Culture & Art Report from INDONESIA


by midoriart

カテゴリ:Bandung( 17 )

b0090333_1513154.jpg 今日は久しぶりにインドネシアの現代美術の紹介。
 私が親しくしているバンドンの友達数人がキュレーターとして、若手アーティストを紹介している小さなギャラリーから新しい展覧会の情報が送られてきた。初めて聞く名前に、インドネシアの現代美術もまだまだ活気があるなーと嬉しくなる。


b0090333_15133316.jpg 今回紹介されたのは、1972年バンドン(西ジャワ)生まれのAdhya Ranadireksa。彼はイタリアのローマにあるデザイン学校the Istituto Europeo Design in Romeで写真を学んだ後1997年に帰国している。


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 ちょっとグロい身体のパーツがモチーフになった写真作品は、気持ち悪いのだけれどその中にあるメッセージが気になってついつい見つめてしまう。


b0090333_15144532.jpg 今回個展の会場となったPLATFORM3は昨年暮に出来たばかりの新しいギャラリースペース。おもしろいのはここを始めたのが、過去にいろいろな展覧会を企画してきたバンドン在住の若いキュレーターたちの集団であること。今回は作家に向けて「植民地主義への提議」というテーマを渡したという。そしてその答えとして、このような作品が出てきたわけだ。


b0090333_15151459.jpg 彼は「植民地主義」というのは、単に人間を支配するだけではなく、人の五感、考え方、見方、感じ方すべてのものをそっくりそのまま奪い去ることだという。そんな彼の「植民地」に対する考えを聞いてから作品を見ると、この中にある比喩にも様々な思いを巡らせることができるだろう。

 しかし今年で35歳のうら若き彼にとっても、いまだ「植民地主義」はこのような作品を生み出すほどに骨身に染みた歴史であるのだろうか。350年のオランダ支配が現代の若者の中にどの程度の影響を及ぼしているのか、私にはそちらがとても気になった。
by midoriart | 2010-06-01 14:58 | Bandung
 バンドンのお気に入りホテルBumi Sawunggalingで泊まった朝、タクシーで北へ。最初に行ったのは去年8月に個展でお世話になったスラサール・スナルヨ・アート・スペース。バンドンの彫刻家スナルヨさんの私設ミュージアムだ。以前はずっとここに泊まって作品設置をしてたので、スタッフは清掃員までお友達。久しぶりにみんなの暖かい笑顔に迎えられる。
 お目当てのスナルヨさんに会って、お別れの挨拶。
「しばらくインドネシアに来ないのなら、後から私の新しい家に来なさい。心臓の病から、そっちで畑仕事して、プールにはいるようにしてるんだよ」
とスナルヨさんの新しい家に誘われた。


 b0090333_16342738.jpg まずはその前に今年頭にできたばかりのアートスペース、Lawangwanggiを見に行くことにした。ちょうどスペースの開館記念展覧会が終わったばかり。半分くらいが撤去されていたけど、まだ知人の作品数点を見ることができた。これはインドネシアの中堅作家メラ・ジェラスマの作品。


b0090333_1636730.jpg これは第2回シンガポールビエンナーレのインドネシア代表になった若手ユニットTramaramaの展示。小さなキャンバスに描いたドローイングを写し、それで動画を作って作品にしている。今年夏には日本の森美術館でも荒木夏実氏のキュレーションで展覧会が予定されている。


b0090333_16374829.jpg これが2階会場。窓ガラスを利用して切り絵作品を出品しているのは、私の妹分、バンドンの若手アーティストPrilla Tanya(プリラ・タニア)。向こうにはバンドン北部、ダゴの丘が見渡せる。
 にしてもこの会場もかなりリッチ。数学教授である女性がオーナーで、2階建てのでっかい建物は、前出のスラサール・スナルヨ・アート・スペースを手がけた建築家によるもの。でも正直なところ、展覧会を見るには動線がはっきりせず、今ひとつ見にくい。


b0090333_164102.jpg このLawangwanggiから丘を200mほど上ったところに、スナルヨさんの新しい家がある。大きな門を開けて中に招き入れられたら、バリの高級ビラですか?ってな景色が目の前に開けてきた。


b0090333_16422286.jpg まぁ、中まで見ていきなさい・・・と入ったお部屋はこんな感じ。すべてスナルヨさん本人のアイデアとスケッチにより出来上がっている。まー、この家と敷地全部が、彼の三次元の作品みたいなものなんだろう。にしても、なんでこのお爺ちゃん、こんなにセンスがいいのだろう。ため息が出る。これ本当にバリの隠れ家的な高級ビラにも全然ヒケをとらないぞ。


 スナルヨさんは去年私が個展でお世話になった後に、心臓を患って手術もされたという。そのために最近はあまり身体に負担のかかる立体作品の制作は控え、この新しい家の斜面に作った畑で野菜を育てたり、プライベートプールに浸かって歩いているという。
「え?プールまであるの?」


b0090333_16461956.jpg ありました~~~・・・
 プライベートプール。もう、これはバリです。UBUDです。Tjamphuanです。一緒に行った友達もみんな唖然としている。ため息しか出ない。

 最近のアートバブルでインドネシアの若手アーティストたちはみな成り金になり、土地を買い、家を建てている。そんなあまりに急激なアートの流れを見ていて心配だった私は、スナルヨさんの夢のような新居を見て、実はインドネシアの重鎮アーティストの中には、最近の一過性ブームとは無縁に、昔っから大型プロジェクト(パブリックアートなど)で経済力をつけているアーティストもいたんだなーとあらためて気づいた。
 スナルヨさんのすごいのは、年齢を超え、いろんな世代、いろんな分野の人とも分け隔てなく付き合い、とってもオープンであることだろう。
「そうか・・・ミドリは帰ってしまうのか・・・寂しくなるなぁ・・・」
とこぼすスナルヨさんに
「あの、ここで日本料理のできるコックがいるなら、私できますが・・・」
と半分本気な冗談をかえす。


b0090333_16532148.jpg 最後にスナルヨさんと記念撮影がしたくて、どの場所が一番気に入っているか聞くと、景色を眺めながら執筆をするデスクが好きだと言われたのでこの場で撮影。


 そして夕方まで昔からの仲間とお茶しながら喋りまくり、ジョグジャへ向う夜行電車でバンドンに別れを告げた。
by midoriart | 2010-02-23 23:28 | Bandung
b0090333_11412537.jpg 本気国を前に、なんとか時間をつくってバンドンへ行くことにした。1992年にバリで暮らし始め、バリの芸大留学生のツアーでバンドンを訪ねたときから、西ジャワの街バンドンは私の大好きな街。当時知り合った芸大の友達が、考えてみればインドネシアでの一番古い友達、ほぼ20年来のつきあいということになる。
 ジョグジャを23:10に発つ夜行電車TURANGGA(トゥランガ)を待つ。電車に乗るとき必ず立ち寄るこの店にも、もうしばらく来る事はないのだなぁ・・・


b0090333_11445787.jpg 午前中はITB(バンドン工科大学)の美術学部を訪ねた。ここにこれば知ってる友達がたくさんいるから、まとめてお別れの挨拶もできる。思ったとおり、数人の友達に会えた。
 午後からは古い友達が新しく始めたというギャラリーを訪ねることに。その前にまずはランチ。街が見下ろせるDAGO(ダゴ)にできたナシクニンの店でオリジナルメニューを試す。景色がいいこともあるけど、ココナツとターメリックの組み合わせが最高に美味。


b0090333_11474880.jpg これが去年12月から始まったばかりのアートスペース、PLATFORM。構えは小さいが、なかなか内容のある展覧会をしていた。それもそのはず、この建物はもともとファッション関係者がブティックとして建てたものだけれど、わけあってレンタルに出された。それを借りたのが私の友達だったのだ。
 友達というのが実はスゴイ。インドネシアを代表するキュレーターばかりなのだ。もとジャカルタのギャラリーキュレーターだったRiffky、現スマルジャギャラリーキュレーターのUcok(Aminudin Siregar)、現スラサールスナルヨのキュレーター、Agung Jenonng、そして今日私が会う約束をしていたインディペンデントキュレーターのHeru Hikayat。


b0090333_11511556.jpg これだけ若手の現役バリバリキュレーターが揃っていれば、おもしろい企画にもなるだろう。彼らがここを共同で借り、なにやら他のアートスペースではできないことをやろうとしているらしい。なかなか気になるスペースだ。
 なんと奥にはレンタルハウスまであるから、レジデンスプログラムなどにも対応している。今度バンドンに来るならここに泊まるのもアリだな・・・。


b0090333_11532232.jpg 中はこんな感じ。3階まであって、いずれはレジデンスプログラムで参加したアーティストが制作できるスペースにしたいらしい。
 展示スペースはさほど広くはない。銀座やシンガポールの街中にある画廊サイズ。でも自然光がキレイにはいる気持ちのいい空間ではある。


b0090333_11545875.jpg バンドンの親友ササンも大学の講義を終えてここに来てくれた。彼とは何度か一緒に企画展を作った仲。日本への留学経験も多い、私がインドネシアで一番信頼している友達だ。
 さらに運のいいことに、バンドンから電車で4~5時間の場所でアートスペースを運営している友達が、なんと今日1日だけ用事でバンドンに来ているという!なんというタイミング!ということで、20年来の友が3人揃い、バンドンの老舗アイスクリーム屋、Tiziに集まることに。左からAriefyudi(ジャティワンギアートコミュニティ主宰)、Heru Hikayat(インディペンデントキュレーター)、私、Prilla(バンドンの若手女性アーティスト)、Nurdian Ichsan(セラミックアーティスト、バンドン工科大学美術学部講師)。

 夜はササンとの約束で、最後の呑み会。涼しいバンドンの夜は懐かしい友とのお喋りで更けていった。
by midoriart | 2010-02-22 11:40 | Bandung
 今日のバンドンツアーはバンドンから北へ向かったスバン。
 1942年に日本軍がインドネシアに入って350年に及ぶオランダ植民地時代に終止符を打った事は知られていても、当時日本軍がどこからインドネシアに侵入し、どうやってオランダ植民地政府からインドネシアをとりあげたか、そこを知ってる人は意外と少ない。
 かくいう私もその一人。占領下のインドネシアについての本は結構あるけれど、日本軍がどうやって、どんな経緯で、どこの海からインドネシアに入ってきたかはあまり知らなかった。


b0090333_21375527.jpg そんな私にスバン行きをすすめてくれたのは、バンドンで私が個展を開催したときに身に来てくれたマムールさん。彼は歴史大好き、日本の占領肯定派で、私が戦争をテーマにした作品を作っているのを見て、
「あなたは日本人として、当時日本がしたことを恥じることはない。そして正当化する必要もない」
とコメントしてくれた。そして当時の日本軍の足取りについて書かれた文献を山ほど見せてくれたのだった。


b0090333_21402342.jpg そしてわかったのがカリジャティ。ここには今、インドネシア空軍の基地がある。オランダ植民地時代にもここはオランダ空軍基地として機能しており、日本軍はここを攻めて7日間でオランダ植民地政府を落としたといわれている。そのとき、今村均中将がオランダ側と話し合いをした建物がそのまま残され、今では「RUMAH SEJARAH(歴史の家)」として守られている。


b0090333_21431244.jpg 今日はマムールさんがついてってくれて本当によかった。なんたってインドネシア軍の基地だから、中に入るにも目的を伝えて身分証明書を預ける必要がある。私が一人で訪ねた日にゃーかなり怪しまれただろうけど、マムールさんはバンドンの有名大学パジャジャランの講師。私が見ても「カッコいい~~~」と思うしゃきっとしたお爺ちゃんで、昔からここを訪れる元日本兵(カリジャティの会)とも親交がある。
 基地内にある一人の日本兵の墓にも案内された。
「ここに元日本兵眠る」と書かれた記念碑に、当時ここで命を落とした日本兵が眠っているという。当時ここに攻め入った元日本兵は戦後「カリジャティの会」というものを作り、毎年「歴史の家」を訪ねてきていたのだけれど、関係者によればここ2年は日本から来る人がいないという。それだけ第二次世界大戦はずっとずっとむこうへいってしまったのか。ここに眠る一人の日本兵の戦友たちも、一人また一人と、無事戻った日本で生き証人の役目を終えていくのだろう。一人インドネシアに残されたこの兵の魂よ、安らかに。合掌・・・


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 ジャワ作戦を指揮した第16軍司令官の今村均中将の写真もあった。1942年3月9日、このカリジャティでオランダ植民地政府は正式に降伏、オランダの総局長との最後の話し合いを持ったのだった。

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 そのときの絵と、部屋がそのままこの「歴史の家」に残っていた。ここには当時今村中将とオランダの総局長が語り合った内容も、インドネシア語と日本語で文献が残っていた。もっと感動したのは、この歴史の家の本棚の中にあった本、『史戦亞東大 戦作ワヤジ』最初はなにかと思ったけど、そう、大東亜戦争、ジャワ作戦!
陸軍省企画とある!担当者にお願いして、コピーをとる許可を得た。読んでみるとどうやらこのジャワ上陸作戦に同行した従軍記者が書いたものらしい。日本語で残る貴重な文献であることには間違いない。


 
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 今回の「歴史の家」訪問は本当にいい体験だった。ここを教えてくれて、2時間のドライブにつきあってくれたッマムールさんには大感謝。彼は過去をちゃんと伝えたいといって、中学2年生になる孫の男の子も連れてきた。この子がいい子で、お爺ちゃんの話を真剣に聞いていたのが印象的だった。
 こういうところに行っても、私がちゃんとチェックするのはご当地飯。今回は飯じゃなくてパイナップル。カリジャティからバンドンへ戻る途中にあるレンバンはパイナップルで有名なのだ。とにかく甘い。「甘さ蜂蜜の如し」というのがパイナップルの名になってるくらい甘い。
 マムールさんの奥さんはパイナップル剥くのが面倒だから好きじゃないらしい。私はこれを斜めに切り込んでぎざぎざにしてカットするのが大好きなので、今泊めてもらってるササンへの土産に2個購入してバンドンへと帰った。
 マムールさん、今回のガイド、本当にありがとうございました!
by midoriart | 2009-07-01 21:34 | Bandung
 今回ははじめてバンドンの周辺を回る旅。
 前から気になっていたタシック方面にあるカンプン・ナガという村は、残念なことについ最近インドネシア政府に対して抗議するため、外部の人間をいっさい排除している。だから今回は訪問できなかった。


b0090333_11205655.jpg 今日はまずバンドンから東部を巡った。
 最初に訪れたのはゴア・ジェパン、日本の洞窟。日本軍占領時代に、日本軍が作ったものだ。インドネシアにはいたるところにこのような洞窟がある。そして多くの観光スポットがそうであるように、ここでも若い「自称」ガイドがいて、
「中は暗いから、この懐中電灯が要りますよ。はぃ、3,000ルピアね~」
というヤクザな商売をしていた。
 インドネシアで残念なのは、こうした歴史的重要な場所に、ちゃんと正しい歴史を語れる人がいないこと。そうした表示もないこと。ヤクザな半分ガキなガイドの言うことは本当に信用ならん。観光局でもすこし改善できないもんだろうか。


b0090333_11212369.jpg 次に行ったのはガルット。ここは独特なバティック(ロウケツ染め)の文様をもっていることでも有名。その前に私が気になったのは、西ジャワにはめったに見られないヒンドゥーのチャンディ。Candi Cangkuang(チャンディ・チャンクアン)。入園料みたいなもんを払って中にはいるとそこは湖。その向こうに小島があって、チャンディはそこにあるという。そっちに渡るのにはでっかい筏に乗る。
 けっこうのどかないい感じの場所だったので、バリの観光地によくある「ふっかけ」はしてこないだろうと思いきや、筏こぎの兄ちゃんが一人でやってきた私にこっそり言う。
「あんた、今からすぐ向こう岸に行きたいんだったら、特急料金で行けるよ」


b0090333_11214190.jpg 本当なら泳いだって行ける距離。隙あらば金かぃ。
「いい、いい。他の人が乗ってくるの待ってるから」
こんな場所まで来て急いだって意味がない。こののんびり感こそインドネシア。日常の中でこんなタラタラした時間があるとついついキレかける私も、旅だと思えばなんてことはない。ゆったりと揺れる筏にはちゃんと屋根もついているからここで待つ。
 次に来たのは両親に連れられたイスラムの女の子たちだった。彼女らのはしゃぐ声を聞きながら別の乗客を待つこと40分。


b0090333_1122188.jpg ようやく筏が向こう岸へ動いた。
 こっちにあるのがこのチャンディ。ヒンドゥー教が残したチャンディの前には、イスラムの指導者の一人の墓地があった。ヒンドゥーとイスラムが一緒になってるのは珍しい。さらにチャンディの中にはちゃんとヒンドゥーの神様の像が残っていた。


b0090333_11222055.jpg 同じ船頭さんに送ってもらってチャンディを去る。
 見たいもの見た後、気になるものといったらもちろん「ご当地飯」!
今回はガルット村で有名な飯屋でこんなセットを注文。だいたい具は古今東西似たようなものだけど、味付けが違ってたり、名前が違ってることが多い。炊き込みご飯は美味かった~~~


 そして街まで出てガルットのバティックも物色。一番安い一色染めのコットンバティックを3枚購入してバンドンへ帰った。
by midoriart | 2009-06-30 11:05 | Bandung
 ハンディウィルマンの個展オープニングに参加したらすぐ、バンドン、ジャカルタ方面へ行こうと思っていた。5月にバンドンのSelasar Sunaryoで個展を開いたときに、私の作品テーマに感動してくれたインドネシアのおじいちゃんンが、何度も会場に足を運び、第二次世界大戦中の日本軍の話を特にバンドン周辺に限って話してくれた。その話の中に出てきた場所を、時間をかけて訪ねたいと思ったいたのだ。
 電車のチケットを取りに駅へ行って驚いた、しまったインドネシアの年度末ってことを忘れてた。日本でいえば春休み、みんな旅したくてバンドン行きのチケットは3日後の分しかなかった。運良くハンディウィルマンの個展を見に来てたバンドンのキュレーター、アスムジョがでっかいバンでジョグジャに来ていたので、これに便乗してなんとかバンドンへ。


b0090333_16162467.jpg 今回は親友ササン宅にお邪魔した。彼は最近バンドン北部に引っ越したばかり。ちゃんとゲスト用に一部屋あるというので遠慮なく3泊させてもらった。これは敷地一番奥に作った彼のセラミック工房。


b0090333_16172018.jpg 初日はササン夫婦、若い友人オクトラと一緒にバンドンの新しいスペースを巡ることに。ジャカルタの雨後のタケノコ系ギャラリーとは別に、バンドンでは若いアーティストがコミュニティを作ったりしている。最初に行ったのは「RUMAH BUKU(本の家)」。
 ビデオ好きなコミュニティがレンタル本屋、レンタルビデオ(といっても商業的なものじゃなくてインディーズが多い)などを一箇所でやっている。実は2005年からあったのに、私は今回初めて知った。


b0090333_16195620.jpg ササンが思い出したように言った。
「そういえばITBの数学の教授がさ、新しくでっかいミュージアム作ってるんだけど、オクトラ行ったことある?」
今日は我々のために運転手をかってでてくれたオクトラもまだ見てないというので、早速この建設中のミュージアムを見に行った。
 場所はバンドン北部、かなり高い丘にある。車を停めたら、ちょうどその数学教授という女性が出てきた。ラッキー。


b0090333_16223577.jpg 教授の名はアンドノワティ。もともとアートに興味があって、自分でコレクションもしてるらしい。このミュージアムは彼女の夢で、建築は私がついこの前個展をしたばかりのSelasar Sunaryoと同じバスコロさんの設計、確かに似てる。ってか、豊田市美術館にも似てる。谷口吉生のファンなのかな。

 偶然にも来年1月の開館記念展に、ササンも招待を受けていたので、そんな話を聞いたり、今後の抱負を聞いたり、とにかくおば様は自分の夢がこんなふうに実現していくのを見て、とっても嬉しそうで、興奮気味にミュージアムツアーをしてくれる。


b0090333_1626445.jpg これはミュージアムの2階からの眺め。向こうに見える村も、実は彼女の計画の中にはいっていて、いずれはアーティスト・ビレッジとして機能する。ジャカルタの金持ちが趣味でギャラリー始めてることは先回話したけれど、バンドンの数学教授はもう少し知的に大がかりなことを考えているようだ。
 作品の売買もちゃんと考えて、コレクター様が宿泊できるビラも建設中だし、カフェもあって、さらにミュージアム内にはバンドンで一番の品揃えになる(らしい)画材屋も入る。さらにレンタルオフィスのスペースもあったりと大規模。実際にムチャ広い。

 いやぁ。スゴイわ。今年8月末までには工事を終えて、展覧会準備に入りたいらしいけど、インドネシアのペースで8月に間に合うか?という進み具合ではあった。でもこれが出来たらかなりすごそうなので、またバンドンに来なくちゃ。まだまだ変わっていくバンドンのアートシーン、楽しみである。
by midoriart | 2009-06-29 22:10 | Bandung

GIGIとインドカレー

 バンドン会場Selasar Sunaryo Art Spaceで無事にオープニングを迎えたその翌日5月9日、インドネシアを代表するロックバンドGIGIのボーカルArmandから電話がかかった。
「ミドリー、オープニング出られなくてsorry。俺たち今日の夕方そっち行くから、待ってろよ。夜はライブだから!」
 なぜかGIGIのライブとはジャカルタ会場のときもベストタイミングだった。私がジャカルタに作品設置に出かけた翌日、彼らは15周年記念コンサートを開いた。私は運良く彼らの御目出度いライブに招待を受けたのだった(『GIGI Live:The Stones are still rolling』参照)。

 そして今回は私の個展オープニング翌日に、彼らがバンドンの大学でライブ!!
 大スターの彼らが使う会場はスタジアムだったり、でっかいホールのことが多い。そんなでかくて座席のないライブは、なんせ熱狂的な男子たちが我を忘れて汗ダクになって飛びまくるわけで、中学時代からライブ慣れした私でもちょっと怖い。でも今日は私立大学の講堂、このくらいの大きさだと安全で嬉しい。
「行く!行く!ライブ会場で会おうね!」


b0090333_1454067.jpg そして夕方、彼らとは会場の控え室で落ち合った。さすがスーパースター、GIGIおかかえクルーが私のいる場所まで迎えに来てくれて、まるで私がVIPでもあるかのように、肩を抱えられながらGIGIの控え室に連れてってもらった。ここで約1ヶ月ぶりの再会~。彼らはGWに名古屋公演を終えたばかりなので、我が故郷名古屋での土産話に花が咲く。


b0090333_14541685.jpg そして前座バンドが終わり、彼らのライブの時間。いつもGIGIはライブ前にメンバー4人で祈る。その話は知ってたけど、実際に見たのは初めてだった。イスラム教徒3人、ヒンドゥー教徒1人が心を一つにしていいライブのために祈ってる姿はなんだか感動的だった。これぞまさしくインドネシアのスローガン『ビネカトゥンガルイカ』(多様性の中の統一)だ。


b0090333_14543210.jpg ここで彼らとは別れ、私はステージの一番前を取るべくステージ側へ走る。しっかりと一番前の場所をとってスタンバイ。私が親しくしているボーカルのアルマン、ギタリストのブジャナの2人。アルマン38歳、ブジャナ46歳にしてこのパワー、すごすぎる。単純に同世代として、ここまで動ける体力についつい感動してしまう。もちろん曲もだけど。
 アルマンにノセられて久々に汗かくまで踊ったけれど、翌日はふくらはぎの筋肉痛で泣いた。今後GIGIのライブ行くんだったら、日々の筋トレが必要と痛感。

 タイムリーなGIGIのライブを見た翌日、バンドンを後にしてジョグジャカルタへ戻った。
今度はバリ会場での新作準備のため、ジョグジャ北部カリウランにある窯元へ。そこで思い出したのが新しくできたインド料理屋。これは以前LIP(インドネシア・フランス文化協会)でディレクターをしていたパスカルが作ったレストラン。フランス人が最近OPENさせたインドレストラン、ずっと気になっていたのだけれど、展覧会で忙しくしてて暇がなかった。


b0090333_14545360.jpg 同じく近頃カリウランエリアでラーメンの店、その名も『侍ラーメン』をOPENさせたばかりのMさんを誘ってようやくのインド料理~。まず店に入って驚いた。内装がイイッ!!! バリのスミニャックやウブドにあるんだったら納得だけど、この田舎ジョグジャカルタでこれだけのセンスの店はそんなにない、ってか「ない」と言ってもいいかも。インドの布やアクセサリーも売っている。さらに近々ヨガ教室も始まるらしい。


b0090333_14551732.jpg さすがはミスター・ラーメンのM氏、内装で喜ぶ私に、
「問題は味ですからね…」
と一言。もっともです…。
 オーダーしたのはチキンカレーとインドの豆腐カレー。残念ながら今日はナンがなかったのでお供は白米。
 美味いッ!!!インド料理は私の大好物なので、シンガポールのリトルインディアなんかに行ったら毎日のように食べる。日本でもついつい入るのがインド料理屋。ジョグジャの田舎にあってこんなレベルのインド料理が食べられるとは大大大感動!パスカル、ありがとう~~~!!!


 最近では美味いもの食べた時に一番幸せを感じる私としては、この美味しさは数日幸せが続くであろうレベル。本当に美味しかった。ましてやM氏のおごりだし。ゴチそうさまです~

 GIGIライブとインドカレーで大大満足。しばらくこれを思い出して幸せにひたれそうだ。
by midoriart | 2009-05-13 14:52 | Bandung
 5月8日オープニングの個展『メモリー・オブ・アジア』の作品設置のため、5月4日の夜行電車でバンドンへ向かう。5日午前8時にバンドン駅に着き、直行でスラサール・スナルヨへ。仮眠をとってすぐに作品設置を始める。
 
 今回の会場は広くてそれぞれの空間がそれぞれの色をもっているから、配置に悩んだ。作品はフィリピン編(フィリピンで1000人と作品を交換したプロジェクト)、ブリタル編(東ジャワで過去に日本軍から軍隊訓練を受けたお爺ちゃん30人と作品を交換したプロジェクト)、そしてバリ編(バリのお年寄り100人と作品交換したプロジェクト)の3部。これをどう置いて、ディスプレイするか、決めるまでに一番時間がかかった。
 

b0090333_15245149.jpg 一番最初に決定したのがバリ編。まずは一番小さな空間に、バリのお年寄り100人と交換したものを並べる。もともとは映像を流すための空間なのだけれど、あえて私は作品を置くためにこの空間を使った。


b0090333_4424111.jpg 会場は横に長い。小さく仕切った空間が3つ続いた後に、最初に位置を決定したバリの交換物を置いた部屋があって、最後にどでかい空間がある。これが最後の展示室で、観客はここから来た方向へ戻ることになる。交換物の量からしても、この部屋がフィリピンの1000の交換物を展示する場所になることは確か。


b0090333_44385.jpg 入り口から入って最初の空間で、バリ編とブリタル編のビデオを回すことにした。これでバリ部屋、ビデオ部屋の位置は決定。


b0090333_4434029.jpg そうなると、ビデオ部屋に続いて真ん中の仕切りの部屋がブリタル編となる。写真のまん中の白い3面を囲まれた部分、ここがブリタル編の部屋。バリの100人のお年寄りの写真はその横のコーナーを使って設置。


b0090333_4441254.jpg 今回はスラサール・スナルヨのスタッフ、チェチェップ君とヤディ君、この二人がむちゃよく手伝ってくれた。言っちゃ悪いけど、インドネシアでは自分の作品設置を手伝ってもらうときに、10言ったことを5やってくれたら、まー良しとしなくちゃいけないってレベル。それがこの二人、10言うと、自分らでその先を読んで12くらいはやってくれる。これはインドネシアでは本当~~~に珍しい。さらに仕事が丁寧と来たらもう、これは稀なる存在。普段は美術館の清掃がメイン作業っていうからすごい。


 それ以外にもスラサールはさすがスタッフ構成がしっかりしていて(日本では当たり前かもしれないけど、インドネシアでこれはホントにすごいの!) 広報担当、オープニング担当などなど、それぞれがちゃんと仕事してる感があって、気持ちがいい。本当に今回の展覧会は気持ちよく作品設置だけに集中できた。

 オマケにここは敷地内に野外ステージ、多目的オープンハウス、レジデンス用竹小屋まであるから、私はずっと美術館内で寝起きできる。これがありがたい。夜中にふと作品いじりたくても、ガードマンに頼んで会場を開けてもらえる。ほぼベストな状態、ありがたや…。

 前日はかなり夜中までかかって作品の一部になるテキストを壁に貼る作業。これもチェチェップ君とヤディ君が文句一つ言わず、それよりなんだか仕事があって楽しいみたいな様子で全部手伝ってくれた。こういうスタッフがいると本当に助かる。スポットライトの位置確認までして、ディスプレィ完成。明日のオープニングは雨が降らないことを祈る。
by midoriart | 2009-05-05 22:06 | Bandung
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Memory of Asia
Midori Hirota Exchange Project 2006-2009

at Selasar Sunaryo Art Space
Jln. Bukit Pakar Timur No. 100, Bandung
Indonesia
Tel +62(0)22 2507939
http://www.selasarsunaryo.com

OPENING : May 8 (Fri) 7pm
show until 23 May 2009


Open dairy 10:00am - 5:00pm
Closed on Monday, Public Holidays

今年インドネシア3箇所を回る「交換プロジェクト」の第2会場は西ジャワのバンドン。
5月8日より23日まで。
3会場の中では一番広いスペースとなる今回、セッティングには4日かける予定。
明日の夜行電車でバンドンへ向かう。
by midoriart | 2009-05-03 15:20 | Bandung
 インドネシア3都市を巡る私の個展はジャカルタ会場(4月2日~20日)の次に西ジャワのバンドンへ回る。ジャカルタ会場の撤収に行く前に、次の会場での打ち合わせのため、ジョグジャから夜行電車でバンドンへ。
 バンドンの会場は北部ダゴからもっと上に登った丘にあるスラサール・スナルヨ・アート・スペース。バンドン在住の彫刻家スナルヨ氏の個人ミュージアムとして10年前にオープンしたものが、最近では他のアーティストにも開かれたミュージアムになっている。組織もしっかりしていて、ここで開催される展覧会はすべてキュレーターチームが内容を検討してスケジュール割をしている。
 
 今日は一日このミュージアム内にあるバンブーハウスに泊めてもらうことになっていたので、午前7時にバンドンの駅に着くなり直行してまずはバンブーハウスで仮眠をとることにした。

b0090333_23525844.jpg これがスラサール・スナルヨ内にあるバンブーハウス。バンドンはオランダ植民地に、オランダ人が好んで休暇を楽しんだという避暑地。避暑っていうか、寒がりの私にとっては、かなり寒い場所といえる。ましてやスラサールはもともと涼しいバンドンの丘の上にあるから、夜はかなり冷える。


 バンブーハウスは味があって周囲は緑に囲まれて、まるで昔私が住んでたバリの一軒家を思い出すんだけど、なんたって気候が違う。夜行電車の疲れをとるため水浴びをするのはいいけど、ほとんど修行僧。冷水での水浴びは老体にはこたえる。

b0090333_23532129.jpg でも寒ささえ我慢できれば、なっかなかの住み心地。5月8日の展覧会オープニング前には、作品設置に4~5日とっているので、その間はずっとここに滞在することになる。10数年浮き草のような暮らしをしている私の長所といえば、どんなスペースでも1日あれば自分の空間にしてしまって快適に暮らせること。今回も一泊しただけなのに、もう自分ち気分でリラックスできた。

b0090333_23534862.jpg そして展覧会場はといえば、スラサール・スナルヨは本当に広い。メインの展示スペースの他に、その上に新たに作った展示スペース、そしてカフェの横に小さな空間がひとつ、その横には細かく仕切られた長方形のスペースもある。


b0090333_23542056.jpg 今回私が使うのはその中のギャラリーBと呼ばれる部分。大きく分けて10x8m、5x4m、9x7mの3つの展示室がある。これ全部私が使うことになる。今やってるジャカルタの国際交流基金ホールの2倍以上の広さ。
 形が形なだけに、展示のレイアウトがなかなか決まらず、結局朝から晩まで一日中、頭の中で自分の作品を置いた場合を想定してスペースをぐるぐる回るだけになった。

b0090333_23543848.jpg これがギャラリーBを出たところにあるカフェ・スラサール。洒落ててメニューも美味しいから、バンドンの若者たちにも人気のスポット。今日は日曜だから、美術に興味のない若者も、このカフェに集まってきている。いやぁ~、こういう場所を見るにつけ、ジョグジャってのがいかに田舎モンの街かがわかる。
 ここはさらにホットスポットにもなってるから(っても有料)ネットもできて便利。今度作品設置にきたら、毎日メニューを順番に試していけるな…。


 ここはスタッフも多く、展覧会もコンスタントにあるから、皆さん手馴れていて嬉しい。設置の相談ができる技術者もいるし、案内状やポスターのことをお願いできるハウスデザイナーもいるし、打ち合わせがその名のとおり、ちゃんと打ち合わせになってるってことがまず嬉しい。(←この普通に考えたら当たり前のことができないのが、インドネシアの普通といっていい。失礼かもしれないけどホント)
 1日ではあったけど、やっぱりちゃんとスペースを見て、展覧会初日までのことを話し合っておいてよかった。一晩震えながらバンブーハウスで寝たのもよかった、次回長く滞在するときには絶対毛布もってくぞ。

 そして明日はここからアンコッ(乗り合いバス)で長距離バスターミナルまで行き、高速道路で2時間強、ジャカルタへ向かう。20日でジャカルタ会場での個展は終了、作品撤収です~。
by midoriart | 2009-04-19 23:49 | Bandung