Culture & Art Report from INDONESIA


by midoriart

カテゴリ:Indonesia( 32 )

 今日はお知らせ。
 インドネシアの国営エアー、GARUDA(ガルーダ)INDONESIA名古屋の支店長Rizaさんから告知を頼まれたのでここで。

 
b0090333_22164640.jpg 『JIPで行くロンボク島撮影ツアー』
 ってものがあるらしい。プロアマ問わず、写真を撮るのが大好きという人たちを集めて、GARUDAでお安いツアーを出したとのこと。


b0090333_2218385.jpg ロンボク島は観光で有名なバリ島の東隣。観光で荒れてきたバリのビーチと比べたら、とんでもなくキレイなビーチがまだまだ残っている。
 私も今までに二度行ったけど、いやぁ本当に限りなく透明な海水に驚いたもんだ。


b0090333_22193558.jpg 日程は2010年6月3日~7日。3日に名古屋を発ち、4~6日はロンボク島で散策や写真撮影を楽しむ。そして7日に名古屋へ戻ってくる。この間、ロンボク島では5つ星ホテルに泊まるそうだ。


b0090333_22211888.jpg ホテルはビラ・オンバッ・トラワンガン島とか、プリマス・リゾートなどなど。


b0090333_2222117.jpg で、大事なツアー料金は70,000円。往復のガルーダの飛行機代金、ホテル滞在費、滞在中の交通費、夕食一回分、燃油サーチャージ11,000円、空港施設使用料2,500円、国際線保険料1,060円等が含まれるとのこと。


b0090333_22232484.jpg 私は支店長のRizaさんから何ももらってるわけじゃないが、バリに慣れちゃった人にはロンボクはお勧め。フリー旅行で行くには、ちょっと危険な場所があったり、バリとは少々勝手の違う部分もあるけど、5つ星に泊まって、撮影ツアー(っても真剣にずっと撮りまくってなくちゃいけないわけじゃないらしい)なら安心だし、それでこの料金は安いと思う。だって7月に私が個人で往復のチケットだけ買ったって70,000円くらいかかっちゃうんだから。

 詳細は私にはわからないので、JIP(Japan Indonesia Photography)まで。
 Jip.japan@yahoo.com またはmikapika@gmail.comで日本語の問い合わせに対応してるそうだ。Rizaさん、宣伝しておいたよ~~
by midoriart | 2010-04-30 22:25 | Indonesia
 東が被災地パダンから帰ってきた。東(あずま)というのは私のジョグジャの友人でれっきとしたインドネシア人。本名はチャハヨ・インダという。彼とは3年前ジョグジャの地震で知り合い、縁あって9ヶ月間、一緒にジョグジャの被災地で救援活動をした仲。

 最近しばらく彼とは連絡をとっていなかったのだけれど、先日電話をしたら案の定、彼はすでにパダンにいた。
「お~ミドリ、こっちはスゴイことになってるよ(ゴホンゴホン・・・)、今度戻ったら会おう」
そして今日、彼がパダンで撮った写真をもってうちに寄ってくれた。3年前に経験があるからわかるけど、彼は今もまだ咳がとまらないようだ。なんせあのガレキの中を動いてきたのだから。


b0090333_1783218.jpg 彼はインドネシアのボランティアグループに所属しているため、スマトラ地震が起きてすぐ、ジョグジャ500名のボランティア団の一人として専用機でパダンへ飛んだのだった。とにかく身ひとつで飛び、現地で活動をするために。


b0090333_171075.jpg 以下、つい今しがた聞いた彼の話。
「ミドリ、とにかくスマトラの地震はひどいよ。なんせジョグジャがM5.9だったろ?今回はM7.8だからね。それに起きた時間がよくないよ、大きな建物にたくさん人がいる時間だったからね」


b0090333_17113027.jpg 「とにかく4階、5階立てのビルがひしゃけて1階くらいの高さになっちゃってるんだ。その下敷きになってる人が100人いるっていったって、引っ張り出せるもんじゃないだろ?
 僕が見たのは足だけ挟まれて、瓦礫から出られないおじさんだよ。まだ生きてるんだけれど、誰も彼を助けれらないんだ。2日間そこにいるんだよ。たまらないよ。おじさんは足を切ってくれ、出たいから切ってくれって言うんだ」
「で、どうなったの?」
「切ったよ。そして助け出された」
「ちゃんと麻酔したの?」
「医者もその場にいたんだけれど、麻酔はできないっていうんだ。もう年寄りだし、2日間もそこにいるんだよ。心臓への負担が多すぎるから麻酔はできないって。でも本人がもう足の感覚もないからとにかく切って出してくれっていうから切ったんだよ。この人はいい方だよ、命は助かったんだから。下敷きになったまま、飢えや疲労、出血多量で命を落とした人たちもいっぱいいるんだからね。オマケに雨に降られて」


b0090333_17155819.jpg 「日本の救援隊も見かけたよ。しかしスイスはすごいよ、道具がすごいんだ。救助犬の首についてる道具は、人間の心臓の鼓動に反応するんだよ。だから犬が人間を見つけて近寄ると、その道具が発見された人の生死を判断することができるんだ。とにかく今回は救助犬が大活躍しているよ」


b0090333_1718328.jpg 「生存者の救出作業は今日で打ち切られるんだ。もう明日からは瓦礫を壊すために大きなブルドーザーが入るんだ」
「え?でもまだ確実にその下に何百人の人がいるんでしょ?」
「でももう、丁寧に瓦礫を取り除いてる時間もないんだよ。もう次は伝染病が危なくなってくるし。だから犬はずっと働くんだよ。反応があれば、その場所はちゃんと調べて遺体収容することになるんだろう」

 話を聞く限り、ジョグジャの地震よりもひどそうだ。人口の違いがあるため、国内でも異常な人口密度のジョグジャでは犠牲者5000人とも言われた。パダンはもともとの人口が少ないため、最終的に1000人ほどの犠牲者になると予想されている。ただ被害状況は都会でおきたそれに近く、街の復興には相当な時間がかかるだろう。亡くなった方の冥福を祈るとともに、チャハヨのように身体をなげうってボランティア活動している若者たち、また各国からやってきて人命救助に携わっている救助犬くんたちにも敬意を表したい。
by midoriart | 2009-10-06 17:22 | Indonesia
 今までインドネシアと関わった日本の知人が、今回の大地震のことを心配して連絡をくださる。ジャワ島から遠く離れた場所、さらに私自身が10月半ばには個展のため日本へ出発することもあり、何も動きを起こす事はできないけれど、早くもジョグジャ在住のパダン出身アーティストたちが、被災地へボランティアを送ったり、義援金集めの活動を始めた。


b0090333_1702594.jpg 今日の新聞から関連記事を。
『死者1100人?空港と港は無事、燃料緊急』
 パダン、パリアマン地震の現場では、崩れた鉄筋ビルから救出作業が進行中。1日18時現在、緊急センター記録で遺体袋390袋、なおも遺体の搬入が続く。アンバチャン・ホテルからは昨日、生存者2人、遺体6体を収容したが、なお100人余が未収容。LIA外語校にも30人が下敷きの模様。
 福祉調整相公式サイトで529人死亡。空港と港は無事。軍は軍用機3機、戦艦7隻、ヘリ1機、医療班68人のほか、周辺支所から救援部隊を続々と投入。電力公社も修理班27人と変電機3基を急送。燃料は18時間分しかなく、医療薬/器具や食品と共に急務。



b0090333_1725932.jpg 『ジャンビ州の地震では500戸が倒壊』
 1日8時52分、隣のジャンビ州でも7度の地震。震源地はスマトラ西海岸より陸地に入った南緯2.44度、東経101.59度の地下10km。「パダン地震とは震源が別」と気象庁。
 被害最大はKERINCI県GUNUNG RAYA郡の16カ村。民家500戸が倒壊、20学校も破損。地震のショックから心臓発作で1人死亡、12人が重傷。


b0090333_174997.jpg
『地震は自然の摂理』
「パダン地震はユーラシアプレートの下にインド豪州プレートが潜り込んだスマトラ-ジャワ・サブダクション・ラインのうち、メンタウェイ・メガスラストの東端に発生。
 ジャンビ地震はスマトラ断層で、発生原理が違う」とインドネシアの科学院。
「地震対策は」との問いにたいしては、
「地震は自然の摂理。災害は人間の仕業。地盤の弱い地に構造の弱い鉄筋を建てる人間が悪い。自然の摂理に沿って設計せよ」
とのこと・・・


b0090333_175399.jpg 昨晩のTVニュースでは、瓦礫に挟まれた犠牲者を助けようにも、大型機械がないために瓦礫をのけることができず、そのままになっている様子も映し出されていた。
 瓦礫の下でまだ生存している人たちは、水をもらったりしながら、救出を待っていた。そんなときに雨が降り、救助も困難らしい。おそらく犠牲者の数はまだまだ増えるだろう。家族を失った人たちの悲しみも大きい。

 今日、日本からは国際緊急隊(コッキン)が出発したとのこと、少しでも多くの人命救助につながることを祈る。
by midoriart | 2009-10-02 17:08 | Indonesia
 話が前後するが、インドネシア独立記念日8月17日に合わせ、東ジャワのブリタルで開催された展覧会。  
 1945年、当時インドネシアを占領し、インドネシアの青年を「祖国防衛義勇軍」の名の下に集めて日本軍が訓練をしていたブリタルのPETA訓練所で、日本軍に対する反乱がおきた。私は2年前この地を訪れ、PETAの生き残りを探して30人を訪ね、私の作品と彼らの私物を交換してもらうというプロジェクトをした。
 今回はそのときに関わったブリタル市の青年たちからお声がかかり、展覧会が実現した。私の交換プロジェクト「ブリタル編」はすでに日本、ジョグジャ、ジャカルタ、バンドンで展示したことがあるが、実際にプロジェクトを行ったブリタルで展示するのは初めて。


b0090333_16505937.jpg 今回の展覧会はブリタル出身で、私のプロジェクトに同行してからPETAの兵士たちに興味をもち、いまやお爺ちゃんとなった彼らを追って撮影してきたカメラマンとの2人展という形。私は会場で一番空間の作りやすいコーナーをとって作品をディスプレィした。


b0090333_16523147.jpg 聞けば、私が生き残りを訪ねた2年前から今までに、すでに他界された方も多くいるという。日本でもそうだけれど、第二次世界大戦の体験者から生の声が聞けるのは、本当に本当にあと数年のうちだけだろう。


b0090333_16535716.jpg 同じ作品を数箇所で展示してきたけれど、毎回会場の空気が違うから、セッティングにはそれなりに時間がかかる。でもそれがまたおもしろかったりもする。


b0090333_16545484.jpg インドネシア国民にとって、8月17日の独立記念日はかなり大事らしい。17日当日は「国民の休日」で、ここブリタルでも朝からアルンアルンという市の中心にある広場で大々的な式典が行われる。だからこの「紅白展」のオープニングは前日16日の夜。
 PETAのお爺ちゃん二人も招待され、わざわざ来てくれたのが一番嬉しかった。ナショナリズムいっぱいの詩の朗読、インドネシアの歌などをみんなで歌う間、私の作品の一部であるドキュメントビデオも上映。PETAのお爺ちゃんたちにとっては、詩の朗読よりも自分が大きくスクリーンに映ることのほうが興味があるようだった。


b0090333_16582538.jpg お疲れて帰宅を希望したPETA兵士の一人タキリンさんと記念撮影。彼は2年前、当時の記憶を鮮明に話してくれて、私の作品とはライターを交換してくれた。今回会って挨拶しても
「ふぉ~・・・それで、あんたは誰だっけね・・・」
って感じだったんだけど、ドキュメントビデオを見てるうちに思い出してくれた。

 もともとは、過去のインドネシアの英雄たち、独立のために戦ったおじいちゃん世代の人たちの話を聞けるようにこの展覧会を開き、ブリタルの若者たちに来てもらいたいって趣旨だったので、喜んで展覧会に参加したんだけど、主催者の段取りの悪さが目だって、今ひとつそうした目標まで達してなかった感が強し。まー、それでも私としてはなかなか再会できなかっただろうPETAのお爺ちゃん2人とまた会えただけでも、6時間電車に揺られてブリタルに来たかいがあった。
by midoriart | 2009-08-29 17:02 | Indonesia
 15日午前2時の夜行電車Gajayanaに乗り、東ジャワのブリタルに到着したのは午前7時半。仮眠をとってから作品設置を開始。今回インドネシア共和国独立記念日8月17日に合わせて開催される展覧会の会場は、スカルノ初代大統領の墓地と記念ミュージアムがある場所。この記念ミュージアム内にある展示館1が私の作品展示場所。17日の独立記念日まで3連休になるため、この駐車場では様々なイベントが準備されているようだ。
 動きの早いスタッフのおかげで思っていたより順調に作品設置が終わったので、そのまま駐車場で繰り広げられるいろんなイベントを見て回ることにした。中でも一番おもしろかったのが「ニ・ディウッ」、こっくりさんの東ジャワ・バージョン。


 b0090333_18462388.jpgインドネシアで有名なのは「ジェランクン」といって、ホラー映画にもなっている。椰子でつくった柄杓を人に見立て、そこに霊を呼ぶという、まさにコックリさん。ちゃんとお返ししないと後で祟られるあたりも日本と似ている。今晩の出し物「ニ・ディウッ」は頭が椰子の実、脳みそに当たる部分はミリの実、そして半身は竹篭。ジャンブー(グアバ)の葉を炭で焚き、この中に霊を入れる。


 b0090333_18465574.jpg東ジャワでは「ニ・ディウッ」を支えることができるのは初潮前の娘だけらしい。降霊の間、3人の娘がそれを待つ。


b0090333_18471666.jpg すべてを仕切って歌を歌っているのはおばあちゃん。このおばあちゃんにはいつ霊が入ったかがわかるらしい。3人の娘に支えられたニ・ディウッは、おばあちゃんに化粧もしてもらう。


b0090333_18473896.jpg この間、ずっとおばあちゃん集団の歌が続く。それにリズムをつけるのは男衆。女性の霊であるニ・ディウッを誘えるのは男ということらしい。怖いよりはコミカルにみえるニ・ディウッの顔に比べ、私がぞっとしたのはこっち。青年のもっていた音鳴らしの木に白く描かれた人の顔。かなり怖い。


b0090333_18475815.jpg そしてやっぱりおばあちゃんには、いつニ・ディウッが動きたいのか、タイミングもわかるらしく、
「はい、立っていいわよ」
みたいに指示をする。そして娘が立ち上がると、あれよあれよとニ・ディウッが上下して、娘はそれに必死でついていく感じで走り出す。


b0090333_1848165.jpg 娘は何人も待機していて、疲れた子がいるとさっと走っていって、ニ・ディウッを支えるのを交代するようになっている。もっとみんな怖がってるのかと思いきや、意外にも楽しそう。楽しく運動しました的な感じ。


 う~ん、感想はというと、まぁまぁ。こうしたものはバリ生活が長かっただけに、山ほど見て来た。バリの場合、降霊やら交霊やら、トランスやら狐憑き系のものは日々の暮らしの中にあるくらいだから、そのスゴさと比較したら、申し訳ないけれど今晩のはフツー。
 後から関係者に話を聞くと、昔これは女の子たちの遊びだったらしい。だから呪術的ってよりは、コックリさんのライトソフト系(?)。霊もそんなにいたずらだったり怖いものではなくて、みんなで踊って遊びましょうみたいなものがルーツだそうだ。ホラー映画になったジェランクンのように、いったん呼んだ霊は、ちゃんとした呪文にのっとって返さないと、後から「えらい」事になっちゃう・・・ってような怖さはないらしい。だから私からすれば「まぁまぁ」ってことになっちゃうわけで・・・。


 までも、バリを離れて久しい私にとっては、久しぶりにちょこっとおもしろい出し物が見れた。その後同じ会場で、郷土のお菓子展もしっかりチェックしたことは言うまでもない。
by midoriart | 2009-08-15 18:42 | Indonesia
 ときどき話題に出るインドネシアの大御所バンド、GIGI。私はバリに住み始めた時から、彼らの、特にボーカル、アルマンのファン。長年ファンをやってきたかいあって、今年春にひょんな偶然からメンバーと会うことになり、その後、メンバー内唯一のバリ人、ギタリストのデワ・ブジャナからギターに絵を描くように依頼されたりもあって、ボーカルのアルマン、ギタリストのブジャナとは仲良くさせてもらっている。
 先日、アルマンから突然電話があった。
「ミドリ、俺たち今度ジョグジャで演るから!」

 彼らと仲良くなってから、私のシマ、ジョグジャでライブをやるのは初めて。それも場所を聞いたらなんとアルンアルン・ウタラ、つまり北の王宮広場で、私んちからは歩ける位置。13日は朝からわくわくそわそわ、ほぼ仕事は手につかない状態で彼らが来るのを待った。夜からのライブに、夕方ジョグジャへ来るGIGI、ともかく彼らのスケジュールは過密。一緒に夕飯食べる約束も、結局はフライトの遅れから叶わず。

 b0090333_12125051.jpgライブ会場に着いたアルマンから電話もらったのはもう午後10時を回っていた。楽屋でちょっと話したらすぐに出番。今回は初めてステージ袖からライブを見せてもらった。

 14曲を演じ終えた彼らは、さっとステージを降りる。私も一緒について下へ降りたらそこにはすでにお迎えの車がスタンバイ。周囲にはどんどんファンが近づいてくる。
「ミドリ、一緒に行くか?歩いてここまで来たんだろ?」
 もちろん!とばかりにGIGIのメンバー4人とマネージャーが乗った車に便乗、広い会場を出るときには、まるでこの前捕まった酒井法子の気分だった。わ~~~っと覗き込んでくるファンたちの塊をよけてよけて車は進む。スーパースターや犯罪者ってのは、こんな感じで車に乗ってるんだな~~~としみじみ。


 
b0090333_12172853.jpg GIGIともなれば、ジョグジャで最高級ホテル、そこでメンバー4人と歓談。きっとわざわざ見に行った私へのサービスなんだろう。本当なら疲れてるだろうに、食べ物やフルーツまで用意してくれた。これがボーカルのアルマン。私の15年来の憧れ。ステージで飛び跳ねたあとなのに、まだこの笑顔。


b0090333_18221358.jpg GIGIとの3ヶ月ぶりの再会に興奮冷めやらぬまま、私は東ジャワ行きの準備。日本で15日の終戦記念日が終わると、次にくるのは17日、インドネシア共和国の独立記念日。この日に合わせて開かれる独立戦争の英雄記念式典の中で、私の作品が展示されることになったのだ。行く先は東ジャワブリタール。ジョグジャを午前2時に発ったGajayana特急は午前7時半にブリタール到着。


b0090333_18232678.jpg ブリタルはインドネシアの初代大統領スカルノの生家、墓地、記念館がある。その敷地内にある展示室が今回の展覧会場。


b0090333_18243427.jpg 敷地内に立つ土産物屋には、いろんなデザインのスカルノTシャツ。スカルノ初代大統領はなかなかハンサムだから、Tシャツも絵になる。こんなの日本で麻生Tシャツとかあっても、誰も着ないよな・・・。
 少し休んで、早めに作品設置に入る。展示の様子は明日へ続く~~~
by midoriart | 2009-08-14 12:00 | Indonesia

6月8日◇近況オムニバス

★ヒトつくり
 今年インドネシアで3箇所、最後に東京を巡る個展『Memory of Asia~お爺ちゃんの時代~』はジャカルタ会場、バンドン会場での会期を終えて現在中休み。交換プロジェクトで使用した小作品もついにすべて交換が終わった。

b0090333_11512534.jpg 東京会場では、谷中銀座周辺のお爺ちゃん、お婆ちゃんとも交換プロジェクトを実施するので、このためにまたヒト制作を始めた。今までに使ってきたヒトとほぼ同じで、サイズが若干小さい。使用する陶土も前より赤みのあるものを使うことにした。今回はこのオリジナル「ヒト」に加え、新しく祈る「ヒト」も制作中。

b0090333_11521323.jpg ジョグジャで陶の作品を作るときに使っているのが北部カリウランにある工房。陶の仕事してる人ってなんだか好きだ。寡黙で仕事熱心で。最終的な細部の仕上げは集中したいから自宅のスタジオへ持って帰るのだけれど、模りや粗彫りはいつもここで職人の皆さんに混じってやっている。


★Gibson Les Paul customed by MidoriついにTV登場!

b0090333_11525983.jpg「デワ・ブジャナのギターfeat.Midori Hirota」で完成したギターがついにTVで登場した。デワブジャナがギターをつとめるインドネシアの人気バンドGIGIは最近15周年を迎え、記念アルバムと本を出版したばかり。だからTVにも出っぱなしで新曲のプロモーションをしているのだ。ちょうどいいタイミングで私がギターに絵を描いたものだから、ブジャナはほぼ毎回の出演にこのギターを使ってくれている。 ついには、GIGIのファンたちからも「Gibson Midori」という呼ばれ方をするようになってるからまた嬉しい。

b0090333_1153273.jpg TVに映ってる画像って撮影難しいんだよな。こんなふうにしか撮れないんだけど、とにかくブジャナのソロ演奏になると必ずアップで映るからそのタイミングが嬉しい。インドネシアの音楽番組はほとんどが生放送なので、TVに出たらすぐ彼に携帯メッセージを送って
「今日もハッキリ映ったよ~」
と報告することにしている。
 私はこのギター、完成させてジャカルタで渡したっきりで、実際に彼が弾いてる様子は生で見たことがない。いつかジョグジャのライブにこれもってきて弾いてくれたらいいなぁ・・・。


★満月のバリ
 毎年1度バリで仕事がある。愛知県犬山市にある野外民族博物館に展示してあるバリ島貴族の家の飾り布の発注と発送の仕事だ。リトルワールドでは毎年夏休みの時期に、家中に飾ってある布を新しい一式と取り替えるのだ。

b0090333_11535662.jpg 今回は満月に重なったので、久しぶりに家族と一緒に町内の寺院へお参りに行った。
バリ・ヒンドゥーでは満月、新月と、バリの暦の大切な日に寺院へ詣でる。これは日常の基本的な聖日で、それ以外にもっともっとたくさんの重要な日があるもんだから、ガイドブックでは「ほぼ毎日のようにお供え物を持っていく人を見かける」という説明になる。でも本当にそのとおり。
お供え物は聖水で清められ、うちに持って帰れば、もう神様のお下がりだから、人間が食べてもいい。私はいつもこのお下がりを楽しみにしてるから、バリの家族から
「お前は子供か」と笑われる。お下がりの中で好きなのは揚げせんべいとココナツ菓子。

b0090333_11542792.jpg これは私が兄貴と呼んでる元木彫りの先生の妻。私より若いんだけど、バリではなぜかこのムプが私の母代わり。冷え込む日には水浴びじゃ寒いだろうと湯を沸かしてくれるのも、私が起きるとすぐにコーヒー作ってくれるのもムプ。


 だからバリではホッとする。ジョグジャの一人暮らしもそれはそれで気楽でいいけど、バリのこの家族との時間もまた楽しい。今回は仕事に加え9月の個展の打ち合わせもあったりしてあと3日はバリ滞在。
by midoriart | 2009-06-08 11:47 | Indonesia

b0090333_1403142.jpg 私が大好きだったお爺ちゃんの命日12月7日の翌日。
 昔は12月8日といえばジョンの命日が最初に浮かんだ。そういえば昨年の今頃は日本にいて、名古屋の音楽好きの友達と一緒にジョンの追悼ライブを見に行ってたっけ。
(写真:ジョンレノン・ミュージアムで)


b0090333_1411456.jpg 数年前から12月8日がパールハーバー奇襲攻撃の日、つまり1941年旧日本海軍機動部隊が米ハワイ州オアフ島パールハーバーを攻撃し、多くの犠牲を出した日米開戦となった日であることも思い出すようになった。第二次世界大戦をテーマにした作品を作り始めたからか、12月8日はとても気になる日になりつつある。
 

 最近、ジョグジャ在住で通訳者のIさんから一冊の本をいただいた。『太平洋戦史館』、岩手県にあるNPOの記念館の10数年の活動をまとめた本だ。太平洋戦争では多くの日本兵がインドネシア、そこからもっと東の島々まで送られた。ほぼ見殺しに近い状態で、最後には飢えで亡くなった人も多くいる。通訳者のIさんはここ数年、ビアク島に遺骨収集に来る岩淵さん(太平洋戦史館館長)をリーダーとした日本人グループに同行し、60年以上経った今もたくさんの日本兵の遺骨がインドネシアの最東端に残されていることに愕然としたという。


b0090333_1415953.jpg 昨日、祖父の命日に、『太平洋戦史館』を読んで私も驚いた。いまや戦争を知らない世代が人口の80%となる日本、でもこのインドネシアの奥地には、いまも少し掘り起こせば日本軍が使った戦車、鉄兜をかぶったままの頭蓋骨が出てくるのだ。私の半分ほどの年齢で家族から引き離され、灼熱のジャングルの中で飢えと戦い、命を絶たれた多くの若き魂が、60年もほったらかしにされているという事実。民間団体がなんとかしたくても、厚生労働省を通さなければすべてを動かさせない複雑なシステム。ひょっとしたら自分のお爺ちゃんがそんなめにあっていたのかもしれないと思うと、悔しくて涙が出た。
 多くの日本兵が餓死し、生還できたのは数パーセントだったという激戦地が私の今いるジョグジャカルタからわずか数百キロの場所にある。そんな事実を日米開戦日の前日に知ったのもなにか意味があるのだろうか。インドネシアにいる日本人として、なにかできることがあるのだろうか。


b0090333_1433426.jpg そんなことを考えている今日、インドネシアはイスラム教の祝日。「IDUL ADHA=イドゥル・アドゥハ」は「犠牲祭」、ここ一週間ほどは町のいたる場所で「犠牲」となる山羊が売られていた。金持ち層がこれをおろして貧しい人たちに配るらしい。

b0090333_145399.jpg 50年前には海外からのメッカ巡礼者は1万人もいたが、今年サウジアラビア大使館が発行した巡礼ビザは200万人。国内の100万人と合せて300万人が白衣に身を包み6日から一斉にアラファ山へ。7日夕暮れまでここで佇立して瞑想した後、巡礼に向う。インドネシアからの参加者は191,365人。6日までにすでに103人が呼吸疾患と老衰で死亡しているけど、これもイスラム教徒にしてみれば「メッカで神からお呼びがかかる」という幸せなことらしい。


 3つの記念日のうち、今年私に一番響いたのは開戦日。先日、101年を生きてこられた田中のお爺ちゃんの葬儀もあったからか、歴史の風化になぜかとても不安感がある。もっと歴史をちゃんと学びたいと切実に思う。
by midoriart | 2008-12-08 14:03 | Indonesia
 バリからジョグジャへ移動する前に、バリの旧友トモコさんとランチデート。いつもバリに戻ると彼女とは一度はランチを一緒する。この日ばかりはツーリスト気分でUBUD周辺のスポットを楽しむことにしている。
 たまにバリに戻ると、昔よく行った店がどうなってるのか気になる。今回はUBUDから北のエリア、棚田がきれいなトゥガララン方面にあった2つのレストランを思い出した。一つはかなり北部にある白人が経営するコテージとレストランなんだけど、ここはすでに建物の屋根が抜け、お化け屋敷状態になっていた。残念…。そしてもう一つの店をチェック、こっちはちゃんと開いていた。


b0090333_13174437.jpg これも棚田の景色がとってもキレイに見える場所に建っている。ちょっと高い(といってもランチなら一人の予算1,000円くらい)んだけどたまにはイイだろう。観光客の真似して景色がよく見えるテラスに席を取る。
 5~6年来てなかったら、レストランの下に数件のコテージまで出来ていた。夜はかなり怖いだろうな~…、でも一度こんな場所で一人で夜を過ごしてみたいもんだ。人生観変わるかもな。


b0090333_13192546.jpg 久しぶりのビンタンビールと、前菜のルンピア(春巻き)、ヘルシーにお野菜もってことでガドガド(温野菜のサラダ)、そしてちょっと気になった焼うどん。味付けもダシが効いてて生姜までのってた。結構イケる。


 17日にジョグジャに戻ったのはいいけど、井戸のポンプは壊れてるし、修理に出してた自動車はバッテリーあがっちゃってて修理のし直し。どこにも出られないで困っていたら、ジョグジャ在住の日本人Mさんが寄ってくれた。このMさんは大の料理好きでいろんなアイデア飯を自分で作る。
 今回の帰国でやった人間ドックで、コレステロールがかなり高いと指摘されたので、これからは食生活を改善しようと思っている。なかなか自分で魚料理はしなかったんだけど、青魚がイイと栄養士さんに言われたので、できるだけ魚の食事にかえたいって話をMさんにしたら、
「じゃあ今から魚見に行きましょ」
ってことになった。


b0090333_13184421.jpg 日本じゃ切り身で売ってることが多いから面倒がないけど、ここではたいていはでかいまま、本体そのままで売っているから、今までこれを調理しようって気にはなかなかならなかった。でも実は最近のスーパー、ちゃんと魚コーナーの兄ちゃんがこっちの言うとおりに捌いてくれるんだって。Mさんが教えてくれた。


b0090333_1319255.jpg 今日は鯖1匹と、イワシ3匹をGET。頭をとって2枚におろしてもらった。今回100円均一で魚焼きを買って持ってきたので、さっそくお昼はインドネシアの青魚試食。もちろん、味噌汁も野菜の具たっぷりにして。

 で、味はといえば。
 ま~ま~OKってところか。日本ではレモンを絞ってたけど、今日は大根おろしにポン酢でいただいてみた。鯖は2枚におろして半分に切ったので切り身4つ、イワシは小さいから開いてそのまま。今日はまず鯖の切り身ひとつとイワシにトライ。イワシのほうが身がしまってて日本で食べるものに近い感じ。これならイケる。

 Mさんのおかげで、苦手だった魚も今後の買い物リストに入れることができそうだ。これで健康生活第一歩が踏み出せたってことで。
by midoriart | 2008-08-19 13:16 | Indonesia
 長かった日本滞在も終わり、ミゾレ降る中朝6時26分の新幹線で名古屋を出発、関西空港へ向かう。お願いだから今度帰る時までに、名古屋直行便再開しててほしい。ホントに頼みます。


b0090333_0274131.jpg 夕方にはバリ島のングラ・ライ空港に到着。到着のちょい前には機長から案内が入る。
「今、皆様の左手に見えますのが、バリ島の聖なる山、アグン山です」
天気もよく、雲からちょこんと頂上を出したアグン山を拝むことが出来た。

最近私のバリの家族は、子供たちも大きくなったので運転できる人材が増えた。昔は兄貴であるマデ・サナしか運転できなかったのに、娘も、甥っ子も今じゃ立派なドライバー。今日は甥っ子の運転に兄貴の息子フォギーがくっついてきてた。
 測らずも今日はバリの祝日ガルンガン、甥っ子とフォギーはバリ男児のしゃきっと清楚な正装で迎えてくれた。なんだかカクさん・スケさん従えた黄門様の気分で嬉しい。
 

b0090333_028633.jpg ちょうどバリの家族が住む町では、今日ガルンガンに聖なる祠が御開帳。家族のみんなで夜の10時からお寺に行くことになった。こんなこともあろうかと、今回はちゃんとクバヤ(バリ女性の正装)も用意してきたから大丈夫。日本で着物習ってからクバヤを着てみると、キレイに見せるためのツボみたいなものは同じような気がした。新たな発見。

 翌24日夕方の便でジョグジャへ。バリでゆっくりもしたいけれど、ここまで来ちゃうとジョグジャに残してきた2匹の犬たちに早く会いたい。3ヶ月ぶりに犬たちに会ったら、30分ほど興奮と感動で泣きおさまらなくて大変だった。でも元気に待っててくれて嬉しいなぁ。留守を守っててくれた犬守のオバチャンにもしっかりお礼を言わなくちゃ。

 そして25日はいきなりのアルバイト。
 今年の夏から東京国立近代美術館と京都国立近代美術館で開催される展覧会『エモーショナル・ドローイング』展(2008.8.26-10.13=東京/2008.11.11-12.21=京都)で、インドネシアから2名のアーティストが選ばれたのだ。展覧会担当キュレーターであるHさんが、作品だけではなく作家本人にも会っておきたいということで、今回日本に帰ったときにアテンドを頼まれた。
 運良く選ばれた2名は私もよく知っている人だったし、28日まで開催している「ジョグジャカルタ・ビエンナーレ」にもお連れできる。通訳や翻訳の仕事でも、内容が美術関係だと本当に楽しい。


b0090333_0283174.jpg 選考したアーティストのスタジオ訪問は午後にして、まずはビエンナーレの3会場を回った。
 最初に行ったのはジョグジャカルタ芸術院(ISI)の旧校舎を改装して作ったジョグジャ・ナショナル・ミュージアム。まだ100%完成ではないけれど、ここだけでも50余の作品が展示されていた。
 私が帰国する前にはまだガランとしたボロ廃校だったのに、こんな立派に改装されたとは驚き。


b0090333_0284953.jpg 今年のビエンナーレは3会場で同時開催、中でも私のバリ人の友人リヨンが自費で作ったスペース、サンクリンの立派なのには驚いた。2フロアあって採光もいい感じ。男児30台半ばにしてこんな展示スペースを個人で持っちゃえるからインドネシアはスゴイ。


b0090333_029964.jpg そしてようやくHさんのご希望だったアーティストにご対面。
 私はどっちとも同じくらいに親しく、彼ら2人は同い年のくせに親分・子分のような関係なので、インタビューは終始ほのぼのモード。東京からいらしたHさんが32歳、選ばれた2人は38歳、冗談のツボもほぼ重なってるようだ。
 熱心に2人のドローイングに目を通していたので、仕事が終わったのは7時を回っていた。一仕事終えてホッとしたHさんに、少しはジャワらしいものを見せようと、オススメのジャワ音楽ライブを聴きながら食事のできる場所へお誘いした。ここで乾杯~。お疲れ様です。

 そして今日は26日。ジョグジャの家を半日かけて掃除して、さっきメールをチェックしたら、名古屋のアートライター田中由紀子さんから、お知らせがあった。彼女が執筆に関わっている美術情報サイト『PEELER(ピーラー)』に先日の個展レビューが掲載されたとのこと。

b0090333_0293693.jpg 興味ある方は『PEELER』をご覧頂きたい。


 ミゾレに送られて日本を去ったら、私を待ってたのは摂氏30度のインドネシアだった。Hさんの調査アテンドでは、夕方からド派手なスコールにあい、今日もまた午前中のてとつもない(名古屋では「どれだけない」という)蒸し暑さの後でドラム缶ひっくり返したような雨が降った。そうしてると足首周辺を蚊に狙われている。
 急な30度の温度差、日本じゃ今回見なかった蚊、冬から一気に真夏状態で、老体は少々戸惑い気味だけれど、またこの島での日常が始まるんだなぁ・・・。
by midoriart | 2008-01-27 00:38 | Indonesia