4月22日◆カフェ・バリとギャラリー巡り(バンドン2日目)
2007年 04月 22日
さすがにバンドンは寒い。ササンやプリラの家があるダゴはバンドンの北部でかなり高地。ずっと南にある鉄道駅ですでに700mというから、1000m近いってことか。明け方には肩が寒くて目が覚めた。
にしても、この快適な部屋!プリラは5人兄弟の真ん中。一番上のお姉さんはすでに結婚してジャカルタで暮らしているので、彼女の部屋はゲストルームとして使われているらしい。建築家のお父さんをもってるだけあって、なかなか凝った作りの部屋だ。
プリラの作品を見るために、相方のササンがやってきた。まずはヨーヨーの腕前を試す。
「ボクは全然やれないよぉ~~~」
って言ってたくせに、いきなりクリクリとループ技をやり出した。
私がまだ連続で10回もイケてないのに、ササンいきなり地味~~に10回をクリアしている。悔しい~~~・・・
今日中にできるだけのアーティストと会いたいので、早々にプリラ宅を出る。そして私が1年前バンドンに来たときから気になっていたカフェ・バリで、ちょっと早めのランチタイム。
これが私の頼んだ「ナシ・バリ(そのまんま『バリ飯』って意味)」。
確かにジョグジャやバンドンの味付けじゃない、バリ臭さがちゃんと出てる!美味しい~~~。つい最近バリへ戻ったばかりだから、そんなに大感動ってとこまでいかなかったけれど、しばらくバリに戻ってないときにこの味を食べたら、かなり嬉しいだろうな~。
この店で今日一人目のアーティストと面談。彼女のもってきた作品データを見ながらお喋り。彼女の作品は以前にも見ていて、今回の展覧会のテーマにはぴったりなので是非作品をもっていきたいと思っていた。彼女もフィリピンで作品が紹介されることには興味あるみたいで、話はまとまりそうな気配。
ここで豪雨&雷。次の場所へ出るにも公共機関使ってる我々にはツライ天気。雨足が落ち着くのを待ってたら携帯が鳴った。
「ミドリ~どこよ?迎えに行くから場所教えて」
デイジーさんからだった。彼女は私がとってもお世話になっているバンドンのキュレーター、バンドン工科大学美術学部の教授でもあるアスモジョ氏の奥さん。たまにしか会わないのだけれど、なぜかとても懐かしい気持ちになる人。
ちょうど家族で降りてきてる(彼らの家はバンドンのかなり北部)から、どこかで落ち合おうという話だった。ササンと一緒にカフェ・バリにいると伝えたら30分後には迎えに来てくれた。
彼らと一緒にバンドンの新しいアート・スペースBUTONを見にいくことに。アスモジョも若い子とアート談義するのが大好きだから、結局ここでかなり長居をしてしまった。私はこのグループ(11人の若手集団)の中の1人の写真作品に興味があり、その子の資料が見たかったのだ。
代表者の青年からBUTONの成り立ちを聞いたり、今やってるミューラルの展覧会の説明してもらったりした。にしても、80年代生まれの子らが、こうやって元気に、真面目に美術のこと考えてアクション起こしてるってのは、私にも刺激になる。たまにこういうパワーの近くにいくとワクワクする。
(アスモジョもササンもさすが先生。若いものみるとついつい講義が始まっちゃう)
彼らのトイレにはぎっしりとオバケが描かれていた。これもBUTONのメンバーの1人の作品。彼の作品にはインドネシアの代表的なオバケ、ポチョンやジェランクンが描かれていて、化け物好きな私には嬉しかったけれど、ササンの趣味ではなかったようだ。
これ、ポチョン(あるいはポチョンガン)というインドネシアのオバケ。
イスラム教徒は死ぬと白い布に包まれ、頭と足の先を縛られる。ちょうどアメのパッケージみたいな感じになる。で、ここではこれがオバケになって出てくるのがポピュラー。縛られててちゃんと歩けないから、キョンシーみたくピョコン、ピョコン・・・と飛んでくるらしい。
BUTONを後にして、アスモジョ家族と一緒に夕食をとり、私はそのままササンに送ってもらって鉄道の駅に向かった。昨日の事故、実は2箇所で起こっていた。これはこっちの有名紙コンパスの記事から。
『悪天候が影響、1日2件もの鉄道脱線事故
21日午前3時25分、ジャカルタ発のスラユ号が西ジャワ、ガルットを通過中に前から4、5両目が7m下の崖に転落、3両目はぶら下がる事故が発生。乗客600人中7人が重傷、70人が軽傷を負った。現場は雨で地盤が緩みレールが歪曲していたもの。同日12時15分、ソロ発ジャカルタ行きの特急列車(9両編成)の最後尾車両が西ジャワ、プルウォクルト近くで脱線。相次ぐ列車事故に新たな記録を追加した』
駅で聞くと、ジョグジャへ戻るには一度北に上り、そこから東へ向かう線に乗って向かうので、通常より4~5時間余分に時間がかかるとのこと。いまさら仕方ないので、納得して乗ることに。
そして翌朝、ジョグジャの駅に着いたのは午前9時半だった。昨日の夜8時に出てから、なんと13時間半、電車に揺られていたことになる。行きも帰りも、老体にはかなり厳しい旅になったけれど、その大変さも忘れるほど、久しぶりのバンドンは充実した楽しい旅になった。
今週中にはフィリピンへもっていく作家の作品をすべて決定させなければいけない。
にしても、この快適な部屋!プリラは5人兄弟の真ん中。一番上のお姉さんはすでに結婚してジャカルタで暮らしているので、彼女の部屋はゲストルームとして使われているらしい。建築家のお父さんをもってるだけあって、なかなか凝った作りの部屋だ。
プリラの作品を見るために、相方のササンがやってきた。まずはヨーヨーの腕前を試す。
「ボクは全然やれないよぉ~~~」
って言ってたくせに、いきなりクリクリとループ技をやり出した。
私がまだ連続で10回もイケてないのに、ササンいきなり地味~~に10回をクリアしている。悔しい~~~・・・
今日中にできるだけのアーティストと会いたいので、早々にプリラ宅を出る。そして私が1年前バンドンに来たときから気になっていたカフェ・バリで、ちょっと早めのランチタイム。
これが私の頼んだ「ナシ・バリ(そのまんま『バリ飯』って意味)」。
確かにジョグジャやバンドンの味付けじゃない、バリ臭さがちゃんと出てる!美味しい~~~。つい最近バリへ戻ったばかりだから、そんなに大感動ってとこまでいかなかったけれど、しばらくバリに戻ってないときにこの味を食べたら、かなり嬉しいだろうな~。
この店で今日一人目のアーティストと面談。彼女のもってきた作品データを見ながらお喋り。彼女の作品は以前にも見ていて、今回の展覧会のテーマにはぴったりなので是非作品をもっていきたいと思っていた。彼女もフィリピンで作品が紹介されることには興味あるみたいで、話はまとまりそうな気配。
ここで豪雨&雷。次の場所へ出るにも公共機関使ってる我々にはツライ天気。雨足が落ち着くのを待ってたら携帯が鳴った。
「ミドリ~どこよ?迎えに行くから場所教えて」
デイジーさんからだった。彼女は私がとってもお世話になっているバンドンのキュレーター、バンドン工科大学美術学部の教授でもあるアスモジョ氏の奥さん。たまにしか会わないのだけれど、なぜかとても懐かしい気持ちになる人。
ちょうど家族で降りてきてる(彼らの家はバンドンのかなり北部)から、どこかで落ち合おうという話だった。ササンと一緒にカフェ・バリにいると伝えたら30分後には迎えに来てくれた。
彼らと一緒にバンドンの新しいアート・スペースBUTONを見にいくことに。アスモジョも若い子とアート談義するのが大好きだから、結局ここでかなり長居をしてしまった。私はこのグループ(11人の若手集団)の中の1人の写真作品に興味があり、その子の資料が見たかったのだ。
代表者の青年からBUTONの成り立ちを聞いたり、今やってるミューラルの展覧会の説明してもらったりした。にしても、80年代生まれの子らが、こうやって元気に、真面目に美術のこと考えてアクション起こしてるってのは、私にも刺激になる。たまにこういうパワーの近くにいくとワクワクする。
(アスモジョもササンもさすが先生。若いものみるとついつい講義が始まっちゃう)
彼らのトイレにはぎっしりとオバケが描かれていた。これもBUTONのメンバーの1人の作品。彼の作品にはインドネシアの代表的なオバケ、ポチョンやジェランクンが描かれていて、化け物好きな私には嬉しかったけれど、ササンの趣味ではなかったようだ。
これ、ポチョン(あるいはポチョンガン)というインドネシアのオバケ。
イスラム教徒は死ぬと白い布に包まれ、頭と足の先を縛られる。ちょうどアメのパッケージみたいな感じになる。で、ここではこれがオバケになって出てくるのがポピュラー。縛られててちゃんと歩けないから、キョンシーみたくピョコン、ピョコン・・・と飛んでくるらしい。
BUTONを後にして、アスモジョ家族と一緒に夕食をとり、私はそのままササンに送ってもらって鉄道の駅に向かった。昨日の事故、実は2箇所で起こっていた。これはこっちの有名紙コンパスの記事から。
『悪天候が影響、1日2件もの鉄道脱線事故
21日午前3時25分、ジャカルタ発のスラユ号が西ジャワ、ガルットを通過中に前から4、5両目が7m下の崖に転落、3両目はぶら下がる事故が発生。乗客600人中7人が重傷、70人が軽傷を負った。現場は雨で地盤が緩みレールが歪曲していたもの。同日12時15分、ソロ発ジャカルタ行きの特急列車(9両編成)の最後尾車両が西ジャワ、プルウォクルト近くで脱線。相次ぐ列車事故に新たな記録を追加した』
駅で聞くと、ジョグジャへ戻るには一度北に上り、そこから東へ向かう線に乗って向かうので、通常より4~5時間余分に時間がかかるとのこと。いまさら仕方ないので、納得して乗ることに。
そして翌朝、ジョグジャの駅に着いたのは午前9時半だった。昨日の夜8時に出てから、なんと13時間半、電車に揺られていたことになる。行きも帰りも、老体にはかなり厳しい旅になったけれど、その大変さも忘れるほど、久しぶりのバンドンは充実した楽しい旅になった。
今週中にはフィリピンへもっていく作家の作品をすべて決定させなければいけない。
by midoriart
| 2007-04-22 23:03
| Bandung