Culture & Art Report from INDONESIA


by midoriart

9月27日◆PETA生き残りは30人


b0090333_32341.jpg 今日から3日間でブリタル周辺に暮らしているPETA(インドネシア郷土義勇軍)生き残り全員と会うつもりなので朝からかなり気合が入っている。今回ブリタルで見つけた宿はプリ・プルダナという新しい宿。まーまーキレイ。老体には温水が必要なので、贅沢してホッとシャワー付きの2階の部屋をとって16万5000ルピアのところ、3泊か4泊するんだからと値切ったら25%OFFにしてくれた。だから12万強ルピア(約1500円)になった。お湯もしっかり熱いのが出るし、ラッキー。


 今日からジャワでの交換プロジェクトの開始。気合が入る。
 ブリタル市を選び、日本軍が設立したインドネシア青年による郷土義勇軍の生き残りを巡るというこのプロジェクトは、ジョグジャ在住の私の信頼する友、チャハヨの大きなバックアップで成り立っている。ブリタル出身の彼が、地元にいる仲間を引き込んで、私のプロジェクトを全面的にサポートしてくれることになったのだ。
 映像関係の仕事をする彼は、新聞記者、カメラマンなどの知り合いも多いので、今回は私が動くところに必ずチャハヨ(ドキュメントビデオ担当)、ワワンさん(カメラマン)、そしてブリタル市のWEBサイトを作っている ライターのサイムさんが付き合ってくれた。


b0090333_322838.jpg 訪問第1号は、郷土義勇軍(Pembela Tanah Air、略してPETA)戦友会の委員長をしているイブノ氏。私がブリタルを訪ねることをチャハヨの仲間が説明し、生き残りの名簿をくれたのが彼。だから私が訪ねてくることも知っていて、この日は朝からむこうの方が私よりもずっと気合を入れてたみたいだ。いきなり軍服で出てこられて、こっちが驚いた。

「昔は、日本とインドネシアはラワン(抵抗)していたが、今はカワン(友)なんだ」
と、ニコニコのイブノ氏、私の交換プロジェクトはそっちのけで、日本人見て興奮してしまい、軍歌は歌うは、私と一緒の写真撮りまくるは、そのテンションにわれわれ全員かなり引き気味。


 そして見せられたのがイブノ氏の日本刀コレクション・・・


b0090333_324226.jpg なんだけど・・・。
 う~~~ん・・・。どう見てもこれ、日本製じゃないです。悪いけど。日本語のような文字が入っているのだけれど、いかにも、外人が日本の文字にあこがれて、真似てみました~って文字。漢字でもカタカナでもない。

 でもイブノ氏が
「ほれほれ、なんて書いてるんだね?」
って真剣に聞いてくるから困った。彼が家宝にしている「日本刀」だと思ってるものを
「あ~、これ、ニセモノですよ、日本語じゃないです」
と言い放ってしまっていいものか・・・。でも私自身、嘘がいやなので、
「これはどう見ても日本語じゃないですね~・・・どんなに古い文字でも、日本語かどうかくらいはわかりますが、私にはこれは読めません」
と答えたら、それでも向こうは
「ふん、あんたみたいな若い世代では、当時の字は読めんのだな」
と馬鹿にする。こうなったら仕方ない、あんたの思うようにしときなさいというしかない。


b0090333_33042.jpg でもその後もずっとこの刀と、もう一つ見せられた巻尺のようにして中から刀(のようなもの)が出てくる謎の武器のことが気になり、なんとか真実が知りたいと、ジョグジャの地震で親しくなった自衛隊のおじ様二人にメールを送って聞いてみた。

お二人とも、答は
「この写真からすると、どうもニセモノくさいですね」
「日本軍の将校は、軍刀である日本刀を持っていたので、日本刀のような物ならそうと言えるのですが。将校でない兵士たちはライフル銃を持っていて、その先に付ける銃剣と言われる物は持っていましたが、硬い物です」
とのこと。
 イブノ氏が持ってたようなフェンシングの剣みたくクネクネ曲がるものは、当時の日本軍がもってたとは思えない。この件については、今後ももう少し調べてみようと思う。

 ドショッパツから軍歌に記念撮影、わけのわからん日本軍の武器紹介から始まったので、この先が思いやられながらも、もらった名簿をシラミツブシすることに。名簿には96名の生き残りの名が掲載されていたが、よくチェックしたらPETAの生き残りはわずか30名、66名はPETA軍兵の妻だった。さすが女はしぶとい。だって倍だもの、生き残ってる数。
 私は日本軍に直接指導を受け、1945年2月14日には小団長スプリアディの指導のもと、日本軍に対して反乱を起こしたPETAの生き残り爺ちゃんだけにフォーカスして作品を交換してもらうことにした。

 チャハヨの仲間たちがすでに昨晩、この名簿の住所から訪問する順番を決めてくれていたので、時間も有効に使えた。私の訪問を知っていた最初の二人は、ノスタルジックに私に対していろいろ見せたり、歌ったりしたけれど、後の人たちはまったく突然訪問しているので、返って反応が気持ちよかった。恐れていた日本への憎しみを持っている人はまったくいなくて、私の訪問を皆さんとても喜んでくださって感激。

b0090333_331833.jpg 今日の中で一番のお年寄りは1919年生まれの88歳。うちの爺ちゃんが明治41年1908年生まれだから、そのほぼ10歳下か。それでもまだしゃきしゃき。やっぱり元軍人は姿勢も違う。


 出鼻をくじかれはしたものの、後半はスムーズに進み、今日1日で19人のPETA関係者と作品交換ができた。当時の話も聞けて満足。明日はブリタルの街の中を中心に訪問予定。
by midoriart | 2007-09-27 23:03 | Indonesia