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Culture & Art Report from INDONESIA


by midoriart

宮本亜門さんとのご縁

 韓国旅行が終わってもまだ私が実家のある名古屋に戻らなかったのには理由がある。今日11月3日が宮本亜門さん演出、二期会のオペラ『コジ・ファン・トゥッテ』の初日だったからだ。ちょうどタイミングよく帰国していた私に、亜門さんが招待券を用意してくださった。

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 宮本亜門さんと出会ったのは10年近く前、バリ島。TBSの旅番組『道浪漫』のロケハンでバリ島に来た女性ディレクターが私の著書『バリ島遊学記』を知り、私の書いている内容を番組に反映させたいと連絡をくれたのがきっかけ。彼女にバリのDEEPなサイトを紹介して回っているときに、このロケで「旅人」となるのが宮本亜門さんだと知った。
 ロケハン後、ディレクターは私をコーディネーター兼通訳として誘ってくださり、このロケ期間中を亜門さんと過ごすことができたのだった。当時はバリ島大人気で、日本からいろんなTVが来てロケをしていた。たまに撮影にでくわすことがあったけれど、中にはツンとお高くとまった若手タレントが、撮影では
「キャ~、かわいいぃ~~っ!」「素晴らしいですねぇ~」
なんて言っておきながら、カメラがないと醜い顔と態度でバリ人に接しているのを見たりもした。


宮本亜門さんとのご縁_b0090333_223610100.jpg ところが亜門さんは、ウブド村にある私のちっちゃなスタジオを訪ねてきてくださり、私が紹介するものに心から感動してくれた。めったに人には教えない秘密の村へ連れて行ったときなんか、私が気に入ってる夕方の光景を見て、涙してくれた。私はそれを見たときから、亜門さんのことが本当に好きになった。それは単に有名演出家のファンって意味ではなく、私が好きでいるものを同じように好きになってくれる人への共感のようなものだった。
【TBS撮影スタッフと一緒に。祭司さんを挟んで左が私、右が亜門さん】


宮本亜門さんとのご縁_b0090333_23264585.jpg  撮影期間は確か10日ほどだったと思う。でもこれが縁で、亜門さんはずっと私のことも覚えててくれて、4年前には亜門さんの留守中1ヶ月、制作で玉城の家を使わせてもらったりもした。
【2002年、亜門さんの玉城の家のパーティーで】

宮本亜門さんとのご縁_b0090333_22374944.jpg 最後に会ったのは、今年4月、私がインドネシアの若手アーティストを日本で紹介するために東京で展覧会をキュレーションしていたときだった。ジャワ島中部沖地震の1ヶ月ほど前のことだった。そして5月27日に被災。亜門さんも、マネージャーの今日太さんも、心配して連絡をくださった。そしてしばらくして私が救援活動を始めたことを知り、この2人も「こどもプロジェクト」のメンバーになってくれたのだった。
【玉城亜門邸2階から海を見る】


 「こどもプロジェクト」の何度目かの会計報告の後、亜門さんからメールがきた。
「ミドリさん、覚えてる?ボクがロケの時にたくさんキャッシングしたこと。アレ、活動に使えない?」
そうそう、覚えてる覚えてる。亜門さんはバリ島でロケの途中、気に入ったアンティーク家具を見つけたのだ。ちっちゃな店でクレジットカードは使用できず、亜門さんと私はATMで何回も何回もキャッシングしたのだった(インドネシアでは一度に引き出せる金額が日本円でたったの1万円程度なので、多額な場合には何回も繰り返して引き出しをしなければいけない)。
 結局、そのアンティーク家具屋から沖縄へ送れるカーゴがなく、さらに雨天のためにロケの日程が押してきたために、亜門さんは家具を買うことなく帰国したのだった。それをまだルピアのままで持っていたのだ。

 ちょうど私には帰国の予定があったので、ならば東京まで受け取りに行きましょうってことになり、そしたら運良く東京二期会のオペラを亜門さんが演出したってことで、初日の招待状というラッキーな展開になったのだった。
 宮本亜門という有名人を私は「その人そのもの」から知り、10年近く経った今回初めて「その作品」を実際に観ることができた。以前ブロードウェイに持っていくミュージカルの練習場に連れて行ってもらって一部を観たことはあったけれど、実際作品になっているものを最初から最後まで見たのは初めて。あらためて演出家宮本亜門のスゴさを知って感動。こちらも話し始めたらそれだけで一回分の報告くらいになっちゃうので今日は割愛。


宮本亜門さんとのご縁_b0090333_22383710.jpg 初日の今日は舞台後に亜門さんと待ち合わせ、日生劇場近くの飲み屋で軽い打ち上げをした。メンバーは亜門さん、マネージャーの今日太さん(彼がクリスト講演会に私を誘ってくれた人)、そしてロンドンから戻ったばかりのライター(私は初対面)、ダイちゃんと私。亜門さんは被災当時の私の状況や、今の活動の進行具合など、とっても気にしていてくれたので、打ち上げはジャワ地震の話になってしまった。クリクリっと人なつっこい亜門さんの目がじーっと私を見ている。真剣にまるで自分が体験したかのように、私の話を聞きながら、
「本当に、ここまでよくやってきたよねぇ~~~」
としみじみ言われると、テレながらも本当に嬉しかった。
 そして彼がルピア札の束を出してきて、
「これね、お願いだから子供たちのために役立ててね、すべて任せますのでよろしく」
と私に手渡してくれた。
【日生劇場公演後に日比谷で】
 
 5月27日被災、30日に義援金を募り始め、2ヵ月後7月28日に義援金受付をストップした。それ以降も少しずつ入ってくる義援金に関しては、ブログでは送ってくださった方の名は掲載しず、1ヶ月に一度の会計報告の際にだけ総額をお知らせしてきた。このスタンスからすれば、亜門さんだけ名前を出して報告するのは平等ではない。けれど、我々「こどもプロジェクト」に宮本亜門さんもメンバーとして入っているということは他のメンバーにとっても嬉しいことだと思うし、なぜこの時期に彼が義援金をルピア札でくださったのかということも説明したかったので、本人の了解を得て名を出すことにした。
 そこで、次回11月27日の会計報告では、7月27日以降振込みのあった方の氏名もまとめて掲載させていただくことにする。ただ、上記のように、今回彼からの義援金を預かったのには理由があってのことなので、義援金受付を公に再開したのではないこともここで今一度お断りしておきたい。
by midoriart | 2006-11-03 22:39 | Japan