2315992.jpg わざわざ伝えておいて奥さんが無理して豪勢なものを用意してくれちゃっては恐縮なので突然いったにもかかわらず、運良く私の大好物、ココナツミルクをふんだんに使った鶏肉のグライ(煮込み)が出来たところだった!幼稚園の視察も忘れてしっかりいただいた。



b0090333_23175577.jpg 村長の家も、政府からの再建補助金で少しずつ家の形になってきていた。それでもこの毎日の雨と、家一件建てるにはとても足りない政府補助金のため、まだまだ先は見えないという感じだけれど、今日3箇所を見て周り、以前の悲惨さからは少し立ち直ったかな…。少なくとも、行って帰ってきたら車も身体も埃だらけというのはなくなった。
(一番最初に作ったタンキル村第1幼稚園)

 でも逆にこの雨季で、寒がりの私なんかは気づかないうちに身体の芯が冷えてしまっていて、家に帰ってすぐに暖かいお湯をためて湯船につかった。村長の奥さんも、
「最近は寒くってねぇ・・・」
と言ってたから、お年寄りたちにはつらい季節だろう。私たちが関わった被災者のみんなが風邪を引かないようにと祈りながら被災地をあとにした。
by midoriart | 2007-02-25 23:10 | Jawa Earthquake
 今回私が帰国していることを知っていたNPO ARDA代表のNさんが、私に東京講演をやって欲しいと電話くださったのは、1月初旬のことだった。
最近の天災や人災(テロなど)で観光客に人気のなくなったインドネシアでは、国営エアーのGARUDAが名古屋便をストップした。だから私は関空か成田からしかインドネシアへ戻れない。実家の名古屋から近いのは関空だけれど、大阪には友人もいないし見たい場所もそんなにない。けれど東京には名古屋以上に友人がいるし、見たい展覧会もたくさんある。そんな理由で私は成田からインドネシアに戻ることにしていた。1月27日成田を発つ前にということで、決まったのが22日の夜、門前仲町の門仲天井ホールだった。


b0090333_16102182.jpg 急に決まったことだし、「こどもプロジェクト」はもう昨年終了したこともメンバーの皆さんには伝えてあるので、どれだけの方が今もまだ興味をもってくださるのかわからなかったけれど、少なくとも「講演」を聴きたいという方がいらっしゃる以上、私に時間がとれる以上、皆さんへの報告としてやっておかなくちゃ・・・と、メンバーの皆さんにメール連絡もしておいた。

b0090333_16118100.jpg そして当日。1時間前に会場についてプレゼンテーションの準備などしていたら、懐かしい顔がやってきた。大学の同級生、美術研究所で講師をしていたときの教え子、名古屋で中学時代に遊んでいた友人など。中には、私が知らなかったけれど、救援活動をずっとブログで見ていてくれた人もいた。そして今まで一度も会ったことのなかった、「こどもプロジェクト」のメンバーの方々。
参加人数としては、名古屋講演の88人よりもずっと少ない20余名だったけれど、ほぼ全員がすでにこの活動を知っている、もしくはメンバーだったので、話もしやすかった。本当の報告会になった。


b0090333_16115984.jpg アットホームな会場で、後半は質問を受け付けた。
国際交流基金の方からは
「金を持ってる日本人がいるとわかって、被災者から迫られたりしなかったのか」
とか、若い青年から
「こんなユニークな活動が知られてくると、今後インドネシアの天災があったら、廣田さんが受け口になるんじゃないですか?どうします?」
とか、
「活動中、一番大変だったことは?」
などなどいろいろ聞かれた。

 そんな質問に答えていて、自分自身わかったのは、半年におよぶ活動を私は充分に楽しんできたということだった。500万円という大金が重荷になった時期ももちろんあったけれど、そうした重圧を吹き消してくれる信用できる仲間との出会いや、ブログでの暖かい書き込みがあったおかげで、私は本当に楽しんですべてのプロジェクトを遂行できたんだなぁ~とあらためて思ったのだ。


b0090333_16124532.jpg 一生に一度経験できるかできないかという貴重な時間を過ごせたのも、ブログを通じて知り合ったメンバーの皆さんのおかげだと思う。被災から8ヶ月になる今、もう私のブログで被災地の現状を知ろうとする方も少なくなってきているけれど、今ここでもう一度メンバーの皆さんにお礼を言いたい。


 青年から出た質問、
「またインドネシアで天災があったら、みんな廣田さんに救援活動を期待するんじゃないですか?」
に、私は答えた。
「いえ、もうしません。今回は私の周囲で起こったことで、友達を助けることがここまで発展したのです。別の場所で何か起こっても、私にはこんなモチベーションはありません。ここで足を洗います」


b0090333_16132732.jpg 一人の人間として多くを学んだ2006年は過ぎ、2007年が始まった。久しぶりに気持ちの引き締まる冷たい空気の正月を日本で過ごし、気持ちの切り替えもできたように思う。今年はフィリピンや日本での個展に向け、自分の時間を使っていきたい。
by midoriart | 2007-01-22 23:08 | Jawa Earthquake
 先日、名古屋にある名城大学アジア研究所で行った「こどもプロジェクト」の活動報告会(1月12日付『アジア研究所の講演会』参照)を、今度は東京でもやることになった。私の帰国や報告会のことを知ったある美術のNPO代表Nさんからの依頼だ。彼女は「こどもプロジェクト」の早い段階から、彼女のネットワークに我々の活動を伝え、多くのメンバーを集めてくださった。

 この前のアジア研究所では、アジア諸国での支援問題に興味をもつ大学生が中心だったけれど、今度はおそらくメンバーの方々、美術関係者でアーティストの活動に興味をもった方の参加が多いと予想される。

 以下はNさんが一般に向けて配付している案内のぬき出し。そのまま使わせていただくことにする。

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ジャワ地震復興体験と
「こどもプロジェクト」
廣田緑の報告・講演会

日時:1月22日(月)19:00~21:00
場所:門仲天井ホール


 昨年5月27日、インドネシア・ジャワ島中部、ジョグジャカルタを襲いました。地震直後より救援活動を開始したアーティスト、廣田緑さんの報告・講演会を行います。

b0090333_14112465.jpg ブログで現地の状況を伝えた廣田さんへ、日本から予想以上に多数の人々から義援金が集まり、その責任感が背中を押しました。「ファミリー・パック」「父ちゃんガンバレ・パック」「オンリー乳作戦」等のサポートは現地に根差した臨機応変な動きで、遠く離れている私たちの心を動かしました。過酷な救援活動中にありながら、毎日義援金の収支報告をブログに掲載していた真摯な態度にも頭が下がりました。


b0090333_14114249.jpg そして8月に「第一号バンブー幼稚園」を開園。『彼女はなぜ人々を救い幼稚園を建てたのか ~ジャワ地震復興に見る日本女性ここにあり~』と週間朝日(2006.10.6)にも掲載されました。

 今回は正月をご実家名古屋で過ごし、インドネシアへ戻る直前の廣田さんから、これらすべての貴重な体験を、画像をまじえて語って頂きます。

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●企画・共催:門仲天井ホール/黒崎八重子
      NPO芸術資源開発機構(ARDA)/並河恵美子

●お申込み・お問合せ
      門仲天井ホール
      tel 03-3641-8275  fax 03-3820-8646

●アクセス
      営団地下鉄「門前仲町」駅3番出口から徒歩3分/都営地下鉄大江戸線「門前仲町」駅6番出口から徒歩1分(駐車場はありません)

        
●NPO ARDA : tel&fax: 03-3334-7876
E-mail:namikawa@arda.jp http://www.arda.jp

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さかのぼり、1月15~17日の出雲旅行記事をUPしています。
●1月15日「大国主大神さんの住処へ」
●1月16日「松江城の堀川めぐりと三瓶温泉」
●1月17日縄文時代の巨木林と境港のねずみ男
by midoriart | 2007-01-21 14:08 | Jawa Earthquake

b0090333_210447.jpg 昨年10月の帰国の時から連絡を受けていた「こどもプロジェクト」の講演会が、ようやく今日実現した。会場となったのは名古屋の名城大学天白キャンパス。最近の私大はまるでホテルのようなのでビックリした。講演1時間前に担当者のIさんに会うため、アジア研究所の事務所へ。その手前に高~いビル、タワー75があり、この15階レセプションホールが講演会場だった。



b0090333_2112877.jpg Iさんと会場に向かうまでに学食や生協(のようなもの)を見たけれど、県立芸大出身の私にはこれが大学とは思えない。学食なんていっちゃ失礼なほどの豪華レストラン、ホテルのような絨毯張りフロアー、あまりに小奇麗でまずは建物に感動。さらに会場からの眺めがスゴイ。眼下は霊場。

 私の帰国予定に講演スケジュールを合わせたため、試験の時期に重なってしまったらしいけれど、それでも主催者であるアジア研究所の予想よりもずっと多い88名(入場の際に記名した人の数)が参加してくださった。
 最近の若者、特に学生してるくらいの世代とは長らく接触がなかったのだけれど、今日集まった学生達はそれぞれにボランティアか、あるいはインドネシア(広い意味ではアジア)に興味があったのだろう。別に私の講演ごときに出席したって単位になるわけでもないけれど、これだけの数の学生が聞きにきてくれたのは嬉しかった。

b0090333_21103840.jpg パワーポイントで140ページ余にまとめた被災当日から活動終了までの写真報告をした後、後半1時間の質疑応答が私自身興味深かった。卒業したらJICAに入って国際的にボランティア活動をしたいという青年からは、現地の人たちと円滑にコミュニケーションをとるためのコツを聞かれた。
b0090333_217354.jpg また大学職員のおじ様からは、物資配給の際に誰にそれを配るのか、何を判断基準にしたのかなどの質問があった。ボランティア活動をしている方が自分の神戸地震救援のときの経験と重ねて、興味深く私の体験を聞いたとコメントしてくれたりもした。



b0090333_21111889.jpg 人からいろいろ聞かれ、その時々の被災地の状況や自分自身の気持ちを思い出したことで、半年の活動の意味や結果をあらためて考え直すことができたし、義援金を送ってくださった方も何人か参加してくださったので、本当にいい報告会になったと思う。



b0090333_2152365.jpg さすがは大学、こんな講演会でも参加者にはアンケート用紙を配っていた。講演後、参考までに見せていただいたら、おもしろかったかどうかの5段階評価では9割以上が4と5で、わずかに3があった程度なので、まぁまぁの成績といっていいのか。
 今日で発表の時間配分もある程度わかったので、場所を移しての東京講演ではもっとうまくお喋りできるといいなぁと思う。

※さかのぼって1月5日「ビギナーのお伊勢参り」と1月9日「コッキンと防衛省と新年会」をUPしました
by midoriart | 2007-01-12 20:58 | Jawa Earthquake
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 2006年5月27日に発生したジャワ島中部沖地震。私の暮らしているジョグジャカルタの街、特に南部のバントゥル県では大きな被害が出た。ボランティアなどまったく経験も興味もなかった私が、半年に渡る「こどもプロジェクト」を始め、ジョグジャのボランティア・グループと活動してきた記録を、来る2007年1月12日、名城大学天白キャンパス15階レセプションホールで紹介することになった。


b0090333_1774943.jpg ボランティアに興味のある学生の他にも、この活動に参加するため義援金を送ってくださった方も公聴することができる。
 詳細は名城大学のサイト(http://marc.meijo-u.ac.jp/top_news/20070112.html)にて。





b0090333_1783131.jpg 今年は数年ぶりに日本で正月を迎えることが出来た。約半年間、多くの時間を被災地での活動に費やし、慣れない仕事ばかりをしてきたけれど、それも12月9日の慰労会をもってすべて終了したことはすでにメンバーの皆さんにも伝えた(過去の記事参照)。
★写真は地震当日の私の家の近所


 2007年は初心に戻り、美術を思考し、美術で行動していきたいと思い、気持ちの切り替えも兼ねて帰国した。自分にとって「こどもプロジェクト」はあまりにも想像外のことで、怒涛のごとく過ぎた半年だった。新しい気持ちで昔の暮らしに戻るためにも、この時期での帰国と、「冬」の寒さという私にとっての「非日常」はグッドタイミングといえるだろう。

 一大プロジェクトの区切りに、名古屋周辺の皆さんに地震当初の状況、活動が始まり被災地を訪れ、物資をデリバリーし、幼稚園を建設していく過程を多くの写真資料と共に報告するため、今晩は予習で忙しくなりそうだ。
 この名城大学アジア研究所での講演を知った東京の知人が、せっかくなので東京でも講演の機会を作れないかと、現在準備を進めているとのこと。こちらは詳細が決まり次第、このブログで報告する。
by midoriart | 2007-01-10 17:06 | Jawa Earthquake