Culture & Art Report from INDONESIA


by midoriart

カテゴリ:the Philippines( 55 )

 インドネシアはジョグジャカルタ、メラピ火山噴火以降、現地の親友チャハヨと提携して活動しているKODOMOプロジェクトが継続して活動しているため、義援金を送ってくださる皆さんへの報告を毎日更新していて、なかなかフィリピンでの滞在制作についてブログ更新ができなかった。
 自分のまとめとして、イベントの最終日までをここで記録しておく。

b0090333_2205719.jpg 今回のフィリピン滞在では、世界遺産の棚田が広がるハパオでの立体作品制作。私が代表理事をしているスンダランド・アート・ネットが愛知モリコロ基金から助成を受け、第二次大戦で犠牲となった日比の人々に対する慰霊と鎮魂、そして平和への祈りをテーマとしたアート・インスタレーション&パフォーマンスを開催することになったのだった。


 イベントの会場イフガオ州は、第二次世界大戦で日本軍が撤退し、最後に山下奉文(ともゆき)大将が捕らえられた地。大戦末期の飢餓状態、武器も弾薬もなかった日本軍兵士の多くが命を落とした地であるとともに、極限状態の中でイフガオ族のコミュニティでの略奪・殺戮などの残虐な行為もあったと記録されている。


 ここ数年、第二次世界大戦の記憶をテーマに作品を作ってきた私にとって、この地は考えさせられることの多い場所だった。日本とフィリピンの人々への追悼の意味をもつイベントであるならば、当時ここで何が起こったのかをちゃんと知ってから作品を作りたいと思った私は、フィリピン在住でスンダランド・アート・ネットの副理事でもある反町眞理子さんから、占領時のフィリピンのことを書いた書籍を数冊貸してもらった。

b0090333_2262275.jpg イベントの行われるハパオに入ってから、制作日数はわずか4日。毎日朝から晩まで動いた。3年前にフィリピンを訪ね、制作のためにフィリピンのお年寄りを訪問したとき、現地語と英語のわかるアシスタントとして私を支えてくれたレナート君が、今回も私の制作アシスタントとして付き添ってくれた。
 バギオで泊めてくれたKidlat Tahimik(写真)。彼は日本でもたくさんのファンをもつドキュメンタリー映画作家。今回のイベントに興味を示し、バギオから8時間かかるこの地まで来てくれた。


b0090333_2294052.jpg アロマキャンドルを中に入れてひっそりと火を灯せるようにした5本のランタンを当日イベント会場となる棚田に運ぶ。


 大阪から参加されたシタール奏者の南沢靖浩氏、尺八の福本卓道氏、サックスと笛の山本公成氏、そしてスンダランド・アート・ネットのメンバー、山梨の音楽ユニット「KURI」が現地のミュージシャンと一緒に慰霊の音楽を奏でる中、水田では私の作品に火が灯された。
 連日の雨はどうなったのか、このときだけは一滴の雨もなく、雲の隙間から満月が覗いた。しんと静まった棚田にはアコースティックな音と、ランタンの火。この地で生命を落としたフィリピンの人たち、日本兵たちの霊は、今ここに集ってくれているだろうか。
b0090333_021653.jpg

 この日、私はとても不思議な体験をした。ミュージシャンたちが水田の横に作ったステージでリハーサルをしている間、作品の設置を終えた私は水田を見下ろせる丘にある小さな小学校の入り口に座り、眞理子さんから借りた本を読んでいた。
 そのとき、本の内容が悲しいわけでもなく、私の気持ちは平常のままだったにも関わらず、突然涙が溢れてきたのだ。普通、涙が出るときには自分の中でなんらかの感情が動くはずなのに、自分で驚くほど、本当に勝手に目から水が溢れてくるような感じだった。それも身体をしゃくりあげるほどの号泣。自分の身体なのに、まったく身体と気持ちが分かれたよう。号泣する自分の身体を、まったく覚めた自分の心が見ているような、なんとも不思議な感覚だった。
 そして気づくと、私の耳にはフルートの音色だけがキレイに聞こえていた。それはステージでリハーサルをしている公成さんの音だった。他のミュージシャンの楽器の音も鳴っているはずなのに、私の耳に入ってきたのはフルートの音だけだった。
b0090333_0213333.jpg

 この話をリハーサル後の公成さんに話したら、同じように涙ぐんで
「来てくれたんだねぇ・・・よかった、よかった・・・」
と私をHUGしてくれた。私と彼には誰かが来てくれたように思えた瞬間だった。

 そうそう、今回私が使用したのはこの棚田で育った稲を材料として漉いた紙。在フィリピン日本人の紙漉き職人ASAOさんがこの地でフィリピンの子どもたちにワークショップをしながら漉いた紙が素材になっている。私はこれを自然にそのまま帰したいと思い、パフォーマンスをした現代舞踏家JUNさんに、パフォーマンスの中で燃やしてしまうようにお願いした。彼はそれを承諾し、祈りの舞の最後に松明で燃やしてくれた。
 ミュージシャン、現代舞踏家、地元の人たち、みんなの祈りはこの地に留まっている霊たちに届いたのだろうか・・・

 
by midoriart | 2011-01-21 22:28 | the Philippines
 年をまたいでしまったけれど、昨年12月に2週間滞在したフィリピンでの出来事を少しずつまとめておこうと思う。今回は2010年春に立ち上げた美術のNPOスンダランド・アートネットの企画でフィリピンはルソン島北部で、フィリピンと日本の交流イベント開催に合わせての渡航だった。

 b0090333_17252433.jpg 自らが理事を務める団体のイベントで、立体作品を制作するのが一番のミッションではあったのだけれど、今回で3度目になる北部の都市バギオで6日間滞在する間に小さなミッションもこなすことになっていた。
 それがここ、フィリピン大学バギオ校でのアーティストトーク。


b0090333_17265566.jpg 2006年には同じフィリピン大学のデリマン校で個展と授業、アーティストトークを頼まれたことがあったので、フィリピン大学(略してUP)とは2度目のお付き合いということになる。
 2007年、バギオで個展があったとき、このバギオ校美術学部の教授たちとも知り合いになり、いつか機会があったら学生たちに私の経験などを聞かせて欲しいと頼まれていた。それが今回三年たって実現したことになる。3年前に訪ねたときよりもスタジオがきれいになっていた。


b0090333_1729257.jpg 今日集まったのは美術学部の3年生と4年生。こっちが年をとったからか、ちっちゃくて可愛い子たちばかり。ここの大学には大きなまとまりで美術学部があり、全員が卒業するまで専科を選ばないという。だから彫刻も絵画も、工芸的な仕事も、キュレーターを目指したいような子も、みんな同じクラスでやってるらしい。


b0090333_17305719.jpg 私が2時間スライドを使って紹介したのはバリに渡ってから制作した作品と、ここ数年続けている「交換プロジェクト」の作品シリーズ。この作品は2005年初めてフィリピンを訪れたときに知った太平洋戦争時の日本軍の行いにショックを受けて始まったシリーズなので、それをフィリピンの若い芸大生の前で話すことができたのは私にとっては非常に意味のあることだった。
 作品紹介を終えた後、おとなしそうな生徒たちが小さな声で質問をしてきた。そして今回のトークについて、自分の感想を伝えてくれる子もいた。こういう反応があるって嬉しい。特に彼女らが
「今まで外国からきたアーティストが、自分の作品について語る授業はありました。でもあなたのように、先進国の人がアジアの国に暮らし、そして私たちの国の歴史と関わったテーマで作品を作っていることにとても共感できました」
と言ってくれたのには、こちらが感謝したくなった。

b0090333_17345284.jpg 全部で60名ほどの学生がいた中でも、先生にもう時間とっくに過ぎてるから帰りなさいと言われるまでいろんな質問をしてくれた学生たちと最後に記念撮影。
 昔はこういう子達を「カワイイ」とは思わなかったけど、彼らの倍も生きてきちゃうと、この若さがカワイく思えるもんだ。めったにできない交流ができて、このオマケのミッションはとっても実りあるものだった。
by midoriart | 2011-01-03 17:37 | the Philippines
 今春、主にアジアでの活動が多い現代舞踏家、ミュージシャン、アーティストなどを誘って立ち上げたNPOスンダランド・アートネット。他の仲間と比べたら私がとりあえず事務能力が高いというだけのことで、代表理事になった。もっと事務や管理能力、人脈のある女性がいるのだが、彼女はフィリピン在住なのでいろんな手続きや日本での助成申請が難しいということで副理事。
 このスンダランド・アートネットの最初の活動に助成をもらうことができたので、今回は副理事のいるフィリピンでの事業と相成った。そしてルソン島北部イフガオ州、世界遺産の棚田がある村(フンドアン郡ハパオ村とバアン村)において、棚田の保全と日比友好のための「棚田コミュニティ・アート・プロジェクト」を開催するため、私は8日からフィリピン入りし、17~19日に開催される様々な事業のために準備を始めている。
b0090333_22523799.jpg  フィリピンは3年ぶり。今回はマニラに着くなり車で10時間かけてまずはバナウエまで。ここはマルコス大統領が観光発展のために作ったホテルが一軒ある。到着したのはなんと夜中の2時、ちゃんと名前入りで歓迎されてたので驚き。

 12月は雨が多い。だからこの日も霧の中。世界遺産の棚田は白い霧に霞んで何も見えない。翌9日は今回私が作品を設置するハパオ村の棚田へ。まずは現場を見ないことには、作品の最終プランが決められない。今回の「棚田コミュニティ・アート・プロジェクト」では、現代舞踏家JUN Amanto氏とミュージシャンが第二次世界大戦で多くの日本人兵が命を落としたこの場所で、慰霊のパフォーマンスをすることになっている。そして私は舞台芸術としての立体作品を制作する。

b0090333_22535095.jpg 使うのは、この棚田で収穫される稲わらの一部を材料とした手漉き紙。すでに現場ではわらを煮て、紙漉きが始まっていた。とにかく寒い北部の村で私は早速農夫の爺ちゃんらとこの稲わら煮こみ鍋炊きで暖をとった。

b0090333_22541074.jpg
これが現場の宿。一応町長さんがオーナーになっている民宿。


 b0090333_2255258.jpg部屋からの眺め。ほぼ田んぼの中の一軒家。私が約10年暮らしたバリの家からの景色に似てて懐かしい。

b0090333_22552534.jpg
宿の敷地にはサリサリ・ショップというよろずやがあるんだけど、ヨロズったって、あるものはこの程度。ほぼ何もないに近い。

b0090333_22561739.jpg
 朝ご飯もこの程度。でもこれが結構うまい。こっちはお米に醤油と酢をかける。これが意外と美味しくてどんなおかずにも合う。ただこの宿飯は油がよくないのか、後で胃にもたれたけど。それとも、帰り道のデコボコ&カーブだらけの道が胸焼けを誘ったのか。

 ここからとりあえず北部の街バギオへ。大まかな制作は3年前に1ヶ月ほど滞在し、個展もしたことのある馴染みのバギオですることになっている。ここにはフィリピンの映画界重鎮、ドキュメンタリー映画監督のキドラット・タヒミックが暮らしていて、私はまたもや彼の家にお世話になることになっている。
b0090333_22563848.jpg 帰り道、ようやく霧が晴れ、世界遺産である壮大な棚田を拝むことができた。なるほど絶景。バリにも多くの棚田があるけど、このスケールはスゴイ。高低さ、広さ、まさに世界遺産の風格。急峻な山岳部を切り開いて作られた棚田の景観と、森からの一筋の泉の水をすべての棚田にいきわたらせる灌漑技術は、「世界で8番目の不思議」と呼ばれているってのも納得。
b0090333_230353.jpg
 

 ここから数日間はバギオで制作。舞踏家、ミュージシャンの皆さんがフィリピン入りするのを待ちながら、14日にはフィリピン大学バギオ校の美術学部にてアーティスト・トークも控えている。英語のトークだからちょっとは予習もせねば。今回ものんびりはできないフィリピン滞在になりそうだ。

***********************************

「KODOMOプロジェクト:Merapi Eruption 2010」では今も皆様のご支援の気持ちをお預かりしています。義援金は以下までお送りください。

三菱東京UFJ銀行 藤ヶ丘支店(普)0441439 
広田緑

ルピアで送金される方は、
宛名 Cahyo Inda Wahono
銀行名 BCA(Bank Central Asia)
支店名 Ahmad Dahlan Yogyakarta
口座番号 1691754923
電話番号 (0274)886655
までお願いいたします。

お送りいただいた義援金は、確認出来次第このブログ上で報告します。

by midoriart | 2010-12-11 23:01 | the Philippines
 一ヶ月のフィリピン滞在が終わった。北部のバギオで3週間、首都マニラで5日間、バギオからずっと北へ上って山の奥に入ったキブガンで合計5日間を過ごした。新しい人、新しい食べ物、言葉、風習・・・、毎日毎日が楽しかった。

 インドネシアから一緒だったササンと一緒に楽しめたのが言葉。フィリピンの公用語タガログ語には面白いほどにたくさんインドネシア語と同じ単語があった。彼らが話してるのを聞いて、
「え?待って!今なんて言った?!」
なんてことが何度もあり、私とササンが話しているのを聞いたフィリピンの友人が
「わ~!インドネシアでもそう言うの?」
と驚いていた。
 右(カナン)、傘(パユン)、濡れる(バサ)、値段が高い(マハル)、かわいそう(サヤン)、茄子(テロン)、ジャックフルーツ(ナンカ)、糸(タリ)、鰐(ブアヤ)などなど、ほぼ毎日、誰かがインドネシア語とタガログ語の共通単語を見つけては喜んでいた。

 今日は今回の滞在のみっけもの写真を集めた。
 まずはなんといってもハロハロ。先回も食べてはみたけれど、ここまでハマったのは今回初めて。店によっても、場所によってもトッピングに違いがあってこのローカル・デザートは奥が深い。ここにあるのもすべて「ハロハロ」だけど、盛り付けも様々。私の結論として、高級なチェーン店のレストランが出してるハロハロよりも、ローカル・マーケットのものの方が安くて美味い。
b0090333_209372.jpgb0090333_2092057.jpgb0090333_2093669.jpg

b0090333_2095436.jpg ローカル・マーケットで子供たちが売ってるリサイクル・バッグ。大が10ペソ(25円)、小が5ペソ12円)。マーケットにマリコさんキッズと行くとかなり便利。彼らは公用語のタガログ、お父さんの里の地方語、マリコさんが教えた日本語、そして学校で使われる英語と、なんと4言語を使いこなす。バイリンガルの2倍ってことか。このバッグはアラシに値切ってもらって購入した。


b0090333_20101184.jpg 最後の日、ササンと一緒にお土産物探しにスーパーマーケットに行って見つけた一品。買わなかったけれど、絵と共に内容もちょっと気になった。ハーブ・ティーらしい。
 

b0090333_20102627.jpg 私のヨーヨー好きを聞いたキドラが、ある晩見せてくれた木のヨーヨー。かなりの年代物。彼の知人の歯医者さんが、自分の商売道具を使って彫ったものだという。彼の次男で、今回私とグループ展で一緒に出品しているカワヤンが小さい頃にもらったというから、すでに30年近くたってるってことか。カワヤンのおもちゃ箱から出てきたといってお披露目。糸がなかったので、早速私がTAKA師匠からいただいた紐をつけてあげたらキドラ親父、大喜びで遊んでいた。


 キドラ親父なんて呼んでいるけれど、キドラット・タヒミックは世界的に有名な映画作家。1977年に作った『悪夢の香り』はベルリン国際映画祭で批評家賞を受賞し、その後アメリカの映画祭で紹介されたこの作品を見て、あのフランシス・コッポラが大絶賛、アメリカでの映画配給が決まったというくらいの人。第50回ベネチア・ビエンナーレにもフィリピン代表として招待され、映像インスタレーションを発表している。

b0090333_20104745.jpg ある晩、台所でゴソゴソ物音がするので起きて覗いたら、彼が一人で黙々とインスタレーションを考案中だった。世界的な作家の作品作りの生現場を見ることができて、一人感動。さらに、彼からこの作品に対して意見を求められ、私が
「カメラの晩餐会だったら、レースのついたランチョンマットみたいなのも合うんじゃないかな」
と言ったアイデアを
「お~、そりゃイイねぇ・・・」
と彼が聞き入れてくれたのが何よりも嬉しかった。
 さらに、そう言って、すぐに格式高いレースのランチョンマットがセットで出てくるあたりが彼の家柄をよ~くあらわしているよなぁ・・・。

 彼のこのインスタレーションは、6月12日マニラのSilverlensで彼の三人の息子の写真展が開催されたとき、パフォーマンスの小道具として使われた。
(6月12日付『都会マニラで展覧会準備』にこのインスタレーションがお目見え)


b0090333_20111197.jpg たくさんの人との出会いがあった中でも、キドラの次男カワヤンと一緒に展覧会できたことや、


b0090333_20112712.jpg キブガン村にこもって黙々と粘土をこねてるセラミック・アーティスト、レイ君の饒舌なるガールフレンド、チチちゃんに出会えたこと、もっともっとたくさんのヤル気いっぱいの人たちに出会えたことがやっぱり一番の収穫だと思う。今回出会った人との縁が、つながり、広がって、また新たな企てに発展していくのを楽しみにしている。


あさっての午後にはバリに向かう。バリではヒンドゥー教の祝日ガルンガンが待っている。
by midoriart | 2007-06-23 20:07 | the Philippines
 ジョグジャに戻って2日目。ようやく家の中が日常に戻ってきた。
 とはいえ。今度は25日にバリへ発ち、27日になる午前00時15分のガルーダ便に乗り、関空経由で帰国。だからトランクを片付ける間もなく、中身を入れ替えて一時帰国の準備中~。


b0090333_222462.jpg すでにバギオの面々が恋しく想い出される。
 一番長いこと一緒にいたのはCGN(コーディレラ・グリーンネットワーク)代表のマリコさん。今回私がバギオに一ヶ月滞在できたのも、彼女のNGOが主催する『国際環境デー』の中の美術展で招待を受けたからだった。フィリピンではちょうど学校が夏休みに入っていたので、彼女のかわいい三人のキッズともほとんど毎日顔を合わせた。末っ子のキカはお母さんに似ていつも笑顔だった。


b0090333_225870.jpg 次男のビーちゃん。私の大のお気に入り。9歳にしてクールな彼は、長男アラシのように交際上手ではなく、末っ子キカのように甘え上手でもない。ちょっと翳りのある雰囲気がなんともかわいくて、将来有望(きっと私の好みの青年になる!)な少年だった。

 マリコさんが忙しくしている隙を見て、私は「バッタママ(偽のママ)」になって彼らと遊んだ。彼らも私を
「バッタママァ~~~!!!」
と呼んで慕ってくれた(と思う)。


b0090333_234427.jpg 思い切りタイトなスケジュールの一ヶ月ではあったけれど、クレー・ワークショップ後、野焼きする作品を乾燥させている間に、マリコ・ファミリーと一緒にバギオから車で30分ほどにある温泉&プールにも行けた。ちょうどこの日に、日本から「ナショナル・ヨーヨー・コンテスト2007」で私のデザインが採用された、その賞品のオフィシャル・ヨーヨーを送ってきたので、わが「バッタ・キッズ」三人にいきなりプール・サイドで指導始めたり・・・


b0090333_285974.jpg 戻ってきてもまだ今ひとつ雨季のあけないジョグジャで、展覧会場となったVOCAS(ビルの6階)から眺めるバギオの街の風景を想い出してみたり・・・


b0090333_294319.jpg アメリカ人の父とフィリピーノの母を持ち、アメリカはカリフォルニアで生まれ育ち、5年前に父の故郷フィリピンを訪れて以来、フィリピンに恋してキブガン村に住み着き、陶芸工房を主宰しているレイ君。今回の『国際環境デー』のワークショップで、私とササンを彼とくっつけて野焼きイベントをするようにアレンジしたのはマリコさんだった。
(真ん中がレイ君。パンを焼くのが大好きだという真面目な青年)

 もとはエンジニアとしてアメリカの海外協力隊員としてフィリピンにやってきた彼が、陶芸に興味をもち、今ではバギオからもっと山奥に入ったキブガン村で村興しとしての陶芸を一生懸命に盛り立てている。陶芸に関して真摯な彼の姿は、ササンと並んでとっても魅力的だった。


b0090333_2105352.jpg そんな野焼きを手伝いに来てたのがマニラの都会からやってきた若きアーティスト三人組(左から2番目はインドネシアから一緒に行ったササン)。彼らはUP(フィリピン大学)美術学部出身で、我々の野焼きワークショップに興味をもって参加。
(CCPでのインドネシア若手作家展『POPSCAPE』に来てくれた彼ら)

 みんなデカくて横にも幅があるので、私はこっそり「マニラの相撲部」と呼んでいたのだが、これがなんとマニラでも有数のお金持ちの坊ちゃまたちだったのだ。でかいズータイしながら、野焼きのための枝をちょっと運ぶだけで汗ダク、ついには途中で枝を置いて退散するという始末。
 枯れ枝に近い細さのササンが、結局は相撲部の枝も持って山を何往復かするはめになったという。ご苦労様~。


b0090333_2112919.jpg そして無事野焼きを追え、キブガン村からジープで5時間かけて会場のVOCASへ運んだ私の瞑想猿。しっかりとVOCASの壁面に設置され、会期の終わる7月5日以降も、この作品はこのままVOCASの常設作品として残ることになっている。私の猿がずっとバギオにいると思うと嬉しい。


 今回一ヶ月居候させてもらったのは、キドラ・タヒミックの実家。彼とは今回、私の個展でコラボレーションを果たした。フィリピンを代表するドキュメンタリー映画作家である彼が、私の交換プロジェクトに同伴し、フィリピンの村人と私の作品を交換する様子を16分のドキュメント・ビデオにしてくれた。現在も我々の作品はVOCASにて展示中。

b0090333_212643.jpg 彼のお母様はバギオ市の最初の市長で、フィリピンで最初の女性市長。時代は第2次世界大戦後。バギオに美女の市長がいるというのは国中の話題だったらしい。実際、過去の新聞の切抜きなど見せてもらっても、お母様(今は96歳)の姿はどっちかったら女優。スクラップの中に、インドネシア初代大統領スカルノと一緒に歩くお母様を発見!


 15年近くインドネシアで暮らしてきたけれど、スカルノと接したという人から、実際にスカルノがどんな人物だったのかを聞いたのはこれが初めて。どこにでも恋人を作ることで有名だったスカルノなので、もしやこの美しいバギオ市長にも甘い言葉をかけてたんじゃないかと思って、なにげ~~にお母様に聞いてみたら、
「オォ~。ノーノー・・・。ヒー イズ ベリィ キュート。ベリィ ナイス ガイ。ウィ~ ア~ ジャスト グッド フレンド、ホホホ・・・」
とのことだった。

 とっても濃いフィリピンでの一ヶ月。落ち着いたら、今回GETしたおもしろグッズなどなども紹介しようと思う。
by midoriart | 2007-06-21 23:59 | the Philippines
 ついにバギオを去る日がやってきた。この一ヶ月お世話になったキドラ宅のみんなにお別れをいってマリコさんのオフィスへ。バギオからクラークの空港までは、マリコさんが車と運転手を用意してくれた。もともと、最終日にはクラーク周辺に今も残る第2次世界大戦に縁ある場所を巡りながら空港まで行きたいと話していたので、地の利に詳しい人を用意してくれたのだった。
 
 話は、私が2年前初めてフィリピンを訪ね、ナショナル・ミュージアムのコレクションで日本軍の非道な行為を描いた一枚の絵画を見たところまで遡る。初めて知った「死の行進(Dearh March)」の事実・・・。
 昨年フィリピンで初めて開いた個展の作品「The Back of Affection」はこの「デス・マーチ」が大きなモチベーションとなっている。そして今回キブガン村の奥地に入り、お年寄りを訪ねては自分の作品を交換してもらったのも、すべての始まりがこの「デス・マーチ」だった。だからフィリピンを去る前に、縁の地を訪ねたかったのだ。


b0090333_4395157.jpg バギオからクラークへと南下しターラックを越えてすぐに「Capas National Shrine」の標識が見えてきた。ここで大通りを右折して小さな道へ入ると、1キロごとにこの塚が立っている。その名のとおり「死の行進塚」だ。
 

 そして10ペソを払ってフィリピンの軍用地に作られたナショナル・シュラインへ入る。
 ついこの前マニラで4日を過ごしたとき、日中に街中を30分歩いただけで目眩がして喉がカラカラに乾いた。1942年、日本軍の捕虜になったアメリカ兵11,796人とフィリピン人74,800人は、100キロ以上もある長い長い道のりをわずかな食料と水だけで歩かされた。生き残ってCapasに着いたのはアメリカ兵9,300人、フィリピン人45,692人。その後に空腹と病でさらに30,000人の人々がこの世を去ったというからまさに「死に向かう行進」だったといえる。


b0090333_440152.jpg 今日はとてつもなく美しい晴天。ちょっと車から出るだけでもザッと汗が流れ出る。彼らの道のりはいったいどんなだったのか。少しでも列から外れたら打たれ、弱って座り込めばその場で殺されたとうう。今日のため息が出るほど澄んだ青空を眺めながら、65年前の彼らが見た空は何色だったのか想像してみたけれど、私にはわからなかった。ただただ涙が出た。酷いとか、かわいそうとかという言葉では言い切ることのできない切なくてたまらない涙が溢れた。


b0090333_4402671.jpg 記念塔は3本の柱が一つの大きな塔となって天に向かって伸びていた。1982年にバタアン死の行進40年を記念して建てられ、1991年にアキノ大統領がこの場を記念塔として認めた。3つの柱は日本、アメリカ、フィリピン。三国がこの悲劇から多くを学ぶようにと作られたのだと説明があった。


b0090333_4405924.jpg ここからさらにクラークへ向かうと、大通りに面して大きく「神風」と書いた標識が見える。一ヶ月前マリコさんのお迎え車でバギオへ向かうときに見つけて気になっていた場所だ。

b0090333_441123.jpg 入り口には日本語の大きな解説文があった。マバラカット観光局長からの言葉で、
「観光局が神風平和記念公園の建立を推進した理由は、神風特攻隊の栄光を賞賛するためではなく、その歴史的事実を通じて世界の人々に平和と友好の尊さを訴えるためです。このような不幸な出来事を二度と繰り返さないと誓う場所となることを祈念するものです (中略) かつて何の変哲もなく長閑なマバラカットの街が神風発祥の地として第二次世界大戦中の太平洋における戦場で歴史を刻むと誰が想像したでしょう・・・」
とあった。
 日本本土を防衛するための、死に物狂いの体当たり手段「神風戦術」が広まったのが、このマバラカット基地からだということも、今日初めて知った。


b0090333_4412969.jpg フィリピン滞在最後の日に、この二つの場所を訪ねることができて本当によかった。私の文章力では今日感じたことの半分も書き表すことはできない。若い世代がどんどん生まれてきて、第二次世界大戦が日に日に風化していく中で、私はお爺ちゃん子だったこともあって戦争は他人事ではない。人間の狂気がここまでの悲劇を生んでいくことを、その事実があった場所で知り、少しでも感じることができた今日は、私にとってとてもとても貴重な1日だった。


 今19日の午前3時半、シンガポール空港でジャカルタ行きの飛行機(午前7時30分発)を待っている。あと10時間もしたらジョグジャに戻って犬たちと再会して、またインドネシアでの日常が始まる。けれどこの1ヶ月間の貴重な体験は、きっと何らかの形で私の行き方にも影響していくのだと思う。AC効きすぎの寒い寒い空港にて。
by midoriart | 2007-06-19 03:36 | the Philippines
 思えばあっという間の一ヶ月だった。あと2回寝たら、もうバギオとはお別れ。早い~・・・。
今回バギオでず~~~っとお世話になったキドラ・タヒミックんちには彼のお母様がいらっしゃる。96歳になるこのお母様は、フィリピンで最初に女性で市長になった人だ。今も元気に新聞にコラムを書いたりしているステキなお婆様。
この一ヶ月ほとんど毎朝、彼女と一緒に朝食を食べ、雑談をしてきた。最後に彼女のために何かしたかったので、私にできる唯一の恩返しとして、日本料理を作ることにした。


b0090333_4334694.jpg VOCASでのグループ展と個展をコーディネートしてくれたCGN(コーディレラ・グリーンネットワーク)代表のマリコさんにも今回は本当にお世話になった。今回の個展も7月5日の最終日まで私が滞在してられないので、作品の搬出と日本への輸送は彼女にお願いした。最後の打ち合わせでVOCASへ。その後、マリコ・キッズと、数日前に沖縄からフィリピンに着いたばかりのバスケタリー・アーティスト、Oさんと一緒にバギオのローカル・マーケットへ。
 

 今回はほとんど自由時間がなかったので、海外に出たらたいていは徘徊するローカル・マーケットを訪ねるのはこれが初めて。

b0090333_434178.jpg VOCASでのグループ展に参加のため、インドネシアから一緒にやって来て1ヶ月を過ごしたバンドン工科大学教授のササンはイスラム教徒、外食するたびに豚肉が入ってないかチェックするのが大変だったなぁ~。そんな時に一番安心して注文できたのがバングスという白身魚。かなりポピュラーな食材のようで、キドラ宅でもよく食卓に並んでいた。


 今日の恩返しメニューは天麩羅にした。ちょうどマリコさんから和風だしをたくさんもらっていたのでこれを使用。さらに、タイミングよくOさんが土産にくれた「もずく」でお吸い物も作れた。

b0090333_4341816.jpg 元市長さんのお宅には、数人のメイドさんもいる。毎日毎日私とササンにもとってもよくしてくれた若い彼女たちにも私の天麩羅をご馳走したかったので、今晩はメイドさん関係5人、キドラとお母様、私とササンの4人で合計9人分の天麩羅クッキング。具には海老、フィリピンの白身魚、サツマイモ、ピーマン、ナス、玉ねぎ。


b0090333_4343215.jpg せっかくなら、作り方を覚えてこれからも日本料理好きなキドラに作ってあげられるようにと、若きメイドさんにも作り方指導。キドラ宅の台所が今晩は「天麩羅ワークショップ」と化した。まずは箸の持ち方から教授。それを見てお母様も大喜び。


 正直なところ、あまりカラっとは揚がらなかった。
「日本ではカラっとしてる状態でいただくために、食べる人が食卓につく時間を見計らって揚げるものなのよ~」
ともっともな言い訳してメイドさんたちに試食してもらった。
「サラァ~~~ップ!!!(美味しい~~~)」
と賞賛されてホッとした。


b0090333_4344887.jpg メイドさんたちに、この料理に合う器も教えたので、フィリピンにいてもこんな感じで日本食を準備することができた。昔から山形ドキュメント映画祭の常連で、埼玉にある竹寺とも縁の深いキドラは大の日本食好き。何度か日本に来たことのあるササンも日本料理は大好き。

 一番喜んでほしかったお母様も、天麩羅のつゆがお気に召したようで、
「ディス イズ ベェリィ ナイス。ホホホ・・・」
を連発してくださった。よかったぁ~~~・・・。


b0090333_435290.jpg そしてダイニングで記念撮影。
 なんと、インドネシアの初代大統領スカルノと同じ席で食事をしたこともあるこのお母様と、今回の私の個展のコラボレーターであるフィリピンを代表する映画作家キドラ・タヒミック、そしてインドネシアの親友であり素晴らしいセラミック・アーティストであるササンとのこの一枚は私の貴重な思い出の一枚になるだろう。
by midoriart | 2007-06-16 23:32 | the Philippines
 昨年の8月には1ヶ月を過ごしたマニラだけれど、今回のフィリピン滞在のメインはバギオだったために、マニラには4泊4日しかいられなかったことになる。昨年知人のMさんを通じて知り合ったマニラ在住で若手アーティストの「肝っ玉母さん」、ディジーさんちでお世話になり、CCPでのオープニング(14日)の翌朝一番でバギオに戻るつもりだったのだけれど、
「何言ってるのよ、せめて私の作ったランチを食べてから行ってちょうだい。ミドリの友達をみんな呼びましょう」
ってことになり、リターン・バギオは夜に延期。

 でも、こういう席をもうけてもらうと、会いたいと思ってる人にまとめて会えるから嬉しい。それにデイジーさんの手料理はとっても美味しいし。


b0090333_4292821.jpg ってことで今日集まってくれたのは、UPディリマン美術学部で教鞭をとっているジェリー・タン、昨年のアテネオ・アワード(フィリピンで大きなアート・アワード)で大賞をとった期待のアーティスト・ポックロン、若手のチャイニーズ系女性アーティストMM、ロック歌手でありペインターでもあるロメオ・リー。
 本当はこの他にも会いたいアーティストの友達が数人いたのだけれど、連絡が取れなかったり仕事が入ってたりして来ることができなかった。


b0090333_4294014.jpg 写真を使った平面作品や、ビデオ作品を精力的に制作しているポックロン。彼はマニラ周辺で唯一のアーティスト・ラニング・スペース「Future Prospect」の主力メンバーでもあったのだけれど、今日会って近況を聞いたら、ここも結局は自主運営が難しく、今年早々にCLOSEしてしまったという。とっても残念・・・。


 この後、ジェリー・タンが三人展を開催しているロペス・ミュージアムへ案内してくれた。
 デイジーさんちのあるケソンからマカティまでは大々混雑していて、タクシーで1時間以上もかかってしまった。さらに思いの他に展覧会がおもしろかったので、ゆっくりしてたらバスの時間が近づいていた。ランチのとき、午後9時のバギオ行きバスに乗る前に、近くにあるポックロンのスタジオへ誘われていたのだけれど、マニラの渋滞は東京もジャカルタもかなわないほどスサマじい。バスに遅れるわけにはいかないので、ポックロンとはまた再会することを祈り、マカティから市バスでターミナルに直行。


b0090333_4295528.jpg 今回初めてマニラでAC付市バスに乗ってみた。日本の中古バス使用、TVまでついててヘンな感じ。吊り手についてる広告のデザインからして、かなり古い田舎の路線バスのお下がりと思われる。「この次止まります」ボタンを試しに押してみたけれど、案の定なにも反応はしなかった。


b0090333_4303031.jpg 午後8時にターミナルへ到着。
 まだ1時間あるけれど、かといってポックロンのところへ行ってるだけの余裕はないので、近くの安めのレストランで休憩。夕飯にオーダーした「スパイシー・ベジー」というベジタリアンな炒め飯が意外にも美味しくて得した気分。


b0090333_4304974.jpg 午後9時にクバオを発ったビクトリー・ライナーの長距離バスでは3度のトイレ休憩も記憶にないほど熟睡、バギオ到着は午前3時だった。たかが4日空けただけなのに、なぜかキドラの家はもう自分の家みたいな感覚になってて、
「帰ってきたぁ~~~~・・・」
って安心感。で、さっさと床に入る。
by midoriart | 2007-06-15 04:27 | the Philippines

b0090333_3514118.jpg ようやく今日は展覧会のオープニング。今回5月18日にフィリピン入りし、バギオでのグループ展と個展オープニングを済ませ、そして最後の仕事、インドネシアの若手アーティスト5人を紹介する展覧会『POPSCAPE』が今日始まる。デイジーさんがお祝いに、朝からご馳走を用意してくれた。

 今回作品のインドネシアへの返却、展覧会オープニングのカクテルパーティをサポートしてくださった国際交流基金マニラ支局のディレクターBさんに挨拶に行き、日本料理のランチをいただいた後、マカティ周辺のギャラリー巡りをしてからCCPへ向かった。オープニングは午後6時から。


 会場に早めに入り、ササンと一緒に作品ディスプレイに問題がないかをチェック、さすがはパトリック、すべて完璧。作品とアーティストについてのキャプションも私がインドネシアから送ったデータがちゃんとパネルになって貼られている。

 今回の滞在で知り合った私と同じ名前の「ミドリさん(another midori)」がUP(フィリピン大学)の留学生を連れて見に来てくれた。彼はジンバブエ出身の青年で現在UPで建築を学んでいるという。すぐに聞いてみた。
「突然なんですけど、あなたヨーヨーやります?」
「あ・・・。名前は知ってます。遊んでいるところはTVで見たことありますが、私の国ではヨーヨーはありません」


b0090333_3521994.jpgオ~~!!! こういう人にこそ、ヨーヨーをプレゼントせねばっ!
「じゃ、ヨーヨーあげるから、練習しましょう。そしたらあなた、自分の国でヨーヨーの一番上手い人になれますよ!」
って言ったら、とっても喜んでくれた。
 いきなりCCPの美術館の中でヨーヨーやり始める我々を見て、Another Midoriさんもちょっとビックリ。


b0090333_3525470.jpg とまれ、今日は展覧会のオープニングです。
 デウィ・アディティア。バンドン出身の女性アーティスト。日常目にとまったものを、プラスティックの皿をひっかいてドローイングしたものを展示。


b0090333_3531721.jpg ケニ。今回の中で最年少の女性で現在バンドン工科大学美術学部在籍。ポートレイトを動物や化石などと合わせて水彩で表現。ちょっと怪しげな、病的な表現が魅力。


b0090333_3534437.jpg プリラ。バンドン出身の女性アーティスト。ビデオ作品などもある中、今回は4mの黒い布に恐竜からエイリアンまで時代の流れに合わせたキャラクターを白糸で縫って表現した作品を出品。


b0090333_354926.jpg ウェダール、ジョグジャカルタ出身の男性。危険な目をした子供を描く。


b0090333_3543581.jpg OQ。バンドンで建築を学んだ後、写真作品を制作発表している。知人に好きな音楽を聴いてもらい、一番気持ちのいい状態になるところまで待ってその瞬間を撮影した白黒写真を展示。


 オープニングは盛況。バギオからも何人かのアーティスト友達がわざわざ見に来てくれた。いつものことながら、オープニング時にはいろんな人が出たり入ったりして、紹介されたり紹介したりとムチャ忙しいのだけれど、少しおさまってからパトリックが私のところに来て
「みんなとっても興味もってくれてるみたいだから、成功だね。私たち三人に乾杯!」
と言ってくれた。


b0090333_355378.jpg 今回の展覧会実現に関わった皆さんは右から国際交流基金マニラ支局ディレクターのBさん、CCP展示課ディレクターのシドさん、ナショナル・ミュージアム、キュレイターのパトリックD.フローレス、インドネシアからはバンドン工科大学講師のササン(本名はNurdian Ichsan)、そして私。人との出会いがいい縁を作り、想いが集まって一つの形になるということを自ら体験することができた貴重な展覧会となった。
 

 インドネシアの現代美術若手作家5名の作品を紹介する『POPSCAPE』展はフィリピン、メトロマニラのCCP4階ギャラリーにて7月29日まで開催中。
by midoriart | 2007-06-14 23:49 | the Philippines

b0090333_346344.jpg デイジーさんちには4匹の犬がいる。家の中を自由に動き回っている。朝起きたら、そのうちの一匹が私の足をなめていた。白のブルちゃん。


 今回のインドネシア若手作家を紹介する『POPSCAPE』展キュレイター、パトリックはマニラにあるナショナル・ミュージアムの主任キュレイターでもある。今日は朝から彼と約束していたので、ササンを連れて出かけた。私は初めてのフィリピン訪問以来、今回で3回目の訪問。

b0090333_3462763.jpg もと大蔵省の建物を使った博物館は外観もなかなか立派。今は中でパトリックがキュレイションした二つの展覧会が開催されていた。


 パトリックのキュレイションのおもしろいのは、博物館がコレクションしている古いものと、現代美術のような新しいものを、ある興味深いテーマにそって一緒に展示するところ。過去に何度もそうした方法での彼の展覧会を見せてもらったけれど、それぞれにとても見ごたえがあっておもしろい。

b0090333_3465552.jpg バギオ滞在が長かった今回、キドラおやじから教えてもらって私が好きになったのがこの「ブルル」、米の神様。ナショナル・ミュージアムはこのブルルの小さいものから大きなものまで、たくさんコレクションをもっていた。


 さらにパトリックは、今年7月に正式にオープンする予定の、新しいナショナル・ミュージアムにも連れて入ってくれた。まだ一般公開はされていないけれど、中身は80%ほど完成している。かなり貴重なコレクションも入っているからまた公開後にぜひ訪れたいものだ。
 

 全部を見てたらかなり時間が経っていた。またMRTに乗り、今度はマカティにあるアヤラ・ミュージアムへ。これはフィリピンの大金持ちアヤラ一族がもってるミュージアム。私は昨年もうコレクション展を見ているので、今日はヨーヨー伝道を選択。昨年バギオで知り合った青年とアヤラ・ミュージアムのカフェで待ち合わせをし、ササン一人がミュージアム見学とあいなった。


b0090333_435764.jpg シム君。彼とは昨年私が初めてバギオを訪ね、VOCASでアーティスト・トークを行ったときに知り合った。国際交流基金からもってったプロジェクターの調子が悪くて動かなかったのを、一生懸命直してくれたのがきっかけ。アメリカ人の伝道師の父(私とは違うのでヨーヨー伝道じゃなくてキリスト教の伝道)&フィリピーノの母をもち11人兄弟の2番目だか3番目だかの彼は、今はバギオを脱出してマニラで暮らしている。


 私がバギオに着いたとき、携帯電話のメッセージに
「バギオに来たよ~」
と連絡したら、早速バギオまで長距離バスで戻ってきてくれたのだけれど、私がキブンガンの野焼きに行かねばならず、惜しくもすれ違ってしまったことがあったので、今回ようやくマニラで再会実現したというわけ。

 彼にももちろんヨーヨーをプレゼント。思い切り人見知りする彼なのに、ヨーヨーをもったらいきなり饒舌になり、人通りのおおいアヤラ・ミュージアム正面のカフェにいるっていうのに、いきなり立ってヨーヨーやり始めちゃったから驚いた。でもそこまで喜んでもらえると嬉しい。
 TAKA師匠、フィリピンでのヨーヨー普及がんばってますよ~。今日の仲間は彼、シム君です!


b0090333_348471.jpg 私が156センチ。一緒に立って写真撮ってみると、つくづくシム君の長身がわかる。「バギオで一番背の高いヤツ」と言われてるのも納得いく。少なくとも、この言葉少ない影のある青年が、ヨーヨーをもって笑ったってのが私には嬉しかった。別れる時も、歩きながらずっとヨーヨー回してた彼の姿がとってもかわいかった。


b0090333_3484590.jpg アヤラ・ミュージアムから出てきたササンと、またも移動して今度はオルティガス駅にあるSMメガモールへ。このSMってのはフィリピンのどこにもあるシューマートというデパート。でもこのメガモールの最上階にはたくさんのギャラリーが入っていて、フィリピンの最新アート事情を知るには便利。今回は一つとってもおもしろい作品作っている若手の展覧会があって、みっけものだった。
 

 マニラは疲れる。ジャカルタよりもひどい交通渋滞と、日中の異常な暑さと、排気ガス。さらにMRTでの移動でがんがんに効いたクーラーと外の蒸し暑さを繰り返すから身体がくたくたになる。メガモールを見終わったのが午後9時、ここからさらにタクシーを捕まえるのに30分以上のエントリー。くったくたでデイジーさんちに帰宅。明日のオープニングに備えて早々に就寝。
by midoriart | 2007-06-13 22:43 | the Philippines