Culture & Art Report from INDONESIA


by midoriart

2月4日◇ムラピ火山噴火・救援活動レポート53

 1月31日、半年ぶりのバリ。UBUDにもっている自分の部屋の掃除をしたり、バリの古い友人に会って3日を過ごした後、2月4日の朝一番でジョグジャ入り。ホテルに荷物をおき、そのままチャハヨに合流、メラピ火山噴火の爪痕を実際にこの目で見るべく、もっとも被害の大きかったチャンクリンガンからメラピ火山頂上から4キロの地点、メラピ火山の守人、マリジャンが命を落としたエリアまで登った。
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 ジョグジャ市内にはまったく噴火被害をイメージできるものはなく、相変わらずののんびりした町並。ところが北に向かってどんどん上っていくと、だんだん様子が違ってくる。ついにはこんな臨時の橋がでてきて、下にはドロドロの土石流が流れている。そうか、ここで噴火があったんだ・・・と初めて感じた風景。
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 ここからはどんどんと灰色の景色が増えていき、ついには息をしているのが気持ち悪くなってきた。自動車では行ける範囲に限界があると、チャハヨのバイクで二人乗りし、ヘルメットごしに近況を話していた我々は、どちらともなく咳が増え、最後には話しているのがつらくなってきた。
 まず降りた地点では幼稚園舎の半分が土砂に埋もれていた。
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 チャハヨは、今までKODOMOプロジェクトとして、日本の皆さんから預かった義援金で何をしたのかを私に見せるため、活動したすべての場所へ案内するつもりのようだ。けれど早朝に起きて1時間のフライトでジョグジャに着いたばかりで、でこぼこ道をバイクに揺られて1時間、ついた先のあまりに悲惨な現状を見た私はどっと疲れが出てしまう。
 これは噴火直後、まだ溶岩流が真っ赤に流れ固まって間もない頃に、被災した家屋の貴重品などを救出したエリア。赤線の部分まで土砂に埋もれていたのを掘り返したという。家族の証言に「まだお父さんがいない、最後に見たのは居間だった」などとあると、掘って遺体を捜したそうだ。
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 赤線まで熱い溶岩流に埋もれていたことは、この扉のフレームでもわかる。赤で囲んだ部分は真っ黒に焦げていた。
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 KODOMOプロジェクトが緊急災害時を越して状態が落ち着いた頃に始めた緑化運動。できるだけ早くに育ち、収穫のできる植物として、イモ類を植えたものが、ちゃんと育っていた。真っ黒な土の中に、若葉が出ている様子に、わずかながら将来への希望が見えたようにも思えた。
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 チャンクリンガン周辺にはたくさんの王様所有地があり、今回の被災者たちにはその空き地に政府が臨時住宅を建設中だった。バンブーハウスにはちゃんとWCも設置されていた。
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 メラピ火山の頂上から4キロ、今回の噴火で最も多くの犠牲者を出した村。今ではすっかり観光地のようになり、ジャカルタやバンドンなどの都会から来た人たちの立派な車のパーキングまでできていた。オマケに旗も立て、屋台もたくさん並んでいる。私はその中に入ることにためらいがあって、遠くから見るだけにした。
 でも考えてみれば、その駐車場代、屋台の売り上げ、入場料はそのまま被災した人たちの収益になっていくのだから、一種の義援金だと思えば、そんなに悪いことではないのかもしれないが・・・

 チャハヨが「観光客」たちの行く方向とは違うほうへ歩き出す。
 そこには大きな牛の頭の骨が3つ。これもKODOMOプロジェクトが被災地で活動した際に、被災して表面だけが焼けて、なかが腐りだしていた牛を、すべて焼いて葬ったその亡骸だった。即死の牛、全身火傷で傷つき、最終的には捌かれた牛、噴火で被災した牛は500頭以上になるという。合掌。

 今回チャハヨと一緒にメラピ山麓を見て回ったけれど、これは実際にこの場所へ来ないとわからない、伝えられないと思った。写真にすればただただ続く黒い砂浜のようでもあり、ここが昔村だった、川だったという実感はなかなか伝わらない。
 今もまだ湯気を立て、触れば高温の土砂、硫黄臭さ、これらは私の文章では到底伝えることができない。せめて少しでもわかりやすいように、動画を公開する。⇒メラピ山麓の現状
⇒昔は川だった風景
by midoriart | 2011-02-04 18:34 | メラピ火山噴火