Culture & Art Report from INDONESIA


by midoriart

カテゴリ:Bali( 34 )

 今日と明日は犬山にある野外民族博物館リトルワールドからバリにいらっしゃった学芸員のMさんをアテンドする。リトルワールドが出来た当時、ここの学芸にはバリの専門家鏡味治也氏(現金沢大学人間科学系教授)がいらっしゃった。そしてバリの貴族の家の一般的な構造で、このリトルワールドに野外展示としての家屋を建てたのだった。今思えば私はその頃愛知県立芸術大学の学生で、学芸員資格を取ろうとしていたので、実習でここリトルワールドを選び、鏡味氏の指導のもとで収蔵品を燻蒸したり、データ取りをしたりしたものだった。

 現時点でリトルワールドにはバリ島の専門家はおらず、韓国、ニュージーランドなどの専門家が、それぞれに展示すべてを分担して担当していらっしゃる。Mさんは現在バリ島貴族の家の展示品、データなどすべてを管理している学芸員さんだ。


b0090333_17151497.jpg 私がここ15年来担当しているのは、この展示家屋バリ島貴族の家を飾る布の購入と発送。野外で1年間風雨にさらされて金色が褪せてしまったものを、毎年夏の時期に張り替えるのだ。
(写真は私のバリの家族の家の祠。バリでは毎日家族祠がこんなにキレイに飾られてるんじゃなくて、儀礼の時やバリヒンドゥーの暦で吉日に当たる日にだけ装飾する)


b0090333_17173096.jpg 私のバリの家族はヒンドゥーの階層でいったら一番下の平民。それでも家族祠はここまでキレイにするわけで、これが高い階層の家だったりすると、もっと祠がでかくて、飾りつけも立派になる。
 ちょっと宣伝になるが、犬山のリトルワールドへバリ島貴族の家を見に行くんだったら8月がオススメ。私がバリから送ったばかりの金ピカな飾り布が一番新しい状態での展示を見ることができる。


b0090333_17193282.jpg 今回は初めて担当学芸員Mさんがバリにいらっしゃったので、リクエストにあわせていろんな場所へお連れした。毎年の飾り布購入以外に、今回の旅でのミッションは、野外展示の貴族の家にある台所をもっとリアルにディスプレイすること。そのための台所用品を1980年代と設定して資料収集および購入することだった。
 まずはMさんに、バリの台所のイメージを知ってもらうべく、UBUDの中心から北上したところにある静かなホテル、Waka de Umeにお連れした。ここにはバリの昔ながらの台所があって、ホテルの泊り客でなくても、バリの伝統料理教室をここで体験することができる。

 実は今回Mさんは、資料収集以外にも目的があった。リトルワールドでは「学芸員と行くXXXの旅♪」という、ちょっと学術的な香りのするツアーを企画するそうで、来年はバリ島旅行を予定しているらしい。そのため、付加価値として何をパックにしたらいいか、そんなネタ探しもミッションの一つだったのだ。
 私からはこのバリ伝統料理を学ぶ教室ってものをオススメしてみた。


b0090333_17225149.jpg そしてランチタイム。UBUDから一番近い棚田の豪快な景色を見てもらった後で、その近くにあるカンプン.・カフェへご案内。Mさん、壮大な棚田の景色にまだ感動抜けきれぬご様子。
 考えてみれば、この棚田の景色を20年前に見て、それでバリに完全に夢中になっちゃったんだなー、私は。あの頃はほとんど人もいなかったこの道。今じゃーツーリストがこの棚田の景色を見るために交通渋滞がおこっている。時の流れはスゴイ・・・。


b0090333_17272773.jpg Mさん、運良く今回の調査旅行中に何度もNgaben(火葬祭)の準備に出くわした。私のバリの家族が住むUBUDのプリアタン村パンデ町でも、8月初旬に大きなNgaben(ガベン)があるので、町内の集会所ではみんなが集まって供え物の準備をしていた。
 そうそう、今回はMさんが新たな収集物として、儀礼の際に必要な様々な道具を購入された。これらは後にリトルワールドについたら、野外展示バリ島貴族の家の中でディスプレイされるからお楽しみに!全体のディスプレイが終わったら、この場でも報告したい。
by midoriart | 2010-07-18 17:08 | Bali
 バリの兄貴マデ・サナの嫁に起されてまずはマンディ(水浴び)。UBUDは結構標高があるから日本の夏よりもずっと涼しい。寒がりな私はもともとインドネシアにいても本当の水ではなかなか水浴びできず、ジョグジャでは温水器もつけていた。でもバリの家には温水器などないから、いつも私が泊まると兄貴の嫁が早くに起き、台所で薪をくべ、でっかい鍋いっぱいにお湯をつくっておいてくれるのだ。これが沸騰したときが私のマンディ・タイム。


b0090333_8532345.jpg 朝一番でデンパサールへ。もう15年来の付き合いになる飾り布の工房へ向かう。ここで犬山の野外民族博物館リトルワールドにある展示物、「バリ島貴族の家」の装飾品が作られている。金色でバリヒンドゥーのモチーフが細やかに描かれた布は、バリの儀礼になくてはならないもの。リトルワールドにある貴族の家は野外展示なので、どうしても金色が太陽の陽や風雨で褪せてくる。これを毎年一度張り替えるのだ。


b0090333_8534464.jpg 毎年ここで出来上がりをひとつずつ確認していくのだけれど、本当にここの工房の布は仕事がキレイで感動する。毎年毎年、違った色の組み合わせにするのが担当者との楽しみ。これは今までに使ったことのないモチーフ。蓮の花をモチーフにしている。
「これ上下逆さじゃないの?」
と聞くと、花が上から垂れ下がっている様子なので、こっち向きで正しいらしい。これは来年のモチーフとして取り入れたいなぁ。


b0090333_8555923.jpg 家に帰る途中で銀細工の店が集中している村CELUK(チュルク)に寄る。ここで銀細工屋を営む友だちを訪ね、壊れたシルバーの指輪を預ける。日本だと、ちょっとしたリングの直しにも結構お金がかかるけど、彼に頼めばタダ。でもそれじゃ悪いから彼の店のリングを一個買ったりするのだけれど、こうしてたまに顔を出すってことが楽しいのだ。


b0090333_8583572.jpg 今度はチュルクからもっと北へ進んでマス村へ。ここは木彫りが盛んな村。
 実は名古屋のある大学が、今度インドネシアへスタディーツアーに行くのだけれど、バリで木彫り、絵画を鑑賞できる場所を紹介してほしいといわれていたのだ。この工房は私のバリの家族ともつながりのある人がオーナー。観光客と見ればとにかく売らなきゃ!で必死に商品を売り込む店と違い、オーナーのバジェラさんは根っからの職人で、黙々と木をいじる姿がかっこいいのだ。


b0090333_904510.jpg 奥の倉庫には何人もの職人が作った様々な彫刻作品が並んでいる。こういうの見ると、20年前にバリの木彫りを習うために単身こんな田舎に入ってきて暮らし始めた元気な頃の自分を思い出して懐かしい。この木の匂い、湿った木の感触、私もいつも触れてたもんな~。


b0090333_922381.jpg あとはまー、非常にスタンダードではあるけれどネカ美術館。最近では昔の画商さんが大きくなって、アグン・ライさんがARMA(Agung Rai Museum of Art)を建てたり、ルダナさんがルダナミュージアム建てたりしてるけど、私としてはバリ絵画をちゃんと順序だてて見るんだったらネカが見やすいと思う。
 久しぶりに美術館を訪ねたら、まだスタッフに私を覚えてくれてる人がいて嬉しかった。

 明日からはついにリトルワールド学芸員Mさんのアテンド。今日は早々に寝る。
by midoriart | 2010-07-16 08:44 | Bali
 毎年一度、バリで飾り布を注文、購入して犬山にある野外民族博物館リトルワールドへ送っている。リトルワールドには野外展示としてバリ島貴族の家が展示されているのだ。私が毎年バリでコーディネートして発送した飾り布は、夏休みの時期に新しいものと取り替えられる(だからキレイな状態の展示を見たければ、8月末~9月頭がオススメ!!!)。

 今年は日本から電話で注文、そして最終確認のためにバリ島へ飛んだ。2月ぶりのバリ。
私のバリ島行きのタイミングに合わせ、今年はリトルワールドの学芸員Mさんも一緒にバリ島へいらっしゃることになった。そして新たな資料収集もすることに。


b0090333_23461622.jpg 今までにガルーダインドネシア航空で貯めたマイレージを使い果たしてしまったので、今回は久しぶりのエコノミー。老体で一度ビジネスクラスを知ってしまうと、なんだかエコノミーがとってもショボく感じてしまうからいけない。
 がしかし!今回はなんとオーバーブッキングが出たために、私はビジネスクラスへ席を移してもらえる事に!らっき~~~♪ 和菓子もある!寿司もある!


b0090333_23481347.jpg 左上の謎の黒い液体は味噌汁。最初は味噌球になっていたので、チョコムースかと思っていたら、突如おねえちゃんが熱湯を注ぎ、味噌汁と判明。ちょっと不思議なインドネシア風味味噌汁であった。


b0090333_23492046.jpg リトルワールドのMさんとは到着後空港で別れた。私がMさんをアテンドするのは後日2日間で、Mさんは初めてのインドネシアをしっかり見るべく、私がオススメしたジョグジャカルタの遺跡も見て回られるという。
 いつもどおり、UBUDにいる私のバリの家族が迎えにきてくれて、車は1時間かけてバリの我が家に到着。私の木彫り師匠で今ではバリの兄貴マデ・サナ宅に私の部屋がある。ここで待っててくれたのが、マデ兄貴の娘エリパニとその家族。


b0090333_23515329.jpg 私がバリに入って何にほっとするかって、この家族に会うこと。そして預けてある私の愛猿スギトに会うこと。彼らの顔を見て、バリの風に当たれば、あっという間に身体がバリに馴染む。マデ兄貴の嫁ムプは私の好物をちゃんと覚えているから、台所のおかずは全部大好きなものばかり。
 これは鶏肉のグリルをほぐし、ヤシ油、青唐辛子、ライムをしぼって和えたもの。かなり辛いけど、さっぱり系。一度食べるとやめられない。


b0090333_23542161.jpg こっちはテンペの甘煮と、ハヤトウリの炒め物。これも私の大好物。う~ん飯がすすむ・・・。ひとときダイエットは忘れるとしよう。

 今回はMさんのアテンドもあり、のんびりはできない。もっとゆっくりバリで時間を過ごしたいのだけれど、こうしている今、すでにバンドン出身のアーティスト友達が東京入りし、24日から始まる個展の準備中。オープニングにはなんとしても出席してあげたい。そんなわけで早足のバリになり、なのに日帰りでジョグジャへも行こうとしている今回の旅。
 いや~、でもホント、バリに戻るとほっとする。やっぱりここは第2のふるさとだ。
by midoriart | 2010-07-15 23:42 | Bali
 今朝午前6時から起きたのは、マデ兄貴、嫁のムプ、昨日からバリに来て撮影を始めている私の友達、フィリピンの映画作家のキドラット。今回私がバリに来た一番の目的、ティルムの浄化儀礼のためにみんなで海へ行くことになっている。


b0090333_22113426.jpg ティルムは1997年7月の新月に生まれた。バリ語で新月はTilem(ティルム)、新月の様子のとおり、真っ黒な身体の凛々しいオス犬は、私がジョグジャに引っ越すときにもちゃんと着いてきてくれた。私がこの国で、一人で暮らしてこられたのは、ひとえに彼がいつも私をガードしてくれたからだった。そんな彼が逝ったのは昨年3月だった。
 ジョグジャの庭に埋めてあったティルムをそのまま残していくことだけが気になっていた私は、少し前にバリから荷物を運ぶために来てくれたマデ兄貴とその息子フォギに頼んで、一緒にティルムの霊を呼び起こす儀礼につきあってもらった。


b0090333_2215872.jpg そして、こうしてボトルにつめたティルムの墓の土を、今回私がバリへ一緒に連れて帰ってきたのだ。


b0090333_221619.jpg 1990年に初めてバリを訪ねて以来、あっという間に20年の付き合いになったインドネシア。ここに暮らす間に、私はティルム以外にも2匹の相棒を亡くしている。初代スギト(カニクイ猿)と、現在のスギトの夫ソチョだ。
(写真は去年3月、ティルムの後を追うように1週間遅れで逝ったオス猿のソチョ)


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 この2匹の猿は、バリの兄貴の家の庭に埋めてある。今回は彼らの霊をすべて海に返すことにしていたので、マデ兄貴の嫁ムプと一緒に猿たちを埋めたあたりの土を掘り起こして採取した。ムプがちゃんとマントラ(お経)を唱えてくれる。
「スギト~、ソチョ~、起きなさいよ~、さぁ海に行くよ~~~」
 そしてジョグジャから連れて帰ったティルムの土と一緒にして白い布でくるみ、壷に収めた。


b0090333_22215170.jpg 猿2匹と犬1匹なので、3つの供え物がいる。私はここで彼らの浄化儀礼についてフツーに書いているけれど、本来ペットとか愛玩動物なんて意識のないバリ人にとって、動物ごときに人間のような儀礼をするなんてことはナンセンス。ムプがこの浄化儀礼のための供え物を作っていたときも、近所の人が見て、
「え?ここんちで誰の儀礼があるの?」
「あーこれね、ミドリの犬と猿のよ・・・」
と答えて唖然としていた。
 でも私が20年近く世話になっているマデ兄貴の家族は、長年私と暮らして、いかに日本人(の多く)が自分の飼っていた動物に対して愛情をもっているかを理解してくれている。だからこんな面倒な供え物でも、ちゃんと人間のように真心込めて準備してくれるのだ。こんなバリ人はめったにいるもんじゃない。


b0090333_22262473.jpg 聖水をかけ、マントラ(お経)を済ませた後、我々も砂浜に座り、海に向ってティルムたちの霊がここに解き放たれ自由になることを祈る。マデ兄貴は
「俺はティルムが日本までついていって、ずっとミドリを守ってくれるように祈ったぞ」
なんて言ってくれる。本当にあったかい家族なんだなー、私のバリの家族は。泣けてくる。

 そして3匹の霊のこもった土を入れた壷を、マデ兄貴が海に流してくれた。私では遠くまで行けないので、兄貴がザブザブ波打ち際を進んで、遠くへ投げてくれた。3匹の魂を乗せた壷は、あっというまに白い波間に消えていった。これからはどこにいてもこの3匹が見守っていてくれる。合掌・・・
by midoriart | 2010-02-11 22:07 | Bali
 3月頭の帰国を前に、バリでの用事を済ませるためにジョグジャを発った。今回の一番の目的は、ジョグジャまで連れてきてジョグジャで死んだ愛犬ティルムの葬式。借家の庭に埋めたままほっておくのは忍びなく、バリの暦の良い日を選んで、ちゃんとバリへ帰してやらなければ、いつか必ず後悔すると思っていた。
 出発の予定を考えていた頃、懐かしいフィリピンの友から連絡があった。彼はKidlat Tahimikというフィリピンでは誰もが知ってるドキュメンタリー映画作家。日本でも知る人ぞ知るというお方。私は数年前に彼のいるフィリピンはバギオで彼と知り合い、幸運なことに自分のやった交換プロジェクト(作品をフィリピンの人々と交換してもらうという作品)を彼がドキュメントビデオにしてくれたこともあって縁が続いている。
 Kidlatからの久しぶりの便りによれば、「今度はバリで棚田のフィルムを撮るから会えないか」ということだった。せっかくなので彼とスケジュールを調整して、今回のバリ行きとなった。


b0090333_1731858.jpg ちょうど2月10日はバリのカレンダーでブダ・チェメンに当たる。たくさんの儀礼がバリ中で行われる日だった。私のバリの家族も、その大元の家族祠ででっかい儀礼があるというので、前夜バリに到着したKidlatを連れて出かけた。
 考えてみれば、初めてバリに来てこうした儀礼を見て、大きなカルチャーショックを受けたものだ。今じゃフツーに自分自身の儀礼になっちゃってるけど。


b0090333_1751352.jpg インドネシアには来たことがあっても、ジャカルタやバンドンなどの都会しか見ていなかったKidlatにとって、バリ・ヒンドゥーの儀礼はかなりショックだったようで、カメラを回す手が止まらない。大興奮のご様子。
(右がフィリピン映画界の重鎮、Kidlat Tahimik)


b0090333_1763441.jpg 大きな儀礼になればなるほど、多くの奉納がある。最初は娘たちによる踊り。


b0090333_177273.jpg ワヤン。一般にはシャドーパペット(影絵芝居)として知られるワヤンだけれど、儀礼で使うときには昼間なので影を使わずそのまま人形を操る。ストーリーを見せるというよりも、聖なる儀礼に近い。
 今日の演者は私が以前5~6年間バリの男性舞踊を習っていたスクロ先生だった。彼は絵描きとして暮らしの糧を得、踊り手やワヤンの演者としてヒンドゥー教の聖なる儀礼に奉仕している。私がバリで知り合った人の中でもかなり聖なるお方。今日この場で会えて嬉しかった。


b0090333_17102067.jpg そして〆はトペン(仮面劇)。20年前、バリに初めて来てこうしたものを見たときに受けたショックを、今私の横でKidlatが感じている。同時多発で起こる様々な奉納舞踊を見て、家の中をあちこち走り回っている。
 長く暮らしているうちに、こういうものを見るのがフツーになっていたけれど、近くインドネシアを去ることになっていざ見ると、本当にバリの伝統文化って素晴らしいな~といまさら感動する。最後になってこうした儀礼をまた見ることができたのはバリの神々の私へのプレゼントだったのかもしれないなぁ。
by midoriart | 2010-02-10 16:56 | Bali
 9月3日、無事にバリでの個展が始まった。今回は少しゆっくりバリに滞在し、「交換プロジェクト=バリ編」のドキュメント・ビデオを撮影している。そしたら運良くこのタイミングでうちの町内では合同火葬祭があった。いまバリはバリ・ヒンドゥー教の火葬祭シーズンなのだ。

b0090333_15221460.jpg 今日の火葬祭には、私が昔からお世話になっているお爺ちゃんの奥さんの葬儀も入っていたから、朝から参加。これはお婆ちゃんの神輿。


b0090333_1525398.jpg 火葬場へ向かう前に、まずは祭司さんの指示で遺族がおまいり。その後、神輿は町内のみんなに賑やかな演奏と一緒に運ばれていく。


b0090333_15253577.jpg 火葬場(=墓場)には、すでにたくさんのルンブが準備されている。バリの火葬では、死んだ人はみなこの牛のお棺に入れて焼かれる。


 b0090333_1526437.jpg 1ヶ月間に先立った妻を見送るバラタ爺さん。わたしはバリに来てすぐの頃、木彫りの修行をしていたのだけれど、この爺ちゃんは私がついてた師匠と仲がよく、いつも一緒に木彫りをした仲。一ヶ月前に亡くなった奥さんは木彫り師匠の家の近くで飯屋をやってて、わたしは毎日ここで昼ごはんを食べていた。


b0090333_15281350.jpg わたしはバラタ爺さんの孫に嫁いだワヤンと親しいので、彼女とも記念撮影。婆ちゃんはもうこの牛のお棺の中に入って焼かれるのを待っている。


b0090333_15294084.jpg バラタ爺さんの奥さんは、1ヶ月前亡くなったときに、すぐに焼かれた。だからいまこのお棺の中に入っているのは灰だけ。でも、人が亡くなってすぐに弔いの費用がない場合には、バリではいったん遺体は墓地に埋められる。だから火葬祭までに2年、3年と待つことだってフツー。こうやって墓場に穴があるのは、今日の火葬祭のために、早朝遺体を掘り起こした跡。
 以前私のバリの家族であるマデサナ宅の母ちゃんの「遺体掘り」につきあったことがある。墓場にみんながランプを持って集まり、まさに芋ほり状態。
「お~~~!頭見つけた~~~!!!」
先に見つかって自慢げな人や、自分の親が久しぶりに土の中から出てきて、いとおしそうに、その骸骨を洗う遺族、人間の死がとてもリアルな現場だったのを覚えている。


b0090333_1534188.jpg 今日の火葬祭には、3日前に亡くなった近所の女の子も混じっていた。彼女は小さな頃から弱い子で、最近では結核を煩い、大学に入学したばかりなのに、呼吸困難から死に至った。火葬祭の日程が近かったため、彼女は今日、他の亡くなった人たちと一緒に弔われることになったのだった。
 でも、長年土の中に埋まっていた人たちとは違って遺体が新しい。でもちゃんと燃やさなければいけない。こういうときには「焼き屋」を頼む。一気に強火で燃やしてしまうのだ。こういう状況を見ていると、人間の魂、身体というものをいやでも考えさせられる。


b0090333_1538060.jpg 18年しかこの世にいられなかった彼女の最期を送り、バラタ爺さんの奥さんのお棺に戻ったら、もうすっかり燃えきっていた。墓場に30体ちかくあった牛のお棺はすべて灰になり、その灰を集めた遺族たちが、その灰を海へ流すべき、次なる儀礼の準備に入っていた。


b0090333_15394421.jpg そろそろ帰宅の時間、と墓場を去ろうとしたところで、
「ミドリ!」
と呼び止める人が。見ればバラタ爺さん。
 12人の子供をもち、孫は30人、ひ孫は50人ちかいというバラタ爺さんは気丈に振舞っていたけれど、長年つれそった奥さんの死はきっとつらいに違いない。随分耳の遠くなった爺ちゃんの昔話につきあってから、わたしは墓場を後にした。
by midoriart | 2009-09-08 15:17 | Bali
 今日は私のバリ滞在最終日。ちょうどいい具合に15日に一度巡ってくるバリヒンドゥーの聖日カジャンクリウォンに当たるので、部屋の完成式にもってこい。昨日のうちにマデ兄貴の嫁さんムプに費用を渡して今日のためのバンタン(供え物)を準備してもらうことにした。

b0090333_14235768.jpg 私が自分の娘のようにして可愛がっているエリパニも、嫁ぎ先からやってきて供え物作りの準備を手伝ってくれる。彼女は若くして日本語専門学校で一緒だったヒンドゥー僧侶の息子と結婚した。世襲制のため、私の娘婿はすでに僧侶、エリパニもいずれは寺院の儀礼を取仕切る役を担う。彼女はもともとバリ・ヒンドゥー教については興味をもっていて、古代文字もちゃんと読める。今日のような儀礼に必要な供え物についても詳しい。


b0090333_14242759.jpg 私には何もできないので、儀礼前に壁画のタッチアップ。


b0090333_14245186.jpg そして完成~。
 つい先日、インドネシアのスーパースターバンドGIGIのギタリスト、バリ人のデワブジャナに頼まれて彼のGibsonに絵を描いた。うちのバリの家族にとってはそれがもう、自慢で自慢で仕方ないらしく、この壁画にもブジャナのギターに描いたモチーフと同じものを入れろとリクエストされた。


b0090333_14251892.jpg ようやく供え物が揃った。水浴びして身体を清め、家の祠でまずお参り。そして新しく完成した私の部屋に作った部屋用の小さい祠の前でもお参り。大きな儀礼の場合には、本職の僧侶(マンク)を呼んで儀礼をとりしきってもらうのだけれど、今回は新しく建物を建てたってよりもリノベーションなので、すべてはマデ兄貴の嫁ムプが仕切ってくれた。


b0090333_14254436.jpg マデ兄貴の木彫り倉庫が、キレイなマイルームに変身。いずれ私がジョグジャを撤退しても、インドネシアから撤退しても、ここが私の戻る場所になる。インドネシアでのベースってことだ。いずれはマデ兄貴の息子フォギが嫁をもらっても、一つ部屋があれば新婚さんがこの部屋を使うことだってできる。ってもまだこのフォギー、高校2年生だけど。


b0090333_1426945.jpg 儀礼も終わり、次回からはここで寝ることができるようになった。2月末ジョグジャで逝った私の愛犬ティルムも部屋の壁画になって私を守ってくれる。9月には会期1ヶ月の個展がバリで開催される。この時にはじっくりとマイルームを満喫するとしよう。
by midoriart | 2009-06-11 14:22 | Bali
 10年近くバリのUBUDで暮らした私は、家族同様の付き合いをしているマデ・サナの家が第2の故郷になっている。1999年にインドネシア政府の留学生プログラムでジョグジャカルタの芸術大学に入ることになってからジョグジャに住処とスタジオを移したものの、今でも2ヶ月に一度くらいは「里帰り」している。
 バリの家族は一つの敷地に全家族が住んでいる(ことが多い)。我が家の場合は家長である農夫の父ちゃん、長男(農夫&画廊の清掃夫)家族、次男のマデサナ(木彫り師)家族、三男のサヌ家族(私のもと木彫りの師匠)、そしてつい最近結核で他界した四男の嫁と2人の娘、これだけが一緒に暮らしている。

 ジョグジャへ移る前は三男のサヌが私の木彫りの師匠であり、私は彼の相続分になる土地に小さな仕事場を借りてそこで制作をしていた。ジョグジャに移り、彼が嫁をもらってからは、たいそうヤキモチ焼きな嫁に気をつかってサヌが私と距離を置くようになってしまった。その後はその兄であるマデサナの一家が私の受け入れ先になっている。ちょうど私より3つ上の彼は、バリの兄貴といえる。
 今年3月、彼の倉庫に私の部屋を作ることに決めた。いずれジョグジャを撤退したらインドネシアでのベースはバリに移そうと思っているから、どうしても自分のスペースが必要になる。いつもはバリに「帰った」ら、若くして嫁いだマデサナの娘エリパニの部屋を私が使うのだけれど、机もベッドも置いてとなったらちょっと狭い。

 選んだのはマデサナの木彫り倉庫。とんでもなく汚い空間を掃除して4x4mのスペースを確保、ここに私の部屋を作ることにした。たまにバリに戻ったら大工を呼び、大まかに指示をしてジョグジャに戻る・・・といったプロセスを二度、今回はついに最終段階。


b0090333_2326574.jpg 部屋はここまでできていた。後は窓のガラスをはめ、ドアとその横の窓に窓枠を入れる。外側はあえてセメント仕上げのままにしてもらった。そんなに贅沢しなくても、自分で壁画を描くつもりだからだ。


b0090333_23272090.jpg せっかくキレイに塗装したのに、ちょっと前の豪雨が窓から入り、かなり目立つシミを作っていた。これは修正に時間がかかる。今回のバリ滞在は5日間。といっても仕事で戻ってきてるから、なかなか部屋を完成させるための時間が取れない。でも11日の聖日に完成儀礼をしちゃわないと、また先延ばしになる。困った・・・


b0090333_23273655.jpg って話をしてたもんだから、10日の朝起きたらマデサナと嫁のムプがすでに部屋の中で仕事していた。今まで使ってた大工がなぜか昨日も来なかったので、痺れをきらした二人が大工に頼らずにとっとと作っちまおう!と思ったらしい。私も遅れて手伝うことにした。


b0090333_23275410.jpg 窓のシミはムプが何度も塗り重ねてくれたけど、どうしても消えなかった。だったら逆に絵を描いて目立たなくしちゃえってことで、窓はお花畑フレームになった。


b0090333_23281174.jpg 外側にも壁画。
 マデはドアと窓の設置担当。なんとか明日までに完成させて儀礼を済ませてしまえば、次回戻ってきたときから私はこの部屋で自由に寝られる。兄貴、ムプ、どうもありがとう。本当にバリに戻ってくると、この人たちのおかげで里帰りしたみたいにホッとできるんだよな~。感謝です。
by midoriart | 2009-06-10 23:25 | Bali
 昨年末からの一時帰国は2月28日まで。あと1週間でインドネシアへ戻るというときに、ジョグジャから電話がかかった。ジョグジャで親しくしているMおじ様からだった。
「ミドリさん、いい知らせじゃなくてごめんなさい。今、ミドリさんところの留守番しているおばさんが来てね、お宅の犬が息をひきとったそうなんですよ・・・」


b0090333_1646854.jpg ティルムは私がバリ時代に飼っていたジャヤが生んだ犬。1997年10月の新月に生まれたからバリ語の「新月」にあたる「ティルム」と名づけた。8年前私がジョグジャに移るとき、ティルムも一緒にジョグジャに渡った。12歳、人間でいえば70歳くらいらしい。最近は耳が悪くなり、真っ黒だった身体にたくさん白髪が生えてきた。12年間私のインドネシア生活を常に守ってくれたのはティルムだった。頑固なこの子の最後を看取るまではジョグジャを移れないと思っていたのに私の帰りを待たずにティルムは逝った。
(写真:ジョグジャの家の庭で。後ろの小さいのはモジャ、7歳)

b0090333_16465687.jpg 国際電話でモトに指示を与え、ティルムがいつも日向ぼっこしていた庭の位置を知らせて穴を掘ってもらった。私のいつも使っていたタオルで身体を包んでもらった。花も植えてくれた。翌日モトがその様子をメールで送ってくれた。


 2月28日、まずはバリに着いた。バリの家族のもとには、ティルムよりももっと長いつきあいになる猿のスギトがいる。私のバリ時代には、毎晩一緒に寝ていた大事な愛猿だ。彼女は私がジョグジャに移るとき、バリの家族のもとに預けるのが一番いいと決めてずっとバリで暮らしている。私がジョグジャへ移ると添い寝してやれなくなるので、相棒としてオス猿を探してきてペアにした。相棒は石の入った指輪を私がつけていると興味を示すので、バリ語で「宝石」を意味する「ソチョ」という名をつけた。

 ティルムの死以降は、彼より年寄りで14歳の婆さんスギトにも、そろそろ死期が近づいているかもしれないと思うと、バリにいる間はできるだけスギトと一緒に過ごしたい。仕事の合間を見てはスギトとソチョのいる檻の前で一緒に果物を食べた。
b0090333_16472217.jpg バリでの制作のため、ジョグジャへ戻る前に4日滞在する予定だったけれど、なかなか仕事がはかどらない。3月3日に4日のチケットを2日延長して家に戻ると、ソチョが嘔吐していた。食い意地のはったソチョはよく食べ過ぎてはもどすので、いつものことだと思ってほっといたら、翌日体調がおかしくなった。この写真だけ見てもわからないかもしれないけれどいつもの目つきとまったく違い、食欲がなくなった。
 村の獣医に来てもらったのがその翌朝、ソチョの体力はさらに落ちていた。獣医さんは正直に言う。
「僕では猿はわからないから、デンパサールの国立ウダヤナ大学内にある獣医科の診療室に行ったほうがいいと思うよ。設備もしっかりしてるから点滴受けることもできるだろうし」


 いくら体力が落ちていてもソチョは10キロ以上ある大きな猿。普段なら大きな口をあけて人を威嚇して噛む。この子に平気で立ち向かえるのは私とマデサナ兄貴しかいない。そのまま連れて行くこともできないので、ケージを探す。運良くバリで親しいトモコさんが犬用のケージを持っていたので、早速借りにいって家に戻ると、みんながソチョの檻の前にいる。ソチョが気絶したように横たわって動かない。すぐに引っ張り出したけれど、ソチョは本当に大きい。のびていると犬用のケージにも入らない。でも時間がない、一刻も早く病院へ行かなければ。ウブッからデンパサールまでは車を飛ばして1時間はある。家にあったタオルでソチョを包んで私が抱いて車に乗った。
 苦しそうな息で目も開けられないソチョは、病院が見えたところで全身を大きく伸ばし、大きな息をひとつして、そのまま動かなくなった。緊急で診察室に抱え込み、台に乗せて先生と助手が脈を調べても、心臓マッサージをしても、もう息をすることはなかった。


b0090333_16483035.jpg ティルムの死からちょうど2週間。私の17年間のインドネシア生活の12年を支えてくれた一番信用できる護衛犬ティルムと、スギトの相棒として8年間付き添ってくれたソチョが逝った。生きていれば死は必ず来るけれど、わずか2週間で大切な私のインドネシアでのパートナーを2匹なくしたのは精神的にかなり厳しい。


 悲しいのは私だけじゃない。
 猿は賢い分、人間のように他者の死を悲しむのだろうか。ソチョの死からスギトの食欲は一気になくなり、最初はソチョの死因がウィルス系のもので、感染しているのかと思われたけれど、どうもそうではなく、相方の死を悲しんでいるように思える。ジョグジャに戻る前になんとかいい方法はないものかと、猿のぬいぐるみをスギトの檻に入れてみた。
 最初はじっと見てるだけだったのが、少しずつ近づき、ぬいぐるみの毛づくろいをしてやるようになった。少しほっとして、私はジョグジャへの帰路についた。


b0090333_16491044.jpg 今朝、バリの家族に電話してスギトの様子を聞いてみた。
「夜はずっとぬいぐるみを抱いて寝てるよ。今エサをやりにいってぬいぐるみを触ったら、守ろうとして怒ってきたよ」
とのこと。未亡人としてつらい日々を送らないでいてくれることを願うばかりだ。これからは一人身になったスギトのためにも、できるだけバリにも戻ってあげようと思う。
by midoriart | 2009-03-09 16:55 | Bali
 バンドンからジャカルタと、インドネシアの中でも1、2の洒落た街を巡り、バブリーな世界を見た次に私が飛んだのは、10年住み慣れたバリ島。今回の3都市を巡る旅で、一番たくさん日数をとっていたのがバリ島だ。なんたって今回はいろんな用事がある。

 バリ島初日はまずデンパサールへ。11月に試しで出店したマイTシャツブランド「すぎとじるし」が思いの外好評だったので、調子に乗ってまたTシャツ生地を購入。インドネシアのテキスタイルで有名なのはバンドンだけれど、バンドンの生地工場でできたものの多くがバリへ流れている。バンドンで作った布をバリ島で買い、ジョグジャで縫製するという、なんとも移動の多いTシャツが生まれることになる。

b0090333_152547.jpg せっかくデンパサールまで行ったので、ずっと前から気になっていたスミニャッのギャラリー、「ビアサ・アート・スペース」を見に行くことにした。ビアサってのはインドネシア語で「普通、通常通り」ってな意味。でも、このスペースは全然フツーとはいえない。かなり高級感溢れてる。


b0090333_1533186.jpg 昨日までの日記に書いてきたように、今のインドネシアアートはとってもバブリーなんだけど、このスペースもジャカルタでブティック持ってる外国人のオーナーがやってるもの。今回ジャカルタのギャラリー巡りで、この「ビアサ」のブティックを見て、どうしてもこの金持ちオーナーがやってるアートスペースが見たくなったわけ。
 運悪くグループ展が始まる前だったために、まだ展示が終わってなかった。誰もスタッフがいなかったので、勝手に撮影。私が昔目をつけてフィリピンで企画したインドネシア若手作家展に参加したジョグジャのアーティスト、ウェダールの立体作品も出ていた。


 翌日からは今回のメインの用事である《交換プロジェクト》を再開した。
 《交換プロジェクト》とは、私の作った陶の小作品を、第2次世界大戦の記憶のあるお年寄りと交換してもらうというプロジェクトで、2005年にフィリピンで始めた。フィリピンでは2年にわたり1,000人の人と作品交換をし、その後はインドネシア、東ジャワのブリタル村で日本軍から直接軍事指導を受けた経験のあるお爺ちゃんに限定して30人と交換した。そして今回はバリ島で100人の爺ちゃん、婆ちゃんとの交換を目指している。先回27人と交換が終わっていたので、今回は70体あまりの作品をもっての再訪。


 バリ島に日本軍が入って占領したのは1942~1945年にかけて。当時は各地のバリ人男性が「ロームシャ」として借り出され、防空壕や空港整備などで強制的に労働させられた。以前から通るたびに気になっていたのが、クルンクンへ向かう道にある「ゴア・ジェパン(日本窟)」、この周辺に行けば、もしかして当時のことを覚えている人がいるかもしれないと思って、今回たずねてみた。


b0090333_1541546.jpg ちょうど洞穴の真横に「ペインター&ウッドカーバー」と看板をつけた家があったので入ってみるけど、呼べど呼べど誰も出てこない。そのうち、辺りにおいてあるとんでもない数の木彫りが目に入って久しぶりに全身の毛がぞろぉ~~~っと立った。
 そりゃバリにはこういう自然の木の形態を生かした木彫りはあるにはあるよ、でも、ここまでの歪み、顔の変形ってなんかなぁ・・・。木彫りが本職の兄貴に聞いてみる。
「ねぇねぇ、なんか感じない?ここの空気って、なんかヘンな気がしない?」
でも鈍感なマデサナ兄貴はな~~~んも感じないらしい。
「持ち主、どこ行っちゃったんだろうな?」
とトンチンカンな返事。
 

b0090333_1545521.jpg ホラーや幽霊好きな私としては、もうこれは強制労働で命を落としたロームシャの霊が、あるバリ人の木彫り師に憑いて、その苦しさを木彫りにしたとしか思えないのだなぁ。ここに水木しげるが来たら、どう思うだろう???何度も声をかけてみたけど、本当に誰もいなそうなのでこの場を引き上げ、兄貴と恐々ゴア(洞窟)の中をのぞくと、意外にも奥は深くなくて、道沿いに何個も見えた洞窟の入り口は、全部中でつながっていた。当時なんの目的で作られたのか、現状のような感じだったのかどうか、その辺が定かではないので、次回ゆっくりと調べてみようと思う。


b0090333_1552968.jpg にしても、本当に不思議な空気漂う場所だった。UBUDからクルンクン(ツアーコースだとクルタゴサなどを見に行くときに通る道)へ向かう途中のゴア・ジェパン、その横にある建物、気になる方は是非今度寄ってみてほしい。この木彫りたちがどうしてこんな顔をしているのか、実物を是非是非ご覧あれ。
by midoriart | 2008-11-25 23:50 | Bali