Culture & Art Report from INDONESIA


by midoriart

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10月24日◇廣田緑展OPENING

 ついに東京は日暮里、HIGURE 17-15 casでの個展が始まった。展示は10月23日から始まったのだけれど、オーナーの都合により、オープニングパーティは24日夜となった。東京に来てから一度も降ったことのない雨が、オープニングの時間を狙ったかのように降り出して寒い。


b0090333_19311319.jpg 会場の入り口にあたる一階の展示。ここには「交換プロジェクト」の日本編が並ぶ。


b0090333_19315492.jpg オープニングに合わせてキレイな蘭の花が届いたと思ったら、なんと演出家の宮本亜門さんから!亜門さんとはバリで知り合い、玉城の家にも泊めていただいた仲。超ハードなスケジュールのため、帰国してもなかなか会えないけれど、最後に会ったのは去年の夏だったか。
 今日はヨーロッパへもっていくミュージカルのリハの日で、本人が来られないからということでこんな素敵なお花が届いた。どうもありがとうございます~~~♪♪


b0090333_19431876.jpg オープニングには、私がインドネシア料理を準備した。スタンダードに温野菜のサラダGADOGADO(ガドガド)と、サテ・アヤム(焼き鳥)。決め手はピーナツソースだから、これさえ美味しければ万事OK。
 HIGUREの廣田展担当である高橋さんが、しっかりインドネシアのビール、ビンタンまでオーダーしてくださったから、テーブルはもうインドネシア一色になった。


b0090333_19361847.jpg HIGUREの建物の中でも、もっとも味のある空間は地下にある。フィリピンで交換してきた1000個の交換物は、この部屋に展示している。この暗さを利用して、ドキュメントビデオも上映。


b0090333_1937224.jpg この「ヒト」は私が交換プロジェクトとしてアジア諸国のお年寄りと作品交換するようになった最初から使っているフォルム。半漁人という人もあれば、ペンギンと呼ぶ人もいる。私は常に「ヒト」と呼んでいる。今回は会期中に日本のお年寄り70人とこれを交換してもらう予定。


b0090333_19385497.jpg バリでの古い友、Sさんも来てくれた。Sさんがいるわ、インドネシア料理はあるは、ビンタンビールはあるはで、いったいここがどこなのか、一瞬わからなくなる。
 亜門さんの共通のお友達で、ガラス・アーティストである今日太さんも来てくれた。懐かしい人と会えるのは、いつもオープニングの醍醐味。皆さん、本当に雨の中、ありがとうございました!
 その他にも、写真を一緒に撮れなかった皆さん、本当にありがとうございました!

 HIGURE 17-15 casでの展示は11月23日まで続く。
by midoriart | 2009-10-24 19:29 | Art
 バリ入りした8月31日から、ずっとウブドは雨が続いている。振り返れば20年近く作品を発表してきたけれど、個展で雨に降られるのは今回が初めてのような・・・。バリの家族の敷地内にある家族祠にも、日本の父の仏壇にも雨が降らないようにお願いしたけれど、朝からしとしと降る雨はすっきりあがることなく、オープニングの午後6時半を迎えた。


b0090333_16351825.jpg そうそう、その前に今日のサプライズ。開会前に最終で作品のチェックに出かけたとき、ギャラリーの前になにやら大きな花輪が立っている。インドネシアでは銀行のオープンとか、でかい商業画廊のオープニングにはたくさんの花輪が立つのだけれど、今まで私がこっちで個展をして、個人的に花をいただいたことはなかった。
「え?誰から?」
と思ってみれば、なんとデワ・ブジャナ! 少し前の記事にあるがデワ・ブジャナというのはインドネシアでも有数のバリ人ギタリストであり、活動15年のベテランバンドGIGIのギタリストとしても有名。彼と奥さんの連名でこの花輪が送られてきたのだった。素直に驚き、素直に嬉しい・・・。


b0090333_1636287.jpg 今回、バリ展の招待状兼ポスターには、バリで10数年来の付き合いになるフランス人の美術評論家、ジョン・クート氏に作品解説を書いてもらった。彼は私が一番最初にバリで展覧会をしたときにもテキストを書いてくれた、いわば私のインドネシア美術活動で一番古い友であり、私の作品の推移をすべて理解している人でもある。
 仰々しい開会式が嫌いな私は、ギャラリーオーナーのトニーさんに話して、こんな雨の中で足を運んでくださる方たちを待たせずに、来た人から展示室に入ってもらいたいことを伝え、しきたりぶった挨拶はなしにしたところにジョン・クート氏が来場。
「いや、ミドリの作品については、私から説明を入れたい」
との彼の希望で、ある程度の人数が展示室に集まったところで簡単な作品紹介と作家挨拶となった。


b0090333_1637278.jpg 昨日からバリを馬鹿にしたようなことばかり書いてて失礼ではあるけれど、インドネシアの中では片田舎にある地で、確かにこうした作品を理解してもらうのは難しい。ジャカルタやバンドンであったような反応はまったく期待してなかった。
 のだけれど。
 驚いたことに、来る人来る人が真剣に私の書いたテキストを読み、じっくりと作品を鑑賞してくれる。質問が出たりもする。こんな嬉しい事はない。


b0090333_16373637.jpg これがフィリピン編。1000人のフィリピン人と、私の1000個の陶作品を交換してもらったプロジェクト。


b0090333_1639243.jpg こちらはバリ編。私にとっては本当に第二の故郷と言えるバリ島で、100人のお爺ちゃん、お婆ちゃんと話し、作品を交換してもらったプロジェクト。これをバリで見せたいという思いから、今回の巡回展のアイデアが出たのだった。
 

b0090333_16392955.jpg 会場奥から入り口側を眺める。
 右手の壁に見えるのは東ジャワのブリタル編。


 今回バリで開催してみて気づいたのは、来場者がとても国際的なこと。それはバリ、それもウブドに近いという土地柄もあるし、トニーラカ・ギャラリーのリンクが外に向いていることもあるだろう。バリ在住の日本の友達がそれぞれに知り合いを誘って来場してくれたのも嬉しかった。
 友人の中にはバリ人と結婚し、バリと日本の血をもった子供がいる人もたくさんいる。今日はそんな子供が、自分の母の国の歴史を知り、興味深く1点1点を見てくれたことも印象的だった。またアメリカ人アーティストがコンセプトに感動してくれたり、見ず知らずの白人の老婆が本当にゆっくりと会場を見て回ってくれた姿もあった。

 あるインドネシア在住の日本人の知人が、来場者の対応で忙しい私のもとに来て、小さな声で言った。
「ミドリさん、この雨の中でね、一人だけ笑ってる人がいるよ」
「え?」
「ミドリさんのお爺様だよ、ここに写真のある・・・」
 そう、この交換プロジェクトはもともとお爺ちゃん子で、お爺ちゃんから昔の話を聞くことが大好きだった私が、身体に流れているお爺ちゃんの血を喜ばせるために、その昔は敵だった人の国で作品を交換するというプロジェクトを始めたもの。常に会場には軍服を着たお爺ちゃんの写真も展示している。展示で気が張っていて無事開会してほっとしているところに、お爺ちゃんが天国から笑って見ていてくれる姿が浮かんだら、突然涙が出てきて焦った。Mさん、化粧が剥げちゃうから泣かせるようなこと言わないでくださいよ~

 お爺ちゃん、4年かけて作ってきたものをたくさんの人に見てもらってます。
 見守ってくれて本当にありがとう。
by midoriart | 2009-09-03 16:33 | Art
 今年4月からジャカルタ、バンドンを回った私の交換プロジェクト『Memory of ASIA ~お爺ちゃんたちの時代~』展が、インドネシアの最後の会場、バリのTONYRAKA ART GALLERYで始まる。
4日前にバリへ入り、作品のセッティングを始める予定にしていた。

b0090333_1621374.jpg 初日ギャラリーに行くと、まだ前の展覧会の作品を片付けているところだった。今までにこの会場は見ているけど、こうして作品がまったくない状態で見ると、相当に広い。およそ10x20メートルで、天井がとっても高い。後で知ったことだけど、ここはかつてバドミントン競技場として使われていたらしい。たしかに、よく見たら床にコートの跡っぽいラインが見える。


b0090333_163921.jpg バリといったら日本では有名だけど、インドネシアにいてバリというと実はただの田舎。というかインドネシア人にとってもバリってのは日常ではない楽園、リゾート地だから日本でいう沖縄のようなものかもしれない。
 現代美術に限って言えば、申し訳ないけれどまだまだ全然遅れている。私がバリに住んで最初に開いた展覧会では、インスタレーション作品の中にタバコの吸殻を入れられたことがあり、美術を見るマナーも何もあったもんじゃないことを痛感したものだった。だから今回のトニーラカ・ギャラリーは、実は私が一番恐れていた会場でもある。


b0090333_1635764.jpg 当然、ギャラリー側のスタッフに対しても期待はしていなかった。ジャカルタやバンドンで、大きな国際展を経験したきたような技術スタッフならまだしも、バリの田舎で基本的には絵画作品を壁に掛ける仕事しか知らないスタッフでは、私の作品設置はきっと理解ができないだろうと思っていた。
 ところが!トニーラカにいた二人の青年スタッフは、こっちのいうことをササッと理解し、手も早い。仕事も正確で丁寧ときたから本当に驚いた。バリ人にはまた失礼かもしれないが、思わず彼らの出身を聞いたくらいだ。一人は母親がスマトラ島出身ではあるにしろ、彼自身はバリ生まれのバリ育ち。もう一人は生粋のバリ人。さらに島外で仕事した経験もないという。なのにこの仕事!これは本当に驚きだった。


b0090333_1643545.jpg これが若くして有望なスタッフ、二人のコマン君。作品の大きさがバラバラだから、その中心を出して、センター合わせで横一列に並べていくという厄介な指示も、ちゃんと丁寧に迅速にこなす。


b0090333_165973.jpg オープニング2日前の夜。
 おおまかな壁面への作品設置が終わり、床に交換物を並べる段階になると、もう誰の手も借りられない。私一人でコツコツと500個以上の交換物を8x8センチの座布団に並べていく。本来は午後5時までの勤務なのに、8時を回ってもじっと私の横にいる一人のコマンに、
「ここからは一人でやってくしかないから、ほっといてくれていいよ」
と声をかけたら
「いえ、僕がアーティストのディスプレイに関してすべて責任をもっているので、最後まで付き添いますから。何かできることがあったら言って下さい」
ときた!
 バリで苦労したことのない人には、何をそんなことで感動してるんだ?と思われるだろうけれど、長くバリに暮らしてる人には、これがいかに貴重な存在であるか、おわかりいただけると思う。


b0090333_1654375.jpg 前日になって、一番気になっていた木枠が完成、私が撮影した100人のバリ人の顔写真をビニールシートに出力したものをその木枠に張り、メインの作品が完成。この大きな木枠7枚も、コマンはさっさとサイズを確認し、美しく会場のコーナーに取り付けてくれた。本当に手際がいい。要領よく動く人間の動きってのは見ててキレイだから、今回のセッティング3日間は本当に気持ちよく仕事ができた。


b0090333_166189.jpg 9月3日、明日のオープニングを前に、ようやく全体が完成。ドキュメンタリービデオを流す台も、機材も揃えてもらった。
今バリは火葬と婚礼シーズン。トニーラカ・ギャラリーのオーナー夫婦は、バリのカースト制でも上の階級で、お金も教養もあるという、バリではあまり数多くない層の人たち。でもそれをひけらかすでもなく、ちゃんと町内の奉仕活動にも参加している。町内の婚礼準備を1日手伝っていた夫妻が、帰宅の足でギャラリーに寄ってくれた。
「ミドリ!こういうのがやれて本当によかったよ。ずっと絵画作品ばかり見せてきて、ちょっと飽き飽きしていたんだよ」
とトニーさん。そして奥さんのラティは作品をじっくり見た後で
「感動したわ。お爺さんたちの反応に涙が出そうだったわ」
と言ってくれた。

 今回の作品シリーズは、私がどうしても多くの地で多くの人に見て欲しいと思って実現した。彼らのこういう言葉を聞いても、巡回させてよかったなーとつくづく思った。そしてようやく明日9月3日はオープニング。
by midoriart | 2009-08-31 15:59 | Art
 インドネシア近代絵画の父といえばアファンディ。ジョグジャには彼が亡くなるまでスタジオとして使っていた家がそのまま美術館となって今も国内外の来客を迎えている。感情を剥き出しに、激しいタッチで描かれた彼の作品は、今でもオークションで高値がつけられ、過去には福岡のアジア美術館でもインドネシア・アーティストとしては初の個展も開催された(もちろん、そのときには残念ながらすでに本人は他界していたけれど)。
 彼が溺愛した娘のカルティカ・アファンディも父の血を受け継いで絵描きになった。父の影響で若い時期から日本を含めた海外での経験も多い彼女はインドネシアでは珍しいセンスの持ち主。70歳を過ぎた今もエネルギッシュに制作を続けている。

 彼女のことはインドネシアに来て当然知っていたけれど、彼女が私を知ることになったのは2004年のこと。ジョグジャの国立アートセンターで開催された女性アーティストばかりの展覧会で、彼女も私も招待されて出品していた。そのときの私の作品を彼女がいたく気に入ってくれて、家に呼ばれたとき、作品を購入したいと言われたのだった。
「もうすぐ私のミュージアムを作るのよ。その中に私がコレクションした女性アーティストの作品も展示したいの。これをそこに置きたいのよ」
 世の中いろんなアーティストがいるだろう。最近のインドネシアでは老いも若きもアートバブルに乗って「売れてなんぼ」が主流になっている。もちろん作品で食べていけるのはいいことだろうけれど、私は自分の手から生まれたものがずっとインドネシアに残って、多くの人の目に触れるということがとても魅力的だった。


b0090333_2221939.jpg とまれ、2004年にすでに買っていただいた私の作品は、ミュージアムが出来上がるまで保管しろとのカルティカからのご用命で、5年もの間私のスタジオに眠っていた。これがこのたびようやく彼女の元で作品として展示室にセッティングされることになったのだ。
(※写真はカルティカの作品展示室)
 

b0090333_21593869.jpg ジョグジャ北部カリウランに作った彼女の私設ミュージアムはまだ七割ほどの出来。それでも彼女のセンスがそのまま実現された空間だった。6000平方メートルの敷地に5つの建物があり、その一つが私の作品を含む彼女のコレクション作品展示室になるとのこと。最初に行き当たるのがこの部屋で、お花のハットをかぶった彼女は相変わらず元気に大工に指示をしている。


b0090333_220444.jpg 正直言って彼女の作品は多大に父の影響を受けている。一つ大きく違うのは、彼女は人間の性器をはっきりとモチーフとして使うことだ。私は彼女の作品タイプを時代順に把握するほどには詳しくないが、私が知り合ってからというもの、チンチン関係の作品をやたら目にする。今日見せてもらった彼女の作品展示室にも、立体のチンチン作品がたくさん並んでいた。
 なんたって今は父のもってるアファンディ・ミュージアムに700点の作品が置いてあるらしい。それをここで全部展示するなんて不可能で、入れ替えをしたり、企画展をしたり、なにしろこれだけの敷地と設備なので、ちゃんと全部をコントロールできる専門職の人を入れる必要もあるとのことだった。
(※絡み合うコミカルなチンチンの先っちょは鶏だったり犬だったりする)


b0090333_2204139.jpg そして久々に自分の作品の梱包をとく。5年ぶりに人目にさらされるんだなー、これ。はいいけど、作品と展示室の素材、色みがあまりに同じで、これ一体いいことなのか、悪いことなのか???
今日は久しぶりにカルティカ(私は彼女をマミーと呼んでいる)に会って、お話しすることが山ほどあったので、セッティングは半分にして、食事したり彼女の今後のプランを聞いたりで時間が過ぎた。


b0090333_2211213.jpg なんたってこのスタイルなんだから。インドネシアの70歳過ぎでこんな人はそんなにいない。女優かカルティカかってくらいじゃないだろうか。彼女に会うたび思うけど、こんな制作意欲の尽きない、それでいてソフトででしゃばらない、可愛いおばあちゃんになれたらいいな~~~。


b0090333_2213621.jpg 展示室に入る予定の他の作品がまだないこともあって、空間の全体を見てからしかセッティングできない私の作品はそれぞれのポジションを決定できず、今日はここまで。他の作品が入って一段落した頃に再度お邪魔して最終仕上げをすることにした。カルティカ・ミュージアムの正式なオープニングは今日のマミーの話では来年になっちゃうだろうとのこと。でも11月26日のマミーの77回目の誕生日には、みんなを呼んでここで宴らしい。作品が皆さんの目に触れるのはその時になりそうだ。
(※女性アーティストのコレクション展示室)
by midoriart | 2009-08-24 21:57 | Art

6月27日◇Handiwirman個展

 ここ2年ほど、インドネシアではアートバブルがおこっている。中国から始まったバブルがインドネシアにも入ってきて、どんな展覧会があっても、中国、香港、シンガポールからアート買いあさりのアートディーラーがやってきて、そして展覧会丸ごと買っていく。そんなバブルはインドネシアのわずかな金持ち層にも伝播して、いまやジャカルタには金持ちが趣味で作ったようなギャラリーが雨後のタケノコのごとく増えている。


b0090333_22547.jpg そんなバブルとは無関係に、ハンディウィルマンは昔からいい作品を作っていた。私がジョグジャに来た2000年には、彼はまだまだ展覧会もほとんどしたことのない若手のアーティストだった。1日にインスタントラーメン一食しか食べられなくても平気で作品を作っていた。
 そんな彼も、本人が望まないままバブルの波に入れられ、今では土地を買って、スタジオを建て、嫁さんに日本製の新車を買ってあげている。でも、彼がスゴイのは、作品売った金で私腹をこやすんじゃなく、売れた4億5000万ルピア(約450万円)をそのままボランティア活動してる友達に渡しちゃうこと。その金はバンドン郊外の小学校建設と、その村の橋建設のために使われた。
 彼の美談はいくらでもあるけど、そっちはおいといて、6月26日、今日は彼の個展のセッティングを手伝いにいった。梯子にのぼってるのがハンディウィルマン、そして下にいるのはインドネシアのキュレーター、アスムジョと、ヌルディアンイッサン。


b0090333_2292258.jpg 昔の彼はシャイで、私が寄っていったらその分引くような人だった。でも今ではすっかり余裕。昔のビクビクした感じから、ずっと大人になったなー・・・、なぜか母が息子を見るように嬉しい。


b0090333_22105915.jpg 今回の個展はジョグジャの老舗ギャラリー、CEMETI ART HOUSE。そうそう、この会場も、今回ハンディの個展をもって休廊となる。今後はレジデンスプログラムを少しずつ作っていくらしい。インドネシアの現代美術を最初っから支えてきたギャラリーなだけに、惜しむ声は多い。
 とまれ、今回のハンディの個展『THINGS』から少々作品を。個展についてはART ITのWEB版でも紹介したので参考までに。『THINGS』


b0090333_2213569.jpg そして翌日27日、個展OPENING。今ではインドネシア国内外で作品が引っ張りだこのハンディ。ジャカルタ、バンドンからもたくさんのキュレーターやギャラリストが見に来ていた。そうだ、インドネシアだけじゃなくて、シンガポールからも来てたな、さすが、ハンディ。
 会場で会ったのはAGUS SUWAGE。こちらもインドネシアの現代美術のスーパースター。彼は50歳の誕生を記念して、近々ジョグジャのでっかいミュージアムの3フロアを使ったどでかい個展を準備中。


b0090333_2216468.jpg 今日は忙しかった。ハンディの個展と、友人アーティストの結婚式が重なっていた。こっちはEDDO PILU、ハンディより少し上の世代のアーティストだ。彼も知り合いが多く、ハンディの個展に来る人はほぼみんな結婚式にも参加。まーまーカッコいい人ではあるけど、ジャワの正装したらEDDO、むっちゃハンサム!嫁さんももともとかわいいところに加えて可愛くて感動。

 ハンディの個展とエドの結婚式のおかげで、普段なかなか会えない人たちにまとめてドカンと会えた2日間だった。皆さん、いろんな意味でおめでと~~~♪♪
by midoriart | 2009-06-27 22:02 | Art
 昨晩友達からSMS(携帯のショートメッセージ、インドネシアではまだ携帯メールは一般的ではないのでナンバーに送るSMSが主流)が入った。
「ミドリ、明晩うちでオープニングだから来てね」
送り主はマレーシア人のジェニー。彼女は私も通ったジョグジャカルタの国立芸術院に留学中、私のバリ人の友達プトゥ・スタウィジャヤと恋に落ちて結婚した。
 私がマレーシアに行ってインドネシア語で喋ってても向こうの人とは通じるくらい、マレー語とインドネシア語は似てるから(マレー語からインドネシア語を作ったんだから当然か…)、彼女にとってはここはムチャ異国でもないかもしれない。


b0090333_2323995.jpg プトゥスタウィジャヤ(Putu Sutawijaya)、私がジョグジャに移る前から彼の名を知ってるくらいに、彼はかなり昔から作品がよく売れる作家だった。3年前にジョグジャの田舎にSangkring Art Spaceという展示スペースを作り、若手作家の発表の場として提供したりもしている。7時半のオープニングに遅れて着いたら、珍しく結構時間通りに始まろうとしていた。これ今まさに開会の瞬間。左に見える2階建ての建物がサンクリン・アートスペース。


b0090333_233023.jpg 今日の展覧会は母校ISI(国立芸術院)の工芸科出身者16名によるグループ展。ジョグジャの芸術院には工芸科の中に金属、テキスタイル、陶芸、木彫があるので作品もそんな素材から様々。最近では絵画科よりも学生が自由に物作りをしていて活気があると会場に来ていた卒業生の友達が教えてくれた。あっという間に会場が人いっぱいになる。

 今日出品してる作家は1980年頭に生まれた子たち、私が普段つきあってる作家で60~70年代生まれだから、今日はもっともっと若い。知ってる顔がほとんどいない。8年も暮らしているうちに、ジョグジャの中の世代が移っていることを実感、一人老人になった気分で少々悲しい。


b0090333_2332676.jpg そんな時、後ろから
「ミドリ~~~~!!!」
の声。数年前に私の家に半年居候したことのある芸術院出身のリカだった。私よりずっと若い彼女ですら
「よかったぁ~ミドリがいて…。みんな若いよね~~~」
なんて言ってる。寄り添うようにして記念撮影。


b0090333_233477.jpg 作品のレベルどーこーはおいといて、一番気になったのはこれ。
 だって作品のタイトルが『MONYET(モニェッ)』、猿なんだもん(Dwi Panglipur Jati作)。これ猿なんだ…。小さいサイズだったら、若手作家を応援する意味も込めて作品買ってもいいくらいだけど、これ意外とデカイのだ。見るだけにしとこう。


b0090333_2341149.jpg テキスタイルの子はこんなビニール製の立体を作ったりしている。Sujimulyantoの『The Joke』


b0090333_2342847.jpg 人間を小馬鹿にしたように笑う犬もいた。陶磁かと思ったらファイバーだった。Andika ‘Tukul’ Nurul Hudaのこの作品のタイトルは『Anjung Balap#2(アンジン・バラップ)』、レース犬2号ってことか。


 確かに、私が通ってた頃の工芸科といったら、田舎のお土産物屋さんで見るようなフツーの作品が多かった。教えてる方も技術をメインにしてたように思う。けど今回の展覧会では、若い世代が自分なりの表現を一生懸命探ってるように見えたし、昔と比べると技術レベルも上がってきてるように思う。

 自分の居場所がない寂しさも味わったけど、若い世代のエネルギーみなぎる会場で、ちょっと元気もらったかな…って気もしたり。私もまだまだ若者に負けないようにガンバろっと…
by midoriart | 2009-05-15 22:54 | Art
 インドネシア3都市を巡る個展の第2会場、バンドンのSelassar Sunaryo Art Spaceでの展覧会が8日午後7時に開幕。バンドン工科大学(ITB)の美術学部創立に深く関わったインドネシア美術界の重鎮スリハディ氏が快く開会を引き受けてくださったので、今回の展覧会は1943年生まれのスナルヨさん(美術館のオーナーで、インドネシア彫刻界の重鎮)の挨拶、そして1931年生まれのスリハディさんの開会(日本でいうテープカットの役目をする人)でめでたくオープン。さすがはスラサール・スナルヨ、たくさんの人が来てくれて感動。


b0090333_0531444.jpg
 会場は大きく3つに分かれている。まず最初に東ジャワ、ブリタルでの交換プロジェクトと、バリでのプロジェクトをまとめたビデオをまわす部屋があり、その次にブリタル編の展示。


b0090333_0534388.jpg 次にバリ編。バリの爺ちゃん、婆ちゃん100人と作品を交換したプロジェクトを100人の顔写真コーナー、

b0090333_054337.jpg そして交換物の展示コーナーに分けた。ジャカルタ会場の時はまだ64人との交換だったのが、今回は100人までたまった。ジャカルタ会場の展示を見た人たちも何人かいて、
「お~~、増えたなぁ~~」
となぜか一緒に喜んでくれている。


b0090333_0542312.jpg そして一番奥に、一番交換物の多いフィリピン編。1000人のフィリピン人と作品交換したプロジェクトを、交換物、最後100人の交換協力者の顔写真(会場では抜粋して展示)、そして15分のドキュメントビデオを流している。

b0090333_054459.jpg フィリピンのこのプロジェクトは、幸運なことにフィリピンドキュメンタリー映画の巨匠キドラット・タヒミックが興味をもってくれ、私が100個の作品を持って山奥に入るときに付き合ってくれた。そして無償で撮影してくれたのが今回のビデオ、正直なところ国際的レベルなビデオ作品だといえる。


b0090333_05576.jpg 『Memory of Asia ~お爺ちゃんの時代~』はバンドンのSelasar Sunaryo Art Spaceにて5月23日まで。
by midoriart | 2009-05-08 23:51 | Art
b0090333_19412615.jpg 2006年にフィリピンで始めた作品の交換プロジェクト、フィリピンではマニラ、バギオ、キブガンで合計1000人のフィリピン人と1000体の作品を交換した。最後100体はキブガンというバギオからさらに北に入った田舎に出向き、自ら作品を背負って交換してくれる人を探した。この様子は、私のプランに興味をもってくれたフィリピンのドキュメンタリー映画界重鎮、キドラット・タヒミック(現在越後妻有で制作中)によって撮影もされた。


b0090333_19415765.jpg その後、インドネシアに戻ってからは、日本と関わりのあった場所を探し、見つけたのが第2次世界大戦中、唯一日本軍に氾濫を起したPETA(Pembela Tanah Air=祖国防衛義勇軍)の部隊があったブリタルだった。1945年2月14日の「ブリタルの反乱」はこの後のインドネシア独立を奮起したとして、インドネシア史でも重要な扱いを受けている。私はここに住んでいるPETA元兵士を一人一人訪問して作品を交換してもらった。
(オープニング会場入り口で国際交流基金スタッフと)

 私の大好きだった竹次郎爺ちゃんと同じ世代の人たち、同じ時代を生きた人たちに会って、話をし、作品を交換する。これは私の中に流れる爺ちゃんの血を喜ばせる作業だと私は思っている。あの時代には戦うことしかできなかった人たちと、今の時代になって私は笑って話すことができる。


b0090333_19503563.jpg
 ブリタルでの交換プロジェクトを終え、次に始めたのはバリだった。ここには日本軍とバリ人との歴史的物語が残っているわけではないが、私が10年暮らした島でもあり、自分が暮らしてきた村周辺で、当時のバリの人がどんな日本を目の当たりにしたのかを知りたくて始めた。
 現在までに64人の爺ちゃん、婆ちゃんと交換が終わった。今回ジャカルタ会場ではこのすべてを展示している。けれど広い会場に並べてみると、64個って意外に少ない。まだまだ足りない。次回バンドン会場での展示までに、またバリへ戻ってプロジェクトを続けようと思っている。


b0090333_19461878.jpg そして日本での交換。こっちは一時帰国の際に少しやっただけなので、まだ22人。ひとつのプロジェクトの成果として見せるにはまだまだ足りないのだけれど、今回は会場がジャカルタの国際交流基金ホールだったので、やはり日本のものも見せておきたいと思って展示してみた。おそらくインドネシア巡回展の中でも、日本編を展示するのは今回だけだろう。


b0090333_19453979.jpg 会場に入るとまず私と竹次郎爺ちゃんの関係について、そしてなぜ私がこうしたプロジェクトを始めたのかの説明、そしてフィリピン編へと続く。


b0090333_19472765.jpg 次にブリタル編、PETA元兵士と交換した品々は私が作った箱に1点ずつ収めて展示している。


b0090333_19464227.jpg その次にバリ編。バリのお年寄りは写真を見てても味がある。たらんと垂らした乳がお茶目な婆ちゃんもいる。ジャカルタはとりあえずイスラム圏なので、ポルノ表現には厳しい。最初は本気でちょっと心配だったけれど、さすがにこれで怒る人はいなかったのでホッとした。


 この展示は国際交流基金ジャカルタ事務所ホールにて4月20日まで開かれている。
Memory of Asia ~Midori Hirota Exchange Project~
At HALL OF THE JAPAN FOUNDATION JAKARTA
Summitmas I Lt.2 Jl.Jend. Sudirman Kav 61-62 Jakarta Selatan
10:00 – 18:00 (土日、選挙の日は休廊)

by midoriart | 2009-04-02 23:37 | Art
 東京へ来たら、ペインターのIさんと画廊巡りをするのがここ数年のお決まりになった。今日のスタートはベトナム料理のランチから。彼はいろんな店を知ってるから、私が前日にリクエストしておくと好みにぴったりの場所をちゃんとアレンジしてくれるから嬉しい。
 フォーとカレー、生春巻きのセットランチで大満足して、まずは銀座の資生堂ギャラリーへ。今やってる『夢の饗宴』はインドネシアで仲良くなったgraf media gmの豊嶋さんが空間構成をしていて、シアタープロダクツも、南風食堂も参加している。これ、実はみんな『KITA展』の参加メンバーでもある。

b0090333_2237349.jpg 入って最初に、シアターの作品があった。着て写真が撮れるようになってたので、さっそくIさんと撮影。しかし、なんで私が男側で、Iさんが女側なんだ?


 銀座で気になってたHERMESの8階フォーラムではインドのアーティストN.S.ハーシャ展をやってた。彼の作品は昔、福岡アジア美術館で見たわ。撮影はNGなので紹介できず。
 暑い暑い銀座を歩いてた私が一言。
「氷食いたい・・・」

b0090333_22374933.jpg やさしいIさんはこれを聞いて、わざわざ汐留にある京都の老舗、都路里(「とろり」じゃない「とじり」)に連れてってくれた。ついこの前歩いてきた京都は祇園にあるのが本店とか。う~、宇治が濃いぃ~。白玉のもっちり感も素晴らしい~~~。


 今度は新富町へ出てARATANIURANOで高嶺格の「スーパーキャパシタ」を見る。今まで見てきた作品とは随分違ってて驚いた。

b0090333_2238232.jpg ここから恵比寿へ。道順があっちこっち行ってるのは、私のわがままで「宇治氷」がルートに新しく入れられたため。恵比寿駅がやたら混んでると思ったら、盆踊り大会だった。都会の街中でもまだこうした祭が残ってるんだな~。動く遊歩道とイカの臭いってとってもミスマッチ。


b0090333_22381251.jpg ここでは最近移転したNADIFFへ行った。夕暮れの中で見つけた新しい建物の横には、味があるすぎのアパート。思わずこっちもアートなのか?と思ったけど、どうやらそうではないらしい。


b0090333_22383245.jpg 私としてはかなりタイトスケジュールで動いた1日となった。しめは勿論、呑み会~。

b0090333_22384615.jpg 今回は長期滞在で和食もしっかり満喫できてる私は、逆にエスニックなものが恋しくなってきてるので、夜はアジアンエスニックに決めた。Iさんオススメの店は広尾のAGARY。アジアンなんだけど、かなり年代モノの梅酒なんかもあったりして、料理も美味い!サラダのソースはインドネシアのガドガド風で、シンハービールともよく合う。イカ串、チジミ、サラダ、タイカレーとアジアンのごちゃ混ぜで大満足の二人。Iさんのおかげで、今日も1日、充実の画廊巡りでした~。アリガトウ!!!
by midoriart | 2008-08-02 22:36 | Art
 2005年にフィリピンを初めて訪ね、第二次世界大戦に日本軍が何をしてきたかを見てから始まった私の「交換プロジェクト」は、2005~2007年にフィリピンで、そして2007年にインドネシアで行われ、フィリピンでは1000人の人と、私の小さなヒト型の作品を交換した。
 そして東ジャワのブリタル市では、日本軍が作ったインドネシアの兵隊グループ、「PETA(祖国防衛義勇軍)」の生き残り兵士30人とヒトを交換した。


b0090333_223975.jpg これらの交換プロジェクトの成果は、愛知県美術館において昨年11月から今年1月にかけて「廣田緑 交換プロジェクト ~アジアの記憶~」として個展形式で日本の皆さんに見ていただく機会を得た。


 今回、日本に帰っている間にやりたかったのが、日本の人々との「交換」だった。帰ってきてから、どうやって戦争体験世代の人々と交換をしたらいいのか、一人でいろいろ考えては、図書館で開催された『戦争の体験を語り告ごう展』に行ってみたりしたのだけれど、過去2カ国の交換よりも難しいことがわかった。
 日本滞在の日数も減っていく中、思い浮かんだのが、この展覧会を企画してくださった愛知県美術館学芸課長のTさん。美術館には友の会というメンバーシップがあり、美術に興味をもった方々が登録している。私が個展を開いたときも、友の会主催でアーティストトークを企画していただいたりもした。


b0090333_22392996.jpg「友の会の皆さんの協力を得て、作品の交換をすることは可能なんでしょうか?」
という私の問いを、Tさんが友の会理事会へ通してくださった。そしてラッキーなことに答はOK!
メンバーの方々であれば、2ヶ月の会期だった私の個展を見てくれている人もいるだろうし、美術活動のひとつとして、作品交換という形があることも理解しやすいだろう。

b0090333_22394499.jpg そして23日、ちょうど美術館に数人の友の会メンバーがボランティアでいらっしゃるというので、さっそく「ヒト」を持参した。今日いらした中には戦争の後に生まれた方もいらしたけれど、Tさんから話を聞いて、すでに交換できる私物をもってきてくださった方が数人。


b0090333_22395898.jpg 一人目となった名古屋のアーティスト、安藤日出彦さんについで、今日は6名の女性が交換に協力してくださった。女学校時代に鉄砲の先にナイフをつける作業をさせられていた方、お父様が勲章をもらった思い出があるという方、焼け跡の悲惨な光景が今もはっきり頭に残っていると話す方など、友の会の仕事場が、ひととき戦争の思い出話で盛り上がった。

b0090333_224017100.jpg 終戦記念日が近づいてきた。実際に体験した話をハッキリと語れる方々が今年は何人いるのだろう。風化させずに残すにはどういう方法があるのだろう。いろいろ考えさせられる。友の会では私のこの「交換プロジェクト」についての協力願いを、メンバー350名に送る会報に同封して送ってくださることを承諾してくれた。
友の会へ話をしてくださったT学芸課長、美術館ロビーでの交換を許可してくださったMさん、そして気さくに受け入れてくださった友の会の皆様、どうもありがとうございました!8月8日の交換会、楽しみにしています!
by midoriart | 2008-07-23 22:38 | Art