Culture & Art Report from INDONESIA


by midoriart

カテゴリ:Indonesia( 32 )

 インドネシア政府が公式発表した断食明けは今日12日。さっきの日没と同時に、これで本当にインドネシア中のイスラム教徒が断食明けの長期休暇に突入したことになる。昨晩からニュースでは、すでに帰省ラッシュの大通りで、スピードの出しすぎ、よそ見運転などで死者の出るような事故を何件も報道している。


b0090333_22502271.jpg  ところで今朝、バリの旧友N翁からメールがあって思い出した。そうだ、今日10・12はバリ島で大きな爆弾テロのあった日でもある。今年でもう5年になる。バリ島南部、観光地として有名なクタ・ビーチで、路上に止めてあった自動車爆弾が爆発、向かいのディスコなど多くの建物が炎上し、202名の犠牲者を出した。日本人観光客も含まれる。



b0090333_22504925.jpg  私は当時ジョグジャにいたけれど、その後の浄化儀礼に参加して、その惨状を目の当たりにした。今思えば、あの時見た惨状が生まれて初めて見た爆発の恐ろしさだった。そして2年前の地震の被害、あれが天災の中で一番悲惨なリアル体験だった。
(現場に建てられた追悼モニュメントには日本人お二人の名も刻まれている)


そうか、あの爆弾テロからもう5年もたつんだ・・・。それにしてもインドネシアはテロ、津波、地震と人災天災なんでもアリだ。インドネシアに限らず、なんだかこのごろ世界中でこの3つはよく耳にするようになった気がする。いったいこの地球はこの先どうなるのだろう。
外はまだ、断食明けを祝うイスラム教徒の騒ぐ声と、王宮広場で打ち上げる花火の音で騒々しい。彼らにとっての新年が、テロも汚職もない1年になることを切に祈る。クタの爆弾で犠牲になった多くの人々(外国人ツーリストだけではなく、周辺で働いているインドネシア人も多く亡くなった)のために合掌・・・
by midoriart | 2007-10-12 22:52 | Indonesia
 インドネシア政府が公式発表した断食明けは今日12日。さっきの日没と同時に、これで本当にインドネシア中のイスラム教徒が断食明けの長期休暇に突入したことになる。昨晩からニュースでは、すでに帰省ラッシュの大通りで、スピードの出しすぎ、よそ見運転などで死者の出るような事故を何件も報道している。


b0090333_2254337.jpg ところで今朝、バリの旧友N翁からメールがあって思い出した。そうだ、今日10・12はバリ島で大きな爆弾テロのあった日でもある。今年でもう5年になる。バリ島南部、観光地として有名なクタ・ビーチで、路上に止めてあった自動車爆弾が爆発、向かいのディスコなど多くの建物が炎上し、202名の犠牲者を出した。日本人観光客も含まれる。



b0090333_22542559.jpg 私は当時ジョグジャにいたけれど、その後の浄化儀礼に参加して、その惨状を目の当たりにした。今思えば、あの時見た惨状が生まれて初めて見た爆発の恐ろしさだった。そして2年前の地震の被害、あれが天災の中で一番悲惨なリアル体験だった。
(写真は現場に建てられた追悼モニュメント。日本人の名前も刻まれている)


 そうか、あの爆弾テロからもう5年もたつんだ・・・。それにしてもインドネシアはテロ、津波、地震と人災天災なんでもアリだ。インドネシアに限らず、なんだかこのごろ世界中でこの3つはよく耳にするようになった気がする。いったいこの地球はこの先どうなるのだろう。
  外はまだ、断食明けを祝うイスラム教徒の騒ぐ声と、王宮広場で打ち上げる花火の音で騒々しい。彼らにとっての新年が、テロも汚職もない1年になることを切に祈る。クタの爆弾で犠牲になった多くの人々(外国人ツーリストだけではなく、周辺で働いているインドネシア人も多く亡くなった)のために合掌・・・
by midoriart | 2007-10-12 22:52 | Indonesia
 バリで暮らしていたときにはまったく感じなかった「師走感」がジョグジャだとある。イスラム教徒にとっては今度の週末が新しい明けなのだ。H1428(イスラム紀元)がもうすぐやってくる。この一ヶ月真面目な信者さんたちは断食しているので、それが明け、実家に帰り、家族そろって一年の罪を許しあい、美味しいものを食べまくるというシーズン。
 ジョグジャにきた最初の断食月は、どんなものか試しに断食してみたけれど、以来一度もやってない。けっこう断食月で痩せる子もいるけれど、私の場合は
「日中何も食べてなかったんだから、日没になったら食うぞ!」
と躍起になって、普段よりも食べちゃったり、ついつい甘モノに手を出してしまうからいけない。


b0090333_16191656.jpg 今日はチャハヨ宅へお邪魔した。今回東ジャワのブリタルで交換プロジェクトをした際に、すべての行程に付き合ってドキュメント撮影をしてくれた彼が、その長い長いビデオを25分に編集してくれたので、内容のチェックに行ったのだ。
 ただまだ若干長いので、さらにいらない部分を削って14分に再編集。後は私がインドネシア語の会話を日本語訳して、字幕をつけたら完成。これは11月の個展で作品と一緒に上映する。


 ようやく仕事が終わって帰ろうと思ったらチャハヨの妻が言った。
「あ、そういえば今日はCareffourが24時間営業なんだって」
日本じゃ24時間営業のスーパーも当たり前だけど、ジョグジャで夜中に買い物できる店なんてサークルK以外にはない。ジョグジャ最大のスーパーCareffourが24時間営業?
 どうやら断食明けの祝日、レバランに向けて皆さんお買い物に忙しいため、5,6日の2日に限って24時間営業するものらしい。いったいどんな様子になってるんだろうか気になったので、チャハヨ宅を出て、そこままCareffourへ向かった。時は午後10時を回ったところ。


 ジョグジャのCareffourはでかいアンバルクモプラザというショッピングモールに2フロア分入っている。遠くからもわかる超デカイ看板に
「今年もやります。5~6日はノンストップ営業」
と出ていた。外にもまだたくさん人がいる。
 そのまま駐車場へ入ると、出る車と入る車で込み合っている。こんなの普段は見たことがない。駐車場の誘導員がヘタクソなので、余計に渋滞つくっちゃってる。


 なんとか駐車して中に入ると、まるで昼間の賑わい。確かに、断食月の今は、皆さん夜になると元気が出るからなぁ。レバランになると家族で食べまくるので、食品売り場は人だかり。さらにお客様用だったり贈答としてお菓子の詰め合わせもレバランの風物詩。日本でいう果物の盛り合わせ籠、あれの菓子バージョンがたくさん並んでいる。
 私は単に明日のパンが欲しかっただけなので、さっと商品拾ってレジへ。


b0090333_16195696.jpg  インスタントラーメンやお菓子は、ダースでみなさん買っていくので、普段はわりと高級でキレイな印象の店内が問屋状態。店員の姉ちゃんも詰まれたダンボール箱の山に座り込んでいる。

b0090333_16204414.jpg  向かいのレジにいた娘の買い物はいかにもレバラン用。シロップやお菓子などなど、カウンターに置ききれないほど買っていた。


 そんなこんなで今のジョグジャは師走状態。皆さん浮かれ気分、今日から学校も休みになるんじゃなかったかな。そして日本同様帰省ラッシュも始まる。時間や金銭的に余裕があるときは、私も「ミニ帰省」と称して、バリまで戻ってバリの家族のもとで休暇を過ごすのだけれど、今年はそんなことしてる暇はない。個展の準備があるので一人家にこもってレバラン休暇を過ごすことになりそうだ。
by midoriart | 2007-10-05 21:17 | Indonesia
 4泊4日のブリタルの旅も終わった。
 今回のPETA生き残りとの作品交換は、11月13日より愛知県美術館で始まる私の個展で発表するものなので、あえてここでは詳しく説明しないことにする。

 いつものことだけれど、知らない土地へ行ったらまずはそこの名物を食べたくなる私としては、今回の旅は収穫が多かった。やっぱり知ってる人と一緒ってのはこういうときにもイイ。同じ名物ってったって、やっぱり美味しい店とそうじゃない店があるわけで、必ず当たりくじをチャハヨが教えてくれるというのは本当にラッキー。


b0090333_0292019.jpg 初日の夜に食べたのは「ナシ・タフ」。訳せば豆腐ご飯。屋台で出してるブリタルの名物メニュー。ご飯は半分にしてもらって、その上に小さく切って上げた豆腐と、もやし、そしてせんべい。味付けはインドネシアのケチャップ(日本の甘口ソースに近い)。そこに思い切り辛い緑唐辛子の刻んだものが少しずつ入っているから、なめてると突然パンチをくらう。

 相性がいいのはあったかい紅茶。唐辛子の辛さで痛くなった舌も、甘くてあったかい(熱くないところがミソ)紅茶で回復する。


b0090333_1495714.jpg 最初に盛られてる状態ではわかりにくいので、混ぜたところを見せるとこう。
 チャハヨいわく、この手のものは最初にガッと混ぜてしまって味をなじませるのがコツらしい。


 ブリタルの朝にはナシ・プチェル。こいつも名前に「ナシ」と来てるから、つまりはご飯と何かってことだ。ジョグジャにもプチェルはあるけれど、甘くて辛さに欠ける。ブリタルのはチャハヨが自慢するだけあって、いやみのやい程度に唐辛子がきいてて、ジョグジャほど甘ったるくないから朝からすがすがしい気分。

b0090333_0295010.jpg プチェルはきゅうりやもやしなどの野菜をピーナツソースで和えたもの。とってもヘルシー。写真はチャハヨが注文した「彼バージョン」なので、スタンダードな「ナシ・プチェル」にプラスして海老のよせ揚げなんかもつけてる豪華版。プチェルは普通、朝のメニューなので夜になって探すのは難しい。


b0090333_0345624.jpg 私がココナツ系大好きと知ってるチャハヨがススメてくれたのがこのデザート。この白い色、全部ココナツミルク。もうたまらない!
 中には、黒米の蒸したもの、片栗粉とイモ粉を混ぜてゆでたもの、食パンのちぎったものなど、ま~いってみれば炭水化物ばっかが入っている。でもこの取り合わせ、それぞれの食感が微妙に違っていて、それらが口の中で固めだったり、トロッと溶けたりとバリエーションあって、さらにバックにはココナツミルクのマイルドな香りがあって・・・と、私にはたまらない一品。ダイエットを気にしなければ3皿は楽勝という味。


b0090333_0351491.jpg あまりに美味しいので、屋台の引き車にのってる中身の鍋を見せてもらった。このメニューも朝からはじまるもので、午後以降はなかなか見つけられないという。そして日が暮れて夜になると、また路上に並ぶそうだ。 あ、そうそう名前は「ジェナン・チャンプル」。


 食巡りで、普段は食べない夕飯もしっかり食べてしまったので、ジョグジャに戻ってからはまたダイエット再開。今年はまったく気にしてなかったけれど、気づけば断食月もあと1週間を残すだけとなり、街は長期休暇を前にそわそわしている。平日だっていうのに、どこもが渋滞。こっちは個展の準備で工具やら買いに行かなくちゃいけないのに、とにかくどこも人が多い。日本の師走、大晦日前の街みたいなものか。
 公的機関は12日から休みに入るらしい。私も一日だけは休みにして、敬虔なイスラム信者の友達夫婦んちで祝日のご馳走をいただくとしよう。今日は食べ物の話で終始。
by midoriart | 2007-10-01 23:24 | Indonesia
 交換プロジェクト2日目も無事に終了、結果ブリタル周辺に暮らしているPETA(インドネシア郷土義勇軍)の生き残り30人のリストはすべて当たることができた。残念ながら、その中ですでにあの世に逝かれた方が4名いらした。
 思ったよりも早くにプロジェクトが終わり、最後の1日は今回の縁となったPETAの跡地を訪ねることにした。もともとオランダ植民地時代にオランダ政府によって建てられた建物が、そのまま日本軍占領時代に使われたもの。ここが1943年からは、日本軍によって設立されたインドネシア青年による郷土義勇軍の訓練所として機能したのだった。

 今ではこの跡地全体に4つの公立中学校が入り、教室として利用されているのだけれど、今回生き残りのお爺ちゃんたちから聞いたら、歴史的にも重要な場所なので、PETA記念館として使われるべきとの嘆願書も集めているらしい。

b0090333_2114323.jpg かなり広い敷地の入り口には、1945年に義勇軍一同が日本軍に抵抗した歴史的「ブリタルの反乱」を指導した中隊長スプリアディの像が立っている。残念ながら、来年の記念日(2月14日)に向けて、像の修復作業中だったために、囲いの隙間からしか像を拝むことができなかった。


b0090333_2115964.jpg 今は中学生の教室として使われているこの棟は、当時義勇軍の隊員たちの宿舎だったという。この場所でスプリアディが仲間を結集し、東にある日本軍指導官たちのホテルへ武器を持ってなだれ込んだという説明の碑が立っていた。


b0090333_212118.jpg 少し離れたところには、刑務所もあった。刑務所という言葉が適切かどうかわからない。当時は日本兵が義勇軍の隊員たちの指導に当たっていたので、その中で抵抗するものがいたり、規則に背いた者がいた場合に、ここを使ったという。やさしく言えば「お仕置き場」ということか。このPETA跡地には、当時の建物をそのまんま使っている区域も多く、中学生たちの間では、たくさんの幽霊話もあるという。いかにもいそう、出そうな空気ではある。


 ブリタルはPETAの大きな駐屯地があり、1945年に初めて日本軍に抵抗した反乱が起こったことでも歴史的に有名な場所だ。でも、もう一つこの街を有名にしているのが「初代大統領スカルノの墓」がある場所ということ。彼が幼少を過ごした家も、一般公開されている。
 彼のお墓にお参りした後、街の中心にあるスカルノの実家を訪ねた。若き日に彼が使っていた寝室も見ることができた。客室には古い写真がたくさん飾られていて、中には昭和天皇と一緒にいるシーンもあった。


b0090333_2123127.jpg これは何人目かの妻、あのデビ夫人が妻になりたての頃だろう。当時はキレイだったんだなー・・・。


b0090333_213020.jpg 大統領だった頃、スカルノが使っていたという自動車も車庫にそのまま残されていた。なにげ~にドアを開けてみたら開いたのでビックリ。でも彼自身は運転はできなかったため、運転手をつけていたらしい(まー当たり前だわな・・・)。


 ブリタル観光局みたいになってきたけれど、最後に訪れたのはブリタルに残るチャンディ(遺跡)。ジャワ島では、ほぼすべてのエリアに渡って、こうしたヒンドゥー教の影響の多いチャンディが残されている。遺跡巡りは私の趣味なのでよく回るのだけれど、このブリタルのプナタラン・チャンディはかなり広い敷地で発見、保存されていて、周囲の環境もまだ田舎なので、と~ってもいい感じだった。

b0090333_2131931.jpg おそらく沐浴場だったであろう池には、たくさんの魚が泳いでいた。なんでも、この池の魚は神聖で、さらに神通力もあるので、夜になると身体が透け、骨だけが泳いでいるように見えるらしい。日中の暑い時間帯なのに、ここだけひんやりと気持ちのいい空気が流れていて、ふと見るとこんな猿のレリーフまであったりして、ついつい長居をしてしまった。


 初めて訪れたブリタルの街、チャハヨとその仲間たちのおかげで、思い切り充実した濃い時間を過ごすことができた。そして心配していた生き残り爺ちゃんたちとの作品交換も想像以上にスムーズに進んだのがなにより。
 夜は彼ら全員を招待して、街の魚料理屋で打ち上げ。皆さんどうもお疲れ様!
 
by midoriart | 2007-09-29 21:00 | Indonesia

b0090333_32341.jpg 今日から3日間でブリタル周辺に暮らしているPETA(インドネシア郷土義勇軍)生き残り全員と会うつもりなので朝からかなり気合が入っている。今回ブリタルで見つけた宿はプリ・プルダナという新しい宿。まーまーキレイ。老体には温水が必要なので、贅沢してホッとシャワー付きの2階の部屋をとって16万5000ルピアのところ、3泊か4泊するんだからと値切ったら25%OFFにしてくれた。だから12万強ルピア(約1500円)になった。お湯もしっかり熱いのが出るし、ラッキー。


 今日からジャワでの交換プロジェクトの開始。気合が入る。
 ブリタル市を選び、日本軍が設立したインドネシア青年による郷土義勇軍の生き残りを巡るというこのプロジェクトは、ジョグジャ在住の私の信頼する友、チャハヨの大きなバックアップで成り立っている。ブリタル出身の彼が、地元にいる仲間を引き込んで、私のプロジェクトを全面的にサポートしてくれることになったのだ。
 映像関係の仕事をする彼は、新聞記者、カメラマンなどの知り合いも多いので、今回は私が動くところに必ずチャハヨ(ドキュメントビデオ担当)、ワワンさん(カメラマン)、そしてブリタル市のWEBサイトを作っている ライターのサイムさんが付き合ってくれた。


b0090333_322838.jpg 訪問第1号は、郷土義勇軍(Pembela Tanah Air、略してPETA)戦友会の委員長をしているイブノ氏。私がブリタルを訪ねることをチャハヨの仲間が説明し、生き残りの名簿をくれたのが彼。だから私が訪ねてくることも知っていて、この日は朝からむこうの方が私よりもずっと気合を入れてたみたいだ。いきなり軍服で出てこられて、こっちが驚いた。

「昔は、日本とインドネシアはラワン(抵抗)していたが、今はカワン(友)なんだ」
と、ニコニコのイブノ氏、私の交換プロジェクトはそっちのけで、日本人見て興奮してしまい、軍歌は歌うは、私と一緒の写真撮りまくるは、そのテンションにわれわれ全員かなり引き気味。


 そして見せられたのがイブノ氏の日本刀コレクション・・・


b0090333_324226.jpg なんだけど・・・。
 う~~~ん・・・。どう見てもこれ、日本製じゃないです。悪いけど。日本語のような文字が入っているのだけれど、いかにも、外人が日本の文字にあこがれて、真似てみました~って文字。漢字でもカタカナでもない。

 でもイブノ氏が
「ほれほれ、なんて書いてるんだね?」
って真剣に聞いてくるから困った。彼が家宝にしている「日本刀」だと思ってるものを
「あ~、これ、ニセモノですよ、日本語じゃないです」
と言い放ってしまっていいものか・・・。でも私自身、嘘がいやなので、
「これはどう見ても日本語じゃないですね~・・・どんなに古い文字でも、日本語かどうかくらいはわかりますが、私にはこれは読めません」
と答えたら、それでも向こうは
「ふん、あんたみたいな若い世代では、当時の字は読めんのだな」
と馬鹿にする。こうなったら仕方ない、あんたの思うようにしときなさいというしかない。


b0090333_33042.jpg でもその後もずっとこの刀と、もう一つ見せられた巻尺のようにして中から刀(のようなもの)が出てくる謎の武器のことが気になり、なんとか真実が知りたいと、ジョグジャの地震で親しくなった自衛隊のおじ様二人にメールを送って聞いてみた。

お二人とも、答は
「この写真からすると、どうもニセモノくさいですね」
「日本軍の将校は、軍刀である日本刀を持っていたので、日本刀のような物ならそうと言えるのですが。将校でない兵士たちはライフル銃を持っていて、その先に付ける銃剣と言われる物は持っていましたが、硬い物です」
とのこと。
 イブノ氏が持ってたようなフェンシングの剣みたくクネクネ曲がるものは、当時の日本軍がもってたとは思えない。この件については、今後ももう少し調べてみようと思う。

 ドショッパツから軍歌に記念撮影、わけのわからん日本軍の武器紹介から始まったので、この先が思いやられながらも、もらった名簿をシラミツブシすることに。名簿には96名の生き残りの名が掲載されていたが、よくチェックしたらPETAの生き残りはわずか30名、66名はPETA軍兵の妻だった。さすが女はしぶとい。だって倍だもの、生き残ってる数。
 私は日本軍に直接指導を受け、1945年2月14日には小団長スプリアディの指導のもと、日本軍に対して反乱を起こしたPETAの生き残り爺ちゃんだけにフォーカスして作品を交換してもらうことにした。

 チャハヨの仲間たちがすでに昨晩、この名簿の住所から訪問する順番を決めてくれていたので、時間も有効に使えた。私の訪問を知っていた最初の二人は、ノスタルジックに私に対していろいろ見せたり、歌ったりしたけれど、後の人たちはまったく突然訪問しているので、返って反応が気持ちよかった。恐れていた日本への憎しみを持っている人はまったくいなくて、私の訪問を皆さんとても喜んでくださって感激。

b0090333_331833.jpg 今日の中で一番のお年寄りは1919年生まれの88歳。うちの爺ちゃんが明治41年1908年生まれだから、そのほぼ10歳下か。それでもまだしゃきしゃき。やっぱり元軍人は姿勢も違う。


 出鼻をくじかれはしたものの、後半はスムーズに進み、今日1日で19人のPETA関係者と作品交換ができた。当時の話も聞けて満足。明日はブリタルの街の中を中心に訪問予定。
by midoriart | 2007-09-27 23:03 | Indonesia
 以前このブログで報告したスラバヤ市の日本語ガイドブックがようやく完成した。17年インドネシアに暮らしていながら、スラバヤという第2の都会とはまったく縁がなかった。過去にスラバヤへ寄ったといえばバリ時代、ジャカルタやバンドンへ飛行機で向かう際のトランジット先として、空港に降りたことがあっただけ。
 だからスラバヤ市長と観光局長から日本語ガイドブック作成の依頼が来て、今年5月に初めてちゃんとスラバヤの地に足を踏み入れたのだった。大名旅行1週間と、その後8月頭に原稿関係のために3日間をスラバヤで過ごし、完成したのが今回の『スパークリング・スラバヤ』。最初は地味に中身は16ページ白黒、表紙はアンティークに30年代のスラバヤ市内の写真を使用、2000部を印刷した。

 今回創刊までに尽力したのがスラバヤ観光局長であり、また市内の4つ星ホテル、スラバヤプラザ・ホテルのゼネラル・マネージャーでもあるユサクおじさん。彼の骨折りで、私の飛行機チケットも用意してくれ、今回の創刊記念パーティに出席することとなった。

b0090333_161428100.jpg 会場はユサクおじさんの「シマ」、スラバヤプラザ・ホテルのボール・ルーム。始まりの15分前にロビーへ降りたら、すでに役人のおっちゃんらが集合していた。少ししてスラバヤ日本領事館からSさんもいらっしゃった。


 招待されているのはスラバヤ市の観光関係者、新聞、ラジオ、TVなどなど。最初にユサクおじさんが挨拶、この本ができるまでの経緯をさらっと話し、いきなり
「じゃ~ミドリさん、何かコメントがあれば・・・」
とフラれて驚いた。聞いてないじゃん。
「何もありません」
でかわして、次はS領事。さすが公の場に慣れた方だけあり、流暢なインドネシア語でスラスラとお話しされる。聞けばスラバヤ市内だけで500人、東部ジャワでは700人の日本人がいるという。


b0090333_16144950.jpg「日本ではインドネシアといえばバリのことしか知らないといっても過言ではない中で、こうしたスラバヤにフォーカスした日本語ガイドが創刊されるということは、非常に有意義なことです・・・」
と領事から絶賛いただき、作った私も思い切り嬉しかった。

 私のように、どこの馬の骨かもわからん一匹狼が何か作っても、なかなか信用してもらえないけれど、なんせ天下の領事館が「いい!」と言ってくれてるんだから有難い。マスコミもみんな信用してくれるだろう。Sさん、ありがとうございます。


b0090333_1615745.jpg そして歓迎のスラバヤ踊りもあったりして


b0090333_16152427.jpg 次は東ジャワ州観光局長の挨拶と、公認サイン入れがあり、S領事にはスラバヤ踊りの額と『スパークリング・スラバヤ』が贈呈された。


 こうして無事に大盛況のうちに創刊パーティは終わり、ホテルレストランで用意されてたランチを食べて解散。S領事はとっても気さくな方で、
「ミドリさん、今度スラバヤにいらっしゃるときは連絡してくださいね。ここからなら領事館も近いですからね」
と言ってお帰りになった。つい昨日ジャカルタでお別れ味噌カツパーティをした大使館員の友人のことも知っていたので、親近感を覚えてくださったのかも。

 スラバヤからジョグジャへの飛行機は1日1本しかないので、用事は終わっても今日はジョグジャに帰れない。ユサクおじさんの「シマ」スラバヤプラザ・ホテルはすでに私の城みたくなっていて、すべてのホテル・スタッフが私を特別ゲストとして扱ってくれるから心地よい心地よい・・・。

b0090333_16155033.jpg まだまだ時間があるので、昔ジョグジャの芸大にいた陶芸家の友人ジェニーに電話して会うことにした。彼女は運良くこのホテルのすぐ近くに実家がある。5月のスラバヤ取材に来たときにも連絡して会ったので、3ヶ月ぶりの再会。


b0090333_16161152.jpg 隣にあるショッピング・モールで私が夕飯をおごり、彼女がデザートに有名なアイスクリームの老舗でデザートをおごってくれた。名物はラム種たっぷりのバニラアイス。酒に弱い人なら確実に酔えるってくらい豪快にラムが入ってて感動。
 さらに陶芸家の彼女は、最近作ったという陶のピアスまでプレゼントしてくれた。スラバヤには陶芸してるアーティストが少なく、彼女の陶製アクセサリー類はお金持ちマダム達に人気らしい。


b0090333_16163668.jpg 盛況な創刊記念パーティ、久しぶりのジェニーとの再会、一仕事終えて大満足なユサクおじさん、気さくでやさしそうなS領事。スラバヤもなかなかイイなぁ~
 18日からの美術調査、創刊記念パーティと、ずっと移動しまくり&初対面の人との出会いが多かった10日間で結構身体も疲れていたので、たまのご褒美にホテルの部屋にマッサージ師を呼んで1時間しっかり揉んでもらった。会計をしようとしたら
「いえ、ゼネラル・マネージャーのゲストなので、お金はいただかないように言われております」
だと。
 いやぁ~ユサクおじさん、ここまで手をうってあったか~、スゴイ。
 ってことで、ユサクおじさんのご好意に甘えて、タダでマッサージまでしてもらい、充実したスラバヤの夜は更け・・・

◎創刊にあたり、スラバヤ周辺を取材した時の記録は以下の日記を参照ください。
「東ジャワ5日間の旅へ」
「1日目:トゥレテス高原」
「2日目:サンライズ・イン・ブロモ山」
「3日目:ようやくのスラバヤ入り」
「4日目:ナイトライフ・イン・スラバヤ」
「5日目:映画館からタバコ工場」
「6日目:バティックの島マドゥラへ」
by midoriart | 2007-08-27 22:11 | Indonesia
 思い起こせば、12年前のインドネシア共和国独立記念日にはすでにバリで暮らしていた。金婚式じゃないけど、独立50周年はマス(金)の記念日といって、国中あげてかなり盛り上がって独立を祝っていたので、当時バイク乗りだった私は、カメラ片手にバリの田舎を走り回っては、市民が祝って作った幟や看板を撮影したものだった。あれからもう12年も経ったのか・・・。

 うちの隣はジョグジャでも有名な土産物屋なので、路上駐車が多い。その車を整理するために「パーキングおじさん」なるものがいる。なんのことはない。駐車してる車をちゃんと見てるってことで、運転手が発車するときにお金をもらうという公的な仕事なのだ。
 この隣の店の「パーキングおじさん」はもともとうちの町内のおっさんで、私の借りてる家の大家の遠い親戚に当たるらしく、やたらと私のうちのことにも口を出す。今回も独立記念日が近づいた頃から、何かと私の家の前に長~いこといて、めったに家から出ない私に会うなり
「ほれほれ、旗をよ~、ここにささないかんに」
と、何度も言ってきた。

 だから~、私はかわいい半円の紅白旗なのよ、ここ何年も・・・。と思ってるけど、どうも気に食わないらしい。めんどくさいので
「おじちゃ~ん・・・。私ちょっと忙しいのと、旗なんてどこで買ったらいいのかもわからないし、できたら、おじちゃんにお願いしたいんだけど、頼まれてくれるぅ?」
とできるだけ甘えるふりで言ってみたらすぐOKだった。
 つまりはこのおじさん、自分が頼られてるってことが嬉しい人なのだった(もちろん費用はこっちもち。おじさんのタバコ代も楽勝で入ってる額を渡した)。


b0090333_193931.jpg なので家の前もこんな華やかになった。


b0090333_195560.jpg 街はもちろんのこと華やか。


b0090333_1101823.jpg 考えてみれば、日本が終戦でショボくれてたときに、この国は生まれたのだ。徳川家康が天下とってる頃には、まだなかった国。そんなにさかのぼる必要もない。日本がついこの前、乃木大将の歌で戦争賛歌してたときにもまだなかったのだ。神様だったヒロヒト天皇の玉音放送に日本中が悔し涙を流したあの後に生まれた国。それがインドネシア共和国。
(独立の言葉を読み上げるインドネシア初代大統領スカルノ)


 今日は私の大好きなTV放送の映画枠も「独立コンサート」という生放送をジャカルタから流している。有名どころの歌手が、ナショナリズムの香りいっぱいの歌を歌っている。
 が、しかし・・・。

 今、終戦記念の特別番組を見て、どれだけの日本の若者が興味をもっているのだろうか。それと同じように、いったいどれだけのインドネシアの若者が、この独立を本当に祝っているのだろうか。62年は長い。オランダ植民地時代のことを覚えている人もどんどんあっちの世へ行ってしまう。そんな中で、どこまで本当のことがこの国で語られていくのだろう。日本もしかり。

b0090333_1143577.jpg 私にとっては戦争は他人事ではない。お爺ちゃんが戦場に行った戦争であり、父の同級生の腹に、B52機から撃たれた爆弾が突き刺さった戦争なのだ。今年の6月に一ヶ月滞在したフィリピンのバギオには、今も80過ぎの日本のお爺ちゃんたちが、その地で散った戦友の慰問に訪れるという。8月はいろいろ考えさせられる。この時期に、アメリカにいたりすると、いったいどんな気持ちになるもんなんだろう。広島や長崎のことを報道したりするんだろうか?それとも真珠湾だけにフォーカスしているんだろうか。
(写真は独立より後の1958年、スカルノ大統領と昭和天皇。昭和天皇はどこを見てるんだ???)

 私の部屋のTVでは映画が始まった。今晩はインドネシアの学生運動の英雄、GIEの生涯を描いた映画、その名も『GIE(ギー)』を放送している。
by midoriart | 2007-08-17 22:08 | Indonesia
 やっぱりマッサージだのスパだのとは無縁で滞在が終わってしまった・・・。唯一、気晴らしできたのはホテルに入ってるケーブルTVで放映されてる映画くらいか。懐かしい私好みのホラー映画2本を久しぶりに見ることができた。
 このたび4日間のスラバヤ缶詰で、ようやくスラバヤ市長お待ちかねの日本語情報誌が完成しそうだ。後は明日、ジョグジャの印刷屋で原稿の最終チェックと色チェックしたら後は刷り上るのを待つだけ。


b0090333_2354961.jpg 表紙には1899年撮影のエンターテイメント・クラブ「Grimm&Co.」の写真を使った。スラバヤはオランダ植民地時代、西ジャワのバンドンと並んで西洋人が多く暮らしていた街なので、今もこうしたコロニアル建築はたくさん残っている。この写真の建物、現在はタイ・チャン・レストランになってるらしい。今度来たときにはぜひ見てみたい。


b0090333_23542786.jpg 内容は白黒16ページ。スラバヤと周辺の見所を「食べる」「自然に触れる」「見る」などに分けて紹介した。私の好きな島、マドゥーラ島も「海を渡る」として紹介。あそこのジャムー(漢方)とバティックのデザインは紹介するに値する。


b0090333_23544654.jpg これはスラバヤの名物料理の紹介。わるいけど、ジョグジャよりは食べ物が美味い。種類も多い。どこの地域でも、華僑が多い場所には美味しいものが多いような気がする。マレーシアでもシンガポールでもそう思う。スラバヤもそう。ユサクおじさんが美味しい場所をたくさん知ってるってのもあるかもしれないけれど、少なくともジョグジャと比べたら、「海が近い=シーフードが多い」だけでもスラバヤの勝ち~って気がする。


b0090333_2355210.jpg 今回、思い切って日本語エディションを出そうと決めたユサクおじさんのいる「スラバヤ・ツーリズム・プロモーション・ボード(Surabaya Tourism Promotion Board)」がデザインしたスラバヤのポスターがコレ。青は海、緑は木々をイメージしているそうで、今回日本語版ガイドブックの「スパークリング」が青、「スラバヤ」が緑になった。


 本当は今回、昨日の昼に飛行機でジョグジャに戻るつもりだったので、チケットも取ってあった。けど、昨日の昼ごはん食べながら、中途半端にしてジョグジャに戻るより、もう1日だけ延ばして、完璧に仕上げてしまったほうが気持ちイイと思い直したのだ。ホテルのゼネラル・マネージャーであるユサクおじさんと一緒にいた日には、何泊しようがまったく問題ない。
 ところが飛行機のチケットはスケジュール変更すると追加でかなりの額を支払わなければならない。それにこのエアーは昼に1本しか運行していない。一度くらい電車もいいか。東ジャワを横断する鉄道にはまだ乗ったことがないし・・・ってことで帰りは電車にした。


b0090333_23552923.jpg 最近は電車もキレイになったし、まぁまぁ時間どおりにくる。ちょっと前まではジョグジャ~バンドン(8時間)とかジョグジャ~ジャカルタ(10時間)なんてフツーに利用してたので、スラバヤ~ジョグジャ(5時間)なんて全然OK、ましてやユサクおじさんがエグゼクティブ席を取ってくれたので、余裕で駅へ送ってもらった。こっちならスラバヤが始発で午後3時に出発、ジョグジャには午後8時に着く。


b0090333_23554582.jpg が・・・
 これがエグゼクティブかぃ?本当かぃ?って思うすごさ。
写真で見ても、あまりスゴさはわからないかもしれない。汚いし、臭いし、窓には思い切り亀裂入ってるし・・・。

 そういえば、最後に電車に乗ったのは、ジョグジャからバンドンへ行くときだった。夜行で行くとむこうには朝7時ころに着く。なのに朝7時、気づいたら電車はまだバンドンより全然手前にいた。私の乗った電車の前の電車が路線から脱線、死者まで出ていたのだった。一本前に乗ってたら・・・

 そんな出来事を思い出したので、目の前にある窓の亀裂とかも、なんだかとっても不吉。ACはキツくて寒いし、席なのか隣の人なのか、なんかわからんけど臭いし・・・。厳しい旅だった。結局ジョグジャに着いたのは1時間遅れの午後9時。駅からベチャに乗って帰宅した。
by midoriart | 2007-08-05 23:52 | Indonesia
 昨日の夜、ユサクおじさんが言った。
「そうだミドリ、明日の朝はうちのホテルご自慢のヤムチャを試食できるからね」
こういう言葉はしっかり記憶している。だから朝もすっきり目覚め、とっととレストランに向かった。
 
 ユサクおじさんがマネージャーをしているスラバヤプラザ・ホテルでは、週末の2日間、午前7時~午後3時まで、ヤムチャ食べ放題メニューを用意しているのだった。朝っぱらからヤムチャってのもかなりゴツいんだけれど、基本食べること大好きな私としては、やはり試さねばならない。

b0090333_113075.jpg バイキング形式のカウンターには、10種類ほどの点心が並んでいた。イスラム教徒の多いエリアではあるけれど、中華系も多いし、外国人客だっている。だからレストランの片隅には、ちゃんと「豚入り」と書かれたメニューも用意されていた。
 

b0090333_1131648.jpg クラゲのサラダなんかもかなり美味しかった。


 ユサクおじさんも私に付き合って結構飛ばして蒸し器から点心を食べている。思い出して私が言った。
「そうそう、私ね、このホテルの洋菓子系好きですよ。ウエルカムスイーツのクッキー、むちゃ美味しかったです」


b0090333_1133338.jpg 何気なく言った言葉だったのだけれど、朝食を済ませて部屋で仕事をしていると、ベルボーイがお皿に乗せたスイーツを運んできてくれた。ユサクおじさんが洋菓子部門のコックに話したそうで、コックさんが喜んで私用に特別スイーツ盛りをサービスしてくれたのだ。
 う~~、嬉しいけどツライ。。。ダイエットはどうなる。。。


b0090333_1135648.jpg 昨日出向いてもらってきた古いスラバヤの写真をここで2枚紹介。
 オリエンタル・ムードいっぱいでしょ。明日にはこんな感じの写真を使った『SPARKLING SURABAYA』の表紙も中身もすべて完成させる!


b0090333_1141541.jpg

 本当は今日のお昼の飛行機を予約してあったのだけれど、中途半端で仕事が終わるのもいやだったので、明日の夕方の電車に変更した。だから今晩しっかり仕事して、全部スッキリと片付けてからジョグジャに帰ることにする。
 できれば明日帰る前に、ホテルのスパでちょっとだけマッサージでもしてほしいけれど、そこまでの時間ができるかどうか・・・。
by midoriart | 2007-08-04 18:11 | Indonesia