Culture & Art Report from INDONESIA


by midoriart

9月29日◆ブリタル観光-PETA跡地とチャンディ-

 交換プロジェクト2日目も無事に終了、結果ブリタル周辺に暮らしているPETA(インドネシア郷土義勇軍)の生き残り30人のリストはすべて当たることができた。残念ながら、その中ですでにあの世に逝かれた方が4名いらした。
 思ったよりも早くにプロジェクトが終わり、最後の1日は今回の縁となったPETAの跡地を訪ねることにした。もともとオランダ植民地時代にオランダ政府によって建てられた建物が、そのまま日本軍占領時代に使われたもの。ここが1943年からは、日本軍によって設立されたインドネシア青年による郷土義勇軍の訓練所として機能したのだった。

 今ではこの跡地全体に4つの公立中学校が入り、教室として利用されているのだけれど、今回生き残りのお爺ちゃんたちから聞いたら、歴史的にも重要な場所なので、PETA記念館として使われるべきとの嘆願書も集めているらしい。

b0090333_2114323.jpg かなり広い敷地の入り口には、1945年に義勇軍一同が日本軍に抵抗した歴史的「ブリタルの反乱」を指導した中隊長スプリアディの像が立っている。残念ながら、来年の記念日(2月14日)に向けて、像の修復作業中だったために、囲いの隙間からしか像を拝むことができなかった。


b0090333_2115964.jpg 今は中学生の教室として使われているこの棟は、当時義勇軍の隊員たちの宿舎だったという。この場所でスプリアディが仲間を結集し、東にある日本軍指導官たちのホテルへ武器を持ってなだれ込んだという説明の碑が立っていた。


b0090333_212118.jpg 少し離れたところには、刑務所もあった。刑務所という言葉が適切かどうかわからない。当時は日本兵が義勇軍の隊員たちの指導に当たっていたので、その中で抵抗するものがいたり、規則に背いた者がいた場合に、ここを使ったという。やさしく言えば「お仕置き場」ということか。このPETA跡地には、当時の建物をそのまんま使っている区域も多く、中学生たちの間では、たくさんの幽霊話もあるという。いかにもいそう、出そうな空気ではある。


 ブリタルはPETAの大きな駐屯地があり、1945年に初めて日本軍に抵抗した反乱が起こったことでも歴史的に有名な場所だ。でも、もう一つこの街を有名にしているのが「初代大統領スカルノの墓」がある場所ということ。彼が幼少を過ごした家も、一般公開されている。
 彼のお墓にお参りした後、街の中心にあるスカルノの実家を訪ねた。若き日に彼が使っていた寝室も見ることができた。客室には古い写真がたくさん飾られていて、中には昭和天皇と一緒にいるシーンもあった。


b0090333_2123127.jpg これは何人目かの妻、あのデビ夫人が妻になりたての頃だろう。当時はキレイだったんだなー・・・。


b0090333_213020.jpg 大統領だった頃、スカルノが使っていたという自動車も車庫にそのまま残されていた。なにげ~にドアを開けてみたら開いたのでビックリ。でも彼自身は運転はできなかったため、運転手をつけていたらしい(まー当たり前だわな・・・)。


 ブリタル観光局みたいになってきたけれど、最後に訪れたのはブリタルに残るチャンディ(遺跡)。ジャワ島では、ほぼすべてのエリアに渡って、こうしたヒンドゥー教の影響の多いチャンディが残されている。遺跡巡りは私の趣味なのでよく回るのだけれど、このブリタルのプナタラン・チャンディはかなり広い敷地で発見、保存されていて、周囲の環境もまだ田舎なので、と~ってもいい感じだった。

b0090333_2131931.jpg おそらく沐浴場だったであろう池には、たくさんの魚が泳いでいた。なんでも、この池の魚は神聖で、さらに神通力もあるので、夜になると身体が透け、骨だけが泳いでいるように見えるらしい。日中の暑い時間帯なのに、ここだけひんやりと気持ちのいい空気が流れていて、ふと見るとこんな猿のレリーフまであったりして、ついつい長居をしてしまった。


 初めて訪れたブリタルの街、チャハヨとその仲間たちのおかげで、思い切り充実した濃い時間を過ごすことができた。そして心配していた生き残り爺ちゃんたちとの作品交換も想像以上にスムーズに進んだのがなにより。
 夜は彼ら全員を招待して、街の魚料理屋で打ち上げ。皆さんどうもお疲れ様!
 
by midoriart | 2007-09-29 21:00 | Indonesia