Culture & Art Report from INDONESIA


by midoriart

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 バギオに着いた翌日は最悪の状態だった。今回バギオ滞在中は映画作家のキドラ宅にお世話になることに決めていたのだけれど、着いた最初の夜は疲れているし、気の知れたササンと二人だけでゆっくりしたいと思い、街の中心にある古いホテルを予約しておいた。そして準備に動くのは翌日からということになっていたのだ。
 本当にそうしておいてよかった。起きてみたものの、全身が筋肉痛。というか、筋肉じゃなくて節々が痛い。これは完璧に風邪。なのにドカンと高熱ではなくて微熱。それでも「私にはやることがある」と気合入れてるうちに少しずつ回復してってくれたから助かった。

b0090333_23445295.jpg なんとかマリコさんとの待ち合わせの場まで行き、今回のイベントのスタッフたちを紹介され、ようやく展覧会場となるVOCASへ。ここがすべての始まりとなった場所。去年私がアーティスト・トークのために訪れ、マリコさんをはじめキドラおやじとも出会った思い出の場所だ。


b0090333_23451180.jpg キドラおやじを待ちながら、ササンと一緒に会場を見る。以前は「バギオのクレイジーなアーティストが作ったアートスペース」と思って見ていたけれど、今度は自分が作品を設置するという目で見るので、また別のものが見えてくる。

b0090333_23454131.jpg そして懐かしいキドラおやじとの再会。ただ私はどうしても100%回復できず、午後からは早めにキドラおやじの家に移動し、夜にはササン共々マッサージ師さんに来てもらった。本来は全部脱いでお願いするものを、私にはとてもそんなことストーブなしでは無理なので、事情を話して服のままで揉んでもらった。それでも微熱のある身体を触ってマッサージ師のオバチャンにも事情がわかったようだった。
「明日にはよくなってるといいわね」
と言って帰っていった。


b0090333_2347877.jpg そして20日を向かえ、ようやくなんとか普通の体調に戻ってきた。キドラおやじがもう一つの家での朝食に誘ってくれた。私がササンと泊めてもらっているのは彼の実家、彼いわく「僕の母の家」であり、朝食に誘ってくれたのは「僕の妻の家」。


こっちはバギオの友人らがCRAZY HOUSEと呼んでいる家で、VOCAS以上にクレイジーな空間(彼のこっちの家については2006年8月12日付『バギオの大御所ベンキャブとキドラ』参照)だ。
昨年は帰国中で会うことのできなかったキドラの奥さんキャサリンが、美味しいサラダとパンを焼いて待っていてくれた。私の熱っぽい顔を見て、特別に元気のでるドリンクまで作ってくれた。

そしてかなり元気を戻した私とササンはキドラに送ってもらって再びVOCASへ。今回の展覧会に参加する4人のアーティストの一人、キドラの次男でもあるカワヤンもようやくこの日、マニラからバギオに戻ってきた。ササンを紹介して、これからの予定などを相談。
私は今回、4人との共同作品展に加えて、個展の準備も単独でしなければならないので、このクレイジーなVOCASの空間の中のどの場所を使うのかを他のアーティストと相談しながら決定していかなければならない。特に私のように、その空間に合わせた展示を考える作品の場合、空間選びからが非常に重要。

b0090333_23475435.jpg まだちょっとボケた頭で、気になる場所はまずは測量。着いた翌日のあのバテ状態からすれば、随分調子が戻ってきた。やることを目の前にしちゃえば、結構大丈夫なんだな。それに今回はササンという親友もそばにいてくれて心強い。重いものは持ってもらえばいいし。


何が一番怖いかといって、今このバギオで寒いとなると、ワークショップしにいくキブガンはもっと北でもっと標高高いってこと。とにかく今のうちに体調をもとに戻すか、もっといい状態にしておかないと、キブガンへは行けない。電話もない場所でダウンしてるわけにはいかないのだ。だからなんとしても完璧に治さねば!!! 
by midoriart | 2007-05-20 23:44 | the Philippines
 今回のバギオ行き、インドネシアの陶芸作家ササンも一緒だし、多少過酷でもOKとナメてたらえらいことになってしまった。バギオに着くなりダウン。数日ほとんど食欲ナシ。

 それでわかったこと。
 年相応の旅をすべき。

 今回の道のりはこうだった。
5月17日(木)
19:25発でジョグジャカルタからジャカルタへ。(飛行機で1時間)
22:00発でジャカルタからシンガポールへ。(1時間半、ここで時差1時間)
5月18日(金)
シンガポール時間の00時35分。カウンターで荷物を受け取り、そのまま空港内で夜明かし。シンガポール空港はバリ時代から何度も来ているので詳しい。朝一番の便を待って一晩空港内で明かすくらいのことは平気だったのだけれど、今回の誤算はターミナルだった。

シンガポールにはターミナル1と2があり、1は24時間営業のでかいレストランが入ってたり、リクライニングシートで薄暗くした部屋でいつでも映画上映してる空間があったり、無料インターネットや無料国内電話があるのだけれど、今回シンガポールからフィリピンへ飛ぶのはタイガーエアーという格安エアーで、これに乗るのはターミナル2から、さらにみすぼらしい「Budget Terminal」というターミナルへ移動しなければならなかった。2年前に使った時には、こんなターミナルなかったのに・・・。

今回は私もササンもマニラでのインドネシア若手作家紹介展のため、出品作品を自分たちで運んでいるから荷物はすごい量。これ持ってターミナルの1と2を何度も往復してるのもつらいので、結局はスターバックやマックくらいしか開いてないショボいターミナル2で一晩を明かすことに。

b0090333_23344232.jpg 8時間半のトランジットをスタバで仮眠。とはいってもなかなか眠れない。正面にはバックパッカーの兄ちゃん二人。右に少し見えてるのがササンの足。昔だったら、こんな状況でも平気で眠れたのに、なぜか今回は厳しかった。冷房キツイし。明るいし。椅子は座り心地悪いし・・・。なのでほぼ寝ないままで朝を迎えた。


クラークの空港まではシンガポールから3時間半。格安飛行機なので水すら出ない。飲みたきゃ買えという主義。飲んだら格安じゃなくなる気がして、ササンと二人で意地でも何も飲まなかった。こうして昨日から計算するとジョグジャからジャカルタへ1時間飛行+ササンとジャカルタで落ち合ってシンガポールまで1時間半飛行+8時間半の眠れぬトランジット(さらに冷房効きすぎで凍えた)+格安の狭いシートでシンガポールから3時間半でフィリピンのクラーク空港に到着。
今回のイベントの主催者であるマリコさんがファミリーで空港まで迎えに来てくれていたのでホッと一息つくも、ここからバギオまでは約5時間のドライブが待っている。昨日の夜からず~~~っと移動ってことになる。


b0090333_23352786.jpg 空港の近くでランチをご馳走になった後で、この周辺にはたくさんの日本兵慰安碑があることをマリコさんが教えてくれた。私が1000体ものヒトを作るきっかけとなった「バタアンの死の行進」のルートにも重なっているし、神風の慰霊碑もあるという。今回の私の個展の作品は、背景に実はフィリピンでの日本軍が大きく関わっている。私の大好きだったお爺ちゃんの戦友たちに挨拶すべく、一つの慰霊碑に立ち寄り、手をあわせた。


バギオにつく頃にはすっかり暗くなっていた。考えてみたらマリコさんファミリーも私を迎えるために往復10時間ものドライブをしたってことになる。こんなに距離があるとも知らず、お迎えをお願いしてしまって反省。ホテルに着いたらどっと疲れが出て、とにかく身体を横にして眠りたかったので、募る話や打ち合わせを明日に回して別れた。
腹の減ったササンと外へ出るも、私はダウン寸前。何も食べられないし、店の冷房だけで震えがくるほど寒い。バギオはフィリピンの避暑地だとはいえ、私の体感温度では新潟並み。これは明らかに風邪ひいて倒れる前兆なのでビタミンCを思い切り摂取し、ジンジャーティーを自分で入れて飲み、着られるだけの服を着こんで寝ることにした。


b0090333_2336479.jpg そこまでの体調だというのに、フィリピンの人気ファーストフード、ジョリビーのマスコット、ジョリー蜂君を見たらちょっと元気が出た。前回来た時からこのキャラと一緒に写真を撮りたかったけれど、一人なので撮ることができなかった。早速ササンにお願いしてパチ。
by midoriart | 2007-05-18 23:33 | the Philippines
b0090333_2319384.jpg 今回私がフィリピンで関わるイベントのお知らせ。
 ルソン市北部にあるバギオで自然環境問題に取り組むCordillera Green Network主催の国際環境デー、今年のテーマは『Where Have All The Monkeys Gone?(猿たちは何処へ行った)』。2007年6月5日にバギオ市内セッション・ロードに面するアート・スペースVOCASで、この環境デーに関わるいくつかのイベントが企画されている。
(バリで飼ってる私の猿、ソチョがモデル)


b0090333_23184624.jpg メインのイベントはキブガン村でのクレイ・ワークショップ。キブガン村在住のアメリカン・フィリピーノのレイ君、インドネシアからは私の親友でありバンドン工科大学美術学部講師でもあるNurdian Ichsan(ニックネームはササン)、バギオ在住のジャーマン・フィリピーノ、カワヤン(彼はキドラの次男)、そして私。この4名によるグループ展。

 5月22日からキブガン村に全員が集まり、キャンプ生活しながら作品を作ることになっている。キブガン村はレイ君の暮らしている村で、彼のクレイ・スタジオもある。今回はササンが新聞紙と雑誌を使った野焼きのテクに挑戦することになっていて、レイ君もかなり楽しみにしているらしい。
 彼の村には電話回線がないため、今我々は携帯電話のショートメッセージでやりとりをしているのだけれど、ここ連日、レイ君は野焼きのための薪集めに忙しくしているらしい。かなり気合入っている。
 4名のアーティストによるコラボレーション・ワークショップ成果展はVOCASにて6月5日~7月5日まで開催。


b0090333_23195089.jpg 私の気持ちとしてメインなのが『The Back of Affection』、昨年からフィリピンで巡回してきた私の個展の最終章。今回は作品の交換プロセスをバギオの映画作家キドラッ・タヒミックがドキュメントし、彼の作品と私のプロジェクトである交換物の展示と一緒に彼のドキュメントを流す。こちらも6月5日~7月5日の一ヶ月展示。


 さらに国際交流基金マニラ支局とジョイントして、『The Rising Generation from Traditional Japanese Kilns』という、日本の陶芸を紹介する展覧会も開かれる。こちらは6月9日~16日まで、バギオのアーティスト集団が暮らすTam-awan Villageにて。
 さらにこの機会にと、日本の陶芸作家による萩焼のワークショップも開かれるらしい。6月9日の一日だけ、Tam-awan Villageにて。レイ君もササンも、日本の陶芸の技を実際に見れるというので、かなり楽しみにしているようだ。私はこのイベントには直接関わりはないけれど、時間があったら是非参加したいと思っている。

 と。
 ここまでがバギオでのイベント。私は6月5日に個展が始まってしまえば、ちょっと気持ちが楽になるかな~と思っているけれど、まだここですべてが終わるわけではなく・・・



b0090333_23204382.jpg まだ残っているのがインドネシアの若手作家を紹介する『POPSCAPE : Every day in Indonesia』展の準備。
 こっちはCordillera Green Networkの国際環境デーとは無縁で、私が今回フィリピンに行くことになったときに、せっかくならインドネシアの作家の展覧会も持っていこう!と個人的に企んだもの。


b0090333_23212465.jpg 運良く私には、フィリピン・ナショナル・ミュージアムで主任キュレイターをしているパトリック・フローレスという友人がいる。彼に相談したらとっとと話が進み、彼が担当キュレイターをしているマニラのCCP(Culture Center of the Philippines)4階のギャラリーBulwagang Fernado Amorsoloを押さえてくれた。パトリックは2年前にキュレーターの調査でインドネシアに半年いたという縁もあるので、今回の展覧会にはとっても協力的だった。作家選考は彼と私、そして今回陶芸ワークショップに参加するササンで、かなり若い世代から5名のアーティストを選考。


 初めて私がフィリピンで個展をした2006年、旅費や滞在費をサポートしてくださったのが国際交流基金マニラ支局ディレクターBさんだった。今回この企みを相談したら、また即答でサポート(作品の返却とオープニング費用)を引き受けてくださった。感謝。
 『POPSCAPE』展は6月14日午後6時にオープニング。Bさんのおかげでちょっとしたオープニング・パーティを開くことができる。
 
 バギオからマニラまではバスで約5時間。この展覧会の作品設置のために、私とササンは3日前にはマニラ入りする予定。6月5日にバギオで個展が始まったら、その後アーティスト・トークも希望されているので、体力と時間があったらインドネシアのアート事情などをプレゼンテーションすることになるかも。せっかく行くので、いろいろ皆さんと交流できればいいかな~と思っている。ササンもそういうこと好きだし。

 今晩はまだまだ荷造りと一ヶ月留守にする家の中の片付けで時間がかかりそうだ・・・
by midoriart | 2007-05-16 23:17 | the Philippines
 ついにフィリピンへの出発まで残すところ2日となった。1ヶ月の洋服や下着、個展の作品一部、マニラのミュージアムで開催するインドネシア若手アーティストの紹介展「POPSCAPE」の作品・・・と荷造りしてたら結構な量になってきた。個展のための作品は、今回の場合すでに大半を去年フィリピンへ送ってしまっているからいいものの、今回使用するガラスの箱とか、陶の作品とか、手荷物にしないと危険なパーツがいくつかあるから、なんだかんだいって多い。

 今回の個展では、昨年8月にケソン市にあるギャラリーGreen Papayaで展示したものと同じ「ヒト」を使う。もともと1,080体作り、フィリピンへ送ったものだ。「The back of Affection」というタイトルのこの作品は、ヒト型のオブジェを並べて見せることが目的ではなく、会場に来た人がこの「ヒト」を一体選び、その場で本人の持っている何かと交換することが目的。観客の置いていったもの、「交換物」が展示作品となる。
 昨年8月と10月、二度の個展を終え、ヒトは残すところ80体あまり。今回の個展は「The back of Affection」プロジェクトの最終章となり、この80体すべてを交換し、過去からの交換物約1,000個をすべて展示する。

 過去の2回と大きく違うのは、観客をギャラリーで待つのではなく、私から一般の人々の家に出向くこと。ギャラリーのように、来訪者が「アートを見る」という意識を持っている環境の中ではなく、フツーに生活している人の「日常」へ私から入り込み、エクスチェンジをお願いするという方法だ。
 そして私が選んだのは、バギオ市から車で4時間のキブガン村周辺。まだまだ昔のままの自然に密着した暮らしをしている山岳地帯。さらに、この交換プロジェクトを、今回はドキュメントしてくれる人がいる。バギオの重鎮アーティスト、キドラッ・タヒミック(Kidlat Tahimik)だ。


b0090333_18192478.jpg 彼とは昨年バギオを訪れたときに知り合い、その人柄に私がとても惹かれた人。人は皆、彼を「クレイジーだ」と言うけれど、私から見れば知的にコントロールされた彼のクレイジーぶりはとてもスマート。植民地、戦争、民族文化問題を真摯に見つめて独自の視線で語る彼はとても魅力的だった。
(右がキドラ。左は三男)


 今日はガイドブックやインターネットでバギオの予習をしていた。
そしてキドラについて調べていて驚き。私の知ってる彼は、バギオのクレイジーなアーティストで、三人の息子(それぞれに美術関係の仕事をしている)のとってもやさしいお父ちゃんというだけなんだけれど、実は映画界ではスゴイ人だった。


b0090333_1820920.jpg 1942年フィリピンのバギオで生まれた彼は、1977年の処女作「悪夢の香り(Perfumed Nightmare)」でその年のベルリン国際映画祭批評家賞受賞、その後の作品「Turumba(81)」や「虹のアルバム:僕は怒れる黄色(94)」などで日本でも高い評価を得ているお方だった。
(「悪夢の香り」の一場面)


 特に「虹のアルバム」は、81年からずっと彼のドイツ人の奥さんと、その間に生まれた三人の息子を数年に渡り淡々と移し続けた作品で、「終わりのないドキュメンタリー」と評されている。山形映画祭ではすでに馴染みの作家らしい。


b0090333_1821715.jpg ネット上の彼は、ふんどしをしていた。私がバギオで会った時も、自分の生まれ育った村の伝統(=ふんどし)について熱く語ってくれたもんだ。さすがに私の前でふんどし姿にはならんかったけど。彼の村には昔からふんどし文化があり、キドラはそれを守るため、植民地批判のアイコンとして、自らふんどしに身を包む。

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(キドラの守る伝統のふんどしに身をつつんでパレードするグループ。
http://baguio.cocolog-nifty.com/nihongo/より)




 少し前に、今回の「バギオ国際環境デー」主催NGOの代表マリコさんとメールでやりとりしていて、私のヨーヨー熱のことを話したら、
「ま~!なんて縁があるんだろうね。キドラが昔『YO YO』って映画撮ってるのよ。ルーツはフィリピンなんだって説があって、それで映画にしたみたいよ。私もまだ見てないけど」
と教えてくれた。お~~バギオにもヨーヨー仲間!!!


b0090333_18214672.jpg そして、マリコさんの言葉を裏付けるように、今日ネットで見つけた彼はこんな姿をしていた(かなり若い時の写真だな~)。これはもう、会ったらすぐにヨーヨー・コミュニケーションかも。今回の滞在中に、なんとしても彼の映画『YO YO』を見なければ!
by midoriart | 2007-05-15 18:22 | the Philippines
 5月の末からフィリピンへ行く。一般にはマニラがフィリピンの窓口で、国際空港も立派になったのだけれど、私の用事はもっとずっと北部なのと、旅費の節約のために、シンガポールからタイガー・エアーという、ネットでのみチケットを販売し、座席も指定されず自由に座り、飲食もしたい人だけがメニューを見て購入、ブランケットも使いたい人だけがお金を払う(逆に言えばいらない人は何も払わなくてイイ)という、割り切りまくりのエアラインを使ってクラーク空港から入る。
 クラークはマニラから北西90キロ、1991年に20世紀最大の噴火といわれたピナツボ火山のお膝元にある街で、旧米空軍基地がある。この基地も噴火の被害に遭い米軍は撤退、その後フィリピンに返還されて今は国際空港になっている。
 2年前に初めてフィリピンを訪ねたときも、この節約コースで行ったので、クラーク空港へ降りたった。ジョグジャの国際空港も「たいがいにしときゃ~よ」(名古屋弁だけどわかるだろうか?)と言いたいレベルだけど、クラークはもっとひどかった。まさに軍の基地の飛行練習所みたいな空港。


b0090333_145522.jpg 今回はこのクラークからさらに北へ4時間ほど行った街、バギオが活動拠点となる。現在も現地の関係者とチャットで打ち合わせ中なのだけれど、主催のNGO代表のマリコさんと話していると、スケールの大きさに驚く。
「迎えに行くから大丈夫よ」
それで所要時間を聞くと平気で
「あそこなら近いから4時間」
とか、
「ミドリさん、温泉好きなんだったら、キブガンの近くにもあるわよ」
「行く~!行く行く、絶対行く~!」
「山を下って2時間風呂はいったあと山を登って4時間それでもよければ」
なんて言ってくれる。


b0090333_145424.jpg 私が野焼きのワークショップと個展のためのプロジェクトを実行するのは、バギオからまたまたバスで5時間奥地に入ったキブガン村。手元にあるガイドブックには名前すら出てこない場所なので、イメージがわかなくて困っていたら、マリコさんが写真を送ってくれた。
 標高も1000mちかくあるようで、水浴びがかなり寒いらしい。インドネシアでもローカルの友達の家に泊まるときにはめったに温水シャワーなんてないから、フツーに水浴びはしているけれど、標高1000は手ごわい。精神修行も兼ねることになるのか。。。


b0090333_1462389.jpg これが今回私と一緒に野焼きをやるセラミック・アーティストのレイ君。お父さんがフィリピーノ、お母さんがアメリカン。もとはエンジニアだったのが、陶芸に転向したらしい。彼とは面識がなく、マリコさんがコーディネートしてくれたのだけれど、ここ何度かチャットでやり取りをしていて、非常に律儀で真面目な人って印象だったので、送られてきた写真を見て驚いた。

 彼とは最初、『国際環境デー』のイベントの中の一つとして、彼が暮らしているキブガン村でのワークショップで関わるはずだった。けれど、何度かチャットで話し合っていて、私が個人的に個展の準備で田舎に入り、ヒトの作品を交換してもらうという話をしたら、面白そうな企画なので是非アシストしたいと申し出てくれた。キブガン周辺の村ではまだまだ人見知りする人が多いし、英語も通じないので、彼のようなミドルマンは確かに必要かもしれない。頼もしい助っ人が現れてラッキー。


b0090333_1465565.jpg「ミドリが村に入ってきて、物々交換したいって言ったら、きっとYAMASHITAの宝だと思うよ」
とレイ君がジョークを言う。
 そう、ルソン島北部、標高1000m級の山に囲まれたコルディレラ地方は実は日本軍とも関係深い場所なのだ。マッカーサーのレイテ島再上陸後、日本軍は追いつめられ、陸軍第14方面司令官の山下奉文大将を頭にして、最後の闘いが繰り広げられたのがこの地方なのだ。
(レイ君のセラミック工房)


b0090333_147429.jpg  結果1945年9月に日本軍は降伏、山下大将はバギオへ移送された。なんでもこの山下大将がずっと隠し持っていた戦争中のお宝がどこかに埋まっているといって、いまだにこの地域では有名な話らしい。実際山奥に入ってお宝探し真剣にしてる人もいると聞く。
 キブガン村にはワークショップとヒト交換プロジェクトのために10日間ほど滞在予定。インターネット環境を聞いてみたら、電話線もないと言われた。本当に陸の孤島・・・。確かに、マリコさんの送ってくれた写真を見たら、電気が来てるだけでもラッキーって感じの場所だ。

 ジョグジャの片田舎でADSLが来たりマイクロウェーブ買ったっていって中途半端に喜んでいる私には、こうした本当の田舎でそこにあるものだけで生活する体験も重要かもしれない。この地方では、今もそれぞれの伝統文化を守り、民族衣装に身を包み、自然と共存して人が暮らしているという。さらに、ユネスコの世界文化遺産に指定された「天国への階段」といわれる棚田もある。本当にキレイな自然を見ることができるのはかなり楽しみだ。
 
 また一方では、山下大将の名がここまで残っているように、レイテ戦の厳しい闘いで日本軍が最後までたてこもり、降伏した地域なので、私はその歴史も真正面から見つめたいと思う。お爺ちゃんっ子だった私にとって第2次世界大戦はけして過去の話ではない。周辺にはたくさんの慰霊碑も残されているというので、出来る限りそうした場所もたずね、お爺ちゃんの代わりに、お爺ちゃんの戦友さんたちを拝みたいと今から考えている。
by midoriart | 2007-04-05 20:43 | the Philippines
 昨年8月フィリピン大学美術学部に招聘され、大学でアーティスト・トークを、GREEN PAPAYAというギャラリーで個展をした。大学でのスケジュールの空きをみて、バギオを訪ねたときに知り合ったのがキドラ親子。キドラ・タシミッ(Kidlat Tasimik)は山形ドキュメンタリー映画祭でずいぶん昔から高い評価を得ている映像作家。三人の息子は全員美術関係に進んでいる。お母さんはバギオ市で最初の女性市長となった人で、キドラ自身は海外で教育を受け(確か法律関係を学んだと聞いた)、ドイツ女性と結婚している。よそから来た男性がフィリピーノを嫁にするパターンが大半な中で、この逆カップルは珍しいらしい。


b0090333_12562811.jpg いきさつを話していると長くなるのではしょるけど、このときに出会ったバギオの皆さんとの縁が今まで続き、今年6月にバギオで開催される「世界環境デー」というでっかいイベントの中で、私の個展と、バギオのアーティストたちとのワークショップが実現することになったのだった。
(バギオで出会ったキドラとマリコさん。キドラの運営する店VOCASにて)


b0090333_12565318.jpg 今回のバギオで私の関わるイベントは2つ。
 一つは昨年の個展のファイナル。1,080体のヒト型オブジェをすべてフィリピンの人々と交換しつくす。そして1,080個の交換物をバギオの会場で展示する。去年の個展では、街中にある小洒落た画廊スペースに来てくれたお客さんとの交換だったけれど、今度は違う。私が村にヒトを担いでもって入り、農家の爺ちゃん婆ちゃんに交換をお願いするのだ。
(昨年の個展の様子。Green Papayaにて)


b0090333_12571911.jpg そして、そのプロジェクトの様子をドキュメントしてくれるのが、キドラ親父。私はまだ彼の作品を見たことがないのだけれど、知ってる人の話によれば、とても温かみのある人間臭いドキュメントを撮る人らしい。私が今回のプロジェクトの内容を伝えたら、彼は快く撮影を引き受けてくれた。だから彼には、私がなぜこの交換をしたいのかという裏の話ももっとしっかり説明しようと思う。日本軍がフィリピンでやらかした「デス・マーチ」のことを・・・。
(交換したものは私が準備した8センチ四方の座布団に載せて展示される)


 そしてもう一つは、三人のアーティストとのコラボレーション。
 今回の「世界環境デー」を主催するのは、バギオ市にあるコーディリエラ・グリーン・ネットワーク(環境NGO)、その代表がバギオでミュージシャンのアーネル・バナサン(CDは日本でも出ている)と結婚をして暮らしている日本人女性マリコさん。去年のバギオ訪問の際に彼女と知り合い、いつか一緒にバギオで何かやらかそう!と企んでいたところ、思ったよりも早くこんなチャンスが来たというわけだ。


b0090333_12575964.jpg 最初に私が思い浮かべたのが竹ちゃん。本名はカワヤン、キドラ親父の次男だ。昨年バギオを訪ねたとき、キドラの息子の中では一番私が親しくしていた青年。キドラは日本通なので、日本の竹寺にちなみ、自分の息子に「竹」を意味する「カワヤン」とつけたという。だから日本語で「竹ちゃん」と呼ぶとけっこう喜ぶ。
(昨年竹ちゃんのスタジオを訪ねたときの写真)


 マリコさんの提案で、せっかくならバギオ市から山岳地帯に入り込もうということになり、そしたらキブガン村にアメリカ人の陶芸作家レイ君がいるから、彼も巻き込もう・・・と話は進み、さらに
「せっかく緑さんはインドネシアから来るんだし、インドネシアのアーティストも誘ったら?」
ってところまで進み、そこへ運良くマリコさんと作ったプロポーザルが認められて日本の財団から助成もついたので、予算的にもここまでの夢が実現することになった。
 レイ君というのは、アメリカ人のお母さん、フィリピーノのお父さんをもつ。バギオから車で3時間ほど奥へ入ったキブガンという村で焼き物をしているそうだ。私は去年の訪問で彼に会うことはできなかったのだけれど、マリコさんのコーディネートで彼とは今、チャットしながら企画を相談している。

 キブガンといってもなかなか日本語のガイドブックには掲載がないのだが、ルソン島北部の山岳地帯の中でも特に美しい景色が有名で、「フィリピンのスイス」と言われているらしい。さらに昨晩わかったのだが、キブガンとは現地の言葉で「猿」の意味! 昔は猿がたくさん棲む深い森があったのだそうだ。今も猿の顔をした岩のある山がそびえていて、キブガンの象徴となっているという。あ~~~。これはやっぱり縁だ。
 主催のマリコさんからの提案もあり、レイ君とのワークショップでは「猿のすむ森 ~Have you seen monkeys in the forest?~」ってテーマで村の子供たちと一緒に猿面を作ることに決定。


b0090333_1259263.jpg 今回は展示会場も魅力的。キドラ親父はバギオではクレイジーで通っていて、本当にかなりクレイジーな空間を運営している。VOCASという名のその店はバギオの中心セッションロードにあり、ビルの最上階であるにもかかわらず、中には水車が回り、酔っ払った息子たちは火を焚いて踊る。彼が尊敬する黒澤明の『夢』の1シーンを彷彿させる装置から、ジョニーディップが出てきそうな『カリブの海賊』チックな一角があったり、三次元空間が四次元にも五次元にもなっちゃったような異質な、けれどなぜか居心地のいい空間。
(私のアーティスト・トーク後、突如焚き火が始まり、伝統楽器の音とともにみんなが輪になって踊り始めた)

b0090333_12592691.jpg 普段はここで展覧会、コンサート、パフォーマンスなども開催されていて、私が初めてバギオを訪れた去年8月には、ここで私のアーティスト・トークも行われた。突然のアイデアでそうなったというのに、50人近くのアーティストがさっと集まったのを見て、キドラと息子竹ちゃんの人脈がいかなるものかがよくわかったもんだ。
(この1枚のみバギオ関係のブログ『バギオとフィリピンのビーチリゾート』より転載)

 しかし、ADSL効果はすごい。これのおかげで今ではボイスチャットも可能になった。フィリピンの田舎に住んでる彼らと、リアルタイムで打ち合わせできちゃうのは本当にありがたい。「世界環境デー」は今年、6月5日にルソン島バギオ市で始まる。
by midoriart | 2007-03-31 12:59 | the Philippines
 あっという間の3週間が過ぎ、8月16日、フィリピンを去る日。最後の夜は私のお別れ会と称してデイシーさん宅に大勢のアーティストが集まった。そのままライブハウスに流れて宿に戻ったのは午前1時半。最後の荷物を詰めなければならないので、9時起床。すべての荷物をトランクと登山リュックにつめ、最後のランチを食べにUP(フィリピン大学)の生協へ。

b0090333_22365021.jpg パトリックがオススメのロディックスは1949年開業の、UP生協内でも歴史ある飯屋。アマンダちゃんと以前食べた牛肉の甘煮に目玉焼きのついた定番メニューは有名で、マニラの各地からこれを食べに人が来ると言う。最後のランチはこの飯屋でココナツの牛肉煮込み。

b0090333_22382282.jpg 国際交流基金のBさんのご厚意で、午前11時にはBさんの運転手さんが迎えに来てくれた。3週間泊まったバライ・カリナウともお別れ。毎晩夜中に帰ってきても笑顔で部屋の鍵を渡してくれたガードマンさん、さようなら!

 テロ事件の影響で、空港でのチェックが厳しいとは聞いていたけれど、昨日空港へ確認したらノートパソコンは手荷物で持ち込めるという。安心して空港へ入るとボーティング前の最終チェックで、リキッド類はすべて持ち込み禁止と言われた。私の手荷物にあるリキッド類はボトル飲料水、ヘアーワックス、日焼け止めクリーム、リキッドファンデーションなどなど。
 まず最初に飲料水を検査員の前で飲んでみせろと言われたのでゴックン。
その次に日本製の化粧品を不思議そうに見ている。
「何?こっちもこの場で化粧して見せた方がいいの?」
と聞くと、
「いやー、基本的にはリキッドはこの場で置いていってもらわなくちゃいけないんですが・・」
という。
 わざわざ日本の母に頼んで送ってもらっているUV化粧品類を、ここで没収されるなんてたまらない。慌てて私はファンデーションをあけてその場で顔にすりこんだ。
「ほれほれ!これ本物の化粧品ってば~。インドネシア在住の私には日焼けは大敵でね、わざわざ日本から母が送ってくれてるものなの。これがなかったら私の肌がいたんで大変なことになるんだから、お願いだから没収しないでよ~~~」
頼み込んだら、若い検査員もやさしくて、
「んじゃー、ボクらの間の秘密だからね。このヘアーワックスはフィリピンで買ったものでしょ?これだけはもらっておくよ」
ってことで済んだ。
 
 シンガポールを経由してフィリピン・エアーは16日午後8時無事にジャカルタへ到着。空港からジャカルタ市内に住む日本人の友人宅を訪ね一泊させてもらう。
 翌17日はインドネシアの独立記念日、この日にジョグジャに戻っても店はみんな閉まってるし、町内会が道路を閉鎖して盛り上がるだけでうるさいので、もう1日ジャカルタで過ごすと決めていた。インドネシア在住10年以上の古い友人Sさん、ジョグジャで学生時代を送った後、ジャカルタに移って起業したばかりの友人F君、この2人の日本人と休日を過ごした。ジャカルタの企業はこの17日からそのまま週末まで4連休にしているところが多く、普段は大渋滞の大通りもこのとおり。
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 私のかねての希望で、ジャカルタでは一度、ちゃんとした映画館で映画を見たいと思っていた。それほど気になる映画はやってなかったけれど、ホラー映画をみんなで見ることに。ポップコーン片手に席に座ると、突如スクリーンに
「起立お願いいたします」
と出て、独立記念のやたら古い映像が流れる。何事が始まるのか理解できずに座っている我々日本人3人のところに係員が来て
「はいはい、ちょっとの間立ってくださいよ」
って、暗い中でみんなで立ってインドネシア国歌が終わるのを待つ。

b0090333_22394732.jpg 映画館の中で、こんなこと毎年してるんだ~と驚いた。ムチャクチャ古い映像はなんとも味があった。それで思ったんだけれど、日本では終戦記念日に映画館へ行ったら、やはり黙祷の時間には黙祷をするのだろうか?


b0090333_22402872.jpg そして18日の今日、午後2時10分、珍しくオンタイムでジャカルタからジョグジャへの飛行機が出発。3週間ぶりのジョグジャの家に戻る。留守番の犬たちも大喜び。
 黒のデカイのはティルム(バリ語で「新月」、本当に新月に生まれて真っ黒。バリ時代からの付き合いでジョグジャへはトラックでやってきた)、
b0090333_22405811.jpg 茶色のちっちゃいのはモジャ(ジャワ語で「靴下」、足の先だけ白い)。ちょっとオドオドして落ち着きのない犬。

 いつも旅から戻った日というのは、私にとって肉体労働の日となる。留守中に犬たちが散らかした部屋の掃除、草木の延びまくった庭の芝刈り、洗濯などなど。一人暮らしはこういうときに大変だ。洗濯機を2度回し、スタジオ、仕事部屋、寝室、台所の雑巾がけをし、大汗かいた後で3週間ぶりに湯船につかって一息。そしたら突然旅の疲れが出てきた。

 東とはすでに連絡を取り合ったけれど、打ち合わせは明朝と決めた。彼の息子がまた調子悪く、今日はまだ病院にいるというし、私も今日は1日かけて身体と気持ちをジョグジャ・モードに切り替えたい。空港から家への道のり、相変わらず瓦礫の道路を見て、戦場へ戻ってきたような気がした。またあの被災地での活動を再開するにあたり、今日1日だけは家でゆっくりさせてもらうことにする。そして明日からまた「こどもテント・プロジェクト」の報告を始めることができるだろう。 
by midoriart | 2006-08-18 22:35 | the Philippines

最後の一日

 フィリピン滞在最後の一日は終戦記念日に当たった。ケソン・シティは朝から大雨。
私と時を同じくしてUP(フィリピン大学)に滞在中の日本人アーティストSさんを部屋に誘って朝のコーヒーを飲みながらおしゃべりした。彼女は日本のある財団のフェローシップで現在フィリピンに滞在中。いろんな体験談などを聞き、とても参考になった。

b0090333_2343855.jpg そして雨が落ち着くのを待って、展覧会場を訪ねる。先週末にも多く来場者があり、私のヒトと交換されたものは150個ほどになっていた。ケソン・シティ周辺のギャラリーが、1つの展覧会で100名を越す来場者を呼ぶというのはかなりイイ数字らしく、オーナーも大喜び。私もなによりこの交換物を見るのが楽しい。

b0090333_23561.jpg 中にはすぐにでも使いたいこんなブレスや

b0090333_235392.jpg 持ち帰って聞きたくなるCDなんかと交換してくれてる人もいる。
 けれどこれらも展覧会の一部なので、今回私が持って帰るわけにはいかない。8月19日の展覧会最終日まで、このままギャラリーで展示されることになる。


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 今日は今までに交換されたものすべてと、150体ほどが去った後のヒトの集合を撮影した。誰もいないギャラリースペースで、今回3週間の滞在について振り返ったりしてみた。それにしても、本当に充実した濃い3週間だった。着くなりのアーティスト・トークにワークショップ。展覧会場での土壇場パプニングの数々、農場行きと思ってたら海だったデイシーさんとの小旅行、数々のアーティスト宅訪問、エキサイティングなバギオの村・・・。


b0090333_2364899.jpg あっという間でもあり、すごく長~~~い3週間でもあったように思う。友人の紹介で知り合った人や、展覧会のオープニングで知り合って以降、毎日のように携帯メッセージでやり取りしていた昔からの友人感覚でつきあってきた女の子たち、少し話しただけで仲間になれちゃった若いアーティストたち、多くの出会いがあった。大雨の降る中、グリーンパパイヤの展覧会場でちょっとしんみり。


b0090333_2373867.jpg (写真はバギオ在住のMさん夫婦
 そこへ今回のUPからのアシスタント、アマンダちゃんがやってくる。彼女には今回の展覧会が終わったときに、すべての作品搬出を任せることになるので、作品の梱包の仕方などを伝授。セッティングの時から立ち会っている彼女のことなので、すべてうまくやってくれるだろう。今度は10月初旬から、この作品をUP構内のギャラリーで再展示することになる。こちらもアマンダちゃんに任せる。キュレーターを目指している彼女にとって、これがいい経験になってくれたらいいな。


 宿に戻り、今までの荷物の整理を始めた。私はもともとどこに行ってもその場を自分の住まいにしてしまうのが早いので、3週間暮らした宿はすでに自分ちのようになっている。定位置に馴染んでしまった私物をまた一つのトランクに戻すのだけれど、新たに買ったものが多くてトランクはいっぱいいっぱい。無理やり上に乗って押さえ込んで、なんとかフタが閉まった。あー、これでこの宿ともお別れ。

 夜はデイシーさんちでお別れパーティ。今日は国際交流基金のBさんも出席してくださった。最近予定が立て込んでいて超忙しいBさんは、宿に迎えに来てくださって
「ヒロタさん、今日は悪いけど、顔出すだけにしておくね。明日も朝が早いから…」
って言ってらっしゃったのだけれど、デイシーさんにつかまって、フィリピンの若手アーティストの裏話なんか聞いちゃったもんだから、帰れなくなってしまった。

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 さらに今日はデイシーさんの息子ロバートが仲良くしているバンド、ドンアバイ(私もアルバムを買い、ボーカルと記念撮影までしている)のライブが近くであったもんだから、Bさんはこっちにまで参加。もともとその土地のものは何でも見ようとするBさんなので当然なんだけれど、最近忙しいのに、ホントにお疲れ様です。
 しかしこのバンド、本当にいいわ。ビデオアーティストのロックス・リーも一緒に来て、舞台に上って撮影していた。これは今度の作品になるらしい。フィリピンのアートシーンはこうしてミュージシャンやアーティストが一緒になって盛り上がっているからイイ。

 デイシーさんに送ってもらって宿に戻ると午前1時半。この宿でも、私がその日のうちに戻ることがめったにないので、ガードマンさんとは馴染みになっている。一体毎晩何をしてるんだ?って思ってるに違いない。なんでもここ最近空港のチェックが超厳しかったりしていることもあり、Bさんが心配して明日は国際交流基金のスタッフを付けてくださるという。ありがたい。11時に宿を出て空港へ向かい、夜にはジャカルタへ戻る予定だ。ついにフィリピンともサヨウナラ。でも必ず戻ってくると、なぜか確信があるのだなぁ~。だからさっきも、みんなとは「サヨナラ」をしなかった。「またね」と言って別れた。来春、また会えることを祈って。
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by midoriart | 2006-08-15 23:33 | the Philippines
 バスの長旅で朝起きたら全身が痛い。今日はパトリックと最後のランチの約束があるけれど、午前中はそれ以外に予定がない。バギオへ行く前から、メイ女史が一度は一緒にSPAへ行こうと言ってたのを思い出したので、寝起きの床から携帯メッセージを送ると、すぐに電話がかかってきて、
「OK!ミドリ、行きましょう!10時から予約を入れておくわ!」
ってことで早速フィリピンで初めてのSPA。2時間コースは頭部マッサージとフットスパ、サウナにちょっと入ってから全身マッサージ。2時間で終えてすぐに電車に乗れば、パトリックと待ち合わせのデパートまですぐ。
 その計算でいたんだけれど、このSPA、マッサージ終わった後に部屋の中を暗くして、全身を分厚いタオルでくるんで、そのままほっといてくれるもんだから、メイ女史のいびきで気づいたらもう約束の時間の15分前。飛び起きて服を着た。いったいマッサージの後、どれだけ寝てたのかよくわからない。

 そして最後のパトリックとのランチはまたもや私の好物3品。彼に任せておけば絶対にフィリピン料理のチョイスに狂いはない。さすがは国際的キュレーター、食べ物のコーディネートにも優れている。日本の美術誌や美術館のカタログにもよく登場する彼は、私専用のフィリピン料理のコーディネーターでもある。にしても、彼のおかげで去年の初フィリピンがあり、そこから展開して今回2度目のフィリピンとなった。すべては彼から始まった。感謝の気持ちを彼に伝えると
「ミドリがオープンマインドで、勝手にどんどん友達を増やしていけるからいいのよ。だから自然と縁が広がっていくんだから」
という。
 私はけして人当たりのいい人間ではないけれど、自分に合う人を見つける嗅覚には優れている。だからかイイ出会いがたくさんあるのは確かだ。パトリックとは来年春辺りに何か新しい美術展をインドネシアからもってきてフィリピンで開催しよう!と盛り上がった。是非、実現させたいものだ。

b0090333_2245323.jpg 彼と別れてUP(フィリピン大学)へ戻る。午後5時からはメイ女史の学生たちと最後のミーティング。といっても今日の出席はカーラ1人。メイ女史のキュレーターシップのクラスにいる5名が、グリーンパパイヤでの個展後、私の作品の搬出をしてくれることになっている。そして10月まで作品をUPで保管し、今度は大学内のギャラリーで再度展示されることになる。今日はその打ち合わせ。右からカーラ、メイ女史。


 さて、フィリピンに来てから私がよく美味しいフィリピン料理の話をするので、ブログをチェックしている中学からの友人の一人が
「ちゃんと料理の仕方を覚えてきて、今度日本に帰ったら作ってよ」
といってきた。
 何度食べてもたまらなく美味しいAdobo(アドボ)の作り方は、私も是非知っておきたかったので、今回滞在中に3人から教わった。違いがあるのか見てから自分に合った方法を選ぼうと思ったけれど、どこでも方法はほぼ同じシンプルなものだった。日本でも簡単に作れるので、今日はお料理教室としよう。

b0090333_2254757.jpg アドボは鶏肉または豚肉を煮込んだもの。両方一緒に煮てもよし、どちらかだけで煮てもよし。私はどっちかったら豚肉で作ったものが好き(写真はパトリックとレストランで注文したアドボで鶏肉&豚肉)。

b0090333_2262916.jpg 用意するものは肉、にんにく、赤タマネギ(日本のでっかいタマネギだとちょっと甘くなりすぎるかも)、黒粒コショウ、月桂樹。そして醤油と酢。以上。写真はこっちで一般に売られている醤油と酢。

b0090333_2271688.jpg 1)まずニンニクをつぶし、赤タマネギをスライスする(写真は鶏肉で作ったときのもの)。


b0090333_2281547.jpg 2)鍋に月桂樹以外をすべて入れ、醤油と酢を1:1で入れる。

b0090333_2285146.jpg 3)どんどん煮込んでいったら途中で月桂樹を入れる。

 4)やわらなくなるまで煮る。
 5)味をチェック。酸っぱさが足りなかったら酢を加える。もっと煮込みたかったら水と醤油&酢を足す。


 ホントにたったこれだけでOK。塩も砂糖もいらない。ほんのりと酸っぱいのがアドボの魅力。まだ日本の醤油と酢から作ってみたことがないのでなんともいえないけれど、こっちの醤油と酢は日本のものとさほど変わらないので、おそらくかなり近いものができるはずだ。煮込めば煮込むほど旨みが肉にしみてたまらない一品。一度お試しアレ。
by midoriart | 2006-08-14 22:03 | the Philippines
 バギオへ行く前から数人の友人から
「ミドリだったらバギオへ行ってウカイウカイを見なきゃあダメだ」
と言われていた。朝娘さんを学校へ送って時間の空いていたバギオ在住のMさんに付き合ってもらい、キドラ親父のお迎え10時半になるまでウカイウカイを見に行くことにした。   

b0090333_1145455.jpg 日本語っぽい耳ざわりの「ウカイウカイ」とは「引っ掻き回す」という意味らしい。香港からでっかいダンボール箱で送られてくる不良品やユーズドを売っている、つまりは古着屋のこと。箱の底から引っ掻き回して品定めするのでこの名がついたという。バギオにはこのウカイウカイの店がとても多く、マニラの古着屋も、バギオで仕入れるくらいだという。今日最初に見つけたとんでもない日本語の一品は子供のジャケット両腕の部分に「もうすぐママになる」とプリントされたもの。

 10時半ホテルに戻り、Mさんも一緒にキドラの案内でまずは木彫の村を見る。やはりバリのUBUD村と同じで、白人たちの持ち込んだデザインの大量生産が多かった。木の質もバリのものとほぼ同じ。ここではそういうことさえわかればよかったので、これでまずは満足。

b0090333_1153366.jpg 次に見たのはこの教会の鐘。
 以下の話は、昨晩アーティストトークの後で行ったライブハウスで、キドラが私にしてくれた。


「ボクは日本の終戦50周年のときヒロシマに行ったんだ。当時ボクの仲間でロバートってヤツがいてね、彼の作品は6メートルのでっかい真鍮製の針を作って、それをヒロシマの地に刺していく、つまり大地を癒す(ヒーリングする)ってコンセプトの作品だったんだ。ところが、ロバートのヤツはその前に死んじまってね。だからボクがその作品をヤツの代わりにヒロシマの大地に刺すことになったんだ。

ちょうどその頃、アシン村(バギオの中心から10キロほどの村)に新しい教会を建てていたんだけれど、そのとき村の川下からアメリカ軍の不発弾が見つかったんだ。僕の背ほどの高さのものだったよ。その頭の部分を切ってね、それを鐘にしたんだよ。そしたらこれがいい音でね・・・

ヒロシマの平和式典に、針の癒しの作品と、そして不発弾から作った教会の鐘を持っていこうと思ってね、100キロ以上ある鐘も日本へ運んだんだ。そして95年のヒロシマで、爆弾からできた鐘をゴーーーン…と鳴らして日本のみんなと合掌したんだ…」

b0090333_117379.jpg もともとお爺ちゃん子で戦争体験が自分の中にあるくらいに思っている私にとって、さらに8月15日が近い今、必然的にこの話をキドラから聞いたような気がして、レゲエで盛り上がってる若者の熱気ムンムンのライブハウスにいるのもお構いなく、私は泣いた。そんな私を見たからか、今日キドラがこの教会に連れて行ってくれたのだ。

 約300年をスペインに統治され、その後アメリカに占領されたフィリピンの山間に落とされた一個の爆弾が、教会の一番高い場所に吊るされ、ヒロシマでは平和を祈るために鳴らされた。この鐘をヒロシマへ持っていこうと思ったキドラ親父の発想がまたスゴイではないか。

b0090333_1162541.jpg Mさんはここで娘さんのお迎えのために帰っていった。彼女は今回の素晴らしい出会いの一人だ。彼女が最近発行した絵本の挿絵には私の大好きなバギオのアーティストが使われているので、今日はそれも一冊分けてもらった。アリガトウございます!
b0090333_118133.jpg さてその次にキドラ親父はバギオ北部にあるイフガオの伝統織物が見れる場所へ連れて行ってくれた。パッと目にはその明るい色あわせがペルーのテキスタイルを思わせる。もともと山岳民族イフガオのふんどしとして織られていたものらしい。

 キドラ親父は土産用ネックレスが並んでいる中から一つを選んで私にいう。
「今では伝統的なものの他に、土産として売れるものならなんでも作るようになってしまったけれど、これは本当の伝統のものだよ。ブルルっていってね、イフガオのお米の神様なんだ。これはボクからミドリへのプレゼントだからね」
キドラ親父~、ツボを知ってますなぁー、ホントにあったかい人だ。

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 キドラ宅で次男のカワヤンと一緒に軽くランチを済ませた後、このアーティスト親子に送られてバスターミナルへ。再会を約束して午後1時40分発のバスに乗って、今さっき午後8時UP内の宿に戻ってきた。標高1500メートルから戻ったら街中は暑いわ・・・。


b0090333_1191080.jpg それにしても濃い3日間だった。素晴らしい人との出会いがあると旅は何倍にも楽しくなる。バギオは初フィリピンした去年から気になっている街だった。1年経ってようやく行くことができた。そして気の合う人たちとの出会い。キドラもカワヤンも今度はゆっくり来て一緒に作品を作ろうと言ってくれている。キドラのクレイジーハウスに泊まって、バギオのアーティストたちと何かできそうだ。
 収穫多きバギオの旅は今回のフィリピン滞在の中でも貴重だった。次への展開が自分でもとても楽しみだ。
by midoriart | 2006-08-13 23:13 | the Philippines