Culture & Art Report from INDONESIA


by midoriart

12月8日◇3つの記念日「ジョン、開戦、犠牲祭」


b0090333_1403142.jpg 私が大好きだったお爺ちゃんの命日12月7日の翌日。
 昔は12月8日といえばジョンの命日が最初に浮かんだ。そういえば昨年の今頃は日本にいて、名古屋の音楽好きの友達と一緒にジョンの追悼ライブを見に行ってたっけ。
(写真:ジョンレノン・ミュージアムで)


b0090333_1411456.jpg 数年前から12月8日がパールハーバー奇襲攻撃の日、つまり1941年旧日本海軍機動部隊が米ハワイ州オアフ島パールハーバーを攻撃し、多くの犠牲を出した日米開戦となった日であることも思い出すようになった。第二次世界大戦をテーマにした作品を作り始めたからか、12月8日はとても気になる日になりつつある。
 

 最近、ジョグジャ在住で通訳者のIさんから一冊の本をいただいた。『太平洋戦史館』、岩手県にあるNPOの記念館の10数年の活動をまとめた本だ。太平洋戦争では多くの日本兵がインドネシア、そこからもっと東の島々まで送られた。ほぼ見殺しに近い状態で、最後には飢えで亡くなった人も多くいる。通訳者のIさんはここ数年、ビアク島に遺骨収集に来る岩淵さん(太平洋戦史館館長)をリーダーとした日本人グループに同行し、60年以上経った今もたくさんの日本兵の遺骨がインドネシアの最東端に残されていることに愕然としたという。


b0090333_1415953.jpg 昨日、祖父の命日に、『太平洋戦史館』を読んで私も驚いた。いまや戦争を知らない世代が人口の80%となる日本、でもこのインドネシアの奥地には、いまも少し掘り起こせば日本軍が使った戦車、鉄兜をかぶったままの頭蓋骨が出てくるのだ。私の半分ほどの年齢で家族から引き離され、灼熱のジャングルの中で飢えと戦い、命を絶たれた多くの若き魂が、60年もほったらかしにされているという事実。民間団体がなんとかしたくても、厚生労働省を通さなければすべてを動かさせない複雑なシステム。ひょっとしたら自分のお爺ちゃんがそんなめにあっていたのかもしれないと思うと、悔しくて涙が出た。
 多くの日本兵が餓死し、生還できたのは数パーセントだったという激戦地が私の今いるジョグジャカルタからわずか数百キロの場所にある。そんな事実を日米開戦日の前日に知ったのもなにか意味があるのだろうか。インドネシアにいる日本人として、なにかできることがあるのだろうか。


b0090333_1433426.jpg そんなことを考えている今日、インドネシアはイスラム教の祝日。「IDUL ADHA=イドゥル・アドゥハ」は「犠牲祭」、ここ一週間ほどは町のいたる場所で「犠牲」となる山羊が売られていた。金持ち層がこれをおろして貧しい人たちに配るらしい。

b0090333_145399.jpg 50年前には海外からのメッカ巡礼者は1万人もいたが、今年サウジアラビア大使館が発行した巡礼ビザは200万人。国内の100万人と合せて300万人が白衣に身を包み6日から一斉にアラファ山へ。7日夕暮れまでここで佇立して瞑想した後、巡礼に向う。インドネシアからの参加者は191,365人。6日までにすでに103人が呼吸疾患と老衰で死亡しているけど、これもイスラム教徒にしてみれば「メッカで神からお呼びがかかる」という幸せなことらしい。


 3つの記念日のうち、今年私に一番響いたのは開戦日。先日、101年を生きてこられた田中のお爺ちゃんの葬儀もあったからか、歴史の風化になぜかとても不安感がある。もっと歴史をちゃんと学びたいと切実に思う。
by midoriart | 2008-12-08 14:03 | Indonesia