Culture & Art Report from INDONESIA


by midoriart

2008年 10月 15日 ( 1 )

 そろそろ雨季になるかなと思い始めた今日この頃の日中の暑さといったら、ホントにお日様の陽に当たってるだけで気が狂ってきそうなほどとんでもない。一番気の狂いやすい正午、一本の電話がかかってきた。
「ミドリ、時間あるか?スネオのお父さんが亡くなったんだ。今からなら出棺に間に合うよ」
 スネオというのは2年前のジャワ中部沖地震のとき、私がひょんなことから始めた被災者救援活動を最初から最後まで徹底して付き合ってくれた仲間の一人。本名はインドネシア語の「Sunardi(スナルディ)」なんだけど、ドラえもんのスネオそっくりなので友達はみな「SUNEO」と呼んでいる。
 今年4月、国際交流基金主催の大型展覧会が開催され、日本から多くの若手アーティストがジョグジャに来たとき、スネオの村に流れる川が気に入ってここで数週間滞在制作したのは大阪在住の淀川テクニックだった。淀テクの柴田君とマッチャンがほぼジョグジャの労働者と化して汗ダラダラで制作しているとき、彼らのケアをしてくれたのもスネオだった。


b0090333_01091.jpg  電話をもらったのはお天道様が頭のまん上からジリジリに照ってる最中。普通だったら勿論のこと、外になんて出たくない時間帯。でも、淀テクがいたらきっと彼らもスネオに慰めの声をかけてただろう…と思ったら、やっぱり行っとかないと!と思いたち、なんとか黒っぽいシャツを見つけて慌てて出かけた。私が柴田君とマッチャンの分までお悔やみを言わねば・・・と変に気負って彼の村へ。

b0090333_011670.jpg  スネオの家の前にはもうたくさんの人が集まっていた。皆さん出棺を待っている。スネオは冷静に私が来たのを喜んで迎えてくれた。3年近く心臓を患っていたお父さんは若年67歳。しばらく入院していて、昨日退院予定だったのに、その日に突然様態が変わって亡くなった。お母さんは健在で、ジョグジャの生菓子を作り、路上で売って家計を支えている。

b0090333_0131337.jpg  村長さんの挨拶の後、出棺。墓地まで付き添うのは親類とよほど親しい人だけなので、私はここで失礼することにした。淀テクの制作のために村の人が総出で作ってくれた川沿いのステージは今は村の人の縁台として機能、さらにステージ下を鳥小屋に改造してかなり有効利用されていた。


 スネオの村を出て車に乗ってから気づいた。そうだ、インドネシアじゃ塩もらえない。このまま家に帰るのもなぁと、うちの近く王宮横にある馴染みの喫茶店に寄った。ここは現ジョグジャ王の実弟が経営する喫茶店で、歴代の王様の好物がメニューになっている。私は特に7代目のスルタンが好きだった「スチャン」がお気に入り。

b0090333_014661.jpg  早速アイス・スチャンとチョコケーキを注文して、ついでに塩を一握りもらうことにした。ここでお清めも済んだ。しかしこの店はホント、気持ちがいい。王族の家そのまま使ってるからね~。そうだ、この前秋篠宮殿下がジョグジャ訪問したときも、王様との晩餐にはこの店の料理が運ばれたんだった。

b0090333_0153979.jpg  私がジョグジャで発行している日本語のガイドブックにこの店を紹介したもんだから、店の人が気をよくして、今日は王様の弟の妻が作った生菓子までサービスしてもらった。さらに私の好物(=7代目スルタンの好物)であるスチャンが何からできてるか、わざわざ材料まで持ってきて見せてくれた。スチャンはなんと木の皮。赤い色を出すための染料ってことか。それにショウガ、レモングラス、丁子、シナモン、日本語がわからないけど、木の実2種類、これをすべて煮込んだものがスチャン。喉にクッときて、舌がちょっとしびれる感じがたまらなく美味い飲み物。

 今日はさらに、ここの娘(つまり現スルタンの姪ッ子)が出てきて、私にお母さんが出版したお菓子の作り方の本を見せてくれた。お母さん製の美味い生菓子ばっか食ってるからか、26歳にしてはかなり恰幅のいいお嬢様だった。でも王様の姪ッ子と知り合えたって、ちょっと嬉しいな。私がガイドブック出してることを知って、これから取材に行くなら美味しい店たくさん知ってるから連れてってあげるとのこと、ありがたい(しかし支払いは誰が???)。

 バリの弟、スネオのお父さん、身近に死が2つ続いた。ありきたりではあるけれど、生きてるうちにやりたいことはやっておきたいな~、日々無駄にやり過ごしちゃいかんな~と改めて思ったり。
by midoriart | 2008-10-15 22:07 | Yogyakarta