Culture & Art Report from INDONESIA


by midoriart

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 今回のバリ旅は犬山にある野外民族博物館リトルワールドに展示されている「バリ島貴族の家」に関わる展示物、資料収集のために、学芸員さんのアテンドをすることがメインの仕事だった。でも、せっかくバリまで来てるんだから、ジョグジャにだってちょっとは足を延ばしたい。春にジョグジャを去って以来、もう4ヶ月近く過ぎている。

b0090333_16513398.jpg 前もってジョグジャで世話になったトラベルエージェントにメールして、国内線の格安チケットを探してもらった。日本からインドネシアへ発つには、国営航空のGARUDA INDONESIAを利用するのが常だけれど、なんせ国内線は格安のエアーが競争しているから、国営のGARUDAと比べたら半額近いチケットもある。ただ、普通日本からそれをオンラインで購入はできないので、日本に住んでいる方がそれを手に入れようと思ったら、とにかくインドネシアまで行かないことには購入できないので現実的ではない。
 私は運良く10年来のつきあいになるエージェントがあるので、メールで購入をお願いしている。つまりはエージェントの社長さんに立て替えてチケットを買ってもらっているというわけ。


b0090333_1655479.jpg 今回、日帰りでもいいからジョグジャに行きたかった最大の理由は二年に一度開催されるジョグジャカルタの大型展覧会を見たかったから。ほぼ同じくらいの比率でジョグジャに来た理由は、揉まれ慣れたフットマッサージを受けること。
 会場は昔私が住んでた家から徒歩10分のところにあるTBY(Taman Budaya Yogyakarta=タマン・ブダヤ・ジョグジャカルタ)。普段はフツーの2階建て建造物なのだけれど、今回この展覧会のために全体が赤く塗られ、そこにジョグジャ在住の若手アーティスト、Eko Nuguroho(エコ・ブグロホ)の作品がびっしりとはりめぐらされていた。


b0090333_1657518.jpg 今回の展覧会タイトルは「ART/JOG10」。「JOG」とはジョグジャカルタ(JOGJAKARTA)の略だ。この建物は平面作品の展示にはかなり使いにくい空間で、なんのためにこんな設計したんだろう?と、私も10年間この街で過ごし、作品を展示するたびに思ったものだ。でも今回はよっぽど予算があったのか、中をキレイに区切って展示していたので、まるで知らない展示空間に入ったような気分だった。
 写真はインドネシア現代美術界の重鎮、Heri Dono(ヘリ・ドノ)の最新作『Menonton Kebodohan』(愚かさを眺める)2010


b0090333_1713045.jpg もともとの空間を知らない人がこの写真だけ見たら、インドネシアも結構キレイな展示空間があるんだなーと思われるかもしれない。なんだか本当にここ数年のアートバブルで、インドネシアの現代美術の作品が大きく変わったなぁ。展示する作品が売れるもんだから、展示する側も金回りがよくなって、だからこんなにもディスプレイのためにもお金がかけられるようになったんだろう。
 

b0090333_1731368.jpg 今回はジョグジャではなく、バンドン(西ジャワ)在住のキュレーターが展覧会を担当していて、ジョグジャ以外の都市から若いアーティストがたくさん参加したのも特徴的だった。だから私がまだ見てなかったような若手写真家の作品なども紹介されていた。今回はこんなにたくさん写真作家が増えてきてたってことを知ったのが大きな収穫だった。
 ちなみにこの写真はJana Laurenの『Tree Behind The Wall #3』。


b0090333_1764752.jpg さらに入り口ではなかなかしっかりした質の美術書を集め、販売するコーナーや、若手アーティストが作ったグッズ(バッグ、Tシャツなど)もあったりして、なんだか随分と小洒落た感じ。一昔前の田舎臭~いジョグジャはどこにいったんだろう。個人的にはなんだか、これは違うなーって思ったりもする。

b0090333_1783447.jpg しみじみしながら会場の外に出ると、昔は何もなかった建物横の空き地に、小さなショップがあるじゃないの。入ってみたらこちらはTBY(タマン・ブダヤ・ジョグジャカルタ=ジョグジャカルタ市アートセンター)がもっているミュージアムショップだった。こういうものを運営するだけの余裕ができたってことだ。

 この展覧会、内容もさることながら、現在のインドネシアの現代美術のコンディションを見る上でも、無理して日帰りしてまでジョグジャに来たかいはあった。ハードスケジュールでしんどかった老体も、久しぶりに馴染みのマッサージ青年に揉んでもらってほぐれたし。インドネシアの現代美術に関しては、これからもちょくちょくアップデートしていきたい。
by midoriart | 2010-07-20 16:49 | Yogyakarta
 ジョグジャにはたくさんの外国人が住んでいる。もちろんバリほどではないけれど、現地の人と結婚して住んでる日本人妻もいれば、起業してたり、日本の会社から派遣されてる人、JICAなどで数年だけ暮らしてる人もいる。インドネシアで才能あるアーティストをたくさん輩出している国立芸術院(私の母校でもある)には染色、美術、舞踊、音楽などの分野からたくさんの留学生を抱えたりもしている。
 こうしてジョグジャにやってきて数年で帰国する外国人たちは、よくフェアウェル・パーティなるものを開く。どっかのカフェを借り切って、バンドでも入れて、みんなを呼んで送別会とするって方法。でも、なんか私はこれが好きじゃない。日本だったらどうかしらないが、インドネシアの場合は、普段の展覧会オープニングを見てもそうだけど、そこで用意される食べ物やアルコール目当てでやってくる輩も多い。私は世話になってんだか世話焼かされたんだかわからないような人々がわいわいやってきて、話したい人ともゆっくり話せないようなパーティよりも、本当に最後に一言交わしたい、ちゃんとアリガトウとサヨナラを言いたいって思える人にだけ、直接家を訪ねていこうと決めていた。


b0090333_1572524.jpg マイカーも売れてしまったので足がない。いつも飛行機のチケット手配をお願いしていたエージェントに、今日1日のレンタカー&運転手を格安でお願いした。まずはここの皆さんにも挨拶。


b0090333_1581841.jpg 昨日のうちに挨拶ツアーの道順は決めておいた。まずは彫刻家の先輩にあたるYusara Martunus。彼の作品は私が企画して日本で開催したインドネシア若手作家展『Passing On Distance』でも紹介した。私が大好きなスマトラ出身アーティストの一人。


b0090333_1510759.jpg SテディD。東京でも紹介されたことのあるアーティスト。知り合った頃はクレイジーでクレイジーで、酔って記憶なくした状態でうちになだれ込んできたこともあった。でもアルコールが抜けている時には異常に真面目でシャイ。いかにも「アーティスト」らしい彼も、数年前に結婚し、父になったら随分としっかりしてきた。
 男性としては「う~~~ん・・」だけど、制作の姿勢からしたら私がすっごく尊敬してるテディにも最後に挨拶。一番最新のカタログに「親友、ミドリヘ」と記して私にくれた。


b0090333_15125120.jpg 最初に訪ねたYusraと同期の彫刻家。立体よりも自分を描いた平面で評価され、最近はどこの展覧会にも引っ張りだこのBudi。ジョグジャに来て最初に呑みに連れて行ってくれたのが彼だった。
 いまやインドネシアのアートバブルに乗り、こんな立派な家を買っちゃえるくらいになった。すごいなーブディ。


b0090333_15143328.jpg ちょっと街中まで戻り、過去数年に渡って世話になってきた印刷屋さんに寄る。一番若いスタッフのAdeにはイラストレーターやフォトショップの使い方を学び、私がジョグジャカルタ市観光局から依頼されて発行していたジョグジャの日本語情報誌『Jogja Surfing』もここで印刷してもらった。さらに私の愛車スターレットを買ってくれたのはここのオーナーYonoさん。


b0090333_15162829.jpg 日本で何度も展覧会をしてるインドネシアの現代美術界ではもう重鎮クラスになっちゃったAgus Suwage。彼とは同じ頃にジョグジャで暮らし始め、音楽好きという共通点から、毎晩のように家に遊びに行っては、一緒ギターを弾きまくったものだ。最近はそんな楽しい夜を過ごすこともお互いなくなっちゃったけど、久しぶりにこうやって会って語ってると、あの頃が懐かしい・・・。


b0090333_1518429.jpg MES56、写真家集団が共同生活し、手前のスペースを展示空間として運営している。去年福岡あじあ美術館で開催されたトリエンナーレにも出品したAngkiと別れを惜しむ。


b0090333_15192752.jpg 丸1日のツアーで会っておきたいと思ったほとんどの友に会うことができた。家に戻り、10年間のお隣さんであったおじちゃん・おばちゃんにも挨拶。町内会長でもあったおじ様はとってもやさしくしてくれた。

 あっという間にも思えるけど、10年ったら長い。同じように繰り返してきた毎日が10年分積み重なる中で、これだけの友達をつくって、いろんなことを体験してきたんだなーとあらためて感慨深い1日だった。
by midoriart | 2010-03-05 22:01 | Yogyakarta
 モジャというのはジャワの田舎言葉で「靴下」のこと。なぜか都会のジャワ人は「mojah」という単語を知らない。それより不思議なのは、もともと暑い国で靴下文化なんてないのに、田舎において「靴下」という単語があるってことが気になる。もしや田畑作業の際に足を保護した何かのことを「mojah」と呼んだのだろうか。
 とまれ、私がジョグジャで10年を共にした愛犬モジャは幼いときから白い靴下を履いていた。胴は茶色で4本の足先が白い。今日はこの子の婿入り。明日の出発を前に、ついに彼とのお別れの日が来た。


b0090333_17525689.jpg 住み慣れた家の大掃除もほぼ終了し、ガランとした部屋でモジャを見ていると勝手に泪が出る。そんな私を見て、環境の変化にモジャはとっくに気づいている。裏庭の井戸の蓋にあごをのせてじっと私を見ている。きっと今日のことを、彼はすでに知っているのだろう。

 すでに車もないので、ジョグジャ在住の日本人Mさんにお願いして、里親のいるトゥンビ村まで出かけた。初めて車に乗るモジャは、最初びっくりしていたけれど、ちょっとしたら私の膝でおとなしくなった。窓から変わりゆく景色を見ている。
 そして着いた先。我が家から海(南)に約20キロ。車で20分ほどにある村だ。ニンおばちゃんはティルム(昨年2月に他界)が元気だった頃から、私の留守には2匹の面倒をみてくれていた動物好き。モジャもしっかりなついているけれど、そのオバちゃんのお宅訪問は今回初。


b0090333_1754245.jpg 最初はきっと、どこに連れて行かれるんだろう?なんて不安もあったんだろうけど、オバちゃんの顔を見てほっとした様子。さらにこののどかな田園風景に感動しているかのようでもある。


b0090333_17594819.jpg その昔、私が留守中の犬の世話人を探していたとき、最初の候補になったのはニンおばちゃんの夫の方だった。この村では彼の動物好きは有名で、自分ちで飼ってた犬が死んだときには父ちゃんが泣いていたって話もある。日本でならそんな話もフツーだけど、インドネシアにあって動物の死に対して人が泣くってのは非常に珍しい。そんな人にならうちの犬を預けられる、そう思ったのが彼らとのつきあいの始まり。


b0090333_182844.jpg 長男のアンドリ。彼はとっても器用な子で、我が家の庭の植木剪定や、私がつくってるTシャツのプリント(シルク印刷)も手伝ってくれる。動物好き夫婦の息子で、こっちも犬大好き。
 私の守り神だったティルムが死んだとき、墓穴を掘ってくれたのも彼。だからモジャも安心してすぐに近づいてリラックスしている。


b0090333_1834617.jpg 彼らの家の真正面には、ジョグジャ在住の日本人女性の別荘がある。ここで飼われているメス犬はこの村のボス。この子とうまくやってくれればきっとこの村でもうまくやっていける。
 最初はお互いにチェックのし合いだったけど、私が帰る頃にはすっかり打ち解けていてホッとした。

b0090333_186239.jpg 私がふいに消えたら、モジャは不安になっちゃうのだろうか、とコッソリ隠れてみた。しばらくしてゆっくりおばちゃんの家に戻ってみた。
「どうだった?モジャ、びびってた?」
「いーや、このとおり」
見ればモジャは父ちゃんとオバちゃんの足の間に入ってけっこうのんびりしている。
 里親さんにここまで委ねているってことはいいことでもあるんだけど、じゃー私はなんだったの?と思うとちと淋しい。まーそんなもんだ。旅立つ息子は、親の淋しさは理解できないのだろう。離れて淋しいと思うのは親だけなのかもしれない。


b0090333_18105869.jpg いつまでもいたいけれど、いつかは別れがくる。空が暗くなってからでは、淋しさが募る。もうそろそろこの場を去らねば・・・。最後にニンオバちゃん一家と記念撮影。みんなが動物大好きなんだから、モジャには一番いい場所だ。考えてみればモジャも10年、ってことは人間ならば還暦くらいか。余生をこんな自然に囲まれた中で過ごせるんだから、幸せに違いない。そう思ってMさんの車に乗り込んだ。
 早速ニンおばちゃんがモジャを連れて
「気をつけてね、モジャのことは心配いらないからね・・・」
と見送ってくれる。泣き顔を見せたくなくてサングラスをかけて手を振った。

 その後、ニンおばちゃんの家に寄った知人からメールをもらった。最初の2日はそわそわしていたものの、今では父ちゃんの畑仕事にもついていき、快適なカントリーライフを送っていると聞いた。我が家では裏庭の狭い世界で、兄貴分であるティルムしか犬友達はいなかった。今ではずっと広いエリアを自由に動き回っているモジャ。一時は日本まで連れてくるのが飼い主の義務と、入国手続きについても調べたけれど、ニンおばちゃんちを選択したのは間違いじゃなかったと思う。今はただ、彼の健康と幸せを祈る。
by midoriart | 2010-03-04 23:48 | Yogyakarta
b0090333_19494929.jpg ほぼ10年住み慣れたジョグジャの我が家。ジョグジャ王宮クラトンから徒歩5分の場所。住み始めた頃はまだまだ車の通りも少なくて、いかにも王宮エリア、城壁内の情緒ある空気が漂ってたもんだ。
 最近ではこの通りもジョグジャ名物「グドゥック通り」とか、「食のストリート」みたいに扱われ、週末ともなれば都会からやってきたローカルツーリストで賑わっちゃうようになっている。その騒々しさがここ数年、私を悩ませてきたのは確か。まーそれがジョグジャ撤退の理由ではないけれど。
 住み慣れた家をこうして道の反対側から眺めることなんてめったになかったけど、今日嫁ぐ(?)愛車スターレットを合わせて見ると、なかなかの感慨・・・。


b0090333_19534176.jpg 1986年製、黒のスターレット。まだまだ現役。私の走りはよほど派手で荒いらしく、友達に会うとよく
「ミドリ、この前XXXを走ってただろう???あっという間に走り抜けていったけどな・・・」
と言われたものだ。
 だってジョグジャの運転マナーってものが、あってないようなもので、ここで交通ルールを守って走ってたら、おそらく一生家に着かないと思ったときから、私はジョグジャの運転「私がルール」的に走ってきたのだ。かわいいハンドルはもちろんパワステなんかじゃない。切り替えしてるうちに汗ダクになる。でも今となってはこれで運転してるな~って実感となる。


b0090333_1956419.jpg まだまだ頑張って純正パーツで直してきたエンジンルーム。故障すればJAFを呼び、給油のついでにスタンドの兄ちゃんに空気圧を見てもらえる日本とは大違いのインドネシア。何事も自分でやらなくちゃいけない。24歳のスターレットを道連れに、私はいつも自分でここを開け、故障を直してきた。
「ミドリ、日本に帰ったらベンケル(修理工)としても生計立てられるな~」
と馴染みの修理屋に言われたくらい、自分でやってきた。
 別れる前に、スターレットの心臓部を開け、このルームにも別れを告げる。年期の入った黒さがカッコいい。


b0090333_200352.jpg 午後3時、私のスターレットの新しいオーナーが車を取りにやってきた。考えてみたら一度も愛車と写真を撮ったことがなかった。彼に頼んで記念の一枚。


b0090333_2005511.jpg 新たなオーナーは私が8年間つきあってきた印刷屋のマネージャー。私が印刷屋に行く度に、スターレットが気になって仕方ない様子だった。ここまで好きな人になら、乗ってもらえる車も嬉しいだろう。私も知ってる人が今後もコイツに乗ってると思うとなんとなく安心感がある。
 雨の日も、風の日も、本当によく動いてくれたわ、このスターレット。タイヤがパンクしてるのに、ジョグジャの道が悪いんだと数日気づかないで走ったこともあった。ラジエーターの水がこんなに早くなくなるなんて知らず、水なし状態で長時間走り続け、オーバーヒートからラジエーターに穴あかせたこともあった。それでもちゃんっと私の仕事に合わせて動いてくれた。日本だったらおそらく廃車となる運命だったろうけど、コイツはまだまだジョグジャの若者にファンがいる。もう一頑張りだ~!

 こうしてスターレットは嫁いでいった。後は10歳になる犬のモジャの婿入りを残すだけとなった。ジョグジャにいられるのもあと3日。
by midoriart | 2010-03-02 19:49 | Yogyakarta

b0090333_17463677.jpg インドネシアを去る前の、最後の週末がやってきた。次の週末にはもう私は日本にいる。10年来のインドネシアでの友、ジャカルタ在住の役者のSさんと、ジョグジャで学生をして今はジャカルタ在住のF君が、最後のお別れにと、わざわざジョグジャに来てくれた。
 うちに泊めたくてもすでに家具のほとんどがなくなっているので、二人は近くのホテルにチェックイン。そして我が家に遊びに来てくれた。


b0090333_17485117.jpg もうすぐ新しい飼い主へ婿入りするモジャは、最近人馴れのため、毎朝夕に道行く人を見る練習をしている。朝の練習時、ちょうどSさんとF君がベチャに乗ってやってきたので、私が彼らを撮影、そしてベチャに乗ってるF君が私とモジャを撮影。この2枚は同時に互いを撮ったもの。


b0090333_1752141.jpg 生まれたときからずっと私の家で育ったモジャは今年で10歳。年のわりには人生経験が少なく、まだまだ知らないことが多い。今度の親はジョグジャの田舎に暮らしているから、環境はいいにしても、知らない人をたくさん見ることになる。かなり臆病者のモジャの行く末が心配だったけれど、最近は毎朝夕の外出タイムが楽しみになってきてる様子のモジャ。これなら私から離れても大丈夫かな・・・。


b0090333_1754671.jpg 昔ジョグジャに住んでいたF君をまず「SAMURAI RAMEN」へ連れて行く。これはジョグジャ在住の日本人Mさんが最近始めたラーメン屋さん。日本人が少ないためにまともな日本料理屋は一軒もないジョグジャにあって、Mさんのラーメン、丼メニューは日本人にとってはかなりありがたい。
 Mさんとも親しいF君は、試食して意見を求められたため、しっかり試食で楽しむ。私は新メニューのブルーベリージュースを満喫。


b0090333_17555992.jpg ちょうどいいタイミングでF君が来たこともあり、ジョグジャに長い日本人の皆様が、私のお別れ会を開いてくださった。もともとそんなにたくさんの日本人とは付き合いがないのだけれど、今回は一番お世話になったおじ様・おば様方が主催してくださり、さらに古い友のSさん・F君も参加できて楽しいひとときだった。


b0090333_17573193.jpg 翌日は私の大のお気に入りフットマッサージを三人で楽しみ、夜は最近情報を得たばかりのピザ屋を試すことにした。なんでもベルギーの人が窯焼きの本格的なピザを作ってるって話。確かにジョグジャにあってこのレベルのピザが食べられるのは嬉しいことだ。
 どこから沸いたのかというくらいに白人の皆さんが多くて驚いた。みんな知ってるもんだなー・・・


b0090333_17594493.jpg そして締めにはカラオケ。もともとジョグジャでカラオケに行ったことは1度、それも昔作っていたジョグジャの情報誌の取材で行っただけ。なんといってもジャカルタのように日本と同じレベルのカラオケ屋などなく、日本の歌の一番新しいので5~8年前の歌謡曲レベル。
 でも今日は逆にインドネシアの歌の歌い収め・・・と、私は日本の曲はいっさい歌わずに、インドネシアで贔屓のバンドGIGIの歌を歌いつくした。

 最後の週末、インドネシアで一番古い友Sさんと共に過ごせたのは嬉しかった。特に年齢が近く、やってることも似てる(私は美術、彼は演劇)こともあり、インドネシアで体験した互いの辛さも語り明かし、分かり合えることができた。Sさんはこれからもずっとインドネシアで役者として頑張っていくので、使わなくなった机や鏡など、すべてジャカルタへ持ってってもらうことにした。時々私のことも思い出してもらえるだろう。
 あっという間の週末、SさんとF君が帰るときに、初めて泣けそうになった。別れがもう迫ってきてるんだなーと実感した。まだまだこれからスターレットとの別れ、モジャとの別れがやってくる。少しずつ、ジョグジャを去る日が近づいている。
by midoriart | 2010-02-27 23:45 | Yogyakarta
b0090333_1234575.jpg ジョグジャ撤退を前に、我が家周辺は1年に一度の騒々しいシーズンに入っている。このエリアはジョグジャ王宮の城壁内で、本来は外国人が住めないエリア。なのになぜか大家さんからOKをもらい、ここに約9年暮らした。
 毎年1度、ジョグジャ王宮北の広場(アルンアルン)で行われる、イドゥル・アドハ(犠牲祭)を祝う伝統行事「グルブッグ・ブサール」。ジョグジャ観光局の仕事をしてたので、こういうものがあることは知ってたけれど、一度も行ったことがなかった。完全撤退を前に、今このタイミングであるってことは、最後くらいは見ておけということか。
 さらに友達が招待状をもらったからと誘ってくれた。おまけに今年は8年に一度のでかいものだという。


b0090333_12393771.jpg 今までなぜ私がこれにそんなに興味がなかったかというと、写真と話で知っていて、あんな人ごみの中に入り込むのがどうもためらわれたからだ。でも今回は招待状があって、王宮の中で行事を見ることができる。外野の恐ろしい人だかりとは別のエリアで。


b0090333_1241967.jpg だからこんなふうに、撮影もそれなりにきれいにできたわけで。これがもし、王宮の外の広場だったら、とてもとてもまともに見てることなんでできなかっただろう。
 後で聞いたところ、広場の方では失神して倒れてた人もいたらしい。感動からか、混雑でか、または日射病か知らないが、本当にこの犠牲祭はかなり気合入れて見ないといけないものなのだ。


b0090333_12433120.jpg この米や野菜で積み上げたグヌンガン(山状の供え物)がジョグジャ市民のお目当てなのだ。王宮から出発してこのグヌンガンを広場西にあるイスラム寺院「グデ・カウマン・モスク」まで運ぶ。そしてモスク前で祈りを捧げた後、グヌンガンの供え物を市民に振るまうのだ。
 スルタンの加護と一年間の幸運を呼ぶと信じられているグヌンガンだから、みんなが少しでもその御下がりをもらおうと、砂糖の山に群れるアリ状態になるのだ。日本でも威勢のいい祭があるけど、そんな感じ。とにかく老若男女がグヌンガンにたかり、その飾り物を奪い合うのだ。皆さんご苦労様です。


b0090333_12454719.jpgb0090333_1246688.jpgb0090333_12462386.jpgb0090333_12463912.jpg

 このグヌンガンの行列を護るのが王宮衛兵。彼らへの報酬はすずめの涙ほどなのに、いまでもみな、王様の護衛というこの任務に誇りをもっているらしい。このくそ暑い中、この形相で炎天下にずっといられるというのは、相当な精神力。それともジョグジャ王スルタンの神通力でも備わっているのか。

 とまれ、正直あまりジョグジャの伝統文化に興味のなかった私が、今日の儀礼には感動した。オランダ植民地350年の歴史と影響が垣間見える近衛兵の制服、鼓笛隊の奏でるメロディ、なんともジョグジャらしい。生きてる王様、そのご加護を信じる市民。ジョグジャのいいところってのは、まさにここなのかもしれない。
 去る寸前に、住んでいた土地のいい面を見ることができて、満足な1日になった。
by midoriart | 2010-02-26 17:33 | Yogyakarta
 ジョグジャの荷物も随分と整理できてきた。日本へ送り返すものはダンボール7箱と大きなキャンバス類。バリの家(木彫りの師匠宅に作った一部屋)にはジョグジャで使っていたソファベッドやプラたんすなどを送る。バリへ送るのも島が違うと送料は結構かかっちゃうので、バリの兄貴に頼んでジョグジャまで車を出してもらうことにした。19時間かけてマデ兄貴とその息子フォギが我が家に着いたのは6日の午前5時。


b0090333_12443025.jpg マデ兄貴は私がバリからジョグジャに引っ越した2000年にもトラックでジョグジャまで送ってくれた。そのときは私もトラックに便乗、さらに犬のティルムまで乗っていたっけ。数回ジョグジャに来てるし、ぶっ通しの運転で疲れた兄貴を家に残し、中学生のフォギを連れて近所に散歩に出た。
 このジョグジャとは思えない洋風な建物、これが私んちのすぐそばにある。もと教会だったらしい。でも今は誰も使っていない。昔から気になっていたのに、徒歩でしか入っていけない場所にあったため、10年間近くまで行けなかった場所に、その場を去るギリギリになってようやく行くことができた。


b0090333_12461851.jpg この教会の詳しいことは知らないが、こういうのを見ると、さすが350年間もオランダ植民地だった土地だな~とつくづく思う。周辺の家もどこか洋風なつくりが多かった。
 フォギと路地を歩いていたら、地元の暇そうなオッサンが近づいてきて、
「どうだね?土地ごと買わんかね?」
なんて言ってきた。こんな素晴らしい建物、なんでジョグジャは市の史跡とかにして保存しないんだろう、もったいない・・・。


b0090333_12482174.jpg 私んちは王宮のすぐそば。ちょうど今はスカテンの前で北のアルンアルン広場に遊園地が出ている。フォギーを連れて一周。考えてみれば私がバリに来て、マデ兄貴の家で木彫りの弟子になった頃には、まだこのフォギーは生まれていなかった。私の方がこの子よりもインドネシアで長いんだなー・・・。
 いったん家に戻り、仮眠をとってたマデ兄貴を起こし、私の大好きなパダン料理屋へ。最近はどこへ行くにも
「あー・・・これでこの人と会うのは最後かもなーーー・・・」
と、去る者特有の感傷に浸ってしまう。このパダン料理屋の兄ちゃんとも、ほぼ10年の付き合いだもんなー。私の好みを知ってて、いつもココナツソースをたっぷりとかけてくれた。兄ちゃん、どうもありがとう・・・


b0090333_12522280.jpg 荷物を出して、ガランとしたスタジオにて。左からマデ兄貴、私とモジャ、そしてフォギー。私がお一人様の身で、20年近くインドネシアで暮らしていられたのは、このマデ兄貴のファミリーのおかげに他ならない。日本人と見れば金づると思い、なんとか美味しい汁を・・・と思う土地の人も多い中、私には困ったときにはジョグジャまで来てくれるこの家族がいる。本当にありがたい。


b0090333_12544722.jpg わずかな時間ではあったけど、引っ越しの忙しい時期、ちょっとセンチメンタルになってる時期に、兄貴と息子が来てくれたのは嬉しかった。そしてもう一つ、彼らにお願いしたい大事なことがあった。それは去年3月に逝ったティルムの儀礼。ティルムは私がジョグジャに引っ越すときに一緒にバリからついてきてくれた私の大事な大事な守り神だった。それを借家であるジョグジャの家の庭に埋めたまま置き去りにはできない。バリ・ヒンドゥー教のやり方で、ティルムの霊をここから出してやることにした。
 三人でティルムの墓に集まり、
「ティルム、ティルム、さぁ一緒に帰ろう、帰るよ、帰るよ」
と呼び、墓の土をボトルに詰めた。
 兄貴がバリへ帰るのに託すこともできるけど、私がどのみち9日からバリへ行くので、ティルムの霊の詰まったボトルは今はまだジョグジャの我が家にこうして置いてある。9日に私が一緒にバリへ連れて戻ることにした。


 運び出した荷物のせいで、部屋は急にガランと広くなった。そこに雨がしとしと降ったりすると、なんだか突然寂しい気分。去ると思うと、今までいやだったことまでが懐かしくいとおしく思えるから人間って勝手なもんだ。新しいことの始まりには、かならずその前の別れがあるのだから仕方ないのに。
by midoriart | 2010-02-06 12:39 | Yogyakarta
b0090333_12115880.jpg 1月中旬にジョグジャに戻ってから、実は突然の大掃除が始まっている。
 今暮らしているのはジョグジャ王宮の近く、本来外国人が住めないエリアなのだけれど、大家さんが私をたいそう気に入ってくれたことと、私のジョグジャでのIDが(単にビザ取得のためだけだが)、ジョグジャの王様を頭としたジョグジャカルタ市観光局のアドバイザーなので、なんとなくOKになっている。
(山のように出たゴミ)


 本当は2年以上前から、ジョグジャ撤退を思っていた。いざ帰ろうと思うとジャワ地震が起こって救援活動で忙しくなったり、ようやくそれが終わって帰ろうと思ったら、日本から大型美術展が来るからと、むちゃくちゃやりがいのある現地コーディネーターの仕事が入ったりと、なんだかジョグジャに足を引っ張られてる感じの数年だった。
 

b0090333_12143064.jpg ジョグジャ撤退といっても、インドネシアからまるまる縁を切るのではない。私にはバリに心許せる家族がいる。ジョグジャの家は単なる借家だから、私が留守のときには人を頼んで家の面倒を見てもらわなくちゃいけないけれど、バリの家族の敷地内に作った部屋だったら、常に人が見ていてくれる。
 ジョグジャ撤退を念頭に入れ、インドネシアの新たな拠点としてこの部屋を完成させたのが昨年6月。


b0090333_12164610.jpg ジョグジャを撤退しても、最小限の荷物はバリへ移す。日本での時間が多くなるにしろ、20年近く暮らしたインドネシアとの関わりがプッツリ切れることはない。今後の住所は実家のある名古屋とバリになる。
 こうしてようやく足かせのなくなった今年、1月後半の2週間でまずスタジオを整理した。何かに使える・・・と思ってとってあった竹、木、金属、ガラスにアクリル、すべてを処分。一つずつ見て思い出に浸っていたら時間がなくなるから、とにかく捨てた。


b0090333_12182292.jpg バリ時代から数えて通算18年、その間にためた荷物だから相当な量がある。家具、家電、工具に素材、家が広いから余計になんでもためこめちゃうのがいけない。
 過去にちょっとお金が入ると記念に買ったアンティーク家具も、日本へもってったって置く場所がない。気に入ってくれる日本人の友達に買ってもらうことにした。こうして少しずつ大物が出ていくと、本当にこの家は広かったんだなーーーと実感。


b0090333_1220355.jpg スタジオの隣りにあるデスクワーク部屋。ここには画集、カタログなどの書籍が山ほどあった。これも処分。でも本ってなんかバチ当たりそうで捨てられないんだな・・・。運良くジョグジャには日本人の知人が経営する宿がある。ここに寄贈。美術書はバンドン工科大学美術学部で教鞭をとっている古い友ササンへ寄贈。

 こうしてようやく落ち着いた。来週にはバリの兄貴がでっかい車をレンタルしてジョグジャに来てくれる。バリへ持ち帰るものは兄貴にもってってもらうのが楽だし。ついでに別の荷造りも手伝わせようという魂胆。さらに、ここで暮らした9年に、バリ時代からかわいがってた犬ティルムが逝った。彼は裏庭に今も眠っている。ジョグジャ撤退にあたり、一番の気がかりだったのがティルム。せめて魂はバリへ一緒に連れて帰ってやりたい。兄貴が来たら、小さな儀礼をして彼の魂をバリへ帰してもやれる。そこまでが終われば、引っ越しの作業も、残りわずかになるだろう。
by midoriart | 2010-01-25 12:08 | Yogyakarta
 1月11日、名古屋からバリへ。毎回使ってるインドネシアの国営エアーGARUDAでは、ちゃんとマイルをためているのだけれど、なっかなかタダでインドネシアの往復券GETまで届かない。今回はGARUDA名古屋スタッフのHさんから、ビジネスクラスへのアップグレードを奨められたので、レージを使ってビジネスを試すことにした。


b0090333_21313420.jpg ムチャ広い~~!! こんなのを知ってしまうと、今まで乗ってた空間はなんだったんだ。老体にはこのファシリティ、たまらんなぁ。


b0090333_21323163.jpg シートだけのために、こんなにもコントロールボタンがある。まるでマッサージ機。足は座面と同じまで高くなるし、寝るMODEにしたらほぼ完璧なベッド状態。さらに本気で背中をグルグルやってくれるマッサージ機能がついていた!インドネシアを舐めちゃいけなかった。こいつは凄い(しかし・・・今気づいたけれど、私が単にまったくビジネスクラスを知らないから、これに感動してるだけなのか???)。


b0090333_21343843.jpg 自分専用の液晶タッチパネルがあって、映画も選べるしゲームもできる。
 今回、ビジネスにアップグレードするにあたり、GARUDA名古屋のHさんに、
「たまのことなので、ワインでも飲みながら、映画楽しんでいきます!」
なんて言ったからか、ちゃんと乗務員さんが
「ミス・ミドリ、ワインいかがですか?それともビール?」
と聞いてくれるのだけれど、実は出発前の晩、家で呑み過ぎたために今日はまったく酒を受け付けず。無念・・・。


b0090333_21371258.jpg こんな快適なシートなら、10時間以上のフライトでも全然気にならないだろうなー。7時間のフライトで2本の映画も見て、満足満足。
 今回はバリで3泊。いつもどおりUBUDの家族のもとへ。嬉しいことに、私のバリの娘(木彫りの師匠の娘)がUBUDのホテルに勤め始めていて、そこのSPAを安く予約してくれた。なんだか子供の初任給でプレゼントもらった母の気分。日本での疲れをとるため、2時間コースのマッサージ&垢すり&薬草バスを試す。この写真は娘の勤務先、HOTEL SAHADEWAのプールサイド。


b0090333_214081.jpg 気温差26度のバリから、ジョグジャへ。昨年10月から留守にしていた我が家は、絶対に「どえらい」ことになっている。覚悟して家に戻ったら、思ったとおり、まず自分の部屋の電球が切れてて真っ暗だった。着いたのが夜だったので、何も状況わからないまま寝て、翌朝(今朝)見た庭は予想通りのジャングル。


b0090333_21415370.jpg さらに、バッテリーをはずして3ヶ月ガレージに放置しておいたスターレットは、自分でバッテリーをつなぎなおしてもウンともスンともいわず。結局いつもの修理屋さんに来てもらった。
 いつも1週間くらいの旅だったら、バッテリーさえはずしておけば問題ないのに、やはりインドネシアでの3ヶ月ってのは長いんだなーといまさら痛感。4時間もかかってようやく直った~。けど恐ろしい汚れ。中は恐ろしいカビ。ホラーな1日となった。
 まーしばらく空けてて始まるジョグジャの暮らしってのはいつもこう。今回水が止まったり、電気系統が故障してなかっただけましなくらいだ。

 まー年末いなくて年越しの大掃除してなかったわけだし、今日から2~3日は住み慣れたこの家の掃除に時間かけてもいっか・・・。こうしてまたジョグジャの暮らしが始まる。
by midoriart | 2010-01-15 21:47 | Yogyakarta
 インドネシア近代絵画の父と呼ばれるアファンディの娘さんで、同じく絵描きのカルティカ・アファンディがジョグジャ北部のムラピ火山麓に個人のミュージアムを建設したことは以前お話した(8月24日付『カルティカ・アファンディ・ミュージアム』参照)
 いくつか立ち並ぶ伝統建築の一棟は、彼女が選んだ女性アーティストの作品コレクション展示室。光栄なことに、私の作品のひとつもここにコレクションされることになったのだけれど、なんせ唯一のインスタレーション作品なため、他の作品の設置状況を見ないことにはなかなか最終的なセッティングができない。

 8月24日に行ったときにはまだまったく様子がわからなかったので、小物の設置はせずに、建設途中のだだっ広いミュージアムを見学して回り、久しぶりに会ったマミー(カルティカさんは「私はミドリのジョグジャの母なんだから」と、自分のことを「マミー」と呼ばせる)に近況を話すにとどまった。

 そして今日。一時帰国を前に、いい加減にちゃんと作品を設置してしまわないと、あとあと日本に戻ってから気持ちが悪い。なんとか時間を作って我が家から車で40分飛ばしてカルティカミュージアムを訪ねた。


b0090333_222355.jpg これが女性アーティストのコレクション棟。聞いたところでは6名ほどの女性アーティストの作品が展示されるらしい。立体作品は私だけ。


b0090333_2234121.jpg 今日の日曜日はカルティカさんの所属するジョグジャのアーティストの妻グループの月例会だったためミュージアムには正装したオバチャマが山といた。私はそんな人々の間をすり抜け、展示棟へ一人向かう。
 さすがはマミー、お手伝いさんがこんな洒落たスナックをもってきてくれた。


b0090333_2253024.jpg 実はまだ今日の段階でも全体にどんな平面作品がこの棟に展示されるのか、わからないままだった。でもやむをえない。私は自分の作品を完成させてしまうしかない。
 ある程度の位置の変更などはあるとしても、小物がどうセットされるかはちゃんとわかるようにしないと、後でディスプレイ担当者が困るので、とにかくも全部をセッティング。しかし、この棟の様子を見てると、私のこの作品はメンテナンスがかなり大変だろうなぁ・・・。



b0090333_2273445.jpg 棟の真正面、とってもいい場所いただいてます。マミー、ありがとう~♪


b0090333_2281793.jpg 外ではまだオバチャマたちが月例会の食事中。この前はまだ作品がほとんど入ってなくて、伝統建築の建設中だったのだけれど、かなり準備も進んでいて、入り口に一番近い棟は、カルティカさんの70年代の白黒作品のシリーズが展示されていた。
 この白黒のお爺ちゃんシリーズ、年寄り好きな私にはぐっとくる一点。


 帰りの挨拶に行くと、私もオバチャマの中に入って一緒に食事をすすめられた。食べなきゃ帰さないといわれ、美味しい美味しいランチをいただく。後のことはメールでやりとりしましょうねってことで、今日はお別れ。


b0090333_2210379.jpg 私の愛車、86年製のスターレット。3ヶ月以上洗ってなかったので、帰り道で洗車。そうだった、私のスターレットは黒かったんだな・・・。


 帰国前に一つずっと気になっていた仕事が片付いてホッと一息。
 後はもう一つ、帰国中に始まるジョグジャの大きな展覧会に出品する1点を完成させねば・・・。還暦の永ちゃんじゃないけど「時間よ止まれ」な気分だなぁ。
by midoriart | 2009-10-11 22:14 | Yogyakarta