人気ブログランキング | 話題のタグを見る

Culture & Art Report from INDONESIA


by midoriart

こどもプロジェクト解散パーティーinタンキル

 今日はこどもプロジェクトの解散会。5月27日の被災から半年が過ぎ、我々の使命だった「愛のデリバリー」もついに終わる時がきた。6ヶ月目の会計報告以降、被災地視察の際に食事代を使ったため、残金は334,357ルピア(4,458円)だった。これを今日の解散会ですべて使うつもりで、朝からマーケットへ買い出しにいった。
 もしも東グループの全員とブラム夫妻を招待して、外食していたら、おそらくこの残金ではかなりショボい会になっていただろう。でも、私は最初からやるなら我々の思い出の場所で、その場の人も交えてって気持ちがあったので、会場はタンキル村(第1バンブー幼稚園の村)と決めていた。ちなみに、今日の支出は388,815ルピア(5,184円)、だから本当に本当に使い切ったってことになる。皆さん、本当にここまでの支援、ありがとうございました。


こどもプロジェクト解散パーティーinタンキル_b0090333_1273254.jpg 買い出しした材料を持って村長さんちへ。今日は私(と日本から義援金を送ってくださったメンバー)が、現場で動いてくれた東グループを慰労し、お礼を言う会なので、ホストは私。後のみんなはゲスト。だから私一人が村長さんちに行き、午後7時にやってくる「お客様」を迎える準備。
【この村長さんち台所で、超美味なメニューが生まれる】

こどもプロジェクト解散パーティーinタンキル_b0090333_1283847.jpg メニューはほぼ私の好みで、牛肉のココナツミルク煮込、イカのピリ唐ココナツミルク、一般に人気のメニュー、鶏の唐あげ、青菜の唐辛子炒め。さらに買い出した材料の残り物を合わせて野菜スープも1品足したという、結構贅沢メニュー。
【子供たちの食事サポートのメニューとしても活躍した牛肉のココナツミルク煮込】


こどもプロジェクト解散パーティーinタンキル_b0090333_131967.jpg 辺りが暗くなる頃から、私はビュッフェの準備を始め、真っ暗で怖~い空気漂う被災地のど真ん中の村長宅をちょっとお洒落に演出しようと試みた。ま~、バリのリゾートホテルなんかがよくやる手なんだけど、お皿に油を注ぎ、灯油ランプの芯を浸して先っちょに火をつけるだけのこと。それでも車を停めた場所から会場までの真っ暗な道にほんのり灯りがあって、やってきたメンバーも喜んでくれたので成功~。


こどもプロジェクト解散パーティーinタンキル_b0090333_1323147.jpg ここでは、いろんな席で何かとスピーチが始まる。私はそういうの苦手なんだけど、今日ばかりはやっぱりちゃんと会の意味を説明して、東グループにお礼を言う必要がある。ビュッフェのテーブルを前にして、輪になって座ってる東グループに今までのお礼を言い、これでようやくみんなが食事を始めてくれた。
【青菜のぴり辛炒め】

 残念ながら、東グループのほとんどが敬虔なイスラム教徒だし、会場を貸してくれた村長さんだって呑まない。やっぱり日本人の私としては、
「お疲れ様~、乾ぱ~~い!!!」
と泡つきのものが呑みたいところだけれど、ここでは甘い泡モノ(コーラとファンタ)のみ。
 後からバンブー幼稚園の棟梁、バンバンさんも参加。それから2日前にテントを撤去したボンドワル村から青年団の娘さん2人も参加。


こどもプロジェクト解散パーティーinタンキル_b0090333_1355791.jpg 日本の打ち上げとは違い、食事のみなのでお開きも早い。それに被災地で私らだけワイワイやってるのも周囲に失礼なので、8時半には食事もお喋りも終えて引き上げる準備を始めた。私はホストとして、東グループを帰してから村長さんの奥さんと、今日の料理を手伝ってくれたもう一人の母ちゃんとで、皿洗いなどしようと思ってたんだけど、東が
「え~~~。ミドリ、後で一人で帰れるのかぁ~~? 気をつけろよぉ~~~・・・へへへ~~~」
なんて脅すから、だんだん怖くなってきた。
 それを見てた村長さんの奥さんが、
「ミドリ!一緒に帰りなさい!片付けなんて私らでできるからいいのよ!」
と私を送ってくれた。
一度脅かされると、やっぱりガレキだらけ、真っ暗、多くの死者を出してるタンキル村から一人で帰るのはかなり勇気がいる。奥さんには申し訳ないけど、お言葉に甘えて、東の車と一緒に帰宅した。


 正直なところ、ほっとしたのと淋しいのと、今は半々の気分だ。
 でも、まずは今日この夜に、日本から今まで支援してくださったメンバーの皆さん一人一人に心からお礼を言いたい。この歳になるまで人のお役にたつことなんて一度もしたことがなかったけれど、5月27日の地震をきっかけに、私の人生でとんでもなく貴重で意味のある時間を送ることができた。こういう動きに流れていったのは、遠い日本から被災者のことを思い、こんな私を信頼してその愛を託してくださった450余人のメンバーがいたからこそだ。
 見ず知らずの方がこんな私を信頼してくれた、その事実が私をここまで突き動かしてきたのだと思う。正直なところ、「被災者のため」にという気持ちよりも、「私を信用してくれた見ず知らずの人に対してちゃんとお返しをしなくちゃ」って気持ちの方が大きかったようにも思う。私はそれでもいいと思う。結果として、被災地の子供たちに、ちゃんとメンバーの愛が届いたのだから。子供たちはそれをちゃんと喜んで受け取ってくれたのだから。


こどもプロジェクト解散パーティーinタンキル_b0090333_1374826.jpg

【一番感謝したいのは、ここまで純真な目的で動いてくれた東グループ。そして東を私に引き合わせてくれたジャカルタ在住のSさん。もう一つ言えばここまでの活動を無事に進められるように見守ってくれた上からの力、すべてに感謝したい】


 このブログは、もともと地震とは関係なく今年5月から始めたものだ。
 恐ろしい偶然で、初めて数回記事をUPしたところで被災したために、まるで「こどもプロジェクト」のブログのようになってしまった。そして今までは、私を信用してくださった皆さんへ、せめて毎日明朗会計、詳細報告をしようと決め、なかば義務として被災地の近況をUPしてきた。
 けれど、今日をもって義務感から毎日UPすることは終了させていただきたい。もちろん、ジョグジャの地に暮らしている者として、被災地の状況が日記の中に出てくることはあるだろうけれど、メンバーへの責任感からは解放していただきたい。これは逆に言えば、今まで応援してくださったメンバーの皆さんにも、「もう毎日確認していただかなくてもいいんですよ」という気持ちからだ。でも、このブログでは私の日常を綴っていくので、ときに被災地の状況など、コメントで質問くださるのは大歓迎。私もこれでまったく被災地と縁が切れるわけではないので、その時々に状況をお伝えしていきたいと思っている。

最後にもう一度、ここまでのご支援、本当に本当にありがとうございました!!!


==================================
◆東って誰?って思う方は、当ブログの「新たな仲間登場」
http://midoriart.exblog.jp/d2006-06-05を見てください。
◆「救援パック・プロジェクト」隊員って誰?って思う方は「ジョグジャ救援パック小隊:隊員紹介」
http://midoriart.exblog.jp/d2006-06-14を見てください。
◆救援パック・プロジェクトの1ヶ月の会計報告は
http://midoriart.exblog.jp/d2006-06-27を見てください。
◆救援パック・プロジェクトの2ヶ月目の会計報告は
http://midoriart.exblog.jp/d2006-07-23を見てください。
◆救援パック・プロジェクトの3ヶ月目の会計報告は
http://midoriart.exblog.jp/d2006-08-27を見てください。
◆救援パック・プロジェクトの4ヶ月目の会計報告は
http://midoriart.exblog.jp/d2006-09-27を見てください。
◆救援パック・プロジェクトの5ヶ月目の会計報告は
http://midoriart.exblog.jp/d2006-10-18を見てください。
◆救援パック・プロジェクトの6ヶ月目の会計報告は
http://midoriart.exblog.jp/d2006-11-23を見てください。
by midoriart | 2006-12-09 23:23 | Jawa Earthquake