Culture & Art Report from INDONESIA


by midoriart

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 あと2日で『インドネシア復興100年記念展』が終了する。会場はジョグジャカルタ、王宮北のコーナーにあるジョグジャ・ギャラリー。基本的に私は空間を使ってモノをいろいろに配置するような作品を作っているので、展示はもちろんのこと基本的には撤去も自分ですることにしている。でも今回に限っては帰国の予定がすでに決まっていたため、どうしても撤去までインドネシアにいることができず、人任せの撤去になってしまう。作品梱包の状態やら、迷惑をかけてしまうギャラリーの関係者のことを思うとかなり心苦しいけれどやむをえない。


b0090333_13395848.jpg ジョグジャでもまだ新しいこのジョグジャ・ギャラリーはインドネシアではおそらく唯一、入場料をとる。もちろん国立の博物館とかは昔から入場料がわずかにあったけれど、美術を扱ってる公共施設ではいまだに入場料はないのが一般的。「美術なんて金払って見るもんじゃない」ってことか。
 そうした一般観客の考え方を変革するためにも、またこうした施設が入場料などから運営費を賄っていけるようにと、ジョグジャ・ギャラリーがチケット制を試して1年半くらいか。もちろんそれだけじゃやってけないので、裏にはたくさんの支援があると聞いている。ともかく、それなりの設備をもって運営しているジョグジャでも数少ないギャラリー(規模としてはけっこうデカい)のひとつといえる。
(『インドネシア復興100年記念展』の会場より)


b0090333_13405750.jpg 作品の性格上、他の作品と一緒に並べるのが難しかったこともあり、私はギャラリー1階にあるオーディオビジュアル室をマルっと一部屋もらうことができた。床も天井も壁も真っ黒という空間はなかなか個性的。今回の作品『交換プロジェクト:アジアの記憶(ブリタル編)』は、1945年に東ジャワ、ブリタルで起きたPETA(祖国防衛義勇軍)の日本軍への反乱に関わるもの。この事件後、日本軍は連合軍に破れ、インドネシアは独立に向けて勇気ある闘争の末にインドネシア共和国を築いた。そのもとになった人々、今はお爺ちゃんになっている人たちはつまり、インドネシアの英雄たちなのだ。


b0090333_13411853.jpg 私はいやいや兵隊にとられて戦争を体験したわが祖父と、このお爺ちゃんたちをダブらせ、また日本という国の歴史と当時のアジア諸国を重ねて見て、いろんなことを思うわけだ。そこから生まれたのが「交換プロジェクト」で、私の小さなヒト型の作品を、わが祖父と同じ時代に生きてきたアジアのお爺ちゃんたちに渡して、彼らの私物と交換してもらうというもの。
 

 展示室は独特な空間だったので、昨年愛知県美術館で展示したときとはまったく違った展示をすることができた。同じ作品でも、空間が違うとまったく違った見せ方ができるからおもしろい。真っ黒で天井の低い部屋の奥の壁に直接ドキュメントビデオを射影。


b0090333_1341377.jpg ブリタルで30人のお爺ちゃんと交換したヒトもガラスケースに入れて展示(今後もこのプロジェクトで別の地域のお爺ちゃんたちと交換するため、このヒトはまだまだジョグジャのスタジオにたくさん残っている)。


b0090333_13415047.jpg 今回の一時帰国にあわせ、樹脂でできたヒトを数十体連れてきた。これは日本で戦争を体験したお年寄りたちと交換するため。交換プロジェクトを始めたのは2年前のフィリピンで、今までに交換したのはフィリピンのマニラ、キブガン、そしてインドネシアのブリタルで、日本ではまだ交換してもらったことがない。日本という場所がら、そして私自身が日本人となると、どうも今までアジアの国でやってきたように、フレンドリーに楽しく交換してもらうことができるのかと少々不安ではあるのだけれど、地域を決めずに「日本人の、第2次世界大戦を記憶している、私の作品と交換するもののある人」を探して交換してもらおうと思っている。そうしていると今年の終戦記念日はすぐにやってくるかも・・・

(一部写真はMES56というジョグジャの写真家集団に所属のKawul君に撮影してもらった。Kawul、ありがと~)
by midoriart | 2008-06-10 13:42 | Art
 ちょっと話が前後するが、4月18日からインドネシア3都市、ジョグジャでは5会場を使って開催された国際交流基金主催の大型展覧会『KITA!!:Japanese Artists Meet Indonesia』が5月18日で終了した。
 撤去のためにジョグジャを再訪したのは、とんでもない量の小物を集めて展示したSONTONの一人、川西君のみ。後は国際交流基金ジャカルタのスタッフと、私が集めた4名のアシスタント、そしてそれを先導する日本の美術輸送屋さんスペシャリスト2名。


b0090333_22532156.jpg 淺井裕介君の作品は、展示室の壁に直接貼ったマスキングテープの上に黒のサインペンでドローイングをしたもの。このマスキングテープは剥がした後でも作品となる。以前の作品で使ったマスキングをまとめて玉にしたもの(彼は「種」と呼ぶ)に、今回の作品で使ったマスキングテープも貼り付けていくから、種はどんどん大きくなる。
 最初はマスキング剥がしをしてた私も、川西君が一生懸命まるめている種が気になり、途中は役目交代で種を大きくする方も手伝った。
(写真は玉を丸める川西君と基金ジャカルタ事務所のHさん)


b0090333_22533259.jpg マスキングはキレイに剥がすとこんなふうにドローイングそのままが剥がれてくる。写真は壁から剥がした淺井君の鳥のドローイングと種。


b0090333_22534429.jpg 美術輸送のスペシャリストはK1選手かと思うような体格の2人。あっという間にSONTONの細々とした作品パーツが箱に詰められていくからお見事。私はちょうどこの時期に、自分が参加するグループ展の搬入に重なったため、すべてを見ることができなかったのが残念。


b0090333_22535643.jpg 日本在住のヨーロッパ人2人組、生意気の展示室では、窓に直接ドローイングされていたので、それを雑巾ではがす皆さん。基金スタッフから、なんと東京本部から来ている本展のディレクターFさんまでが窓磨き。お疲れ様です~


b0090333_2254882.jpg そして日本へ戻る作品は、コンテナに一つずつ詰め込まれていった。今回の展覧会でメイン会場となったJNM(Jogja Nasional Museum)へ寄贈されることに決まった作品は、
1)淀川テクニックの、ジョグジャのゴミから作ったアロアナと、ドキュメントビデオ
2)生意気の食べられるジャングル(JNM裏に作った201種の植木のガーデン)
3)西尾さんの魚の剥製


b0090333_2254225.jpg そしてそして、淺井君のマスキングのきれいに剥がれた鳥一羽は、作家のOKをもらった後、我が家にやってきた!これ、私の仕事部屋。たくさんある植木たちも、実は今回の展覧会で南風食堂が展示した作品の一部。命あるものなので、すべてそっくりそのまま私がお預かりして大事に育てることになった。淺井君の鳥は、その植木たちの上をゆる~りと飛んでいる。


 準備期間を入れたら2ヵ月半ほど関わってきた『KITA!!』展も本当に本当にこれで終わった。でも、この展覧会のおかげで日本で活躍しているアーティストとたくさん知り合えたことは、なによりも収穫。大型展覧会の裏側を知ることができたのも、今後の自分にとってかなりいい勉強になったと思う
by midoriart | 2008-05-22 22:51 | Art
今年はインドネシア復興100周年。これにちなんでいろいろな行事が開かれる中、ジョグジャカルタ特別州立ジョグジャ・ギャラリーでは『復興100年記念展:SETELAH 20 MEI』が20日から始まった。復興をテーマに作品募集があり、応募作品520作から4名のキュレーターチームにより1次と2次の審査を通過し、会場で展示された作品は67作品だった。


b0090333_1956758.jpg インドネシアの復興100年をテーマに、なぜ日本人の私の作品が入ったかというと、そこは話が少し昔に戻るので昨年愛知県立美術館で開催された私の個展、『交換プロジェクト’07~アジアの記憶~』記事を参照されたし。

b0090333_1956387.jpg 無事に審査を通過して、ようやくインドネシアのお爺ちゃんと交換したプロジェクトを、インドネシアの若者に見せるチャンスを得た。日本で発表したときはフィリピンでのプロジェクトと一緒で、ドキュメントビデオもフィリピン編とインドネシア編2本あったため、インドネシアの交換ドキュメント・ビデオは8分と短かく編集した。けれど今回は日本語字幕をつける必要もなく、東ジャワのブリタルで行ったプロジェクト一つを集中してみせることができる。4本あった60分のミニDVテープをすべてチェックして自分で編集し直した。それでもあまり長くては飽きられるので13分。


そしてようやく20日の開会式となった。私の好きな昔の大統領グスドゥールが公式に展覧会を開けるというので、いつもならダラダラと会場に出向く私がちゃんと時間どおりにギャラリーに向かった。そして人だかりのしている舞台の方へむかうと、ちょうど今展のキュレーターが舞台で挨拶を始めたところだった。
「では今から、今展の優秀賞の発表をしていきたいと思います」
あ、そうか。今回は形としてはコンペだから順番つけたりもしているんだ・・・。
「優秀作品となった5点には、一番、二番という順序はありません。名前と作品タイトルを紹介します」
そういって舞台に呼ばれていく人には、ジャカルタの作家、ソロ、バンドンなどジョグジャじゃないアーティストもいた。意外にも広い範囲から応募があったんだな。この展覧会。。。
「そして今回、すべての展示を終えたところで、どうしても優秀賞を足したいというキュレーターの希望があり、新たに2作品の特別賞を作りました。ではまず一人、ビデオインスタレーションのMIDORI  HIROTA・・・」


b0090333_19571952.jpg まさかインドネシアの復興をテーマにした展覧会で日本人がこうしたものの候補になるとは真剣に想像していなかったので驚いた。ってか、展示を完了させてみないことには、私の作品がどうなるのか、よくわかってなかったんか?キュレーター???

b0090333_19574110.jpg  とまれ、先の5人に混じり表彰されることに。これが私の好きなグスドゥールからだったら、腕でも組んで記念撮影したいところだが、ハードスケジュールのお爺チャマはなんと不参加で、代理の知らない爺さんが来てた。だからこの写真の白髪は元大統領のグスドゥールじゃないで~す。

 インドネシアではこういう美術展の開会式によ~くキャンバスが登場する。日本ならテープカットになるところ、こっちじゃキャンバスに関係作家が絵を描くってのが一般的(最近ではいろいろ新しい開幕の仕方も出てきたけど)。そこで優秀賞5名、特別賞2名の7名が共同で一枚のキャンバスに絵を描くこととなった。

b0090333_19575555.jpg こんなとき、もし絵筆もったことのない彫刻家が選ばれてたらどうしたんだろう?私もここんところあまり筆もって制作したことはなかったけれど、久しぶりに簡単なドローイングをする。今回出品したインスタレーション作品にも使われているヒト型のオブジェと同じ「祈るヒト」を描いた。


 開会式はとんでもない人が集まり、会場は入場制限までした。私はここまでたくさんの人が来て、目の届かないところで交換した繊細な展示品が破損したり消えたりしないかビクビクだったけれど、とりあえず無事だった。インドネシアの若い世代が、戦時中日本軍に抵抗したインドネシアの青年将校たちの歴史と、生の声を真剣に聞いてくれてるのがとても嬉しかった。
by midoriart | 2008-05-20 19:53 | Art

12月9日◇ギュウとチュウ

  今、豊田市美術館でおもしろい展覧会をやっている。『篠原有司男と榎忠 ~ギュウとチュウ』展だ。私がチュウさんと出会ったのは2年前だったか、彼が大阪のキリンプラザで個展を開催中のことだった。短い一時帰国だったけれど、エノチュウさんの個展がどうしても見たくて、日帰りで大阪に行ったら、ラッキーなことにちょうど会場でチュウさんを見つけた。
 もちろん、それが彼との初対面だったのだが、なぜか私は勝手に初対面とは思えない親近感を覚えた。というのも、彼の作品をドキュメントした写真の中に、私が名古屋でお世話になった名古屋市美術館の元学芸課長、山脇氏の姿があったり、名古屋でお世話になっているアーティスト、久野利博氏が『セブン・アーティスト』展で彼と一緒だったこともあるからだ。
 突然話しかけた私の話もにこにこ聞いてくれたチュウさんは
「インドネシアでもガンバりぃ~やぁ~」
と握手してくれた。

 そんな出会いから、ず~~っと再会したこともなかった(って、私が日本にいないんだからチャンスもなかったわけだが)のだが、今回私が一時帰国し、個展を開催していたら、多忙なチュウさん、わざわざ愛知県美術館まで観に来てくれたのだった。2年ぶりの再会。
 また会えた感動よりも、こんなほんのちょっとのきっかけで知り合った私なんかのために、わざわざ会場へ足を運んでくれるという、チュウさんの人情に感動した(11月30日『霜月オムニバス』参照)。


b0090333_23124821.jpg で今日12月9日は、豊田市美術館で彼と篠原有司男氏のアーティストトークがあったので、朝から整理券を得るべく、気合入れて豊田へ出かけた。ギュウさんは美術雑誌でもお馴染みで、いつもパワフルな活動が多いのは知ってたけど、喋りもパワーがある。そして作品もかなり派手。関西風に言えば「コッテコテ」ってところか。二人のトークも対照的でおもしろかった。


b0090333_2312585.jpg 今回なによりも感動したのはチュウさんの新作。アーティストトークで説明があった新作『FALCON-C₂H₂』。ハヤブサを意味する「ファルコン」を使った祝砲パフォーマンスも先日この美術館で行われたらしい。過去の作品部品に、新しく彼が旋盤で作ったパーツを組み合わせた大きな武器のようなこの金属の塊には、チュウさんの美学がまるまる出てて身震いしそうな迫力だった。

b0090333_23131040.jpg 手前には「LSDF」の文字。これは「JSDF」、Japan Self-Defence Force(自衛隊)をモジったもので、Life Self-Defence Force、自分のことは自分で守れという意味を備えているという。チュウさんらしい知的なシャレが効いている。


b0090333_23132335.jpg もう一つの新作は『PATRONE-35』。パトローネとは、昔は誰でも使った35ミリのロールフィルムが入っている円筒形の筒。コダック、フジなど、最近はデジタルが台頭してきて、出る幕なしの物体。これが産業廃棄物処理工場で固められているのを見たときに、チュウさんはその美しさに感動したという。彼のセンスが加わり、展示室の暗闇にたたずんだこの「捨てられるモノ」の山は、確かに悲しい美しさがあった。


 いやぁーー。。。本当にチュウさんの仕事っていい。
 彼は旋盤工として、つい最近まで働いていた。仕事をしながら、コツコツと作品を作り発表してきた。そんな彼の姿勢も私は憧れる。基本、私は若者が好みで、自分より年上の男性にはほぼ興味がないのだけれど、チュウさんには惚れる。
 彼の作品を見終わると、最後のフロアに彼のポートレイトがあった。その中の1枚に、彼が黙々と作業している姿があった。これがまた渋くて感動・・・


b0090333_23135173.jpg 私もモノを作っていくという生き方を選んだ者として、彼のような姿勢から学びたいと思う。真面目に自分の表現を追及し、黙々と作業する職人的な榎忠。本当~~~にカッコいい。名古屋から1時間、駅から徒歩15分の道にはなんにもなく、冬の冷たい風が骨に染みるような1日だったけれど、豊田市美術館の『ギュウとチュウ』展のおかげで(個人的にはもっぱらチュウさんの作品のおかげで)、帰りは心がほんわりあったかかった。

 この前、私の個展会場に来てくれたときには渡せなかった、私がジョグジャで発行している日本語ガイドブックと、10年前に私が書いたバリの体験記を今日渡すことができた。長年勤め上げてやっと自由な時間がたくさんできたチュウさん、今度はぜひ、インドネシアへ遊びに来て欲しいもんだ。

※豊田市美術館がスゴイのは、会場でも撮影可能なこと。そのおかげでこんなにチュウさんの作品を紹介することができた。こんな太っ腹な美術館、なかなかないだろう。豊田、やるもんだ。
by midoriart | 2007-12-09 23:11 | Art
◇30年ぶりの母校

 今回の一時帰国のタイミングで、なぜかわが母校(中学校)からお呼びがかかった。なんでも今日びの中学校では総合教育なる時間があり、それぞれの学校でユニークな授業を行っているそうだが、わが母校(キリスト教の女子校)では夢多き中学3年生のために、いろんな世界で生きている人を講師として呼び、話を聞かせているらしい。
 正直言って、私はかなりヤンチャだった。校庭で立たされたことも、先生に呼び出されて長いスカート(当時の流行は今とは正反対で超長いスカートだった)を切らされたこともあった。なのになんで私が講師になるのか、まったくわからない。変な卒業生というのは、生徒にとってはそれなりに刺激になるんだろうか。


b0090333_1141576.jpg 打ち合わせのためというか、本当は半分お断りのために、30年ぶりの母校へ行った。いきなり職員室で、今回依頼くださった見ず知らずの先生に会うのが怖くて(ヤンチャなくせに臆病)、昔の担任だったS先生と下駄箱で待ち合わせした。S先生とは今でも一緒に呑む仲なので何も怖くない。

駐車場で車を降り、下駄箱を見たら泣けてきた。
 このとき私は気づいた。学校の思い出というのは、下駄箱に凝縮されているのだ。学校生活で一番短い時間しか関わらない場所だけど、朝ここで靴を換え、授業を終え、下校でまた履き替える。子供の頃、1日の始まりと終わりは、このいくつも並んだ箱から始まったのだ。


b0090333_11412074.jpg 母校は中学からそのまま高校もあり、道路を越えたら向こうが高校。結局12月の講演を引き受けることにし、午前中の授業を終えたS先生を誘って高校へも寄った。懐かしの学食、25年前は4限終了の鐘が鳴るか鳴らないかで、教室からここへダッシュしたもんだ。狙いは中華飯。


b0090333_11412946.jpg 食後、S先生が講演の会場へ案内してくれた。私がいた頃にはなかった新しい建物の中に、会議室なる部屋があり、今度は60人くらいの生徒相手にこの部屋でお話ししなくてはいけない。周囲に子供のいない環境なので、中学3年生の女の子たちってのは、私にとってかなり無縁な人々。いったいどんな話を45分したらいいのか、しばらく考えねば・・・


◇神戸からのお客様

 愛知県美術館での個展も順調に始まり、週末にはたくさんの人が見に来てくれる。
私のを一番に見に来るんじゃなくて、現在やってる『ロートレック展』(大阪と東京のサントリー美術館へも巡回)を見に来る人がたくさんいるのだ。私の個展会場は、この『ロートレック展』後半の、美術館所蔵展展示室の一つで開かれているので、ロートレックを鑑賞した人はそのままこの部屋まで誘導されるしくみになっている。
 25日、3連休最終日の朝、私に電話が入った。
「もしもし~神戸のエノキですけど、今日個展見に行こうかと思って・・・」
なんと!あの榎忠さんからの電話だったのだ。


b0090333_11414830.jpg 美術関係の方々なら知らない人はいない、アノ榎忠さん。そうか、彼は今は豊田市美術館で大きな展覧会『ギュウとチュウ(篠原有司男と榎忠)』を開催中だった(2007.10.2-12.24)。

さらに名古屋市美術館で個展開催中の河口龍夫も関西のアーティストで、忠さんとは親しい。ラッキーな時期に私の個展があったので、忠さんも名古屋まで足を運んだついでに、見に来てくださったのだろう。
 にしても、あの超ハードスケジュールな忠さんが、忘れずに私の個展に来てくださったとは大感動。電話をもらってすぐに美術館へ向かって彼をお出迎えした。

◇4年ぶりの友
 久しぶりに個展をしたおかげで、懐かしい人にも会える。
 私がインドネシア国費留学生としてジョグジャカルタの芸術院に1年通ったその次の年の留学生だったのが奈良出身のカナエさん。淡いパステル調のドローイングが魅力的な作品をつくる。彼女とはジョグジャで2年ほど一緒だった。

b0090333_1142014.jpg その後奈良で高校の先生になり、4年前にジョグジャで別れて以来、メールでのやりとりやこのブログ内でのコメントでコミュニケーションはあったものの、会ったことはなかった。わざわざ彼女は学校の休みを使い、奈良からバスで来てくれたのだった。
だからお互いに冬服着てるのを見るのは初めて。着込んだ彼女を見るのがとっても奇妙なように、彼女もきっと、私のモコモコ姿が可笑しく写ったんじゃなかろうか。


にしても、こういうのもたまに個展する醍醐味かも。
普段はなかなか会えない人とも、これをきっかけに再会できる。ましてや同じ世界の人だと、作品についてのコメントももらえるから勉強になる。忠さんやカナエさん以外にもたくさんの懐かしい人が観に来てくれた。皆さん、どうもありがとうございました!
個展はまだまだ来年1月14日まで続くので、興味のある方には是非観ていただきたいと思う。
by midoriart | 2007-11-29 23:36 | Art
 11月12日、『ロートレック展』の開会式にあわせ、私の個展も始まった。13日からが一般公開。
 ようやくホッとして周辺を見渡す余裕の出た私は、久しぶりの故郷名古屋の中心地、栄をちょっとずつ歩くことにした。

b0090333_225836.jpg 栄といったらテレビ塔。これが栄のまん中、セントラルパークの中心にあるテレビ塔。小さな頃は上ったことがあるけど、今はどんなになっているんだろう。これはちょうど愛知県美術館の出口から見たところ。


b0090333_2254841.jpg そして地元の私もまだあまり馴染みのないオアシス21から見た美術館。
 愛知県美術館はコンサート大ホール、小ホールからミュージアムショップ、図書館、市民のためのギャラリー、そして美術館と、いろんなものが入った建物で、総称は愛知芸術文化センター。県立美術館はここの10階に入っている。


b0090333_2263138.jpg 名古屋市内でもかなり交通量が多いのがこの栄。名古屋駅からは地下鉄で2区。これは車で移動中に栄の交差点から撮った愛知芸術文化センターの外観。


b0090333_22115114.jpg そして10階に上がると、ここにあらためて愛知県美術館のエントランスがある。


b0090333_22123650.jpg 展示室への通路はこんな感じ。ちなみに私の展示は所蔵作品展示室の6。

 一般公開の初日、中学3年生の時の担任、S先生が見に来てくれた。女子校で少々ヤンチャだった私は初任で入ってきたS先生が初めて担任をうけもったクラスにいた。好き勝手やってる私とその仲間には、当時25歳だった先生も振り回されぱなっしだったと思う。

 でも大人になってしまって気づけば、たかが10歳違い、結婚相手とかになってたって(S先生は既婚で大きな子供2人いるからまったく対象外ではあるけど、例え、例え)おかしくない。もちろん今となっては酒だって一緒に呑めるわけで、私がたま~に帰国すると、当時のヤンチャ仲間で集まり、S先生を誘うことがある。

b0090333_22134015.jpg 今回もいつもの「元ヤンチャ仲間」と先生が私の個展会場で合流した。考えてみたら今回10月28日に帰国して以来、初めて呑んだアルコールだった。無事に展覧会も始まり、ホッと安心して、懐かしい仲間と会って呑んだビールはとっても気持ちよく喉を通っていった。
by midoriart | 2007-11-15 22:03 | Art
 1942年3月4日、インドネシアを占領していたオランダ軍はバタビア(現ジャカルタ)を撤退した。そして5日にはオランダ領東インドの首都は日本の占領軍の手に落ちたのだった。ここから3年半、インドネシアの日本占領下時代が始まる。
 日本軍占領下、インドネシアでは「セイネンダン(青年団)」「ケイボウダン(警防団)」などの組織が編成されたが、特別な目的で生み出されたのが「PETA(ペタ)」、郷土防衛義勇軍だった。東ジャワ、ブリタルにも当時大きなPETA組織があり、1945年2月14日に日本軍に抵抗して反乱を起こしたことは、今も皆が歴史で学んでいる。

 11月愛知県美術館で始まる私の個展『交換プロジェクト’07~アジアの記憶~』では、私の小品をフィリピン人1000人と交換したプロジェクトと、インドネシアでのプロジェクト2つを展示する。今回ブリタルを訪れたのは、この交換プロジェクトのためだ。運良くこの街出身の友、チャハヨがいたので、彼と彼の地元の友達のおかげで、リサーチもスムーズに進んだ。


b0090333_1231527.jpg  朝5時、チャハヨ宅で集合2人でブリタルへ出発。普段めったにこんな時間に起きたことがないので、久しぶりにサンライズも見れた。

b0090333_1235345.jpg 東ジャワへ向かう道の途中にはチーク林があって、たくさんのチーク材が並んでいた。里帰りで長距離運転には慣れた彼なので、6時間の道のり、一度も休憩せずに到着。


b0090333_124781.jpg まずはチャハヨ馴染みの屋台で遅いお昼。ジョグジャの料理は全体に甘くて私はそんなに好きではないが、東へ来ると唐辛子が効いてて甘さも控えめ、ココナツミルク使用のメニューが多くて私の好み。この屋台には筍のココナツ漬けがあったので早速試す。ムチャ美味い。


b0090333_1242059.jpg チャハヨおすすめはカタツムリ。ブリタルの名物らしい。家を追い出されたカタツムリを揚げてスナックにしたもの。


b0090333_1244146.jpg これがパッケージ。
 でも、私は結構食わず嫌いなので、カタツムリと聞いたら食べられなかった。チャハヨいわく鶏の皮みたいな感じらしい。わからんでもないけれど、試したくはない。


今回の私のプロジェクトに協力してくれるといったチャハヨの高校時代の友達が、夜になって集まってくれた。フィリピン、バギオでやった交換プロジェクトのビデオを見せて、いったい私が何をしにきたのかを説明。来る前にメールでやりとりして事情を知っている一人が、すでにPETAの生き残りリストを入手してくれているので、明日の朝からは爺ちゃん巡りが始まる。
 長距離の疲れもあるので、今日のところはホテルに戻ってとっとと寝ることにする。
by midoriart | 2007-09-26 22:01 | Art
 今日1日は、今回の調査同行の中でも一番キツい1日になるんじゃないだろうか。ともかく朝から晩までインタビューの嵐。いくら好きで自分と同じ業種の通訳だからといっても、ともかく通訳というのは頭の中を2つに分けてるようなもので、他人の言葉をひとつも聞き逃せず、普段ポケ~~っとしてる時と違って極度に集中しているから、何時間もは続かない。
 それが今日は朝から晩まで、もちろん食事やお茶で休憩は入っているものの、長かった~~~。おまけに今回は同行通訳&コーディネートもしてるから、インタビューしながら所要時間、次のアポイントのことも考えていなくちゃならない。

 まず朝は後小路さんのお得意どころ、日本軍占領時代に美術に関わっていたシニア作家のインタビューから始まった。

b0090333_23515930.jpg スリハディ。インドネシア独立寸前の1942年頃から当時活躍していたアーティストのグループに入った。当時はまだ12歳、グループでも最年少だったというから、当時を知る作家の最後の生き残りともいえる。かなり貴重なお方らしい。


b0090333_23521659.jpg 今日のインタビューで感動したのは、当時ソロ(中部ジャワ)にいた彼の家に毎週末遊びに来ていた日本兵の一人とは、なんと今でも交流があり、つい先日日本兵だった方の米寿記念パーティをバリ島で開いた際にも、スリハディさんが招待されたというのだ。12歳のとき知り合った日本兵と62年の年月を越えて今も仲良くしてるなんて、スゴイ。最近は第二次世界大戦をテーマに作品を作っている私としては、とても印象的な話だった。

ランチタイムをはさんで、午後がまた大変だった。バンドン若手作家を一箇所に集めての集中インタビュー。私が日本で紹介したことのある作家2人に加えて、ここ数年頭角を現してきた新参者など4人の計6人。バンドンは私の「シマ」ではないので、作家とのコンタクトなどはバンドン在住の私の親友ササンに頼んだ。彼とはインドネシア作家を紹介する展覧会を一緒に企画したこともあり、今年5~6月にかけて1ヶ月は一緒にフィリピンに滞在していたこともある。そのときも二人で作品を手荷物として運んで、マニラのCCP(カルチャー・センター)で若手作家の紹介展を作ってきたばかり。


b0090333_23523378.jpg ジョコ・アビアント。若手というほど若くもないけれど、資料として見せた彼の竹の作品が後小路さんの目にとまったために、今回のインタビューとなった。


b0090333_23525192.jpg みんなを集めたのはバンドンでも大きなアートスペース、スラサール・スナルヨ。ここはバンドンのシニア彫刻家スナルヨ氏の個人ミュージアム。もともとは彼の作品を展示する場だったけれど、今ではホームキュレーターをつけ、若手や海外からの作品も紹介している。かなりレベルの高いアートスペースだ。キュレーターのアグンはササンと同期、彼の企画したバンドンのニューウェーブ7人による『視覚と表現』展はあさってオープニングなのだけれど、特別に見せてもらった。おもしろい展覧会で、ご一行様の中の画廊関係者もかなりお気に入りの様子。


 すでに日も暮れ、高地にあるスラサール・スナルヨも寒くなってきた。腹も減ってきた。けれど仕事はまだ続く。今度はバンドンの新しいグループBUTONを訪問。彼らはひとつの家に共同で暮らし、その場で展覧会も開いている。


 今年フィリピンCCPで開かれた『POPSCAPE』展(マニラにあるナショナル・ミュージアムの主任学芸員パトリック・フローレスとササン、私で企画)に出品したOQもこのBUTONメンバーの一人。作品選考のときには作家本人に会わなかったので、私は今回初めてこの子に会うことができた。

b0090333_23531411.jpg ササンが話していたように、確かにキュートな青年だった。話も明快で賢い子だな~という印象、彼はインドネシアのアーティストとしては珍しく教育大学建築学科出身、モノクロの写真作品を作っている(後ろは彼の作品ではなく、BUTON企画のグラフィティ展)。


b0090333_23533269.jpg RADIもBUTONの一人。彼はお父さんも有名な絵描きらしい。近代絵画専門の後小路さんは
「あ~、そうですか~!僕はお父さんの作品、大好きなんですよ。福岡のアジア美術展でも彼の作品はとても人気でした」
とおっしゃってたけど、私は名前を聞いたことも作品を見たこともないのでわからない。

 息子であるRADIの作品は自分を影絵芝居のキャラクターにダブらせたPOPなもの。日本のマンガの影響も大だけれど、作品のいたるところに彼の出身地であるチルボンのバティック・モチーフが散りばめられている。

 ヤル気のある青年がたくさん集まったBUTONの空気はなんともアクティブな元気なオーラがあった。ガンバレ、バンドンの若者!
by midoriart | 2007-08-22 23:49 | Art
 今日の調査は、ご一行様が世界遺産であるボロブドゥール遺跡を見学してからの開始だったので、午後からスタート。最初にインドネシア近代絵画誕生時代のジョグジャとバンドンをまたにかけた活動で忘れられないG・シダルタ氏のお宅を訪問した。


b0090333_09495.jpg G・シダルタ。多くのドローイングや絵画作品も制作した精力的な彫刻家。2006年没。
(2004年の調査でスダルタ氏にインタビューしている私)

 3年前の後小路さんの調査で、私は彼の家を訪ねて日本軍占領時代のインドネシアのアーティストについてインタビューする機会を得た。お宅を訪ねるのはそのとき以来になる。彼は私が開催したジョグジャカルタの個展に2度とも足を運んでくださった。歳をとってからも、若いアーティストと親しく、フットワークのいいお爺ちゃんという印象だった。そんな彼が癌におかされ、他界したのは1年ほど前のこと。

 福岡アジア美術館の学芸課長時代にシダルタ氏の彫刻作品をコレクションし、彼の活動については深い研究をされている後小路さんは、今回の来イの前からジョグジャでのスケジュールに、シダルタ氏の遺族弔問をリクエストしていたので、私は故人の長男に電話して、訪問したい旨を伝えておいた。
 そうして訪れたシダルタ宅、過去にインタビューをした部屋は、今は故人のミュージアムとなっていた。最初は長男のバタラさんが、
「母に会いますか?」
というので、故人の奥様を呼んでもらった。今ではミニ・ミュージアムとなった客室に入って後小路さんの顔を見るなり、小さなオバアチャンになった奥様の身体が震えて涙を落とされた。


b0090333_073462.jpg 年寄り大好きな私は、こういう姿にとても弱い。ましてや、その部屋には、故人が亡くなるギリギリまで作っていたという小さな彫刻作品と、その前に作った十字架にかかるキリスト像(彼はクリスチャンだった)、その横には彼が最後に書き残したものが額に入れられていた。

「去年から私の身体は病魔に襲われ始めた。痛みも、死への不安も、この十字架が癒してくれる。どうか、この私に平安を・・・」
といった詩のように美しい言葉を読むだけでもつらいのに、私はこれをご一行様に訳すという仕事がある。声が震えてちゃんと訳せないので本当に困った。


 故人が一度も発表したことのないドローイングを収蔵した部屋、故人の寝室へも、奥様は私たちを通してくださった。貴重な資料を見せていただいて、私たちは次のアポイント場へと移動した。


b0090333_081194.jpg 今日訪問したアーティストは3人。
 アグス・スワゲとティタルビはアーティスト夫婦。普段はそれぞれに作品発表しているけれど、去年のシンガポール・ビエンナーレではユニットとして招待を受け、コラボレーションの作品を発表した。彼らは今回の調査で必要な若手アーティストよりもずっとキャリアの多い中堅作家だけれど、後小路さんとは面識もあるし、やはりインドネシア現代美術の中で海外展に出てる作家として、最近の若いアーティストをどう見てるか意見を聞くのも重要ってことで少しだけ訪問。


b0090333_083196.jpg 次に寄ったのはユスラ・マルトゥヌス、若手彫刻家で私が2005(名古屋)、2006(東京)年で企画した「Passing On Distance」展の参加作家の一人でもある。つまりは、私のオススメ作家。しばらく遊びにいかずにいたら、彼はスタジオを移っていた。新しいスタジオに行こう行こうと思って行けずにいたので、私にとっても今日の訪問は楽しみだった。
 

 すでに日が暮れかけていたこのとき、2日前に会ったヘリドノからショートメッセージが入る。
「ミドリ、もしもゲストを僕のスタジオに連れて行きたかったらどうぞ。僕ももう少ししたら行くから」
あの不思議ワールドを作り出すヘリドノのスタジオは私も一度も訪ねたことがなかったので、これはとっても嬉しいお誘い。ましてや、インドネシアにいることがめったにないほど海外での活動が多い彼に会えてる今回の調査、かなりラッキーだ。


b0090333_0112143.jpg ユスラのスタジオを出て、同じエリアにあるヘリドノのスタジオへ。結局彼は私たちが待ってる時間に現れることはなかったのだけれど、スタジオ管理を任されているおじちゃんの案内で、すべての作品コレクションを見ることができた。古い建築を買い取ったという彼のスタジオは、イイ意味でいかにもオバケ屋敷。管理のおじちゃんに聞いたら、ニコっと笑って、

「へぃへぃ、いますよ。オランダ人でね、とても美しい顔の青年ですわ。それとジャワ貴族らしい娘さん。夕方くらいになると歩いてますけどね、でもお客さんを脅かしたりは絶対にしませんから」
と、フツーに話してくれた。


b0090333_0125551.jpg ジョグジャ最後の夜はジョグジャ名物のグドゥックを食べ、残った鶏の骨をすべてうちの犬の土産にもらって帰宅。明日からはバンドン。
by midoriart | 2007-08-21 23:58 | Art
 27日の夜にジョグジャカルタ入りし、毎日の猛暑の中で現地リサーチをしてきたジャパニーズ・アーティストの皆さんも、今日が最終日となった。わずかな日数で駆け足しているので、私も全員のアーティストをケアはできなかったけれど、やはりこの5日間に、皆さんなにげに風邪引いたり、お腹こわしたりしてたみたいだ。
 私は基本的にはキュレーター組について、ほぼ確定した会場との細かい打ち合わせに立ち会ったり、時間のあるときにDEEPな情報をアーティストに伝えたりしていた。ある参加アーティストの希望があって、一般家屋などを会場にする案もあったために、数件の空き家を当たったりもした。

b0090333_1242555.jpg これは空き家のひとつで、私がよく使ってるお店の隣にあったもの。


b0090333_1244180.jpg とりあえずジョグジャにある空間はすべて見ておきたいという若いキュレーター二人の希望もあったので、私の友人のフォトグラファーたちが集まっているMES56という空間へもたずねてみた。王宮エリア内にあるここでは、かなり自由な展示が可能なので、高橋さんも豊嶋さんも結構お気に召したようだった。


b0090333_125053.jpg 最終日の午後からは、私は「工具・電気関係チェック組」のガイドになった。工具が必要なのは、昨日川見学した淀テク、サウンドインスタレーションのSONTON。私も昔から電動工具とは馴染みが深いので、こうしたツアーは大好き。電気屋やオーディオ店、建材屋などをいくつかチェック。

 日本は110V、ここは220Vなので、彼らにとっては変圧器を使って普段もってるものを使うか、こっちで思い切って買ってしまうか、その辺が大事なポイントとなる。SONTONの場合は電球やらオーディオの接続関係など、互換可能か判断の難しいものもたくさん使用するので、真剣に一つ一つの出力状況や規定サイズのチェックをしていた。
 

b0090333_1251898.jpg 淀テクの制作場となる可能性が高くなったチョデ川のスゴさは、参加者の中でも話題となり、けっきょく今回の視察中に、豊嶋さん以外みんなが行ったことになる。なのでやっぱり豊嶋さんも見ておいたほうがいいだろうと、電気屋に向かう途中で寄ってみた。
「今回ジョグジャカルタを見てきた中でここが一番ええなぁ~」
と豊嶋さんに言わしめたほど、やっぱりこのカンプン(集落)は魅力がある。
 淀テクのゴミ製船がここで作られて川に浮かぶかと思うと、私もかなり楽しみだ。


 最終の打ち合わせをホテルでした後、ご一行様は空港へ向かった。
 数日とはいえ、密に時間をともにした人たちが一気に去ってしまう瞬間は寂しい。だから空港までは送らず、私はホテルでみんなとお別れした。
 ジャパニーズ・アーティストの展覧会は来年4月18日、ジョグジャカルタではじまる。

≪出品作家≫
浅井裕介(ドローイング)、大石暁規(メディアアート)、小鷹拓郎(映像)、近藤聡乃(漫画・映像)、志賀理恵子(写真)、シアタープロダクツ(ファッション)、しりあがり寿(漫画・映像)、SONTON(サウンドインスタレーション)、高木正勝(映像)、チャンチキトルネイド(音楽)、chim↑pom(インスタレーション)、都築響一(写真)、トーチカ(映像)、生意気(デザイン)、奈良美智+graf(インスタレーション)、南風食堂(フードプロデュース)、西尾康之(立体)、西島大介(漫画)、八谷和彦(メディアアート)、松本力(映像)、珍しいキノコ舞踊団(パフォーマンス)、淀川テクニック(立体)
by midoriart | 2007-07-31 21:02 | Art