Culture & Art Report from INDONESIA


by midoriart

ようやく叶った益子ツアー

 栃木県芳賀郡益子町には民藝運動を創始した陶芸家、濱田庄司の業績を伝える「益子参考館」がある。京都の河井寛次郎邸はまぁまぁアクセスも簡単だし、名古屋からは近いからいいけれど、益子はちと遠い。ずっと行きたいと思っていたところに、昨年濱庄の御令孫の一人濱田琢司氏と知り合い、火がついた。正月明けに東京へ行く用ができたので、これがチャンスとばかりに横浜の車持ち友達にお願いして連れてってもらうことに成功。


b0090333_2054594.jpg財団法人、益子参考館は濱庄が集めた陶磁器、漆器などの工芸品を展示・公開するために自邸の一部を使って1977年に開館。濱庄のセンス溢れる世界中からのコレクションが見られ、彼と陶芸の関係もひしひしと感じられる。はじめて訪れた益子の町はメインストリートにたくさんの陶器屋が並ぶ観光地だった。ちょっと瀬戸市が瀬戸物祭やってるときの感じと似ている。そんな観光観光したエリアからちょっとはずれたところに、参考館は静かに、堂々と建っていた。


b0090333_20563989.jpg3.11で被災したことは御令孫から聞いていたけれど、実際に行ってみてその大変さをひしと感じた。大谷石でできてる館はヒビがはいったり瓦が破損したりと痛々しい姿だった。そんな2、3号館は今も閉まったままになっており、彼の大皿作品などを見ることはできなかった。かなりの数の濱庄作品が被害にあったというから残念なことだ。(再建基金についてはこちら⇒「益子参考館震災再建基金」)


b0090333_20565674.jpg濱庄が使っていた登り窯も被災してレンガが崩れたままでまだ修復がされていなかった。


b0090333_20571622.jpg濱庄のろくろがそのまま残る仕事場。なぜだろうか、私はいつも、彫刻や絵画をやってる友達のスタジオを訪ねるときよりも、セラミックをやってる友達の仕事場を訪ねるときのほうがワクワクする。自然の素材をじかに触ってかたちをつくっていくという行為が一番原始的で人間的だからだろうか・・・。寒い朝一番の訪問客を白猫が迎えてくれた。
 「京都で道をみつけ、英国で始まり、沖縄で学び、益子で育った」という濱庄の生涯をしんとした彼の仕事場で想像してみる。


b0090333_20574616.jpgこの4号館は「上ん台」と呼ばれた母屋。濱庄が1942年隣町から移築したもので、たくさんの洒落た調度品を陳列している。中はカフェになっていてお茶が飲めると知ってたので、それが楽しみでさっそく炭焼きコーヒーをいただく。名古屋在住の御令孫がいれてくれる珈琲もとても美味しいのだけれど、ここの炭焼きも美味だった。


b0090333_20581581.jpg次に向かったのは益子陶芸美術館。ここでは1月29日まで「濱田庄司スタイル展」を開催している。実はこの展覧会、昨年末に東京の汐留ミュージアムで開催されたものの巡回。東京で見逃したので、今度は益子参考館とまとめて見る!と決めていた。1894年川崎で生まれ、東京高等工業学校で陶芸を学び、イギリスへ渡った濱庄のお洒落なコレクションが見られるおもしろい展覧会だった。陶芸作家としての顔だけでなく、モダニストとして自らがデザインを手がけた家具も展示されている。


b0090333_21131077.jpg この美術館の敷地には、旧濱田邸が移築保存されている。江戸時代後期の建築で、町の指定文化財にもなっている。濱庄が海外からの知識人、アーティストを集めて語った食卓もあり、そこには「濱田家のレシピ」も展示されていたので、益子の食べ物レポート、藍染工房や私が購入した濱田窯の器レポートなどど合わせて次回紹介することにする。なかなかスゴイ町だぞ、益子。
by midoriart | 2012-01-09 21:06 | Art